ただ、この祖谷茶の歴史ははっきりしておらず、恐らく家の垣根に植えた畦畔茶か、
ヤマチャを自家用に使用していたのが始まりかと思われ、
この辺りをもう少し調べてみたいと思っている。
この他、高知の物部村(現:加美市)にも平家の落人集落があり、
「類聚土佐古事」に「土佐の諸山村では処々に良質の茶を多く産するが、
特に韮生郷でとれるものを大抜茶、豊永郷から出るものを碁石茶、
津野山郷で産するものを六蔵茶といい佳品である」とあるそうで、
平家の落人がことの他茶をたしなみ、宇治から茶の種を取り寄せたとか。
その後、茶道への造詣が深い長宗我部氏を始め、
茶の栽培を奨励した山内一豊の出現、明治以降は輸出用の青製(煎茶)や紅茶の生産等など、
土佐の高知では碁石茶以外にも茶の長い歴史があるようだ。
ただ、かつては東高西低と言われた高知の茶産地も、明治末期より西へ進み、
一時は三大銘茶に数えられた物部の大抜茶も今では自家用茶程度という。
以上、五家荘を基点とし、
平家落人集落とお茶をテーマに幾つかの地域の落人伝説と茶について調べてみた。
山間部ということで、労力不足に悩みながらも、
少量でも昔ながらの良質の茶を作り続ける茶農家の方々がいらっしゃることを知り、
またその方達との出会いをとても嬉しく感激している。
ただし、これで平家の時代には既に茶の種が大陸から伝わっており、
その後山間部においては平家の末裔達が茶を広めていったケースが多いと考えるのは
少し強引な締めくくりだろうか。
陸 千波 2006年5月
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5月の講座『お茶を通した中日交流』の様子
お茶
中段左:五家荘産 青柳製釜炒り茶
中段右:矢部産 青柳製釜炒り茶
下段中:南京雨花茶
お茶請け
上段箱:茶香蜜棗(お茶の香りの密なつめ)の箱
中段左:熊本銘菓 風雅巻き(わさび大豆味)と
手製 南京雨花茶入り桂花醤マドレーヌ
下段左:茶香蜜棗(お茶の香りの密なつめ)
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