茶的故事 

 安徽茶

 其の二 祁門紅茶

 
  祁門(英語:Keemun)紅茶は安徽省黄山市祁門県一帯で作られ、略して「祁紅」と呼ばれています。 清の時代光緒元年(1875)に誕生した中国産の紅茶です。 1915年にパナマで開催された世界食品展で金賞を受賞したのをきっかけにインドの「ダージリン」、スリランカの「ウバ」と並んで世界三大紅茶と称されるようになりました。 祁門県は2001年10月に国家林業局によって正式に「中国紅茶の郷」と認定されています。

  安徽省は、清康熙六年(1667)に江北の安慶府と江南の徽州府が合併したとき、その頭文字の安と徽を取り、省として誕生しました。 現在の省都は合肥市です。 中国の歴史上でも幾度か首都が置かれ、著名な出身者には三国志でも良く知られている曹操や周瑜、思想家の老子、明の初代皇帝朱元璋などがいます。 30~40万年とされる人骨が出土した「和県猿人」遺跡があり、また省内に中国文明にとって大切な都市がいくつもあります。

  祁門の茶園は、主に海抜100~350メートルの峡谷や丘陵地帯で栽培されています。 茶摘みは一般に、春夏二季に行われます。 気候的には朝晩の温度差が大きく、雲や霧が多く、日照時間が比較的に短いため、上質なお茶を作る条件が整っています。 製法に於いても茶葉は、揉むほどに蘭やバラと称される香りがするとされています。 また、完全発酵茶でありながら、苦味や渋味が比較的に少ないのも特徴です。 一因には、タンニンの成分が少ないからだそうです。

  祁門では紅茶が製造される前、唐朝時代から続く重要な緑茶産地でした。 19世紀のイギリス、フランス、ドイツ、オランダなどの巨大紅茶市場の出現で、1875年前後に平裏鎮出身の胡元龍が福建省などでの紅茶製法を導入したのが祁門紅茶の始まりとされています。 現在では、胡元龍が開拓したとされる茶園を背景に記念像が建てられています。

  また、19世紀後半に安徽省出身の余干臣が福建省の「武夷茶」を真似て「祁門工夫」、「工夫紅茶」を作ったという説があります。 武夷茶は単純に天日で発酵させているのに対し、祁門紅茶は炭火を使い乾燥させる工夫を行ったようです。 この炭火紅茶の誕生により、へたな香り付けの粗悪紅茶を「祁門香」と形容されてしまうことが多くなってしまいました。 中国では一般に、香り付けしたお茶よりは天然の香りをする茶葉の方が高級品と評価されます。 いまだに祁門香は論争の的のようですが、近年ではフレーバーティーをあえて好む消費者も増えていますので、時代の要求でさまざまな工夫や研究も行われています。

  現在の祁門県の人口18万人(取材当時のデータ)のうち14万人の農民が紅茶生産に関わっているというほど重要な産業となっています。 2007年に祁門紅茶歴史文化展覽館も作られ、観光に一役買っています。

  当教室では、祁門紅茶をあえて工夫茶器で淹れています。 やはり中国茶なので、工夫茶器によって茶葉の本来の甘みと香りの高さがより味わえるからです。 なお、祁門紅茶は日本でも広く流通していますので、写真は特に掲載いたしません。

 楊品瑜 2009.03.10 (転載不可)