茶的故事 

 台湾茶

 其の四十六 三星上将茶

 
  清の嘉慶元年(1796)、吳沙率氏を筆頭に、福建省、広東省出身の方たちと数名で、 頭圍城(現宜蘭)から開拓が始められましたが、 宜蘭は窪地が多く、当時の開拓者には開拓しにくい土地として好まれなかった。 また、山側には既に原住民の泰雅も住んでいたため、命を狙われる危険性も高かったそうです。 そして、蘭陽溪の洪水氾濫によって、三星地区の開発はさらに遅れていたのでした。

  三星は清朝では「叭哩沙湳」、乃噶瑪蘭平埔族 pressionowan 社から漢文に訳したしたものです。 三星の開発は結果的には、日本統治時代昭和11年(1936)、堤防工事などの治水後に、 徐々に移民も増え、開拓事業が進むことになります。

  三星郷は日本統治時代大正9年(1920)に「三星庄」と改名し、のちに「三星」の地名が今日まで使われています。 1921年には砂糖工場への電力を提供するため、水力発電所も建設されました。

  戦後三星郷の経済は停滞し、人口の流出が起きたため、 農産品の生産に力をいれ、「上將梨」がやっと名産品となります。 そして、地域経済も改善されます。

  三星上将茶の産地は蘭陽茶区に属し、三星郷の区域で生産されています。 住民100戸未満の長閑な農村地帯で育てられたお茶です。 開拓が遅れたことで、環境が保全され良質な茶栽培ができ、近年大変注目されている台湾茶のひとつです。 また、現在宜蘭では、従来の発酵度の低い烏龍茶を中心に茶作りをしていますが、紅茶も少し作り始めているようです。

  今後近隣の茶区と共に宜蘭茶として、ブランドを統合し、 ブランド力をより強化すべき提案も出されているようで、今後も見守っていこうと思います。

 教室で入手した上将茶は、翠玉茶(種)と間違われそうな台湾緑茶の味でしたが、 甘みがあり、金萱種で栽培された軽発酵茶でした。

 楊品瑜 2018.03.24 (転載不可)





上将茶