茶的故事 

 福建茶

 其の五 福美大丘崙毛蟹茶

 
  毛蟹茶は安溪の四大銘茶のひとつで、原産地は、安溪県泉州市大坪郷福美村大丘崙とされ、またの名を「毛外」、「茗花」とも言います。 茶樹からは多くの香り高い茶葉を摘むことができ、特に鉄観音茶が一番適しています。 生命力の強さから成長が早く、量産できるお茶としても人気、3月~8月まで茶摘みができ、茶樹によっては11月まで摘まれることがあります。 なので、一般の烏龍茶、紅茶、緑茶に製茶されることもよくあります。

  福美村大丘崙は、四方が山に囲まれ、山の斜面に幾つかの部落が点在しています。 元々の地名は「福洋」と呼ばれ、後に「福海」に改称し、戦後に「福美」の名に変わりました。 村民は高、張、林という姓が多数を占めています。 また、この地は、台湾閩南系住民の原籍地の一つであります。元台北市長高玉樹の父方の祖籍が福美村だそうです。

  毛蟹茶について、《茶樹品種志》に次のような記述があります。
「據萍州村張加協:清光緒三十三年,我外出買布,路過福美村大丘崙高響家,他說有一種茶,生長極為迅速,栽後二年即可採摘我遂順便帶回100多株,栽於自己茶園。由於產量高,品質好,於是毛蟹就在萍州附近傳開」。

  すなわち、萍州村の張加協によりますと、清光緒三十三年(1907年)、布を買いに外出し、福美村大丘崙の高響家に立ち寄った時、彼から生長が極めて速く、植栽後二年で茶摘みが出来る茶樹があると聴いて、ついでに100余株を持ち帰り、自分の茶園に植えました。 生産量が多く、品質がよいことから、毛蟹茶が萍州近隣で、知られるようになりました。

  これが毛蟹茶についての最も古い記述であります。 つまり毛蟹茶は、1907年より前にすでに製茶されていたことが推測できます。

  毛蟹茶の由来について、異なった説もあります。

  清光緒年間(1879~1908年)、安溪の大坪福美村の茶農家の「高坑」という青年がある時、庭の壁の隙間に小さな茶樹が育っていることを見つけます。 見たところ鉄観音種ではなく、何の品種かが不明でした。高坑は好奇心と珍しさから、結局翌年の春、壁の隙間から茶樹を掘り出し、茶園に植栽しなおしました。

  香りがよく、茉莉花(ジャスミン)に似た香りが特徴で、耐泡(数回も淹れられる)、良い茶葉だったそうです。 その後、村中に評判が伝わり、茶農たちと相談し、外見を見て“螃蟹”(かに)または“毛猴”(毛深い猿)と茶名の候補が上がりました。 話し合った結局、茶の産毛が特徴であり、当初壁の隙間から見つけた時は、蟹が足を覗かせていたようにも見えたことから“毛蟹茶”と名つけたそうです。

  飲んだ感想としましては、伝統的な少し苦味がある烏龍茶の味でした。 ただ、最初の苦味はあるのですが、すぐにその後は甘味がついて来る味わいです。 教室受講者の多くの感想は、美味しさと共に、烏龍茶ファンには懐かしい味で好評でした。

 楊品瑜 2014.01.10 (転載不可)


福美大丘崙毛蟹茶