茶的故事 

 江西茶

 其の一 廬山雲霧茶

 
  江西省九江市にある名山廬山はユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されています。 終日、雲や霧に覆われているため、ここで採れる茶は雲霧茶と呼ばれています。 晋の時代では聞林茶とよばれていましたが、明の時代より雲霧茶と呼ばれるようになったようです。

  廬山雲霧茶には美しい言い伝えがあります。 孫悟空が住む花果山の小鳥たちはこの山にはどんな美しい花や果実もありますが、 唯一ないものが茶の木と嘆きます。 そこで、孫悟空は南方での茶の種探しを鳥たちに命じます。 首尾よく茶の種を見つけた鳥たちは、 帰りに美しい草花が咲く廬山の山頂を通過したときにあまりの美しさに見とれ、 つい歌を歌い出し茶の種を落としてしまいます。 その後、その種から茶が現在に伝わっているのだそうです。

  廬山は海拔1000m以上の山であり、長江が近くを通っています。 山麓には湖も多く、その中の鄱陽湖は中国最大の淡水湖です。 このような地形から供給される水蒸気が雨と霧の多い気候の一因とされています。 また、鄱陽湖一帯は歴史上多くの有名人を輩出し、名戦の舞台ともなっています。

  廬山の主要茶区は在海拔800~1000m以上の鄱口、五老峰、汗陽峰、小天池、仙人洞等です。 気温の上昇も遅く、茶樹が新芽を伸ばすのは穀雨後の4月下旬から5月にかけてです 五老峰と汗陽峰の間は、終日雲霧が散らないため、特に品質が良いとされています。

  廬山の茶樹がはっきりと確認されたのは、東漢時代(25年~214年)に僧侶たちが入山したときです。 その後、茶樹の存在が広く知られ、栽培もされるようになったと云われています。

  栽培の歴史はすでに千年を超えます。 東晋時代(317年~420年)の仏教浄土宗の始祖 慧遠は廬山に東林寺を建て、 30年間こもって修行をしていました。廬山に分け入って、 詩人の陶淵明と陸修靜が訪ねて来たとき、 慧遠は自分が栽培した茶で接待し、相互に茶をテーマに吟詩を行いました。 このとき、帰るふたりを送って行った慧遠は、 語らいが楽しすぎて30年越えなかった虎渓の橋をうっかり越えて廬山を降りてしまったという話が "虎溪三笑"として残されています。 これを題材とした名画『虎溪三笑図』は台湾の故宮博物院で見ることができます。 ただし、この話は史実ではなく、道教・儒教・仏教の三賢人が一堂に会したという 三教一致思想の逸話です。

  唐の時代では、酒好きで多くの酒の詩を創った白居易(白楽天)も廬山を訪れ、 終日茶を飲み、吟詩を行い、茶の詩を残しています。 白居易は815年に江州に香爐峰草堂(現在復元されています)を作り、隱居生活を送りました。 廬山草堂記によると、そこの薬圃茶園(茶を薬として栽培した茶園)で 茶を栽培し生計を立てたそうです。 他にも白居易の詩集「琵琶行」には茶商が九江(廬山)と浮梁(景德鎮)往復する詩があります。

  陸羽が廬山の漢陽峰康王谷を"天下第一泉"と定めたことをきっかけに、 廬山雲霧茶の名声はさらに上がったというのです。 天下第一泉について諸説ありますが、唐の時代に書かれた張又新の著書『煎茶水記』によると、 陸羽は20の名泉を定め、第一を廬山の康王谷としたとあります。 ちなみに、刑部侍郎(刑部の次官という役職名)劉伯芻が挙げた7つの泉の第一は 揚子江南零(現鎮江)です。 他にも乾隆帝が名付けた第一泉など、実は中国にはいくつもの天下第一泉があります。

  いくつもの故事が示すように、廬山雲霧茶は宋、明、清と長い間 "貢茶" として朝廷に 献上された銘茶中の銘茶です。

 楊品瑜 2006.06.20 (転載不可)


廬山雲霧茶



廬山の茶畑



花径内の如琴(花径)湖
白居易は詩「大林寺桃花」を残した。
花径は大林寺の遺跡を含む公園で、如琴湖は 1961年に作られた。形がバイオリン(小提琴)に
似ているので、この名が付いている。