茶的故事 

 江蘇茶

 其の二 無錫毫茶

 
  江蘇省無錫市は長江三角洲(長江デルタ)に位置し、南には太湖、西には錫山と恵山があります。 大運河と滬寧鉄道(上海・南京間の鉄道)に沿い、 穀倉地帯である江蘇平野の中心を占める交通・経済の要地であるため、 無錫は江蘇省南部の商工業都市として発展してきました。 米・生糸などの集散地で、繊維、機械、食品などの工業も盛んです。 なお、太湖の西岸には紫砂茶器で有名な宜興市は、行政上無錫県の管轄にあります。

  無錫は歴史が古く、前漢高祖5年(紀元前202年)に県となり、会稽郡に属していました。 後漢には呉郡に属し、三国時代には孫吳によっていったん無錫県が廃止されました。 東晋以後は晋陵郡に、唐宋時代には常州に属していました。 元代には無錫州に昇格しましたが、明代には県に格下げされ、常州府に属して清代に至りました。 地名の由来については諸説がありますが、伝説によれば、太古のころこの地は錫(スズ)の産地でしたが、 漢代に至って錫が採り尽くされたので、無錫をもって県名としたといわれています(『アジア歴史事典』第九巻参照)。

  恵山寺の僧侶による記録では、明の時代ではすでに僧侶による茶栽培が行われていたそうです。 恵山寺は「茶経」の著者 陸羽が選んだ「天下第二泉惠山泉」があることで知られています。 泉に映る月の美しさを唱えた二胡の名曲「二泉映月」が生まれたことでもよく知られています。 この泉の原名は惠泉や陸子泉と呼ばれ、唐大歷年間(公元766年)に発掘され、 歴代の皇帝への貢品(献上品)でもあります。 恵山には九峰があり、龍に見えることから九龍山とも呼ばれています。 そして、伝えでは元々は十三泉あり、現在の錫恵公園にある二泉、恵山泉は元々「漪瀾泉」と呼ばれ、 十三泉の中でももっとも有名で水質がよかったので定着したのです。

  無錫毫茶は古くからあるお茶ではなく、衰退した茶産業の復興のために無錫農業科の研究員が6年間かけて、 1979年に開発した新ブランドのお茶です。 無錫毫茶は若い新芽の茶葉を摘み、高級なものは一心一葉と丁寧に摘み製茶しています。 そのため白毫(産毛)が残り、やや縮れた茶葉に仕上がっています。茶湯は優しいほんのり甘みがします。

  無錫毫茶の主要な茶区は太湖沿岸の丘陵地帶にあります。 山と湖に囲まれた美しい環境、特に太湖に映る茶畑の美しさは一入です。 また、茶栽培に適した気候、土壤もさらに無錫毫茶の付加価値を高めています。

  教室で飲んだ感じでは、非常に上品で繊細なお茶に感じました。 ほのかな渋みがありますが、苦味には感じなかったですね!

  無錫での茶栽培は歴史が古く、茶文化においても多くの影響を与えています。 「無錫金匱県志」の記載では、明代恵山寺の僧侶普珍が惠山の山麓茶の木を植樹し、 明洪武28年(1395)に普珍は湖州の竹細工職人に竹爐を作ってもらって烹泉煮茶 (泉の水で茶を煮る→二泉の水無錫茶を淹れる)を行ったそうです。 その雅事(優雅な行い)に感動し、幾つかの名画「煮茶図」が生まれたのです。 有名なのは明代の王紱による「竹爐煮茶図」、同じく明代の王問による「煮茶図」、 清代の董誥による「復竹爐煮茶図」があります。

 楊品瑜 2009.08.18 (転載不可)


無錫毫茶