茶的故事 

 浙江茶

 其の一 開化龍頂茶

 
  中国最大の潮汐がある錢塘江の源流にあたる浙江省開化県は、北宋時代981年に県として制定され、 中国緑茶の黄金三角地帯とされる浙江、安徽、江西三省の交差したところにあります。 地形的には「九山半水半分田」と称され、九割が山残り一割の半分ずつは川と水田です。 しかし、一帯の景色は風光明媚で、四季があります。 日夜の温度差が大きく、雨や霧が多いため、茶の栽培に最適な気候に恵まれています。 また、俗に言う「高山雲霧出好茶」(高い山、雲と霧が多いところには好い茶が出る)という条件にぴったり合うというのです。

  開化龍頂茶は、銘茶が多くある浙江省でも十大名茶の一つに挙げられています。 茶園は海拔800メートルの“龍頂潭”を中心に広がっています。 茶葉は一芯一葉や一芯二葉で摘まれ,伝統的な釜炒り製法を守り、今日に至っています。

  開化龍頂茶は明朝崇禎年間から貢品の一つとして数えられていました。 開化県誌には貢茶としての記載があり、 「明朝崇禎4年の清明節前夜には、早馬を飛ばして都に届け、皇帝や大臣たちに深く寵愛され、贅沢気分を満たした」そうです。 貢品は皇帝に献上した品で、貢茶も皇帝に献上した茶のことです。 ただかつては、税、年貢として納めたことであまり良いイメージがなかったようで、 貢茶という言葉にはさまざまな意味合いがあったようです。 現代では皇帝に献上し、かつ好まれた茶であれば、名誉なこととされています。

  龍頂茶の名の由来には、ある伝説が言い伝えられています。 昔々にとうもろこしを栽培していた二人の兄弟にある日、黒い長髪をなびかせた目がくりくりした美女が突然訪ねて来ましたが、 兄弟はどうしてよいのか分からず、水を一杯差し出しました。 女性はこの水を一口飲み、「この水には一味足りない」と言って突然歩き出し、近くの茶樹の近くまで行き、 舌の先(中国語で舌頂)を出し、味を確認するかのように茶葉を確認し、茶葉を噛み切り杯に吐き入れたそうです。 すると、茶葉の香ばしいかおりが部屋中に漂ったそうです。 後に、この女性は龍の生まれ変わりとされ、茶の名に「龍頂茶」と付けられました。

  清光緒24年(1898年)に書かれた「開化県誌」にはこの伝説と貢茶の由来について、 「明朝の始祖である朱元璋と劉伯温が元朝の末に戦争で逸れてしまい、落ち込んでいたとき、 劉伯温にお付きの人が励ましに龍頂茶を差し出したら、大変気に入り、茶の名を聞いたところ、 龍女が杯に茶葉を吐き入れ香ばしい香りが起きた伝説を伝えた。 その後、朱元璋にこの茶を紹介すると、大変気に入った朱元璋は龍頂茶を貢茶に指定した」と記載されています。

  龍頂茶は幾度か衰退したことがありますが、現在では「乾茶色緑、湯水清緑、葉底鮮緑」の“三緑”と称されています。 「乾燥した茶葉も緑、茶湯も清い緑、茶殻も鮮やかな緑」という意味です。 現在の中心的な産地は開化県齊渓鎮で、近年数々の品評会で受賞しています。 また、「国家級生態示範区、国家無公害茶葉 示範基地先進県」として“中國龍頂名茶之郷”(中国龍頂銘茶の里)と 名誉ある指定を受け、高い地位を得ています。

  開化では龍頂茶の茶文化は、来客時やビジネスの場の接待にと生活に深く溶け込んでいます。 また、結婚行事に婿が初めて挨拶にきたときには「認親茶」、嫁に出る時には「門出茶」、 嫁を迎えるには「敬親茶」とさまざまな習慣の中にも定着しているようです。 ちなみに、筆者の実家の風習では「甜茶」(甘茶)といって結納式の来客に花嫁が甘くした紅茶を出し、 飲み終わった来客はお祝い金を入れた紅包を筒状に丸めて茶杯に入れて返えすことになっています。 機会があったら開化での結婚行事に参加してみたいですね。

 楊品瑜 2006.03.10 (転載不可)


開化龍頂茶