茶イナよもやま話(その16)

 

  この6月、日本茶関連のイベントで「佐倉茶」の製法を引き継いでいる(株)小川園さんと知り合う機会に恵まれた。 私が住む千葉県はかつて茶の生産地であったという話を聞いた事があり、中国茶を勉強すればするほど、 日本の、しかも千葉県のお茶の歴史と現状を知りたいと切望していたので、正に“渡りに船”。 今回小川社長のご協力を得ながら、その足跡を辿ってみた。 「佐倉・八街お茶の旅」へ、いざ、出発!

  先ず、佐倉茶の歴史に触れてみよう。 時は明治4年(1871年)7月、政令により廃藩置県が行われ、佐倉藩の武士達も職を失うこととなった。 そこで彼らの救済策として佐倉藩の重臣、「倉次亨(クラナミトオル)」が上勝田村(現:八街市富山)の荒地を 開墾して茶の栽培を始める計画をたてた。 何故なら印旛沼や鹿島川等に囲まれて霧の出やすいこの地域が、茶の生育に相応しいと見込んだからである。 この計画に賛同した有志22名と、同11月、「佐倉同協社」を設立する(「同心協力」の意味にちなんで名付けたそうだ)。 そして試行錯誤の末、明治8年(1875年)には初めての茶摘みで168kgのお茶ができあがり、 それが励みとなり年々生産量を伸ばしていった。 そして、翌年8月には佐倉順天堂病院の一族である「佐藤百太郎(サトウモモタロウ)」のニューヨークの店に 輸出するようになり、佐倉茶は海外にも名を広めることとなる。 この輸出された佐倉茶の商標には「ジャパン・ティー・サクラ・ドウキョウシャ」の名と共に、 「サクラ・シモウサ・ジャパン」の名が記されていたという。


  ちなみに、アメリカがイギリスより独立後、初めて中国茶を輸入したのは、 1874年2月、「中国皇后号」がニューヨークから広州に出向き、 アメリカ産朝鮮人参(「花旗参」という)と交換して中国茶を持ち帰ったのが始まりと言われている。 それ以来、ニューヨークで輸入していた茶葉は殆どが中国からのものだったとか。 中国茶が既に主流だった時代に、この佐倉茶の味は人々にどんな印象を与えたのだろうか?  興味がある所である。最盛期には茶園面積180ha、製茶量1200tというすばらしい功績を残し、 静岡と並び称される程有名な茶処となった佐倉茶ではあるが、 災害や共同経営組織の問題等で大正9年(1920年)に同協社は解散することとなった。

  その後、当時同協社の社員であった「二代目 兼坂市兵衛」が製茶機械の一部を譲り受け、 佐倉市角来で製茶工場を始めた。 この自宅の周囲は見渡す限りの茶畑で母屋の左側が製茶所、母屋の約半分が仕上げ茶の処理場だったという。 今回小川社長の協力を得て、その場所にも足を踏み入れてみたが、 表札は無く、住人の方も生憎留守で、以前工場だった所は物置場となり、 茶畑は全く無く、畑の垣根に茶の実が沢山ついたお茶の木が並んでいる…というちょっと寂しい現状だった。 当時は近所の方々の力を借りて作業を続けていたが、機械化と兼坂氏の老齢化と共に経営を断念したようである。















小川園本店同協社商標


  ということで明治の頃は静岡と並ぶ茶処だった佐倉も、今は茶畑が全くなくなり、 明治45年創業の小川園さんの佐倉茶も静岡県の契約茶園で栽培し、静岡の製茶工場に委託しているとのことである。 つまり、生産地は静岡なので正式には「佐倉茶」とは言えないものの、佐倉茶の伝統を守り続け、 佐倉茶の特徴である「緑色の水色で香り高く程良い甘みのある飽きが来ないマイルドな味」を維持すべく、 肥培管理から徹底して契約茶園と共同製作しているそうである。 私も試しに工場直販茶、荒仕上げ上煎茶「月いちえ」を購入してみたが、確かに香り高く、 水色も綺麗な緑色で旨みのあるまろやかな味。とても美味しくお勧めである。 これが千葉県産でないことだけが残念でならない。

  そこで、八街なら今でもお茶を製造している業者があるという噂を聞き、 その一つである「深澤製茶園」さんにアポイントを取り、お茶の説明と茶園の見学をさせて頂いた。 元々、八街も佐倉同協社の影響で明治初期には茶の栽培も盛んであったそうだが、 同協社の衰退や静岡との産地競争に敗れ、その座を落花生に譲って久しい。 ただ、お話を伺う限り、八街は砂煙や砂嵐が酷く、その砂塵から畑を守る為の「防砂林」や「防風林」の役割が大きく、 茶処というよりは自給自足の生活をする上で生まれた一つの産物であった感が強い。

  この深澤製茶園さんも現在三代目になるが、儲け云々というよりは、地元に愛され、 地元の土地風土を愛し自然を素直に受け止めて、 個性を重視したお茶を生産している…強いポリシーを持ったお茶屋さんという感じを受けた。 生産量の殆どはやぶ北の煎茶で、かぶせ茶がごく僅か。 春先に摘んだ被覆栽培された茶葉を、秋に「八街みどり」という名のかぶせ茶で販売するらしい。 そこで幾つか試飲させて頂いたが、どれも旨み、渋みがはっきりと出たしっかりとした強い味わいで、 この土地風土を象徴している感じがした。 中でも茎に茶葉が多少混ざった「茎茶」は低価格ながら、温度を少し下げると旨みが良く出て、 火入れが強めのお茶が好きな私はとても気に入った。


  そして、ご主人の運転でJRの線路沿いで一番景色が綺麗という茶畑に連れて行って頂いた。 一面広がる美しい段々畑の向こうには、ちょうど運良くJRの特急が走り抜け、 周囲からは涼しげで心地良い鳥達の鳴き声が聞こえてきた。 思わず、おにぎりでも持参してのんびりとこの風景を眺めていたい…そんな気持ちになった。

  最後に、佐倉茶の祖、倉次亨氏が祀られているという八街市大関の本昌寺に立ち寄り、 中国茶・日本茶を問わず、お茶を愛する一人間として倉次先生のお墓の前で一礼。 数日間に渡ったが、地元の千葉県においてお茶にまつわる旅をすることができ、心底満足している。 茶処とまでは言えないまでも、地元の文化を大切に守り、頑張り続けている方々の事を少しでも理解し、 人々に広めていけたら…と思って止まない。

陸 千波 2005年6月














深澤製茶園茶畑と特急