茶イナよもやま話(その19)

 

  7月、9月と二回に渡り、お茶を通して小学生の子供達と触れ合う機会に恵まれた。 初回は生徒達にお茶とは何か?ということでお茶の起源から始まり、 歴史、種類、成分、効能等の話をした後に、温度別(熱湯、70度、水)の味の違いの実験をし、 最後にグループに分かれて美味しいお茶の淹れ方を実践するという内容だった。 そして、二回目は地域の老人の方々対象のふれあいサロンの一環の授業で、 前回習った上級煎茶の淹れ方を応用し、生徒達が日本茶の喫茶店を開くというものであった。

  この二回を通して印象に残ったことは、子供達が非常に苦渋味に敏感であるということである。 どんなに旨みの強いお茶でも、多少苦渋味があると、すぐに「苦い!苦い!」の一点張り。 日頃飲んでいるお茶の影響もあるだろうが、苦渋味のある温かい煎茶より、 体験用に煮出した古代茶(日干し番茶)や、お土産用に作った水出し冷緑茶の方が評判が良かったのである。 これに反して、二回目のサロンの時、生徒達がメニューを作成し、ご年輩の方々に

    ①あったかい渋いお茶(90度)
    ②あったかく渋くないお茶(70度)
    ③冷茶
    ④茶殻のおひたし

のメニューから注文を取った所、気温が30度以上の真夏日にもかかわらず、 ご年輩の方々の殆どが①の90度のお茶を希望していた。 その傍らでは、冷茶、はたまた氷を口に入れたがっている生徒達の姿があった。 生きている年数の違い、嗜好の変化に当然の結果と思いながらも、 余りに顕著な違いに思わず噴出しそうになった。 でも、年の差を超えて、クールで不器用ながらも一生懸命にお茶を淹れ、 届けてあげる姿、進んで片づけをする姿、そして時にご老人達と同じテーブルで談話する姿に光が見え、 また微笑ましく感じた。

 そして、講義の際は眠たそうにしていた生徒達だが、 意外にも茶の歴史や茶に関することわざに興味を感じ、今後の研究題材にしたいという感想を幾つか頂いた。 そこで、茶にまつわることわざを日本、中国両国を比べながら話を進めていきたいと思う。
  先ず、日本の茶にまつわることわざと言えば、「日常茶飯事」があり、茶は生活に密着し、 切っても切れない間柄といえる。 このことわざは中国からそのまま来ていると思われるが、同じくお茶の存在を表したことわざに、 「開門七件事、柴米油塩醤醋茶」(一日の必需品は薪、米、油、塩、醤油、酢と茶である)がある。 ここに砂糖が無く、茶があることが中国人家庭における茶の必要性の高さを実感する。
  次に、茶を飲む事を健康や幸運に結び付け、またその効能を詠った「格言」的なものに、 「朝茶は三里戻っても飲め」、「朝茶はその日の難逃れ」、「朝茶は福が増す」、 「濃い茶目の毒気の薬」といったものがある。これらは中国においては、 「寧可一日不食(無粮)、不可一日無茶」(一日食べなくてもお茶は飲もう)、 「早茶一盅、一天威風、午茶一盅、労働軽松、晩茶一盅、提神去痛」 (朝一杯のお茶で一日英気がみなぎり、昼一杯のお茶で仕事も楽々、夜一杯のお茶で元気を取り戻す)、 「清晨一杯茶、餓死売薬家」(朝一杯のお茶で病院知らず))…といった所だろうか?
  更に、日本においては、「お茶の子さいさい」(たやすいこと)、 「茶化す、茶る」(からかう、馬鹿にする)、「茶をにごす」(いい加減な事を言ってその場を切り抜ける)、 「茶番劇」(底の見え透いた下手な芝居)等、“軽く、いい加減”な意味で「茶」が使われることも多いが、 中国においてはこのように「茶を使った動詞や、いい加減な意味の言葉は聞かないようである。 このように中国から受け継がれた意味もあれば、両国での捉え方が違うものもあり、 茶を言葉の面から見ても奥深く面白い。

  最後に、中秋節は旧暦の8月15日で、今年は9月18日だった。 当日は澄み切った夜空に浮かぶ満月を眺めながら、家族三人茶会を開いた。 満月の詩といえば、李白の「静夜思」だろうか。

        床前明月光    ベッドの前に明るい月明かりが広がり
        疑是地上霜    まるで地面に霜が張ったようだ
        舉頭望明月    見上げると明るい月が見えるが
        低頭思故郷    うつむけば故郷が思い出されてならない

また、日本でも同じような詩に阿倍仲麻呂の

   天の原 ふりさけみれば春日なる 三笠の山にいでし月かも

がある。 これは唐の国に留学していた仲麻呂が蘇州江上で満月を見て詠んだ望郷の詩といわれる。 満月は藤原道真公が詠った様に栄華のシンボルともなりえるが、 この二つの詩のように望郷の念を呼び起こす、家族団欒のシンボルなのである。  翌朝目覚めた娘が言った。「昨日のお茶会楽しかったね。今日もやりたいな。」 …些細なこととはいえ、娘の心にはしっかりその穏やかな空間が刻み込まれたようである。

  今回子供達にお茶の淹れ方を伝授し、再び強く思った。 普段は忙しく、またペットボトルのお茶も日々美味しく開発されてきてはいるが、 やはり時には親や大切な人の為に自らお茶を淹れてあげる心のゆとり、 一杯のお茶を通じて家族が一つになる機会が増えていくことを望まずにいられない。

陸 千波 2005年9月
      
我が家のお月見セット