「新唐書」の后妃伝の玄宗皇后王氏の条に「麺として生日の湯餅をつくる」という文句があるそうである。
これは生日(誕生日)に湯餅(麺)を食べたということで、
中国における誕生日に長寿を祈って麺(長寿麺という)を食べるという習慣は唐の時代から始まったようである。
ということで家族全員11月生まれの我家も、例に洩れず「長寿麺」を食べて誕生祝いをすることにした。
今回訪れたのは水道橋にある四川・西安郷土料理のお店で、西安名物の「刀削麺」と「羊肉泡饃(ヤンルーポーモォー)」等を食べた。
「刀削麺」はご存知の方も多いはずの屋台料理で、
良くこねた小麦粉の塊を三日月型の刀で頭の上や胸の辺りから熱湯の入った鍋の中に削り落とす麺で、
今回は酸辛湯味や油麺を選んでみた。
「羊肉泡饃」はインドのナンをもっと厚く、
弾力を持たせた丸い焼餅(シャオビン)のような「饃(モォー)」をどんぶりの中で小さく細かくちぎり、
そのどんぶりを店員に渡すと羊肉や香菜、春雨等が入ったスープを掛けて、
持ってきてくれるという趣向を凝らしたメニューなのである。
このモォー、そのままで食べると何となくボソボソしたパンのような食感であったが、
スープを掛けた途端、腰のある小ぶりの麺の食感に様変わりしていた。
このモーに羊肉のだしが良く利いた香菜たっぷりのスープが良く合い、少し辛味を加えると何度も食べたくなる後を引く味だった。
ちなみに、焼餅は中国の小麦粉料理「餅(ビン)」の一種の調理方法であり、
麺とも親戚のような関係にある。ということで、今回は中国を中心とした麺の世界に触れてみたいと思う。
先ず、麺の材料となる小麦は、紀元前7千年頃にメソポタミアで栽培され、
世界各地に広まっていったと言われている(但し、小麦の中国起源説を唱える人もいるようだ)。
小麦の栽培技術や製粉技術(石臼)はシルクロードを通って西方より伝わり、
前漢の時代には黄河と淮河の流域を結ぶ華北平野において本格的に小麦栽培がされるようになり、
小麦粉を使った製麺法はこの地域から世界へ向けて発展していったそうである。
また、当時この小麦粉で作った食品を全て「餅(ビン)」と呼んでいたとの事。
つまり古代中国においては「麺」も「餅」の一種であったのである。この「餅」を簡単に分類してみると、
1)蒸餅(ジェンビン):セイロで蒸らした饅頭(中身のない肉まんの皮)や包子、花巻、焼売など
2)焼餅(シャオビン):炉の内側に貼り付けたり、直火で焼いて作る平たいパンのようなもの。肉餅など
3)油餅(ヨウビン):油で揚げる食品。おかゆにいれる油条(ヨウティアオ)、麻花など
4)湯餅(タンビン):ゆでたり、スープで煮る小麦食品。麺類、水餃子、ワンタンなど
の四つに分かれるが、その後、4の湯餅が麺類へと変わっていくのである。
そして、唐代になるとシルクロードを通って碾磑(テンガイ:水力で動かす脱穀製粉用の石臼)が中国に伝わり、
機械化され小麦のコストが下がると特権階級の物であった湯餅が庶民の物に移り変わり、麺(湯餅)文化が発達する。
そして宋代になると「湯餅」という表現が消え、
麺は麺として全国的に普及し、「餅(ビン)」はその他の小麦粉を使用した食品類に使われるようになっていった。
ちなみにこの麺類を大まかに分類すると下記のように分けられるという。
1)「手延べラーメン系列」:道具を使わず、練り粉を両手で引っ張り線状に伸ばしてどんどん細く仕上げていく製麺法。
拉麺(ラーミエン:中国)、ラグマン(新彊ウィグル)など
2)「索麺系列」:練った小麦粉を長く伸ばした後に油を塗って二本の棒の間に巻きつけ引っ張りより細い麺を作る製麺法。
そうめん(日本)、線麺(中国)など
3)「切り麺系列」:手を使わず麺棒を使って伸ばし(不托)切る製麺法。そばう・どん(日本)、切麺(中国)
4)「押し出し麺系列」:小麦粉以外の米粉や緑豆の粉が原料。生地を小さな穴から押し出し線状に加工する製麺法。
春雨、米粉(ビーフン:中国)、ネンミョン(韓国)
5)「河粉系列」:米粉を蒸すか湯煎して半透明の膜状にしたものを切って仕上げる製麺法。
河粉(ハォーフェン:中国)、腸粉(チャンフェン:中国)、フォー(ベトナム)など
更に、それ以外として「イタリア麺系列」:スパゲッティ、マカロニ、ラザーニャ等が加わるようである。
そしてそれらの伝播の仕方として、
1)手延べラーメンは中国の華北平野→モンゴル、中央アジア、中国東北部へ
2)索麺は中国→直接日本へ
3)切り麺は中国→アジア全域へ(朝鮮→日本、モンゴル、チベット、中央アジア、東南アジア全般)
4)押し出し麺は中国→モンゴル、朝鮮半島、インドシナ半島、チベット、ブータンなどへ
5)河粉は中国(広東、福建省)→ ベトナムなど東南アジア
と、中国からアジア各国へ麺食文化が伝わっていったのである。
但し、イタリア麺に関しては、マルコポーロが中国から製麺方法を持ち帰ったというマルコポーロ伝説があるが、
食文化、環境の違い、麺の製法の難しさ、機械操縦の煩雑さ等から顧みても、
たった一人の旅人が短期間の旅で伝達するのは至難の技であるという考え方がある。
また、イタリア独自で発展したか、シルクロードを経て中国から中央アジアを経て伝播されたのではと諸説があるが、
その伝播方法は未だはっきりとは解明されていない。
ただ、各国の食文化から顧みると、シルクロードを経て民衆の力でイタリアまで伝播していったという見方が有力のようである。
以上、麺のルーツを探れば探るほど麺の伝播と、茶の伝播方法は似ていて親しみを感じずにはいられなかった。
麺も茶も中国文明が生んだ偉大な産物と言えるだろう。
ただ、茶は麺に比べ、軽く、保存方法も楽で、且つ人々の生活に欠かせない飲み物なので、色や味を変えながら、
比較的簡単に諸国に伝播されていったようである。
小さな青々としたツバキ科の葉を蒸らしたり、炒ったり、揉んだりすることで水分を飛ばし、
自然発酵させたり、時に微生物の力を借りて七色の味と香りを築き上げるお茶。
その奥行きの深い世界も魅了されて止まないが、製粉された小麦粉がその強度毎の配分の違いや水分、
卵など加えるもの、調理方法によってパンになったり、麺になったり、お菓子になったりその七変化も飽きることをしらない。
その起源はもとより、益々探究したい世界が増えた私である。
陸 千波 2005年11月
|