茶イナよもやま話(その23)

 

  最近、年をとったのだろうか?  今迄は余り過去の方が良かったとか、あの時代に戻りたいと感じることなど無かったのに、 ここ最近学園ドラマに共感し、そこから教訓を得てみたり、物事の今昔を比べては感慨にふけったりしてしまう。

  今回の上海の旅でもそうだ。 私が初めて上海の地に足を踏み入れたのは、1990年。 かれこれ16年も前のことになる。 当時の上海と言えば、他の土地に比べ観光名所が少なく、南京路に鳴り響くタクシーのクラクションの音、 和平飯店で飲んだカクテルの温く、濃すぎる味が印象的だった。 ちょうど鄧小平により浦東地区が国内最大の経済開発区に指定されたばかりの頃のはずだ。 その後、結婚して以来、毎年訪れるようになった上海の町並みの変化、友人達の生活レベルの向上ぶりには目を見張るものがある。 特に高層ビルや高層マンションの乱立にはただただ驚くばかりである。 聞く所によると、20階以上の高層ビル数は上海が世界一だとか。

 高層ビルといえば、今回初めてアジア一の高さを誇る東方明珠(上海テレビ塔)に登り、 地上350メートルの高さから上海の街並みを見下ろしてみた。 浦東側には所狭しと高層ビルが立ち並び、 黄浦江を隔てた対岸、浦西側の川縁には外灘(バンド)と呼ばれる租界時代の西洋建築群が立ち並ぶ。

  ちなみに租界とは、もともとはただの漁村にすぎなかった上海が、 1840年のアヘン戦争の敗北によりイギリスから開港を強いられ、 清朝政府が上海県城(豫園周辺)の外側に治外法権区域である租界地を設置したことが始まりである。 その後1846年のイギリスを皮切りに、アメリカ、フランス、 そして日本からもこのパスポートもビザも要らない自由都市に出入りし、治外法権の特権を拡大理解し、 おのおののコミュニテイを築いてしまったのである。 上海県城を中心に外灘や上海北、西部をイギリス、アメリカが商業都市として、 今の准海路を中心に上海南部をフランスが居住区として、元々英米共同租界地であった虹口地区を日本が租界地として占領し、 事実上終戦までの約100年間の租界時代を送ることになるのである。 列強国による半占領下とはいえ、その租界時代に外国資本が流入し、経済、文化共に発展し、 中国を代表する貿易都市になった功績は大きく、そこから上海人気質が生まれたと言っても過言ではないのでは…?

  この租界地の代表・世界の金融街だった外灘にも異変がおきている。 2004年秋に旧ユニオンアシュランスカンパニーズビルがアルマーニやエビアン・スパ等 高級ブランドショップやレストランが入った「band3」に、 その後旧チャータード銀行がカルティエや中国初のミシュラン三ツ星フレンチ「sent&bund」等が 入った「band18」に改装され、今はドルチェ&ガバーナ等のブランドショップが入る「band6」が改装中である。 「band18」の、その西洋情緒溢れるレトロで美しい外観と、まるで美術館のような独創的なオブジェが並ぶフロア。 それらのオブジェを横目にブランドショップを見て回るのも優雅なひとときであるが、 最上階にある「Bar Rouge」のテラスで黄浦江や浦東近未来都市を眺めながらお茶をするのもまた 現代的上海流の楽しみ方であろう。

  実は、今回も幾つかお茶体験をしてきたので、紹介させて頂こう。 先ず、浦東のグランドハイアットの南隣にある「頤和茶館」(浦東花園石橋路158号)である。 ここは客室が細かい個室に分かれていて、 最初のお茶代を払えば二杯目からはそれ以下の金額のお茶なら何杯でも何種類でも注文することができ、 バイキング式の食事も食べ放題という、去年の四方山話で紹介した「門耳茶房」とほぼ同じタイプの茶館だった。 相変わらずこのように個室でプライベートが確保でき、 美味しいお茶や食事を自由に楽しめるタイプの茶館は若者やビジネスマンを中心に人気のようである。

  そして、上海の郷土料理を楽しめる「1221」(延安西路1221号)という隠れ家的モダンレストランで 中国茶芸のサービスがあるという噂を聞き、足を運んでみた。 ここは泛太大厦の門をくぐり、中に入っていくと一応店名が出ているが、 住所をよく確認しないと見落としてしまいそうな、 正に隠れ家である。 入り口から入るとシックでモダンな空間に、白いクロスが掛けられた円卓が並び、 そのテーブルの上に白磁の蓋碗がセッティングされていた。 蓋を開けてみると緑茶をベースに、金柑や乾燥棗、クコの実に白きくらげなどが入った、正に「八宝茶」であった。 店員に中身の確認をしたものの、ちゃんと説明できないようだった。 それは残念ではあったが、蓋を開け、高い位置から蓋碗へ湯を注ぎ入れる華麗な手さばきは、なかなかのものだった。 周りは外国人やハイソな雰囲気の客が多く、やはり知る人ぞ知る店なのであろう。 雰囲気も良く、料理も上海、四川料理中心で美味しいわりにお手頃で、お勧めのレストランである。 この店を始め、このような隠れ家風レストランも増えてきているそうである。

  また、上海の両親と「涮羊肉(シュアンヤンロウ:羊肉のしゃぶしゃぶ)」を食べに行った所、 最初につけダレと一緒に、ジャスミン茶が入った「北京大碗茶」が運ばれてきた。 労働者でも気軽に沢山飲めるように大きな器に入ったお茶で、北京辺りではよく見られる飲み方だったらしい。 真っ赤な柱、オンドルがある部屋に文化大革命に関する新聞がオブジェのように壁に貼ってあり、 北方風にアレンジされたお洒落なレストランだった(上海の人に言わせると、田舎臭いらしいが)。 以前の上海は政治色が薄く、毛沢東に関する物を見つける機会が少なかったが、 今は敢えて毛沢東の存在を強調したようなこのようなレストランや毛沢東グッズを扱う外国人経営の店なども見かけるようになった。 こんな所にも時代の変化を感じてしまう。

  最後に、日本では未公開ではあるが(昨年の東京国際映画祭に出展された作品)、関錦鵬(スタンリー クワン)監督、 鄭秀文(サミー チャン)主演の「長恨歌」のDVDを見る機会があったのでその話を少し。 この作品は中国の著名作家「王安憶」の小説を映画化したもので、 1930年代から1970年頃までの激動期の上海を生き抜いた恋多き女性の物語である。 鄭秀文演じる主人公が梁家輝扮する写真家と出会い、ミス上海のコンテストに出場する。 そこで胡軍扮する国民党幹部と知り合い彼と恋に落ちる。 そして租界時代の豪華を極めた生活を送るが、国民党内の争いで胡軍は鄭を捨てて逃げてしまう。 その後、共産党支配の時代へ移り変わり、また新たな若い男性と恋に落ち、 子供を授かるが結婚することは許されず、別の男性と結婚する。 その後文革で下放されていた梁と再会し、友情は続くが、更にまた別の男性と恋に落ち、その結末は…。 普段は喜劇色が強い鄭秀文の旗包姿や気だるそうな演技が色っぽく、オールド上海の雰囲気を堪能できるかも。

  上海の租界地、北京の胡同…大切な歴史の足跡が近代化の波に乗り、どんどん変わり果てていく中、昔を惜しむ声も多い。 今まで上海の歴史に余り興味の無かった私だが、もっと映画や書籍や自分の足を通し、もっと上海の今昔を、 上海の人々を理解したい、しなければと思わされる年明けとなった。

陸 千波 2006年1月
      
「band18」の全景

      
「頤和茶館」の店内

      
「1221」での茶芸

      
「1221」の八宝茶

      
北京大碗茶