茶的故事 

 台湾茶

 其の一 凍頂烏龍茶

 
  オランダ人は茶を最初にヨーロッパに紹介したとされています。 このときの茶は緑茶だったといわれています。 オランダの極東における茶の船積拠点は、中国に移る前はなんと長崎の平戸でした。

  意外に思われるかもしれませんが、この頃台湾ではまだ茶が生産されていませんでした。 野生の茶木はあったのですが、台湾へ渡った漢人は茶を持参していました。 1622年オランダは一時台湾近海の澎湖島を占領しましたが、 1624年に台湾の台南に撤去し、台湾の南部を植民地にしました。

  のちに平戸生まれの鄭成功が軍を率いてオランダ人を追い出し、 台湾に漢民族の政権を樹立しました。 大量の軍人やその家族を引き連れて台湾入りした鄭氏王朝は、 食料政策の一環として、茶の栽培を試みましたが成功しませんでした。

  1683年清朝が鄭氏王朝を滅ぼし、台湾を支配下におきました。 1885年台湾が省に昇格した後、 初代巡撫(省知事)の劉銘傳はスリランカから技師を呼び寄せるなど、 茶業に力を注ぎました。

  これより30年前、台湾南投県出身の挙人(省の科挙 会試に合格した者)林鳳池が 清の咸豊5年(1855年)に武夷山から茶の苗を持ち帰り、 故郷の凍頂山に植えたのが凍頂烏龍茶の由来です。

  南投県は土地が豊かで、台湾でも有数の農産物の名産地です。 特に、鹿谷郷の凍頂山は烏龍茶栽培に土地、風土、気候が適しており、 凍頂烏龍茶は台湾を代表する茶となったのです。 もともと高級茶として、台湾での人気は高かったのですが、 近年催される品評会でも高値が付くなどして、さらに高級な茶になりました。 日本でも、テレビや雑誌でよく取り上げられるようになりました。 日本人が好む香り、味でもあり、 台湾を訪れた日本人観光客にも人気のお土産になっています。

  ただ、その高い名声から苗を凍頂山以外の場所にも植えるようになり、 最近台湾では凍頂山の範囲が論争されています。 さらには、台湾以外の場所も栽培されるようになり、 ブランド保護が問題になっている有り様です。 おおらかな気持ちをもって凍頂烏龍茶を飲むように心がけたいと思っている私にとっては、 この話題だけでも会話が弾み、凍頂烏龍茶を飲む時の楽しみとなっています。
 
 楊品瑜 2004.09.25






凍頂烏龍茶 1985年品評会受賞茶
 


(追記)
  近年の凍頂山では、従来の青心烏龍種以外に新種の茶 金萱、翠玉、四季春などの 栽培も始められています。 良い茶が採れるようになるには植えてから5年~10年かかると言われていますが、 凍頂山でも少しずつ成果が出て、品評会も行われるようになりました。 紹介した凍頂四季春は、味がまろやかでとても飲みやすい茶です。  

 楊品瑜 2004.12.13




凍頂四季春 1998年受賞茶