茶的故事 

 台湾茶

 其の二 文山包種茶

 
  台湾茶の本格的栽培は、清嘉慶年間(1796年~1820年)に柯朝が福建省の武夷山から苗を持ち帰り、 鯽(「魚+桀」と書く場合もある)魚坑(現在の台北県金山あたり)に最初に植えたことに始まるとされています。 台湾北部に植えたことから柯朝を台湾北部茶の始祖と呼ぶ人もいます。

  包種茶は、清朝の光緒七年(1881年)に福建省の同安茶商「源隆号」の呉福老が 台湾に渡り、製造を始めました。 後に、福建省安渓谷出身の商人王安定と張古魁が「建成号」という会社を設立し、 販路を拡大しました。近年は、文山茶区が代表的な産地となっています。

  包種茶はまだ日本ではさほど浸透していないようですが、 台湾の人たちには「北の文山、南の凍頂」と言ってもいいほど、馴染みの銘茶です。 文山は慣用的な地名で、新店、坪林、石碇、深坑、汐止、平渓等の茶区を指します。 柯朝が茶の苗を植えた鯽魚坑も、ほぼ文山茶区に含まれます。 ただし、台北市の行政区分としての文山区とは別です。

  包種茶の語源にはさまざまな説があります。 最近では、四角の包みに入れて売っていたからという説が一番有力ですが、 中国本土には無臭の高級綿紙に包んで焙火し、燻した茶に似ているからという説もあります。 味や香りがさっぱりした「清淡」の一般的な茶で、 かつて中国の福州にジャスミン茶の原料として輸出された話は有名です。 また、台湾の庶民がもっとも口にしやすい茶でもあったことから、 「清茶」と呼ばれていました。 清茶は単なるストレートティーの意味ですが、 包種茶を暗黙了解で清茶と呼んでいたのです。 台湾で混乱なく確実に包種茶を飲みたいときは、清茶ではなく、 きちんと包種茶と指名することをお勧めします。

  文山茶区のなかでもっとも有名な包種茶の生産地は、 坪林茶業博物館と茶屋街で知られる名観光地の坪林です。 坪林茶業博物館は1983年に李登輝氏が当時の台湾省主席として訪問した時に建設を指示し、 市民の憩いの場にもなるように、建物は福建省安渓の四合院式に造られました。 坪林地区は、鄭氏王朝(明の時代に当るが、明の統治は澎湖諸島までで台湾には及んでいない)では天興県に、 清では諸羅県に属し、のちにさまざまな沿革を経て、 四方が山に囲まれた平(中国語では坪を使います)地と豊富な森林から現在の坪林と言う地名に なったのです。

  坪林では官民が一致団結し、定期的に坪林包種茶の品評会を開催し、 ブランド保護を行っています。 人脈がないとなかなか受賞茶を買うことができないと言われている中国茶業の世界ですが、 坪林では比較的に公平に受賞茶を買うことができます。

  ちなみに、博物館内の売店で買うこともできますが、値引き交渉は不可です。 茶問屋では値段交渉ができます。 台湾では、遠くから買いに来たことを強調して値段交渉するのが普通です。 日本語で構いませんから、日本から来たことをアピールしながら 「サービス」や「気持ち」と言って交渉してみて下さい。 これらの言葉は日本語が分らない台湾人でも大概の人には通じますから。 値段の目安は博物館のもので、これよりいくらか安く買えると思います。 もちろん、何軒かの茶問屋で試飲し、味と値段を比較も忘れないで下さい。
 
 楊品瑜 2004.10.02 (転載不可)
坪林郷の2001年春茶の頭等賞受賞茶

博物館内の茶芸館で使用した茶杯
(お土産としていただきました)

石碇郷の2004年春茶の優良賞受賞茶
箱の底に封印ラベルが貼ってある。