花蓮県瑞穗郷鶴岡(または崗)村は「瑞穂庄」ともいいますが、
旧地名は「烏鴉立」と呼ばれていました。
これは、この一帯に原住民の言葉でアオリップ(Oarip)と称する豆(もだま)が多いので地名となり、
漢人が「烏鴉立」の漢字を充てたものです。
日本統治時代の昭和12年(1937)に鶴岡と改名されました。
明の鄭成功の軍は台南安平より上陸したため、台湾の開発は南から北へ、西から東へと進みましたが、
中央の高い山脈群に阻まれたことで、東部に位置する花蓮の開発はさらに遅くなったのです。
現在も台湾最大の原住民「阿美族」や「泰雅族」、「布農族」などが住んでおり、
母系社会で檳榔(びんろう)を噛む習慣を持っています。
瑞穂郷は阿美族の最初の定住地であり、鶴岡村にも多く住んでいます。
茶栽培は1960年の台湾土地銀行による紅茶園開発に始まり、1964年に茶工場が設立されました。
そしてこれに伴い、「鶴岡紅茶」がブランド化されました。
この工場は台湾東部で最初に建てられた茶工場でした。
現在では、鶴岡紅茶のことを「現在己経成為一個故事了」(今ではひとつの物語になってしまった)と
例える人もいますが、1970年代の全盛期には忙しさのあまり、
子供たちが放課後に茶摘みによくかり出されたそうです。
台湾で販売されている茶葉蛋(茶玉子)には一般に紅茶の茶葉が使われていますが、
鶴岡紅茶がよく使われたものでした。
香りがあまり強くなく、八角との相性もよく、まろやかな味で八角がほのかに香る茶葉蛋ができました。
今も懐かしむ人が多いようです。
また、火車(日本の「汽車」のこと)内の座席で飲む紅茶にも鶴岡産が使われました。
1973年頃に包種茶や烏龍茶市場に参入するため、茶園が拡大され、
茶業の重点は近くの舞鶴に取って代わられました。
更に、1990年代の輸入紅茶の影響も受け、台湾紅茶産業の衰退と共に鶴岡紅茶も衰退期を迎えました。
現在は、近隣には観光茶園として「鶴岡休閒遊憩中心」が設立され、紅茶事業は再建中にあります。
紅茶産業衰退後は政府方針により柑橘類の文旦が多く作られ、主力農産品となりましたが、
近年は過剰生産のため売れ行きもやや下降気味だそうです。
最近では、茶農家や公的機関が経営する茶浴ができる宿泊施設も数箇所できています。
観光などで訪れる機会がありましたら、茶葉蛋、紅茶、茶浴、紅茶の歴史など、
紅茶に浸ってみられるというのはいかがでしょうか。
現在、鶴岡紅茶は入手中のために、
数年前に訪れたときに見つけた「変わり鶴岡紅茶」をご紹介しておきます。
コーヒー紅茶となっていますが、実際にはコーヒーは含まれておらず、漢方薬を
調合してコーヒー風味を出している変わり物です。。
楊品瑜 2005.01.05 (転載不可)
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