茶的故事 

 台湾茶

 其の二十 梅山烏龍茶

 
  梅山郷がある嘉義県は台湾の中西部にあり、梅山は阿里山山脈の西部山麓部に位置し、 東部を阿里山郷と接しています。 嘉義県はかつて諸羅県と称されていましたが、 これは原住民の平埔族の荷安耶(Hoanya 洪雅とも書く)部族に属する諸羅山(Tirosen)社(社は部落の意味)の音に由来したものです。 清朝の乾隆51年(1786)に林爽文の乱が起こりましたが、諸羅は町を守り抜いて、 清朝から「嘉其忠義」(その忠義(義)を賞賛(嘉)する)を賜り、諸羅の地名が嘉義となりました。

  梅山は旧称「糜仔坑」または「梅仔坑」と呼ばれていました。 康煕47年(1708)頃、福建の漳州人 陳石龍ら数名が墾首(開墾の親方、大租戸ともいう)となり、 原住民と約して開拓の緒を開いたと言われています。 その後200年ほど前には、梅山は旅商人にとって平野部と山間部の経由地として旅の休憩地となり、 「米糕糜」と呼ばれるもち米を使ったお粥が販売される小屋ができ、徐々に街が形成されていったそうです。 「米糕糜」が「糜」に略され、この辺りは「糜仔坑」(お粥の窪地のような意味)と呼ばれるようになりました。 また、この辺りには梅の木が多く、「糜」と「梅」の発音が同じことから「梅仔坑」という字も使われました。 日本統治時代の大正9年((920)に小梅庄、民国34年(1945)に台南県梅山郷、 そして民国39年(1950)の行政改革によって嘉義県梅山郷となり、今日に至っています。

  梅山郷は嘉義県西北に位置し、海拔の高低差が1000mもある地形で、さまざまな特殊な農産物が取れる地域でもあります。 台湾特有のフルーツ 愛玉(その実は愛玉子と呼ばれる)の名産地です。 愛玉はクワ科のフルーツで、日本では「いたび」と呼ばれることもあったようです。 愛玉の種を麻などの袋に入れ、水の中で揉むと自然に水と反応してゼリーになるフルーツです。 台湾では、レモンジュースに入れて、よく屋台で売られています。 日本統治時代にはコーヒー豆も栽培されていました。 今日でも生産量は多くないですが、栽培が続けられています。 また、中華食材の金針(ゆりの花を乾燥させたもの)の名産地でもあります。

  梅山郷東部に太平、龍眼、碧湖、太興、瑞里、瑞峰、太和などの新興茶園があります。 海拔は900~1300mで、朝晩の温度差が大きく、雨量も年間通じてほぼ均等で、霧も多いため、茶栽培に適したのだそうです。 金萱や青心烏龍種が多く栽培されています。

  梅山茶の多くの茶区は茶葉のブランド名を「梅山茶」と称していますが、 瑞里は開発に凍頂茶で有名な南投県鹿谷郷より技術指導を受け、「瑞里龍珠茶」としてブランドを確立しています。 名の由来にはちょっとしたエピソードがあります。 瑞里の茶は数々の賞を取り、茶商にも人気の茶でしたが、市場では瑞里産と表記されることがあまりありませんでした。 このため、農協を中心にブランド確立と保護のため100個以上の候補名から龍珠茶の名を選挙で決め、 当時の台湾省長 宋楚瑜 氏が台風後の視察時に正式命名を頂いたとのことです。 ちなみに、宋楚瑜 氏は現在、親民党の党首です。 民国86年(1997)に「瑞里龍珠茗茶」の商標登録まで行っています。 他に、太和村樟樹湖茶区でも「仙葉茶」のブランドが確立され始めようとしています。 梅山産茶の今後の展開が楽しみです。

  幾度か梅山産茶は飲む機会がありましたが、茶葉は青みがあり、 高貴な香りと高級台湾烏龍茶のフルーティーな渋みがしっかり味わえました。 新興茶園であることから積極的に販路を開拓しようとしています。 価格、生産量からみても台湾産高級烏龍茶としては、日本でも比較的に購入しやすい茶だと思います。

 楊品瑜 2005.06.10 (転載不可)





(追記)
  梅山烏龍茶の写真を追加しました。付き合いのある茶商にお願いして入手してもらいました。 このため、パッケージは茶商の一般的なもので、「梅山烏龍」という手書きのシールが貼られているだけです。

 楊品瑜 2005.11.05 (転載不可)


茶商に入手してもらった梅山烏龍茶