台湾北部の蘭陽平原の蘭は、原住民平埔族の噶瑪蘭族が多く住んでいたのに由来します。
噶瑪蘭は Kavalan の音訳で、蛤仔難、葛雅蘭、葛雅藍とも書きます。
スペイン人は噶瑪蘭海岸一帯をサンタカタリナ(Santa Catalina)と命名しました。
清朝光緒元年(1875)に噶瑪蘭庁を県に制定したとき、
噶碼蘭の蘭に宜の佳字を加えて宜蘭県となりました。
これに伴い、蘭陽平原は宜蘭平原とも呼ばれます。
宜蘭一帯は1634年にスペインによって占領されました。
このとき、スペインは教会を建て、キリスト教を盛んに布教し、多くの噶瑪蘭人が洗礼を受けました。
1642年にオランダがスペインを駆逐し、台湾南部を貿易の中継地としました。
そのオランダも後に1661年に鄭成功軍に追い出されました。
鄭成功の時代になって、漢民族が開拓のために宜蘭へ大量に入植しました。
漁業と農業が盛んで、台湾歌劇(歌仔劇)発祥の地とされています。
近年は台湾でも温泉ブームで、礁溪温泉、仁澤温泉、梵梵温泉があることでも有名です。
また、良い茶泉が多いことでも有名です。
茶泉とは茶を美味しく淹れられる水源地や井戸のことです。
確認されている場所が18個所あるのですが、なかでも蘇澳冷泉は現在でも観光地として有名です。
清朝の道光年間の『噶瑪蘭志略』や咸豊年間の『噶瑪蘭志』などにも宜蘭によい茶泉があることを紹介しています。
日本統治時代には細々と茶が栽培されていた記録がありますが、
近年の茶業改良場文山分場の指導により、礁渓、員山、大同、三星、冬山、蘇澳など一帯で生産量は向上しました。
一時は宜蘭県茶業商業同業公会と宜蘭県茶葉発展協会が共に蘭陽茶を打ち出し、市場が混乱したこともありましたが、
宜蘭県茶葉発展協会は宜蘭全体の茶の発展を考慮し、宜蘭茶としたそうです。
現在は宜蘭県茶業商業同業公会によって蘭陽茶がブランド化され、春と冬の年二回品評会を行われています。
茶樹は金萱、翠玉などの新種が多いのですが、青心烏龍も栽培されています。
茶葉の品質もよく、香り高い茶として評価されています。
また、蘭陽茶区においての銘茶として、大同郷の玉蘭茶、冬山郷の素馨茶、三星郷の上將茶、礁溪郷の五峰茶、
蘇澳鎮の武荖坑茶などもありますので、機会があればご紹介したいと思います。
楊品瑜 2005.08.01 (転載不可)
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蘭陽茶
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