茶的故事 

 台湾茶

 其の二十五 古坑茶

 
  雲林県内には雲頂茶の他にもう一つの名茶区、古坑があります。 実は古坑はコーヒー豆の名産地でもあり、日本統治時代には海外に輸出していました。 また、1999年発生の台湾大地震ではもっとも酷く被害を受けた茶区の一つです。

  古坑は、康熙29年(1690)の頃、福建の漳州人 呉、陳、劉が庵古坑、蔴園、温厝角の地に 移殖し、開墾したことにより、旧称「打鉄坑」や「庵古坑」と呼ばれていました。 日本統治時代の大正9年(1920)に「古坑」と改めら、今日に至っています。 主な茶区は草嶺村、樟湖村、桂林村、華山村と華南村です。 烏龍茶と金萱茶が中心に作られ、四季春や佛手も作っています。

  草嶺村は台湾でもっとも有名な「苦茶油」の産地として知られています。 「苦」は単純に味が苦いのに由来し、茶の種子から作った茶油のことです。 毎年11月は茶の実の収穫期で、茶農は竹竿で茶樹をたたき、落とした茶の実を集めて、専門業者に茶油を搾らせています。 かつては椿油のように整髪などに使われていたのですが、 血液をさらさらにする効果が注目を集め、健康食品として見直されています。

  台湾大地震時に、古坑の茶区で一番の被害に遭ったのも草嶺村です。 多くの茶園は畑の縁に軽い崩落があった程度だったのに対し、 草嶺村の茶畑一帯は山崩れに遭い、巨大な落石、道路の亀裂、茶工場の倒壊、茶農の死傷も報告されています。 さらにその後の台風による大洪水で、観光名所の「草嶺十景」と呼ばれた特徴ある景色の多くも消失や変形してしまいました。 また、新たに大きな堰塞湖(土砂が川をせき止めてできた湖)「新草嶺潭」ができ、 こちらは奇景として人気の観光地になっています。

  茶区の標高は草嶺1500メートル、樟湖800~1000メートル、桂林500~700メートルで、華山と華南は平地です。 地震の被害はちょうど標高に合わせたように深刻でした。 草嶺は前述した通り酷いもので、樟湖は茶園の一部が崩れました。 桂林、華山、華南は多くの茶園で機械による開拓・整備が進んでいたため、 地震による損害は軽く済み、農舍や製茶設備の損失も小さくてすみました。 古坑郷はもともと多くの柑橘やパイナップルなどのフルーツを生産してきましたので、 茶園が廃墟となってしまった農家では白桃栽培に転じた者も多いそうです。

  地震後の古坑では、日本統治時代からの遺物だったアラビカ種のコーヒー栽培が特産品となり、 茶よりもコーヒーのイメージが強くなっています。 今では珈琲節(コーヒー祭り)も盛大に開催されています。 茶畑の中にコーヒーが飲める喫茶店もある光景は興味深いです。 そんな中でも草嶺村では、草嶺茶または草嶺烏龍茶をブランド化して頑張ろうという動きがあります。 今後の復興と共に、その動向が気になります。

  現在、古坑茶を切らしています。入手しだい、追記でご紹介します。

 楊品瑜 2006.05.07 (転載不可)


苦茶油
古坑産ではありませんが、参考のために。