茶的故事 

 台湾茶

 其の二十六 台東福鹿茶

 
  台東県は台湾の南東部に位置し、北を花蓮県と隣接しています。 古くは宝桑と称されていました。 宝桑は埤南覓の原住民地名ポオソンの音訳で、埤南覓は台東平野のことです。 大正8年1月15日、台湾総督府は埤南街を台東街に改称しました。

  黒潮が近海に流れていることで、意外に鰹節が名産品です。 県内の鹿野郷は、台湾東部の細長い盆地に位置し、 古くは鹿寮とも呼ばれていました。 荒野だった一帯が、鹿の棲息地であったことから地名の由来とされています。 清朝末年頃から阿美族が屏東県恆春(地名は一年中が春のような気候である ことに由来)から移住し始め、徐々に集落が形成され、 後に漢民族も移住したのです。 日本統治時代初期の頃は、鹿野村(現在は龍田)、和大原村(現在は瑞源)に 「官営移民」政策の拠点とし、多くの日本人が移住しサトウキビを栽培したのが、 今日の鹿野郷の発展の基礎とされています。 大正7年(1918)に鹿野驛、昭和12年(1937)に関山郡鹿野庄となり、 戦後に鹿野郷公所として今日に至っています。

  福鹿茶区は花東地区(花蓮県と台東県を合わせた地区)で最大の茶区で、 茶園は鹿野高台(高台は台地のこと)を中心に鹿野郷の 永安、龍田村及び延平郷の永康村などに広がっています。 50年代ではアッサム茶樹の栽培が主でしたが、近年は青心大冇、青心烏龍、 金萱茶、翠玉茶及少量の佛手茶、武夷茶、四季春等などが栽培されています。 鹿野郷は気候、土壌の条件が茶樹の成長に適し、春季は暖かく、 新芽が台湾西部の茶区より20~30日早く芽吹き、毎年二月下旬、 三月上旬に摘まれた新茶が市場に出荷されます。 また、冬季は15から20日長く茶摘みができます。 このため、福鹿茶は早春・晩冬の特色茶として、早春茶は不知春茶、 晩冬茶は冬片茶として販売されてきました。

  福鹿茶には総統茶の別称があります。 それは、1982年4月李登輝前総統がまだ台湾省主席だったときに、 この茶区を視察し、茶の品質、香り、味を絶賛し、 そのときに茶農の要望に応じて「福鹿茶」と名付けたからです。

  鹿野郷では「養生綠茶」というブランド茶をも提唱しています。 この一帯は日本統治終了後も日本への輸出用の緑茶を一部生産していましたが、 近年は農協が独自に茶園と契約し、 「高温蒸菁」方式(高温で蒸した)の緑茶を作っています。 これを養生綠茶と養生綠茶抹(抹茶)として商品化に取り組んでいるのです。

  また、近年鹿野高台の太麻里、金峰郷では金針(中華食材のゆりの花)の 栽培畑を茶園に転換し、青心烏龍、金萱、玉翠の茶種を中心に「太峰茶」と いう新ブランドも誕生させています。

  台東県を代表する食べ物に生卵を茶葉で燻製した茶焗蛋があります。 生卵と茶葉を一緒の器に載せ、専用の燻製機で卵を数回ひっくり返しながら 熱風を送って作ります。 茹でた茶玉子はよく知られていますが、燻製は珍しいようです。 取材したところでは、うまく作るコツは小さい玉子を選ぶことで、 その方が茶葉の香りが均等に付き、味もよく染み込むのだそうです。

  台東茶の品質はかつて、中級品が多いといわれてきました。 ところが、近年台湾の茶業界でも驚くほど各地の比賽茶(品評会)で 優勝しています。 特に近年は高山産茶の受賞が続いていたので、 中海抜の茶区にある福鹿茶の受賞は大変話題となりました。

  入手した台東福鹿茶のパッケージも一般的なものでしたので、 茶葉の写真を載せてみました。

 楊品瑜 2006.03.25 (転載不可)


福鹿茶の茶葉