茶的故事 

 台湾茶

 其の二十九 雪山武陵茶

 
  今回紹介するのは、 梨山茶区内の雪山山脈東側の武陵谷地(谷間)のひとつの農場で生産されるお茶ですが、 武陵茶としてブランド化されたお茶です。

  雪山は台中県と苗栗県の境にあり、 標高3884メートルで、台湾では玉山(新高山)に次ぐ第二の高い山です。 日本統治時代は雪山を次高山と呼んでいました。 武陵谷地は七家湾溪と雪山溪の合流地にあり、終年雲や霧に覆われ、雨量も豊富です。 また七家湾溪谷一帯は、 1996年に中央研究院 歴史語言研究所の劉益昌教授によって発見された「七家湾遺址」があります。 約二千年前に漁業を中心に農耕や狩猟を行っていた高度な文明をもった部落の生活跡などが出土しています。

  武陵茶園は台中県和平郷平等村武陵路にあります。 武陵の景色は「台湾九寨溝」と呼ばれるほど美しく、 唐の詩人王維の「桃源行」という詩の中の武陵桃源の心情に由来します。 この詩は陶淵明の「桃花源記」を参考に書いていますので、類似した部分が多くあります。 そのためか、陶淵明の桃花源記の一説の「捕魚為業的武陵人」が地名の由来という説もあります。

  一帯は人気の避暑地で、 台湾の国宝魚「桜花鉤吻鮭」(台湾鮭魚とも言う)の貴重な生息地でもあります。 中橫公路が1958年に開通した後、 戦後大陸から来た退役軍人によって組織された「台湾榮民農墾服務所」の墾荒部隊が駐在し、 「武陵農墾区」が設立され、林業や温帯フルーツを栽培する農業に従事しました。 1963年当時の国軍退除役官兵輔導委員会の主任だった蒋経国によって、 正式に「武陵農場」と命名されたそうです。 初代農場長は 林德錡 氏です 。

  武陵農場は台湾では貴重だった梨、りんご、桃、高原野菜の産地として有名になりました。 そのフルーツ類は国賓の招待に出されるほどに珍重されてきました。 しかし、近年は多くの高級温帯フルーツが日本などから輸入されるようになった影響で、 フルーツの品質は向上しているのに、需要は低下しています。 このため、茶園に力を注ぐようになりました。

  このように茶園の歴史は実に浅く、90年代からスタートしました。 一帯の気候は日夜の温度差が大きく、雨も多いです。 年間を通して、気温が20度ぐらいで安定しており、終日霧に覆われています。 また、水質がよいとされる七家湾溪、雪山溪によって灌漑が行われています。 政府が運営しているためか、農薬管理が厳しいと自負しています。 また、政府高官の贈答品としてよく使われています。

  これらの条件によって良質な高山茶が採れる茶園として、 その存在がよく知られるようになり、武陵茶としての独自のブランドが確立されてきました。 ここ数年では武陵農場のなかでも、 海拔二千メートル以上で採取した茶を「武陵雪峰茶」と呼んでいます。 希少価値が高く、早くも偽物も出回っているらしいです。 また、乳香な金萱を使った茶を「武陵雪韻茶」と呼んでいます。 いろいろ摸索している状態のようですが、雪韻茶は総統府の公用にも使われ ています。

  茶摘みは年3回行われています。 一般の台湾茶より茶摘みの時期が遅いようです。 このことは本来遅く売られるので良い条件とは言えないのですが、 現在は待ってでも飲みたい茶という人気ぶりで更なる価値を生んでいます。

  栽培されている茶種は青心烏龍や金萱が多く、香りは高く、 味は台湾高級高山茶特有のフルーツの渋みが大変美味しくいただけます。 また、高級茶の評価に「耐泡」ありますが、まさしく耐泡な台湾茶です。 耐泡とは煎を重ねても茶の味がよく出ることを意味します。 時に十数煎出たと回数を競うときもありますが、 筆者としてはきちんと作法に則って美味しく淹れれば5煎ぐらいで十分だと思います。

 楊品瑜 2006.08.10 (転載不可)


武陵雪峰茶



武陵雪韻茶



武陵農園内の茶荘