茶的故事 

 台湾茶

 其の三十一 高雄六亀茶

 
  高雄は明、清の時代では「打狗」(Takao)または「打鼓」(Takou)と呼ばれていました。 この地方は元、原住民平埔族馬卡道族(Makattao、マカタオ族)に属する「打狗社」(タアカオ部落) の居住地であったので、17世紀前半、オランダ人がタンコイア(Tancoia)と転称し、 漢人が漢字「打狗」を当てたものです。 打狗は原住民の言葉の竹林(Takau)の意味ですが、中国語では「犬を叩く」という低俗な意味なので、 日本統治時代大正9年(1920)に音の近い高雄と改められました。

  高雄県は台湾西南部に位置し、東北に中央山脈、玉山山脈、阿里山山脈、北は嘉南平原、 西は台湾海峽、東南に高屏溪で屏東県と隣接しています。 日本統治時代の高雄州は戦後高雄市(のちに直轄市に昇格)、高雄県と屏東県に分割され、 今日に至っています。 高雄県は鳳山市、岡山鎮、旗山鎮など27の市、鎮、郷を管轄し、六亀郷はその一つです。 同県東部一帯に標高3000メートルの高山があります。 西に行くほど海抜は低くなり、最終的には標高10メートルの平原となります。 地形、地質の落差が大きいので、景観、気候、動植物生態にもさまざまな変化をもたらしています。

  高雄県の茶区は主に六亀郷及び、隣接する甲仙郷にあります。 六亀地区には相対する六つの巨石があり、それらが亀に例えられ、 古くからこの名前で呼ばれていました。 六亀里という俗称もあります。 六匹の亀は守護神として崇められていたのですが、洪水で流されたか、埋まってしまったかで、 現在はっきりとわかるのが三匹だそうです。 鄭氏王朝時代(1661~1683)に台南県玉井郷に住む西拉雅族(Siraiya、シラヤ族) が追われこの地に移住し、六亀里社を作ったそうです。 土地柄、亀については数数の神話や伝説がありますが、現在でも神秘性をもった伝説の地です。

  六亀茶区は新興茶区の一つで、三分の二の茶園は台茶12号の金萱種を栽培しています。 残りの茶園では主に青心烏龍種を栽培しています。茶園は主に標高300~900メートルの丘陵地にあり、 通年雨量が多く、朝晩の温度差が大きく、茶栽培に最適な条件が整っています。 六亀産の金萱茶はほのかなミルクっぽい香りとフルーティーな味が特に人気です。

  1980年代の台湾茶芸ブームの煽りで、六亀郷新發村地区の農民が茶栽培に熱中し、 標高400メートル以下の山を開墾し茶栽培を始めました。 台湾中部、北部の茶区より早く茶が摘めますので、 先に摘んだ新茶の春茶や冬茶は多くの茶商が競って入手したいほどの売り手市場だそうです。

  ところで、日本で言う新茶と中国茶ではちょっと違います。 新茶とは、最初に摘まれる新芽で作られる茶のことで、 日本茶は4月の終わりから5月中頃までに摘み取られることが一般で、 初物(はつもの)という意味を込めて新茶と呼ばれているようですが、中国茶はそうと限らないです。 中国茶の新茶は季節ごとに新しく摘んだ茶葉として呼ぶことが多いです。

  土地、気候や茶樹によって違いますが、台湾では摘もうと思えば、 春茶、夏茶、秋茶、冬茶と一年を通して摘むことができます。 茶農家がお金より茶樹を大事にして休ませる習慣や消費者の嗜好もあり、 近年は春、冬二回の茶摘みが一般的です。 春摘み茶は香りが高く、茶特有の甘味が美味しいとしてもっとも評価が高かったのですが、 台湾の茶迷(お茶ファン)には冬茶特有の苦みを好む人も多く、 意外と冬茶のほうが高値をつくことがあります。 ただこの苦みの強い冬茶を日本でも飲みこなせる方は、相当な中国茶ファンと言えると思います。

  六亀はトロピカルフルーツの名産地でもあります。 黒鑚石(黒いダイヤ)と称される蓮霧(英文 Wax Apple)が有名です。 日本では蓮霧の中国語発音でレンブと呼ばれています。 マレー半島原産のフルーツで、 台湾がオランダの殖民地だった時代(1624~1661)にオランダ人がジャワ島から持ち込んだとされています。 また、日本で大人気のマンゴーの名産地でもあります。 黄金煌が開発した金煌マンゴーはマンゴーの王様とよばれ、高い評価を得ています。

  台湾新幹線が開通し、台北からも高雄はとても行きやすくなりました。 六亀台27線新発村の道道沿いに多くの茶園があります。 「茶之郷」(茶の里)と書かれた立て看板もあり、目印になっています。 また、「六亀金萱茶」のブランドを確立しようと多くの茶農家が努めています。 ぜひ、神秘性と茶とフルーツを楽しみに、六亀郷に訪れてほしいです。

  現在、六亀の茶を切らしています。入手し次第、ご紹介します。

 楊品瑜 2007.10.01 (転載不可)