茶的故事 

 台湾茶

 其の三十二 屏東港口茶

 
  屏東は台湾最南端の県ですが、季節風の影響で意外と過ごしやすい気候です。 屏東の地名は半屏山の東にあることに由来します。 この一帯はもと平埔属の馬卡道族(Makatao)に属する阿猴(アカウ)社の居住地であったために、 阿猴の地名が付けられていました。 大正9年(1920)、台湾総督府によって屏東に改名されました。

  屏東は魯凱(ルカイ)、排灣(パイワン)、西拉雅(シラヤ)等の原住民族によって開拓されてきましたが、 その後に閩南、客家の人々が移住し、本格的に拓墾されました。 恒春古城(恒春が県になったときに築かれた城)、旧好茶の村(魯凱族の住居跡)、墾丁国家公園の熱帯植物園、 鵝鑾鼻燈塔(灯台)、 離島の小琉球(昔、台湾を小琉球と称したことに因んだ地名の珊瑚礁の島)などがある有名な観光地です。

  屏東県南部の満洲郷は恒春半島に位置し恒春郷と隣接しています。 恒春の名の由来は字の如く「年中恒に春」に由来し、地名も綺麗ですが、 台湾本島の最南端の町としても知られています。 満洲郷の港口村には茶畑があり、台湾最南端の茶畑にあたります。 港口村は港口溪が海に注いでいる地勢に由来します。

  恒春は野生の胡蝶蘭の名産地でしたが、茶樹は一本もなかったそうです。 清同治10年(1871)に起きた牡丹社事件(琉球の漂流漁民の殺害事件)をきっかけに、 清朝の名臣 沈葆楨の指示により清朝光緒元年(1875)に恒春が県となったとき 初代県太爺(県知事)として福建の周有基が就きました。 この人はお茶好きで、この一帯のさまざまなところに武夷茶の移植を試み、 満洲郷港口村の山麓で成功したのが始まりとされています。

  近年の研究では最初は羅佛山に植えたようです。 茶室も用意され、「羅佛山茶」とも命名されましたが、世に出るほどは成功しなかったそうです。 また、言い伝えではありますが、 港口村の「光發茶園」の茶農朱振淮が福建省武夷山の種茶四種を取り寄せ、移植に成功し、 周有基県太爺から二甲の茶園を与えられたそうです。 現在は五代目の朱順興 氏が茶園を続けておられます。

  茶樹栽培に成功した理由は、冬の東北風を山が防ぎ、夏の西南風が多くの雨をもたらすからです。 製茶は頑固に伝統的な製法を守り、今日に至っています。 現在でも百年を超えた老茶樹が残されています。

  十数年前より生産性を考慮し、行政の指導により金萱茶の優良新種の栽培を広め、 海拔100メートルのなだらかな山麓にも植えるようになりました。 気温が高く、日照も長く、山風も強く、霧は少ないが霧雨が多い、 このような気候から渋みに特徴のある茶に仕上がっています。 しかし、渋みの後に来る甘味があり、この味を好む愛好家が意外と多く結構高値で取引されています。

  筆者は学生時代に親戚が住んでいたこともあって、よく屏東に遊びに行きました。 当時は特に茶に関心はなかったのですが、茶に精通した叔父がいつも家に着いた途端に、 工夫茶器でこだわりの熱いお茶を淹れてくれていました。 今考えてみたら茶に興味を持った一番の恩師かもしれません。 多国籍の友人達を伴って訪れたときも、 「高級ホテルでごちそうするから」とレストランに招待してもらいましたが、 水筒にこだわりの熱いお茶を持参していました。 日本では考えられないことですが、友人達に説明するのに苦悩しました。 当時は暑い熱帯の気候の中で熱いお茶を飲むことに抵抗は感じなかったのですが、 よく考えてみたら中華圏には茶を冷たくして飲む習慣は永年なかったのです。

  港口茶は玉ねぎ、瓊麻(サイザル麻)と共に恒春三宝と称され、 大事な産品としても地位を得ています。 瓊麻は聞きなれませんが、メキシコ原産の龍舌蘭科の植物で、 その繊維でロープや工芸品などが作られています。 明治34年にアメリカの駐台領事が当時の日本総統府に贈呈し、 翌35年に技師の田代安定が「恒春熱帯植物殖育場」で栽培に成功したという、 日本と意外な関係があるものです。
  暑い屏東を訪れたときは熱い港口茶を飲んで、ぜひ屏東の歴史にも触れてみて下さい。

  現在、港口茶を切らしております。入手次第、紹介します。 代わりに、十年ほど前に叔父に紹介された、当時では珍しかったしっとり味の茶梅を紹介しておきます。 南投県産ですが、屏東県にも支店が出されています。商品名に日本語が使われている のがちょっと面白いです。

 楊品瑜 2006.11.10 (転載不可)


山の風茶業の茶梅

 


(追記)
  屏東県恒春を舞台とした映画 『海角七号』 をご紹介します。

  2008年8月に公開された范逸臣と田中千絵主演の台湾映画で、低予算で作った映画であったにもかかわらず、 世界各国の映画祭で受賞しています。 日本で開催された「アジア海洋映画祭イン幕張」ではグランプリを取っています。 台湾歴代映画興行成績でもタイタニックに次いで2位になっています。

  海角七号は日本統治時代の高雄州恒春郡にあった住所のことで、 映画のロケが行われた墾丁公園内の夏都沙灘酒店やビーチ、恒春古城の西門、主人公の阿嘉の家などが人気の観光地になっています。 観光客の増加で「恒春三宝」と称される港口茶の売り上げもアップしたことでしょう。

 楊品瑜 2009.02.04




台湾で売られているDVD
(映画に出てくる郵便小包と同じ
ようなパッケージになっている)
 


(追記2)
  「海角七号」は、日本語タイトル「海角七号 君想う、国境の南」で、 2010年新春にシネスイッチ銀座などにて上映されます。

 楊品瑜 2009.10.06