高雄県美濃鎮一帯はもともと客家語で瀰濃と呼ばれた客家文化の街です。
美濃鎮の発展は、康熙27年(1698)に広州省嘉平鎮から来た人たちにより開拓が始まったとされていますが、
当時水害が多発し、開拓民を苦しめていた。
その後、乾隆元年(1736)に右堆統領の林豊山、林桂山兄弟が約40人を引き連れて来て、
「瀰濃庄」を設立して本格的に開拓を始めました。
ゆえに林豊山は現在も「開基伯公」と称され、お墓も大事に祭られています。
康煕、乾隆年間に広東省から台湾の下淡水渓東部の平原(高雄、屏東両県内)に移住してきた客家人は、
地勢によって六堆(先鋒堆、前堆、中堆、後堆、左堆、右堆の六部落)に分けて居住していました。
当時、客家人は自衛のために民兵のような護衛団を組織していました。
「堆」は集落の意味もあるが、客家語の発音では「隊」と同音で、「tui」と読みます。
しかし、「隊」は軍隊のイメージがあるため、「堆」の字を用いたのです。
六堆の一つである「右堆」は、
現在の高雄県六亀郷、美濃鎮および屏東県塩埔郷、高樹郷の一帯とされています。
日本統治時代の大正9年(1920)、台湾総督府は瀰濃庄を日本人にも馴染みやすい「美濃庄」に改名しましたが、
戦後の1945年には高雄県美濃鎮となり、今日に至っています。
美濃鎮は地理的に東が高雄県六亀郷、北は杉林郷、西は旗山鎮、東南は屏東県高樹郷、南は屏東県里港郷、
西は旗山郷、北は杉林郷と隣接しています。
荖濃溪(下淡水渓の東源、「四社渓」とも言う)の出口に位置するため、
その支流の美濃溪が街中を貫いています。
したがって、美濃鎮は水に恵まれています。
気候は熱帯に属しますが、高温で雨量も多く、平均気温が23度だそうです。
美濃鎮は風光明媚な街で、古跡が多く、
德勝公壇、東門楼、林春雨門楼、廣善堂、敬字亭、竹門電廠などの観光地が有名です。
2006年に高雄県は政府観光局に要請し、
美濃鎮を古跡、水路、文学、民俗学などのテーマ別で観光産業を推奨するように依頼したのです。
特産品には擂茶、タバコの葉、米と客家の伝統工芸の油紙傘などがあります。
擂茶は客家人の伝統茶で、緑茶とごまなどを擂(す)り潰してつくるので、
一般に「擂茶」と呼ばれますが、「三生湯」とも呼ばれます。
伝えによると、三国時代、張飛が兵隊を率いて武陵を進攻する際、
薬草に精通した客家出身の年配老医師が祖先伝来の客家擂茶の秘法を伝授し、
生の茶葉、生姜、生米などを糊状になるまで擂り、
調理後兵士に飲ませ、軍心が高まって戦争に勝利したことから、
擂茶が世の中に知られるようになりました。
レシピはもちろん、家庭によりさまざまですが、ゴマ類や穀物が良く使われています。
乾燥し、持ち運びやすく、栄養価値の高い食材を使っているのが特徴です。
来客のもてなしに良く使われるお茶です。
台湾の客家擂茶専門店で大きいすりこぎとすり鉢を使って、みんなが交流を図るかのように、
交互に擂って作ったお茶を飲む光景は微笑ましく見えました。
擂茶は近年の台湾でも美容と健康、ダイエットに関連して関心が高く、特に客家出身の著名人が多いので、
客家文化の食生活が注目され、大変なブームになっています。
筆者は20年ほど前に中華茶文化学会の范增平先生にレシピを教えていただき、苦労して擂って飲みました。
当時のレシピは本当に素朴な内容でしたが、
近年台湾で販売されている市販の擂茶は市場の要望からでしょうが、内容量が豊富になりました。
最近技術の向上により、家庭で簡単にお湯を注ぐだけの市販品が多く売られています。
美濃擂茶ブランドのものも贈答品で人気です。
また、観光客が気軽に入れる客家伝統の家を再現した擂茶専門店が人気を集め、
雑誌などにも多く取り上げています。
美濃鎮では、タバコの葉や米の栽培が盛んだったこともあって、
目立った茶栽培はあまり行われていなっかたようで、茶頂山が唯一茶樹の自生が確認されている程度です。
お米が名産品なので、小吃の美濃板條(ベトナムのフォーのようなお米で作った麺)は、
台湾各地の屋台で見ることができるほど、名産品になっています。
楊品瑜 2009.02.12 (転載不可)
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台湾の百貨店で購入した擂茶
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