九份は、台北県誌によると、清朝初めの頃にはこの一帯に9軒の家があり、
他所から購入してきたものは何でもこの9軒で分けていました。
台湾語では九人前を「九份」というので、後に九份がこの村の地名になったそうです。
台北県瑞芳鎮に属し、基隆市(別名雨港、旧称鶏籠)に近く、多雨地域として知られています。
また一帯は山に囲まれ、海に面し、風光明媚な山あいの老街(古い街)です。
清の光緒年間以前、北迴鉄路宜蘭線が未だ開設されていなかったため、
台北地区の交通手段は基隆河水路しかなく、非常に不便でした。
当時台北県瑞芳鎮の対外水運の渡口(渡し場)であった柑仔瀨(現在の柑坪里)は、
台北地区と噶瑪蘭(現在の宜蘭)を往来する交通要所でした。
後に金瓜石と九份の山間地帯に金鉱が次々と発掘され、
これに伴って柑仔瀨の渡し場を行き来する採金の人が後を絶たなない状態になりました。
当時柑仔瀨渡口の近くに「瑞芳」という商店があり、
採金の人や台北と噶瑪蘭を行き来する人は概ねこの商店で休憩しながら、買い物をしていました。
したがって、柑仔瀨渡口を利用する通行人は地名を言わずに「去瑞芳」(瑞芳に行く)または「由瑞芳回来」(瑞芳から帰って来る)といい、
そのために店名が地名となったそうです。
瑞芳の地名の由来としてこれがもっとも有力な説です。
清朝光緒19年(1893)、 九份地区に金鉱が発見され、アジア一の金鉱と呼ばれるほどに栄えていたのですが、
1971年にはとうとう金鉱脈は取り尽くされ、閉山後は衰退の一途をたどることになりした。
近くの金瓜石にある「黄金博物園区」は金山の歴史を体験することができます。
また、金瓜石一帯では亜熱帯植物、蝶類、鳥類、蛙類の生態、環境などが紹介されています。
「太子賓館」では優雅な日本宮廷建築が見学できます。
近隣の黄金神社、茶壺山、戦俘営、黄金滝などの散策も楽しめます。
1989年に製作された侯孝賢監督の映画「悲情城市」がヴェネツィア国際映画祭でグランプリ(金獅賞)を受賞し、
九份はそのロケ地として注目され、現在では台湾屈指の観光地となっています。
悲情城市は1947年2月27日、台北「天馬茶房」前で起きたヤミ煙草取り締まりをめぐる争いがきっかけで〈二・二八事件〉が起き、
この事件を背景に林一家の変遷を語った映画です。
同じく侯孝賢監督の1987年作の「戀戀風塵」も九份でロケが行われました。
こちらの映画は幼馴染として鉱村で育った男女二人が、兵役をきっかけに別かれていく淡く切ない恋物語です。
日本でも2001年公開の宮崎駿監督による長編アニメーション映画「千と千尋の神隠し」の商店街のモデルとなった町として、
よく紹介されています。
九份老街、特に一番の繁華街基山街(地元の方は「暗街仔」と呼んでいる)には多くの日本統治時代の名残が残っています。
筆者が訪れたときにも、和柄の文様や模様化された平仮名などを見ることが出来ました。
九份の美食といえばタロイモで作ったモチモチの芋だんご「芋圓」が有名です。
最近ではバリエーションとして、サトイモや抹茶味もあります。
熱い甘い汁と一緒に日本のぜんざいのようにいただきます。
夏はかき氷にかけて食べることも出来ます。
発祥は九份国民小学校の近くの「阿柑姨芋圓」という小さなお店だとされています。
またレトロな町らしく、レトロな生活雑貨も多く、台湾土産を購入するにも最適な場所となっています。
この一帯は雨量が多く、霧も多い気候として知られていますが、
初めて九份を訪れ取材したところでは、お茶を栽培されていませんでした。
しかし、水質がよく、有名な茶芸館も多く、国内外からわざわざ老街の散策とともにお茶を飲みに来ます。
また、茶芸館から眺める海と山のコラボレートした景色も美しく、多くの観光客を魅了しています。
最近では夜景も美しいとして、さらに多くの観光客が訪れています。
金瓜石から九份一帯は台湾行政院文化建設委員会(文建会)により、台湾世界遺産12箇所のひとつに選ばれています。
楊品瑜 2009.04.15 (転載不可)
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みやげ物屋の飾り窓にあった「おさけ」


所属指導師から頂いた九份土産
品瑜の瑜の中国語発音は魚に通じています
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