筆者が高山茶を初めて飲んだのは、10年ほど前で日本はバブルの終わり頃でした。
すでに会社勤めを辞め、ひとりで細々と中国茶芸教室を開催していた頃で、
「ペットボトルの中国茶がどうして教室になるのか?」と教室を断られることもありました。
ある日突然、日本に遊びに来た台南の親戚から高山茶のお土産をいただきました。
噂は聞いていましたが、生産量がまだ少なく市場ではほとんど買えない茶で、
台湾茶業のバブル茶かと思っていました。
その親戚から「必ず自分で飲みなさい」と、人にあげないよう強く言われ、
どういう意味か一瞬戸惑っていると、
「その茶は台湾円で2万元(日本円で約7万円)する茶だから」と言われたのです。
筆者は以前に勤めていた会社で、世界最高値の紅茶キャッスルトンダージリン
(当時の販売価格で50グラムあたり5000円、つまり台湾式1斤=600グラムで60000円)や
当時の日本での販売としては高値の凍頂烏龍茶
(100グラムあたり2000円、つまり1斤で12000円)の輸入に携わっていましたので、
高級茶にも慣れていました。
しかし、これらをはるかに凌ぐ高値の茶が目の前に現れたことに大変驚き、
信じられないというのが本音でした。
のちに調べたところ、この前後の半年間の品評会で高山茶に付いた価格の最高値は
1斤4~5万台湾元(当時のレートで16~20万円)でした。
その後も数年間はやはり高値の高山茶の評価が続きました。
この頃、美味しい中国茶を日本のみなさんに飲んでいただく活動にひとりでは
限界があると感じて、一緒に活動をしてくれる仲間を集って指導師教室を始めようと
していました。
この高山茶は、結局教室のみな(この時はまだ、数人)で開けて飲みました。
今でもあの開封したときの上品な香りが忘れられません。
本当に至福のひとときでした。
その味は、台湾では良い茶湯を「蜂蜜に似た甘味がある」と表現しますが、
まさにこの表現が当てはまるものでした。
しかし、この表現は日本人には想像しにくいらしく、
教室に参加している方からは「よく分りません、想像できません」と言われることもありました。
飲んだことのない茶は言葉でどう表現されても、
実感できないというのが本当のところのようです。
この時期の高山茶園は阿里山一帯が中心で、
販売形態も「高山茶」としかパッケージに書かれておらず、
口頭による信用販売でした。
つまり、この時期に「高山茶」と掲げて売られていた茶は、
ほぼ阿里山茶と思ってよいと思います。
阿里山は、森林保護の観点から国立公園に指定されている台湾を代表する観光地でもあります。
日の出や推定樹齢3000年の神木(紅檜木)が有名です。
ただ残念なことに、この神木は1997年に三分の一に折れ、
次世代と呼ばれる木が新しい神木として選ばれたそうです。
また、阿里山賓館は日本統治時代の民国二年(大正二年)に建てられ、
かつては阿里山を訪れた観光客が必ず泊まる歴史ある名旅館です。
近くには台湾では珍しい吉野桜も植えられています。
楊品瑜 2004.10.23 (転載不可)
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筆者にとって初めての高山茶
滝の写真がプリントしてある
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