随意談 第200号(2012年10月16日)   楊品瑜

 
~可可球(ココアボール)~
 取り急ぎ、ココアボールを「可可球」に訳しましたが、 今回紹介するココアボールは商品名でして、チョコレートの一種です。

 随意談 第192号 で紹介した、豪斯登堡(ハウステンボス)帰りのお土産です。 豪斯登堡から帰ってきて2ヶ月過ぎて、今さらとも思いましたが、 実は今らに子供たちの友人たちに差し上げたこの可可球が伝説のように、 「どこかで買えるの?」、「また食べたい」、「買いたいけれど・・・」などなどのご要望がありまして、 子供の間ではそんなに美味しかったのか、反響に感心しています。

 この他、実はお土産で買った缶入りのココアドリンクもあまりの好評で、 子供たちのおやつで終わってしまったものもあります。 豪斯登堡に行く前は、「ジェットコースターがない」とか、 「歩きばかりになりそうだ」とかちょっと愚痴っていましたが、 今では行けるかどうかもわからないのに、 次回行ったら必ず、買うもの、乗るもの、食べるもののリストアップをしています。 親としては、ちょっと心苦しいのかも・・・飛行機代がね~。 台湾に帰れるのに・・・。 と気持ち複雑です。

 少し前、東京駅の駅舎にCGを投影するショーがテレビで紹介されたのを見て、 豪斯登堡内で見た例のドラゴンが出てくるCGショーをまた思い出しました。 正式には、「プロジェクションマッピング」と言うのだそうです。 また、豪斯登堡の方では、CGショーにもちゃんとタイトルが 「3Dプロジェクションマッピング ザ リバイバル オブザ ドラゴン」とついていました。


豪斯登堡で買った可可球


 
 

随意談 第199号(2012年10月9日)   楊品瑜

 
~豆腐乾(干し豆腐)~
 豆腐乾をもらいました。 台湾では、豆腐を使った加工品が沢山ありまして、特に豆腐乾の種類は数え切れないほど販売されています。

 ヤンピンは料理教室でもよく豆腐乾の一種、豆腐糸(糸きり干し豆腐)をお出しています。 豆腐糸は、最近では一般の中華料理店でもよく前菜で出されていますので、 食べたことがあった方は少なくないと思います。 ほかには、素食の肉代わりに使うものもあったり、お茶請けやおやつ用など、実に多種多様とあります。

 大豆の栄養価はヤンピンが言うまでもなく、とてもとても高く評価されています。 なので、中華圏でも古くからいかに保存食として、日持ちするようにさまざまな豆腐乾が考えられ、 販売されてきたようにも思います。 台湾で、あれだけ安くて、気軽に買えていた豆腐乾は、 なぜかなかなか日本では買ったり食べたりできなかったのが不思議と思っていたところ、 やはりここ数年日本でも本格的に工場を構えて生産する業者も増え、 中華街以外では、百貨店でも買えるようになったのですね!  考えれば、冷蔵庫などの流通事情もよくなったからでしょうね!

 頂いた豆腐乾は、煮物に使ったり、涼拌(りゃんぱん)にしたりして、家族と懐かしがりながら食べました。 豆腐糸については、最近の料理教室で出したばかりなので、リクエストがあれば、 また教室で出すことを検討したいと思います。

 因みに豆腐乾は種類が多いので、一概に食感をお伝えできませんが、 日本で売られている木綿豆腐を硬くしたものから外は硬いけれど、 中は柔らかい食感ものまでがあります。 元々の味は、大豆の味というか豆腐の味です。 台湾では、もちろん味付けされたものも沢山売られています。


家族のために作った、豆腐乾料理


 
 

随意談 第198号(2012年10月1日)   楊品瑜

 
~嚇了一跳(びっくりした~)~
 先日、アルテサーナ植草ギャラリーでの教室準備に行ったら、目を疑う光景が・・・

 なんと机に「茶の口福」と書いた本が3冊も置いてありました。 それも表紙付きの初版です。 「茶の口福」についてはかつて、随意談 第8号 でも詳しく紹介しましたが、 二十数年間、表紙のないこの本を大切に読んできましたが、こんな表紙が付いていたとはちょっと感動しました。

 「茶の口福」の著者陳東達先生にはお会いしたことがなかったのですが、 ものすごく自負を持ってこの本を書いたと思います。 よく調べられています。 昭和49年(1974年)発行のあの時代で、調べられる範囲内のことはすべて調べられたのだと思います。 なので、アルテサーナ植草もその本が販売目的で仕入れしたらしいのですが、残っていたのです。

 華人圏でのお茶好きは、「自分が一番お茶を知っている」と自負する傾向があります。 茶芸活動のお陰で、 最近は「自己流だけれど・・・」と言う言葉を付け加えて謙虚にお茶の話をしてくれる方々が増えました。 ヤンピンは、自分が一番お茶を知っていると自負して、お茶を楽しめば良いと思っています。 なぜならそれが、中国茶の喫茶文化だからです。 ただ、教室を運営するのならば、やはり客観的にならなくてはいけないので、 根拠のある内容で講義をしなくてはならないとは思っています。 なので、教室では窓口を広くし、さまざまなお茶の楽しみ方を楽しんで頂けるように工夫はしています。

 教室の開催や本を書くにあたり、「茶の口福」に書かれていたお茶や楽しみ方を随分と探し検証しました。 ヤンピンが始めて手にしたのは、出版から十数年後です。 中国茶に関する書物がとても少なかったので、貴重な一冊でしたね!

 頂いた本の保存については、 指導師たちとも相談し、考えて行きたいと思います。


「茶の口福」初版本


 
 

随意談 第197号(2012年9月26日)   楊品瑜

 
~鳳梨酥(パイナップルケーキ)~
 教室で、よく聞かれています。「台湾土産”鳳梨酥”は日本で買えないか?」と言う質問。 実は、最近ご近所の輸入食材店で、2件買えるところを見つけました。 やはり、教室以外でも要望があったからでしょうね!  それに、鳳梨酥だけではなく、ほかの台湾食品もすごく売れるようで、 「お店の方も注文しても注文してもすぐ売れてしまうし、輸入元も輸入が間に合わないらしいです」 と困っていました。

 先日の随意談でもお話したように、中華圏では、今は「月餅」を贈り合うシーズンです。 なので、月餅と共に、実は結構な鳳梨酥がヤンピン宛てに届いています。 昔は、切り分けて大切にみんなで食べていたのですが、最近では、少々食べきれない状況にあったりしています。

 なので、あんまりもらえない「芒果酥」を購入してきました。 もちろん、台湾からの直輸入です。お店では、鳳梨酥と同じぐらいに売れているそうです。 教室で食べて頂いた感想も好評でした。

 ヤンピン+教室の皆さんとしては、次は台湾で今話題の「宮原眼科」の鳳梨酥が食べたいです。 「宮原眼科」とは、日本統治時代に台中に実在した日本人が経営していた眼科です。 跡地はその後衛生所(保健所)を経て、日出蛋糕 「日の出ケーキ店」になったそうですが、 最近リニューアルし、正式には「宮原眼科」食料品店と訳したほうが、よいのかもしれませんが、 レストラン、カフェやアイスクリームスタンドも併設した、日本ではちょっと考えられない店名の食料品店です。

 台中はなかなか行くことがないのですが、あちらこちらから話題になっている情報は入るのですが、 日本で食べるのはまだまだ贅沢な要望ですね!


ご近所で購入したく「芒果酥」


 
 

随意談 第196号(2012年9月18日)   楊品瑜

 
~寶貝孩子(子は宝)~
 子供が旅行先からお茶を買って来ました。 理由は「美味しそう~」だからだそうです。 ブレンド茶ですが、結構渋いお土産です。

 子供たちが小さい頃、家で雑誌の撮影をしていたとき、 茶器をいたずらされないようにと玄関先にまとめて置いていたら、 いつの間にか、ガッチャ、ガッチャの音が聞こえてきたことがありました。 しゃがんで「何だろう?」と、 不思議そうに茶器の蓋をひとつひとつ開けて確認していたヨチヨチの子供の姿には、 「茶器が割れるかも?」の心配もすっかり吹っ飛んで、愛しさでいっぱいでしたね!

 中山之家には、茶畑のお茶の木の高さを示すために、子供の後ろ姿が写っている写真が残されています。 その子供たちも今では、みんなヤンピンより大きくなりました。 本当によく育ちました。

 ヤンピンも、子供の頃から大人の泡茶(お茶を淹れる)姿を見て育ってきました。 少しスタイルが違いますが、子供たちも見て育ったようです。

 もらったお茶は、これから煎じて飲もうと思います。 どんな味なのでしょうね!  どきどきです。


子供からもらったお土産のお茶


 
 

随意談 第195号(2012年9月11日)   楊品瑜

 
~馬來亞餐廳(レストランマライア)~
 馬來亞餐廳 は台湾では、老舗中の老舗です。 有名人のファンも多く、台北では中秋節になると必ず、 馬來亞餐廳が出している広東風の月餅を買うと言う人は数え切れないですね!  また、五仁味(ドライフルーツ、ナッツなどのミックス)がもっとも人気のひとつでして、 お茶のお供としては、この時期では定番中の定番です。

 そして、今年もヤンピン宛に馬來亞餐廳の月餅が届きました。 子供の頃から中秋節前になると家にはなぜか、必ず馬來亞餐廳の月餅が届きます。 我が家も定番です。 ただ正直に言うと、子供には何が美味しいのかがよくわからない味でした。 大人になって、やっと美味しさがわかりました。 懐かしさもする味でしたね!

 今年の夏は超忙(超忙しかった)でしたので、 中秋節(旧暦8月15日、今年は9月30日にあたります)は家族揃って、賞月(月見)をしようと思っています。 今年も子供たちと嫦娥(じょうが)を探そうと思っています。 見つかるかなぁ...

 頂いた馬來亞餐廳の月餅は、教室で少しずつ切り分けてみんなで食べる予定です。 濃厚な本場の味なのですが、今月は高山茶を飲む予定なので、 ひと時の台湾タイムをぜひ楽しんで頂きたいです。


頂いた馬來亞餐廳の月餅


 
 

随意談 第194号(2012年9月4日)   楊品瑜

 
~鯉の泳ぐ街(隨鯉魚游之街)~
 なかなか資料がまとまらず、なんとか紹介したいのが、長崎県島原市の市街にある「鯉の泳ぐ街」です。 というのも湧水を利用し、生活水を下水に出さないように工夫し、街中の水道に鯉を住ませている街です。

 先日、島原に行った時に、見学して来ました。 また、今では市に寄付された見学者の憩いの場になっている古民家の「湧水館」には、庭に広い池があり、 今でも湧水がぷくぷくと出ていて、鯉がすいすいと泳いでいました。

 行った時期が、猛暑の最中、なので、鯉たちも陽のあたらないところに集団で側溝の蓋の下に隠れていたりして、 ちょっと探さないといけなかったりもしましたが、 湧水館では、池を眺めながら、お茶を頂いたり、 寒(かん)ざらし(たまたま青年商工会のイベントでした)を頂いたり、結構長閑で優雅な一時を過ごしました。 ただ、鯉があっちこっちに隠れていたので、子供たちは懸命に鯉を探し、餌やりで必死でした。

 島原市は古くから水の都と言われていたほど、水がきれいで湧き水が豊富です。 「鯉の泳ぐ街」の水も日本名水百選に選ばれているそうです。 だから、お茶も美味しかったのですね!  納得です。


湧水館にて


 
 

随意談 第193号(2012年8月28日)   楊品瑜

 
~好忙喔!(忙しいですね)~
 夏休みなので、公私共に好忙喔!  前に仕事でNHKに行った時、間違って行ってしまい、 いつか子供たちに見せたいと思った「ふれあいセンター」に、やっと子連れで行って来ました。 小さいお子様が多かったので、少々来るのが、遅かったような気もしましたが、 まぁ、それなりに楽しんで来ました。 その後、近くの「たばこと塩の博物館」にも行ってきました。 子供たちは、塩の勉強、ヤンピンはお茶の資料探しです。

 昔から、お茶と煙草は何かと一緒に楽しまれることが多かったので、 所属指導師から「たばこと塩の博物館」所蔵の浮世絵を見てくるといいよ!」と薦められたことがありました。 今回はそう沢山絵を見ることはできませんでしたが、 やはり浮世絵に描かれた時代の茶や煙草を楽しむ風俗が参考になって面白かったですね!

 そう言えば、かぎ煙草コーナーの展示もありました。 鼻煙壷 もしっかり展示紹介されていました。 ヤンピン的には、蒔絵でできたマッチ入れがとても気に入りました。 日本の伝統工芸の繊細さが、ぎっしり詰めた名品に思えましたね!

 そうそう、煙草の展示フロアに赤い公衆電話が置いてありました。 なぜか子供がそろって駆け込んで、電話していました。 大人気でした。 電話がそんなに面白いのか?と、ちょっと不思議でしたが、あとで気が付きました。 おぉーダイヤル式の公衆電話だからだー。 この世代はダイヤル電話を知らない世代だもね!

 帰り、メキシコ産の工業用塩を頂きました。 今、子供たちは夏休みの宿題”自由研究”に「塩」と「有田焼」のレポートで格闘中です。 加油!


博物館で購入した浮世絵関連の資料


 
 

随意談 第192号(2012年8月21日)   楊品瑜

 
~豪斯登堡(ハウステンボス)~
 豪斯登堡に行って来ました。 飛行機で長崎空港に到着し、そして空港を出てすぐに乗船場に直行し、 船で大村湾を横切るかたちで、豪斯登堡に直行しました。 前に堂弟(同姓の従兄弟)の台湾からの新婚旅行コースを辿させて頂きました。 が、日本の旅行会社からも一般に申し込めるコースです。

 今回、最大の目的と言ってもいいほど、 「テディベア博物館」にある台湾や香港限定のシュタイフ社のテディベアを見てくるのが楽しみです。 特に台湾限定のテディベアは、茶筒入りです。 お茶をテーマにしたため、緑色のテデイベアになっていますが、 「ウーロン茶色でもよかったのでは?」とちょっと思いました。 もうひとつの台湾限定版は、中国結のネックレスを掛けていました。 香港版は右手(右前足?)で筆を持っていました。

 このほか、豪斯登堡では、ゴッホ展、第4回世界花火師競技会が行われていました。 大洪水を体験 ホライゾンアドベンチャー・プラス、 3Dプロジェクションマッピングなどのアトラクションや映像ショーが印象的でした。 口の中で弾けるアイスや日本初上陸だそうですが、 ホラーをテーマにしたファーストフードは斬新ですが、美味しかったですね!  チーズやチョコレートも教室の皆さんや友人へのお土産で大量購入し、 てんやわんやな一日を猛暑のなか、バテずに楽しく過ごせました。

 しかし、豪斯登堡での入園や船のインフォメーションもそうでしたが、 すべてに中国語、韓国語対応になっていました。 豪斯登堡に至っては入園の手続き所は中国人スタッフがいっぱいで、 思わず、「ここは中国?」と思いました。

 異国情緒で楽しかったのですが、帰り、なぜか馬への餌やり(有料)コーナーに子供がひかれ、 なかなかできない体験だったので、やらせたところ、担当者から3本のにんじんスティックが渡され、 「二本は馬にあげてね! 一本は帰りの電車で食べていいよ・・・」と言われたそうです。 笑ってよいのか・・・


台湾限定のシュタイフ社のテディベア
後ろにあるのは茶筒型の入れ物です。
(許可を得て撮影しています)


建物はこの後すごいことになりますよ!
見てのお楽しみですが、少しタネ
明かしすると、龍が出てきます。


 
 

随意談 第191号(2012年8月11日)   楊品瑜

 
~島原芒果(島原マンゴー)~
 私事ですが、かつてOL生活に疲れ、退職し台湾に帰ろうと考えていた頃、 私には未知の土地だった九州に友人と二人で安いツアーに参加したことがありました。 福岡、熊本、佐賀、長崎などを回り、福岡でふぐちりを食べ、熊本城見学、 有田焼きの工房見学、カステラ作り見学、グラバー園見学、 確か熊本から有明フェリーに乗って多比良港で下船、国見、島原経由で雲仙温泉へ、 とにかく盛り沢山のコースでした。

 その後東京に戻り、関西に長く住んでいたせいなのか、 九州のカルチャーショックに暫くはまりましたね!  その後、自宅でテレビを見ていたら、緊急ニュースが入り、普賢岳の噴火を見て、 なんとも言えない辛さに勘でました。

 その後、爸爸から長崎と台湾の関係を改めて詳しく教わりました。 タイオワン事件を初め、鄭成功生誕の地「平戸」、 また平戸には栄西禅師所縁の「冨春園 」茶園があったことで教室主催のツアーでも訪れています。

 今回の長崎行きで、随分前に 随意談第17号 で紹介した、 長崎県島原市の 芒果園(マンゴー園) にもやっと行ってきました。 今では、大型観光バスも来るような人気芒果園になっていました。 実は、こちらの経営者は普賢岳の噴火による被災者です。 正確に言うと土石流によって家、果実園全てを喪失しました。 時間はかかったけれど、見事な再建です。 家族で模索しながら総出で頑張った結果と言えます。 芒果のほか百香果(パッションフルーツ)園も隣接していて、 南国ムードばっちりの果実園でもありました。

 島原観光も兼ねて、雲仙岳災害記念館 にも行ってきました。 住所が平成1-1なのは、噴火で発生した土砂を埋め立てた新しい土地だからだそうです。

 雲仙の温泉街にも行って来ました。 実は、温泉街は普賢岳とは随分と離れているのです。 雲仙の温泉街は、日本初の国立公園であると共に、 上海租界や長崎に来ていた欧米人の避暑地として発展したのだそうです。 また「雲仙」は元々温泉(うんぜん)と呼ばれ、国立公園の指定を受けた時に「雲仙」と改めたそうです。 名残りに、今も温泉街に温泉神社があります。 先日訪れた時には、近々移転するような張り紙がありましたが、今後はどうなるのでしょうか?  気になりますね!

 ~何はともあれ、美味しい芒果を食べ、寒ざらしを食べ、 鯉の泳ぐ街見学、温泉にも入ってきましたよ!~


芒果樹


噂のミルクシェーキを島原商店街内の
老舗「銀座食堂」で食べてきました。



 
 

随意談 第190号(2012年8月6日)   楊品瑜

 
~出差兼休假(休暇兼ねての出張)~
 仕事と休暇を兼ねて、子連れで長崎と佐賀に行ってきました。 長崎は元々中国茶とは所縁の地なので、数年に一回は行っています。 佐賀は嬉野茶、こちらも中国茶との所縁で時々に訪れています。 そして、今回は 有田ポーセリンパーク に行ってみました。

 ヤンピンは粘土いじりが苦手なので、もっぱら見学が専門ですが、登り窯も見学してきました。 前にも教室で茨城県笠間に行った時に登り窯を見学していますが、 今回は運よく登り窯祭りにも遭遇しました。 またこちらの登り窯は、説明によると約400年前陶祖「李 参平」が有田で初めて、 磁器を焼いたと言われている日本磁器創成期の天狗谷古窯をもとに再現したものだそうです。

 子供たちは、有田焼き工房でマグカップやお皿の絵付けにチャレンジしました。 焼き上がるのは一ヵ月後なので、どうなるか楽しみですね!  まぁ、夏休みの自由研究にもなりますので、 今は学校に提出するレポートのため、有田焼について猛勉強中です。

 敷地がとにかく広く、とても暑かったので、記憶が朦朧なところも沢山ありますが、 興味があった 香蘭社 の製品も沢山見学できました。 美味しいコーヒーもごちそうになりました。 焼きカレーも食べてきました。 焼きカレーを作ってくれたおばちゃんは、 焼き具合が難しいので大丈夫だったのかをとても心配してくれました。

 珍道中とも言えたのは、パーク内のツヴィンガー宮殿前に池があったのですが、 飼っているように見えた鴨たちが、暑すぎて集団で木陰で涼んでいたら、 見学に来た子供たちの列に驚き、慌てて池に戻るシーンが可笑しかったです。 そして、暫くしてまた集団で、木陰に戻って来ました。 実に長閑な光景でしたよ!

 次回は島原のマンゴー園を紹介予定です。


有田ポーセリンパーク内のツヴィンガー宮殿


木陰で涼んでいる鴨たち


登り窯


 
 

随意談 第189号(2012年7月27日)   楊品瑜

 
~泡麵(インスタントラーメン)~
 先日、台湾の定番泡麵、「統一」ブランドの肉燥米粉をもらいました。 肉燥とは豚肉の粗挽き肉を醤油、紅葱頭(エシャロット、一部赤玉葱と呼ばれています) で煮た台湾伝統の料理と言ってよいと思います。

 昔、紅葱頭がなかなか日本で買えなくて、代用品を探すと、 「エシャレット 」と呼ばれるものを紹介されたことがありました。 味が違うので、いろいろ調べてみたら、こちらは「らっきょう」の一種でしたね!  その後、「横浜の方で、赤玉葱(2~3cm)が売られていますので、 紅葱頭なのでは?」と言われ、購入してみたところ、確かにこちらのほうがまだ紅玉葱に似ていました。

 栽培方法についてはよくわかりませんが、ヤンピンの理解した内容としては、 「エシャロット」はフランス語、英語では「シャロット」、ねぎ科です。 「エシャレット」はらっきょう、ユリ科です。 そして横浜で言う赤玉葱は、普通の赤玉葱?または紫玉葱と同じものなのかは断言できませんが、 地域特有の俗称の可能性もあります。 代用品としても使えなくもないので、購入される場合は各自の判断でお願いしますね。

 話は泡麵に戻ります。 肉燥米粉はとても素朴な味なのですが、ヤンピンはあえてアレンジせず、 単純にお湯を沸かして、指示通りに、付いている具材、調味料を入れて作って食べるのが好きです。 美味しいというより、いつもの味なので。

 台湾の泡麵文化は、実に豊かであります。 日本では、(株)日清食品創業者安藤百福さんが、 初めてインスタントラーメンのチキンラーメンの開発に成功したことが知られています。 安藤百福は、台湾出身です。 会社名の由来は、日本と彼が生まれた当時の中国の国名「大清帝國」の「清」をあわせて 「日清食品」と名づけたことは、彼の伝記にも書かれていました。

 実は、清朝の西太后の時代には、すでに泡麵が宮廷で食べられていた話があります。 機会があれば、こちらのほうの話も詳しく調べてみたいと思います。


統一肉燥米粉、5袋入りです。






 
 

随意談 第188号(2012年7月18日)   楊品瑜

 
~永和豆漿(永和豆乳)~
 民国38年(正式には中華民国38年、西暦1949年)、台湾の人たちにとっては歴史的な年、 中国から多くの外省人が台湾に移住しました。 歴史的には、国民政府が台湾に政権を移した年でもあります。 多くの中国華北から移住した外省人が、台北県永和市(現在、新北市永和区)頂溪一帯で、 華北スタイルの朝食「豆漿・焼餅・油條」が食べられる屋台や店を次々と出店したことで人気となり、 「永和豆漿」としてブランドにもなったのです。 日本風に言うと、ご当地名産てところですかね。

 当時の台湾人は、お米を主食とする中国南部出身の人が多かったのでした。 朝食は、お粥が主体です。対し、「豆漿・焼餅・油條」の三点セットは、 家庭的な美味しさ、珍しさに多くの台湾子が魅了されたようです。 また、今風に言うケータリングができる気軽さも加わり、大人気となりました。 個々の店は家庭の味、なので、今日でも永和の豆漿人気は、継続されていますよ!

 ヤンピンは、台湾に帰ると必ず、「豆漿・焼餅・油條」の三点セット」を食べます。 そう言えば一度(実は数回)、接待攻めの最中に表姊が高級レストランに買って来てくれて、 フカヒレや北京ダックらの料理と一緒に食べたこともありました。 日本では考えられないと思いますが、実際にあった話ですから。 でも気持ちがありがたかったし、美味しかったです。 かえって、高級料理のほうは何を食べたか、記憶が定かではないですね。 そう言えば、ヤンピンは、北京ダックを一日4回食べた記録を持っています。 また、前の接待が終わっていないのにも関わらず、 次のお迎えが隣に並んで待ってくれていたこともありましたよ!  親戚、友人の接待は、台湾人の情熱の象徴です。 いろいろとお腹の事情もありますが、こう言う愛情がヤンピンのパワーの源です。

 ともあれ、永和豆漿は日本でも買えました。 さすがに、絞りたての風味は落ちていますが、日本で本場の味を飲もうとしているわけですから、 このままで十分に美味しいです。 ヤンピンはほとんど冷たいものを飲みませんので、温めて飲んでいますよ!  ただ、成分は未調整なので、日本では好き嫌いがあるかも、の味です。


知り合いの飯店(レストラン)の老闆(女将
さん)に紹介されて購入した「永和豆漿」
(前二回の随意談で紹介した店とは別です)





 
 

随意談 第187号(2012年7月11日)   楊品瑜

 
~新竹~
 教室の受講が縁で知り合った方と、ちょこちょこ台湾新竹話をしています。 台北はテレビや雑誌でよく見かけますが、なかなか新竹の情報がはいてこないというのです。 日本統治時代に新竹で生まれ育ったので、定年になった今でも新竹が懐かしいようです。

 なので親戚に頼んで、少し写真を撮ってきました。 ヤンピンも新竹のことがそう詳しいわけではないが、親戚がいるので、たまに行くことはあります。 昔と違い、今の新竹は「科學園區」として 「台湾のシリコンバレー」と呼ばれるほど最先端の会社や工場があるとしても知られています。 また、新竹については、茶的故事「其の十四 関西緑茶」でも少し紹介しています。

 ヤンピンの子供の頃、新竹には国営の台灣肥料公司の新竹工場があったことで、 親戚の間では、この工場に勤められる人は、地元の優秀な人材ばかりだった話をよき聞かされていました。 また、食べ物では貢丸湯(肉のつみれ団子)、米粉、 粿粽(客家特有の粽、お餅の中にひき肉や干し椎茸の煮物を詰めています)は名産品です。 因みに料理教室ではすべて作ったことがありました。

 新竹育ちの受講者からは、お父様は新竹一帯に茶畑、キビ畑などを所有していた話を聞かされました。 茶やキビ畑があった話は書物にも書いてあったのですが、 実際に所有していた話は一気に信憑性を高めますよね!  通われていた学校の地図を辿り、らしき小学校も見つけ出しました。 丁度その頃、新竹の小学校の金庫を数十年ぶりに開けたら、 大量の日本人の通知表が出てきたニュースが台湾で流れたそうです。 次回行った時には、もう一度よく所縁の場所を見直して来ようと思っています。


バロック建築の新竹車站


新竹城隍廟周辺






 
 

随意談 第186号(2012年7月5日)   楊品瑜

 
~木瓜牛奶(パパイヤミルク)~
 同じく台湾食品を沢山販売しているお店で、木瓜牛奶を購入しました。 見つけた時は、3パックずつ購入すると安くなる表示がしていました。 残り6パックでしたが、これは美味しいから残り6パックなのか、 売れなくってやっと6パック残ったのか、ずいぶん購入するか否かで悩みましたが、 いつもの癖で、「全部下さい」とやってしまいました。 爆買いとまでは行かないのでしょうが、やはり、ヤンピンは中華系だと思いました。 その後、「これ全部下さい」、「あれも全部下さい」と商品を選び、 とうとう店のレジにも載り切れなくなり、その場でダンボールに入れてもらい、配送頂きました。

 しかし、あっという間にみんなきれいさっぱりと、食べて頂きました。 教室のほうでも、教室終了後、お店に直行した方がいました。 昔、友達に猪肉乾(ポークジャーキー)をお土産に差し上げたら、 美味しかったので友人のお父様が買いに走った話を思い出します。 結局台湾に行かないと買えないとわかり、とても残念がっていたことを思い出します。 今はいろいろ買える時代になったので、感謝ですね!

 いつもは、頑張って横浜中華街まで行って買うこともよくありましたが、 やはり、近くにお店があったほうが便利です。 ただ、お店の方からは売れ過ぎて、 追加注文しても商品がなかなかはいてこないという話を聞かされています。 実は、木瓜牛奶がとても美味しかったのです。 また、買って来るように、家族から催促されています。 どうしょうかなぁ~。 ケース買いかなぁ~。 うん~。 お店に在庫があるのかしらね。


購入した木瓜牛奶
紙パック入りです。





 
 

随意談 第185号(2012年6月28日)   楊品瑜

 
~汽水(炭酸飲料)~
 先日偶然、台湾食品を沢山販売しているお店を見つけました。 と言っても輸入食品のお店です。 なかでも懐かしい~汽水を幾つか購入してきました。 バレーボールの練習後によく飲みましたよ~。 久しぶりに飲むと懐かしいし、味変わっていないし、美味しいと思ったのですが、 子供たちには台湾味の汽水と例えられてしまいました。 まぁ、確かに、台湾に帰った時には飲んでいたよね!

 実は、懐かしいと言っても、ヤンピンがよく飲んでいた時代は、瓶入りでした。 瓶を返却すれば幾らかの返金がもらえて、次に買う時の足しにしていました。 今で言うエコな考え方、と言いたいところですが、 物が少ない時代なので、瓶を返却したほうが企業側にとっても助かる時代だったような気がしました。 なので、瓶は借り物だった気持ちで、きちんと返すのが当たり前でしたね。

 そう言えばヤンピンの媽媽は子供の頃、よくお遣いで自宅から瓶を持って、 量り売りで醤油を買いに行っていたそうです。 それも、よく外祖母が料理中に切らしたとかで、買いに走ったそうです。 媽媽いわく、当時は買い溜めの考え方がなかったので、 自分が将来料理をするようになったら絶対いっぱい買い溜めをする、と学習したそうです。 因みに媽媽の子供の時代、台南は亜熱帯気候でありながら、冷蔵庫もなかった時代でした。

 汽水などの諸飲料の登場により、お茶が若い世代を中心に、 徐々に飲まれなくなった歴史がありました。 なので、お茶の仕事をしているものとしては、少々気持ち複雑です。 でも、今らに販売され、日本にも輸出をしているので、やはり人気商品なのですね!  続ける大切さをまた、学んだような気がしました。


購入した台湾産の汽水





 
 

随意談 第184号(2012年6月23日)   楊品瑜

 
~漫畫・中國醫學的歷史(まんが・中国医学の歴史)~
 神田の古書街で見つけた一冊、『漢方のルーツ まんが中国医学の歴史』は、 ヤンピンには久しぶりの快挙と思える一冊です。 最近の出版不況で、数量の売れない本はなかなか出版が難しいという状況のなか、 なんと言うすばらしい一冊と思いました。

 購入した一冊は、1992年の初版から数えて11刷目でした。 気長に売れている本ですね!  漫畫になっているとは言え、難しい用語も沢山ありますが、 子供たちにも読める一冊なので、とても助かります。

 中国漢方は、「食生活」をとても大事にしています。 毎日の食事を通じて、常日頃、子供に教えていますが、 環境が環境なので、教え切れないものも多々とあります。 また食生活以外の鍼灸(針治療)やマッサージ法など、知ってもらいたいものも沢山あるのです。 やはり、言葉で話しているだけよりは書物もあったほうが、勉強にはなるようです。

 『漢方のルーツ まんが中国医学の歴史』では、時代に沿って、 名医を中心にそれぞれの時代の医学を紹介しています。 そして、日本医学への影響も紹介しています。 ツボ、鍼灸、マッサージの用語解説もしていまして、やはり、大人向けの漫畫なのかもしれませんが。  お茶も時代によって淹れ方、飲み方、茶葉の種類の変遷があるように、 時代時代に合わして書かれている内容に、当たり前ですが、うなずくばかりでした。


『漢方のルーツ まんが中国医学の歴史』





 
 

随意談 第183号(2012年6月15日)   楊品瑜

 
~八田與一(八田与一)~
 先日、学習まんが『八田與一』を見つけ、早速購入し子供に読ませました。 八田與一 先生については前にもご紹介しましたが、 実は先日親戚から台湾で発売された記念切手集をもらいました。

 記念集はとても立派なもので、32×25cmの3つ折りに、 中国語と日本語の解説文が付いています。 切手集と言っても、切手のほかに、6枚のはがきと封筒がなぜか一枚ついています。 はがきはもちろん、八田先生と所縁の写真ばかりです。 また、送ってくれた‘アメリカ在住で台湾に帰省中の親戚’ によると郵送料のほうが遥かに高かったそうです。

 実は、今回のプレゼントは前にアメリカ発祥の某珈琲チェーン店の千葉版珈琲マグをプレゼントしたヤンピンへのお礼だったそうです。 当時遊びに来た時に、集めている話を聞きつけ、 「made in Japan」でないといらない話も聞かされていたのですが、 「made in Japan」と確認し、”アメリカでは流行っていたとはね!”と思いつつ、 発掘(店の奥から)した千葉土産でもありました。

 学習まんが『八田與一』では、「烏脚病」の話が書かれていて、 子供たちは結構ショックだったようです。 そういえば、ヤンピンが台湾の小学校に入学した日、隣の男の子は裸足でした。 なんとか先生に説得され、やっと履いて来たのはピーチサンダルだった時の驚きは、 今でも覚えています。 この時代、まだまだ台湾では靴を履いて学校に行けなかった子供が沢山いたようです。 前に日本で知り合った同じ年の友人も、小学校は裸足通学だったと言っていましたなぁ~。

 台湾での烏脚病は、主に井戸水を飲んで感染したのが原因です。 靴とは因果関係がないと思います。 ただ時代的に、道路整備は発展途中だったので、 破傷風など色々な病気が警戒されていた時代でもありました。 靴は履いたほうがいいよね(靴が買えなかったのか、履く習慣がなかったのか、実はこの時代では、まだまだ微妙でした)。 烏脚病の話も今の台湾子には、衝撃的な話なのではないでしょうか?


八田與一技師の記念切手集





 
 

随意談 第182号(2012年6月11日)   楊品瑜

 
~東京幻視藝術館(東京トリックアート迷宮館)~
 お台場の東京幻視藝術館に行ってきました。 本来は那須トリックアートミュージアムに行きたかったのですが、 なかなか機会もなく、そうこうしていたら、また例のご親戚案内で、 お台場散策中に偶然「東京幻視藝術館」に出会いました。

 そう言えば、テレビで紹介していたなぁ~。 というのが、最初の感想でした。 携帯しか持っていなかったのが、とても残念ですが、 その場で写真の編集や確認はできたので、せめての慰めです。

 言い訳とはなりますが、実は大学の時に、なぜか、 岡山の斜めった喫茶店(まだあるかなぁ~)に連れられて行ったのに始まり、 インドのマハラジャの城に案内され、本格的なトリックアートの絵画を見せられ、 その後ハウステンボス、科学技術館でも今で言う「トリックアート」 (確か、だまし絵とも言って言っていました)に出会えましたが、 もっぱら鑑賞するのが目的で、写真に撮って残す発想が全然ありませんでしたね!

 今回の経験で、やはり写真技術も向上させないと行けないね!  と少々反省しています。 しかし、トリックアートの絵は、レンズを通して見ると、 また違う効果があったのには、勉強になりました。


写真の中、本物の人間は、一人だけですよ!





 
 

随意談 第181号(2012年6月5日)   楊品瑜

 
~紫丁香(ライラック)~
 少し前ですが、三年間育てた紫丁香がやっと花を咲かせました。 今年は何故か、自宅ベランダーはお花が満開なのです。 中山之家も、追ってご紹介しますが、 自宅のほうは、アマリリス、除虫菊、なでしこ、ラベンダー、ゼラニウム、タイム、 フェンネル、ローズマリー、ナスタチウム、セージ、カレープラント、ブルーベリー、 鯛釣草、サクラソウ、雪割草、シクラメン(まだ咲いています)などなどが、 パワフルに花を咲かせています。

 不思議ね~。 昨年、枯れたかと思ったものまでが何事もなかったように、 更に元気になって、花を咲かせていますよ!  中山之家でも、あきらめていた、白色のトケイソウまでが数え切れないほどの蕾を付けて、 先週末から順に花を咲かせています。

 元々ガーデンニングは、そう興味があったわけではなかったのです。 きっかけはハーブ、そして虫除け、 そして、馴染みのあるトロピカルフルーツと、一鉢、一鉢増えてしまったのが実情でした。 さすがに年月が経つと、ヤンピンも腕が上がったのか、 今年は自分でも考えられないほどに花がよく咲きましたね!  一部はこれから実も成るので、楽しみです。

 「為せば成る」と言ってよいのか、よくわかりませんが、 土を触れなかったヤンピンだったのですが、なんとかなるものですね。 一応、南国育ちなので、「土=雑菌」という考えがありましたので。 お茶で自分も想像のできなかった仕事に付き、その延長戦と思って勉強したハーブ。 そして、もっとも苦手だった栽培が、今頃になって成果が現れたと言ってよいのかわかりませんが、 これだけ花を咲かせたことで、今は達成感で一杯です。


紫丁香





 
 

随意談 第180号(2012年5月28日)   楊品瑜

 
~神田古書街(神田古本屋街)~
 神田古書街で卒業した大学の学長の旧著を見つけました。 日比野丈夫学長は、ヤンピンが美学美術史を学ぶきっかけとなった恩人です。 博学なのは当たり前ですが、辞書は一発で引き当てるほどの達人でもありました。

 歩いていると、「爸爸の書斎なの?」と勘違いしそうな本屋さんが沢山ありましたが、 考えて見たら、爸爸はコツコツとこの一帯で本を買い集めていたんだなぁ~。 と思いましたね!

 ところで、ヤンピンは美術書、茶関連書をいろいろと探し巡っていたのですが、 なぜかよく西洋人と鉢合わせしました。 「ふん、日本びいきの方々だなぁ~」と関心したり、 「日本語が読める研究者たちなのかなぁ~」と勝手に想像したりしました。

 ある時ヤンピンが無造作に積んであった江戸末、明治頃のたぶんレプリカの絵葉書 (と言っても数千円近くはしていましたよ!)を買うか買わないかで悩んでいたところ、 隣にいた先ほどどこかで鉢合わせしていた外国人が、店員さんを呼んで来ては、 ガラスのショーケースを開けさせていました。 ヤンピンも恐る恐る、横目でちょっと眺めたところ、 10万または0がもう一つ追加しそうな絵の購入交渉をしているのではないですか!  ホッーこう言う目的で来る方もいたんですね。浅羽かでした。

 結局ヤンピンは、数千円の絵葉書を買う否かの決断がつかずにいましたが、 お隣の外国人と店員さんたちが嬉しそうに絵を包装している光景に満足を得たことにして、 有り金で浮気せず、本だけ山ほど購入し、宅急便で送ることにしました。 手続き中、店員さんにしつこく「間違いなく送ってね!」と念を押してしまったヤンピン。 家族からは、「ここは日本なんだからきちんと送ってくれるよ!」とまで言われました。。。 確かにダンボール二重に、とても丁寧に梱包してくれていました。 疑ってごめんなさい。謝謝!


日比野先生が企画委員を務められた、
中国の歴史全12巻




 
 

随意談 第179号(2012年5月21日)   楊品瑜

 
~竹下通(竹下通り)~
 急に竹下通を紹介して、吃驚されるのかもしれませんが、 実は原宿一帯は結構外国の方々のお供で行っています。 明治神宮、竹下通は外国の雑誌では必ず紹介される人気の観光スポットです。 なので、憧れるお店なども多く、意外と外国人のほうが詳しいので、 ヤンピンもちょっとした勉強になりますよ!

 明治神宮では、ヤンピンの お茶会失態話 をかつてしましたが、 思い出深い話がもう一つありました。 それはですね・・・ヤンピンの友人夫婦が日本留学を終え、台湾に帰るある年の正月に、 「足の不自由な旦那さんに同伴し、元日で日本一混む初詣に同行してほしい」と頼まれたのです。 この時、最大の難関は、混雑の中、 足の不自由な友人の旦那さんがいかに倒されないようにみんなで防備していたのですが、 それでも倒されてしまい、もう・・・でした。。。

 やっとの思いでお参りを終え、落ち着いたところで、 怪我はなかったのかを確認しようとしたところ、友人夫婦は満足感が一杯で、大声で笑っていたのです。 「倒されて大丈夫?」と聞くと、 「没關係(大丈夫)、倒されることはよくあるから平気よ!  こんな混雑した初詣に参加できて、一生の思い出です。 これで日本でやりたいこと全て、やることができたので、ありがとう!」とまで言われ、 ヤンピンも一生忘れることのない初詣となりました。 友人のご主人はその後帰国し、大学の教授になったので、 きっとこれらの経験は言い伝えられ、教え子たちも、こんな良い先生から教われるのは幸せだなぁ~と思いましたね。

 そして、明治神宮帰りには、ほとんど竹下通に外国の方をお連れしています。 毎回必ず同じ反応で、坂になっている入り口で、人いっぱいに埋まっている竹下通を写真に納めようとします。 確かに、なぜあの一角はいつも人波が絶えないのかヤンピンも不思議に思います。

 そして、青山通りになんとか戻り、散策しながら表参道へ向かうことが多いですね!  実は、表参道ではかつて、一年近くお教室をやったこともありました。 その頃は家路を急ぐのですが、家でヤンピンの帰りを待つ子供たちにお土産を買うと言って、 ついつい逆に原宿まで歩いてしまったこともよくありました。

 そして、遅くなりましたが、その子供たちが先日、やっと竹下通デビューをしました。 クレープもしっかりと食べて。 混雑の中、テレビ取材にも遭遇し、なんとか竹下通を無事に通り抜けました。 なので、「これで竹下通案内はあなたたちの役目よ!」と伝え、引継ぎも無事に完了しました。


竹下通、JR側からの入り口
~人・人・人~



 
 

随意談 第178号(2012年5月16日)   楊品瑜

 
~大方(気前がいい)~
 中国語で、女性を讃える言葉に時々「大方」が使われることがあります。 日本語では、大方は”おおかた”と読み、おおよそ、大部分という意味で使われているかと思います。 中国語の大方とは、直訳では「気前がいい」「度胸がある」だと思いますが、 実は堂々としていて、あか抜けしていて、センスがよく、感じのよい女性、 豪傑な女性に対する褒め言葉で使うことがよくあります。

 先日、確か、テレビのクイズでも中国語の「手紙」はなんでしょうか?と言う質問がありました。 トイレットペーパーやティッシュのことです。 台湾ではトイレットペーパーやティッシュは「衛生紙」とも言いますが、 まぁ、トイレットペーパーやティッシュペーパーの中国語は「手紙」か「衛生紙」ということです。 ところで、日本ではトイレットペーパーやティッシュペーパーを分けて使っているかと思いますが、 ヤンピンが来日した頃、このトイレットペーパーとティッシュペーパーの区分けがずっと理解できていなかったのです。 なぜならば、「トイレに紙を流すと詰まらせる」と習って育ったからです。 なので、手紙と衛生紙はメーカーが違うだけで、特に使い分けする必要性を理解できていなかったのでした。

 では、日本語のようで、意味が違う中国語を幾つかご紹介します。

大丈夫 一人前の男、「男子漢大丈夫」と言う言葉がよく使われます。 勇気ある男性に対する褒め言葉、勇気付ける時の言葉としても使います。 一人前の男なんだから、一人前の男だね!の意味合いを持って使うことが多いです。
大名 お名前、「請問大名」の直訳は「お名前は何とおっしゃいます?」ですが、 丁寧な口調で相手の名前を聞き出したい時に使います。 但し、女性に対して丁重に名前を聞き出したい時には、「芳名」がよく使われています。 少々古いのですが、「君の名は」というドラマがあったと思いますが、「請問芳名」と訳されていますね。
工夫 工夫茶器の「工夫」は、わざあり、手間をかける意味があります。
汽車 自動車
勉強 無理をする
清楚 理解している
便宜 安い
急死 急いでいる
可憐 かわいそう
告訴 知らせる
放心 安心。但し、中国語では「安心」=「安心」です。
怪我 私のせいにする。
作家 文学、小説などの書き物に限った著者
経理 マネージャー
茶壺 急須

この他まだまだありますが、発音記号を覚えることにばかり捉われないで、 一つでも多くの漢字、意味を覚えていくことで、 中国語を身近に感じ、楽しくお勉強(ここでの勉強は日本語ですよ!)頂けると幸いです。


桔子醤(柚子ソース)
中国語の桔子=橘子は、本来みかんの
ことです。 中華圏では、柑橘類の種類が
豊富で、地方でのそれぞれの通称もあり
ます。また、4000年前から栽培されていた
という記述もあるほど、歴史のある果物で
あったため、種類も多く交配されていまし
た。種類がよく分からない時は、「桔子」と
言っておけば、間違いではないわけです
ね! 因みに、中国語の柚子=文旦。
日本の柚子は、中国語では「香澄」、台
湾では「日本柚子」とも呼んでいます。



 
 

随意談 第177号(2012年5月11日)   楊品瑜

 
~國定古蹟尼可拉教堂(国の重要文化財ニコライ堂)~
 ニコライ堂、正式名称「東京復活大聖堂教会」は、ギリシャ正教(東方正教会とも呼ばれる正教会)の教会です。 ロシアから正教の布教で来日した、ニコライ氏が建設にあたったことから「ニコライ堂」の名で知られています。

 1884年に起工し、1891年に竣工、1962年に国の重要文化財に指定された御茶ノ水界隈を代表する建築物のひとつです。 また、日本に於ける最初で、もっとも有名な拜占庭式(ビザンティン様式)を基調にした建築物としても、 その価値が評価されています。 拜占庭式とは、東ローマ帝国時代に誇った建築様式、特徴のひとつに、ドーム型の聖堂があります。

 教会入り口のステンドグラスには、イエス様の手元にある聖書は漢字に見えましたが、 日本語が書かれているということで、興味深いものがありました。 実は、ニコライ堂の存在は、二十数年前、友人の御茶ノ水観光で紹介され、 その後東京江戸博物館で更に芸術性を知りました。 ヤンピンは元々建築物を描くのが好きでしたので、機会があれば、ぜひ描いてみたい建築物のひとつではありますね!

 今回改めて、教会を訪れてきました。 教室で、色々質問されたのも一因です。 信者ではなくても清掃・維持管理費として少し拝観料を支払えば見学ができます。 江戸博物館では、高台に立つニコライ堂の写真が印象深かったのですが、 時代の流れなのでしかたないとは思いますが、久しぶりに行ったせいもあって、 高層ビルに囲まれたニコライ堂の写真は少々撮りにくかったですね!


尼可拉教堂



 
 

随意談 第176号(2012年5月7日)   楊品瑜

 
~有教無類~
 JR御茶ノ水の聖橋口を出て、聖橋を渡って湯島聖堂(孔子廟)、 道路一本挟んで神田明神、そして、御茶ノ水駅まで戻ってニコライ堂へと行ってきました。 御茶ノ水一帯は、大学生の時代は画材探し、 OL時代は有名な紅茶専門店が幾つかとあったので、よく友達誘ってたむろしていました。 そして、紅茶専門店が一軒、二軒と無くなったのにつれて、足も遠退きましたね!

 最近、古本屋街を中心に中華街を提唱する情報があちらこちらから入り、 教室でも色々聞かれるようになったので、久しぶりに立ち寄ってきたのです。 どこをどう歩けばよいのか、悩みましたが、行き会ったりばったりも楽しいものです。

 ところで、湯島聖堂で「有教無類」の碑を見つけました。 前に来た時も見たはずですが、今回は考え深いと言うか、 孔子の言葉で、初めて覚えたのが「有教無類」なのでは?と言うぐらいに懐かしさも相まって感動しました。 「有教無類」とはヤンピン流の解釈では、「教師は、生徒を差別なく教えるもの」。 う~ん、いろいろと考えさせられました。

 そして、お堂のなかでは「宥座の器」(ゆうざのき、中国語では「宥坐之器」と書きます)と言うのも見てきました。 前に行った長崎の孔子廟にも似たようなものがありましたが、その時は特に気にかけていなかったのです。 宥座の器は、孔子が魯の国に弟子と訪れた時に、魯の桓公の廟にあった器を見て解いた名言です。 意味は、満足を知るように自分に戒める言葉です。

 そう言えば、台南の孔子廟は「東大成坊」という門から入ります。 孔子の教えに従っての回り方があるようです。 確か、前に長崎の孔子廟に行った時も、回り方が決まっていたように思います。 まぁ、別にご利益がないわけではないが、暗記した(させられていた)論語をすっかり、 先生にお返ししたヤンピンでしたが、「教えの何々に従って回って下さい」と言われていたような記憶です。 で、湯島聖堂はどう回るべきか、実はちょっと意識して行ったのですが、うん~どうだったでしょうね!


湯島聖堂にあった「有教無類」の碑


お土産に買った鉛筆



 
 

随意談 第175号(2012年4月28日)   楊品瑜

 
~遊東北(東北に遊びに行く)~
 先日、出入りしている業者の紹介で、 東北を応援するイベントの一環として、岩手の「ごま摺り団子4種ミックスセット」と言うのを購入しました。 奥様が岩手のご出身で、お土産で毎回買うほどの人気菓子だそうです。 ちょっと調べてみたところ、購入したのは(株)松栄堂のごま摺り団子でした。 明治36年創業の老舗です。 そして、「第2回ニッポン全国ご当地おやつランキング第3位に入賞!」をされるほどの人気おやつでもあったようです。

 今注文が殺到しているので、数週間待ちと言われましたが、二週間ほどで届きました。 早速、家族、教室でも頂きました。 やはり、中国茶ともよく合う茶菓子でした。美味しかったです。 そう言えば、ごま味は元宵(旧暦1月15日の元宵節に食べる湯圓を単に元宵とも言います) とちょっと似ているような気もしました。

 思えば、かつて爸爸が青森県の国立大学から大学教授の招聘を受けた時に、 南国育ちのヤンピン一家が雪国で生活ができるのかが、最大の課題だったのです。 結局数回爸爸が冬の青森を訪れ、数メートルの雪が積もっている光景を見て断念した話は、今でも記憶深いです。 ところが、最近では、高く積もった雪が見たくって、台湾からも多くの観光客がわざわざ訪れているとはね~。 しかし、もし、青森に行っていたら、ヤンピンの人生はまたどう変わっていたのでしょうね!

 ヤンピンは、夏の北海道へ行ったことはありましたが、東北地方は仕事で訪れた仙台の駅ビル以外は、 ほとんど足を踏み入れたことさえない未知の場所です。 団子を食べながら、皆の東北にまつわる話を聞いているとなんとなく行ってみたくなりました。 子供たちは平泉に行きたいと言っていましたが、教室で行くのか、家族旅行で行くのか、考え中です。 黄金週(ゴールデンウィーク)中は教室が幾つかありますので、 まぁ、等到放暑假的時候(夏休みになったら)企画してみようかなぁ~。と思っています。


(株)松栄堂のごま摺り団子
冷凍で届きました。



 
 

随意談 第174号(2012年4月23日)   楊品瑜

 
~想喝好茶(美味しいお茶が飲みたい)~
 そう言えば、時々「教室の受講はしたくないが、美味しいお茶が飲みたいです。」と相談を受けます。 気持ちわからなくもないですが、雰囲気のよい茶芸館の運営はなかなか難しいですからね!

 「自宅でお茶や茶器を揃えて、淹れてはどうですか?」と聞くと、やはり、 「人が淹れたお茶を飲みたい」と言う要望が多いようです。 台湾の親戚、友人、知人でも、お茶を淹れたい派、お茶を飲みたい派があるように思います。 ヤンピンの周りでは圧倒的にお茶を淹れたい派に男性が多く、飲みたい派には女性が多いような気がします。 まぁ、台湾に帰ると周りの男性群のこだわりのお茶が沢山飲めるのも楽しみのひとつです。

 中山之家では、会員主催の茶会が時々行われています。 ヤンピンは同席したり、しなかったりしていますが。 教室以外で中国茶を飲むには、今のところ、それぐらいしかご提供できないのです。 また、指導師が自宅で開催している茶会はありますが、何せ、皆さん多忙で、開催も不定期ですね!

 思えば、最近の指導師コースでは、資格よりも月一、二回の教室が愉しみで、 自分では入手しにくいお茶や茶菓子、または料理を堪能する方が増えているようにも思います。 ヤンピンの教室では難しいお話をする時もありますが、やはり、 お茶の薀蓄を知ってから飲むとより有り難味が出てきたりして、会話も弾み、楽しいと思いますね!

 アルテサーナ でのミニ茶会で、「久しぶりに美味しい中国茶が飲めた」、 「台湾で飲んだのと同じだぁ~」と言う感想が寄せられました。 植草さんのご好意で、民芸店の一角を提供頂き、在籍10年以上の松岡指導師が遠方から来て、 頑張ってマイ茶器で中国茶を淹れています。 茶芸館のようには行かないのですが、機会があれば、どうぞこちらの方にもお気軽にお立ち寄り頂ければ、 美味しい中国茶が飲めます。 そして、植草さんのご好意で参加も無料です。☆☆☆

PS) 実は、中山界隈は、法華経寺以外でも、東山魁夷美術館があったりと人気の散策コースとなっていますが、 休憩頂ける喫茶店と言うか、場所が供給不足なのです。 時々イベントの時など、中山之家も協力していますが、商店街の店主たちがさまざまなかたちで、 店頭に椅子を置いたりして、ちょっと休めるような活動をしています。



荘家方塊酥
稚恵姐からの台湾土産です。
立ち寄ったお店で出された茶菓子
だったそうですが、美味しかった
ので、帰り空港で買ったそうです。




 
 

随意談 第173号(2012年4月17日)   楊品瑜

 
~真間川~
 写真は、今年の中山之家の近くの真間川沿えの櫻花です。 近くの法華経寺の櫻花もきれいですが、もう少し頑張って散策して頂くと、 実はこの時期、観光でも人気の中山競馬場の櫻花に出会えます。 そう言えば、中山競馬場は、夏の花火でも有名ですよ!

 まぁ、櫻花に囲まれて過ごしていた数週間前、今では緑葉が増えてきました。 でも実は、この時期ならではの賞花(花見)は、真間川に浮かぶ桜の花瓣(花びら)です。 川面一面がピンク色に染まるのですよ!  この光景は地元ならではの楽しみでもあるように思います。 もちろん、ヤンピンも最初の頃、子供と「あーあー櫻花が散ってしまったわね!」と少々感傷的になったこともありましたが、 ここ数年は子供と共に散った櫻花の美も感じるようになり、また来年咲くのが楽しみ~と思うようになりました。

 そうそう、真間川(ままがわ)を少し紹介しますと、真間川は江戸川から分かれた支流で、 千葉県西部から東京湾に注ぐ川であります。 利根川水系の一級河川でもあるそうです。 ヤンピンは日本文学がとても苦手ですが、 真間川は『万葉集』にも詠われた真間の手児奈伝説に登場する「真間の入り江」の跡とされているそうです。 少々不安ですが、この文面で通じたのでしょうか?

 では、いよいよ寒かったこの冬と別れ、やっと新緑の季節を迎えられるような気がします。 中山之家のハーブたちも枯れたかと思えば芽がでてきました。 機会があれば、こちらの方もご紹介しますね!  終於春天來了(やっと春が来たね)!


中山之家近くの真間川沿いの櫻花




 
 

随意談 第172号(2012年4月9日)   楊品瑜

 
~看櫻花(花見)~
 子供たちと上野公園(上野恩賜公園 )の櫻花(さくら)を見てきました。 春休みなので、秋葉原、上野と回ってきました。 子供たちの最大目的地、国立科学博物館にも行ってきました。 上野は近いので、実はよく行きます。日本に遊びに来た親戚や友人もよくお連れし、ご案内しています。 博物館、美術館から根津、谷中散策でしたら、ある程度OKですね。

 先日の上野は外国人が多く、タイミングよく櫻花の開花を見に来た観光客たちが感動する光景も沢山お見受けしましたよ!  実は外国人にとって、花見客の光景も興味深いものがあります。

 最近台湾でも結構櫻花を植栽し、「看櫻花」と言う行事が人気です。 時期も清明節の休暇中辺りなので、観光の目玉だったりしているようです。 台湾淡水にある「天元宮」の 櫻花 もご紹介したことがありましたが、 台湾での花見はまだまだ散策して、写真を撮ったりしての看櫻花が主流のようです。

 科学博物館は、地球館、日本館と全部見て、遊んできました。 帰り愛玉子でも食べて帰ろうと思ったのですが、やはり桜のトンネルを歩こうと言うことで、公園内に留まり、 テレビ取材も見学し、何かと充実した一日でした。


国立科学博物館


上野公園の桜のトンネル
八分咲きでした。




 
 

随意談 第171号(2012年4月4日)   楊品瑜

 
~鼻煙壺(嗅ぎタバコ入れ)~
 展覧会はもう終了したのですが、先月教室の特別講座で、大倉集古館での鼻煙壺の展覧会、 「蒐めて愉しむ 鼻煙壺 沖正一郎コレクション」 と言うのを見てきました。 そして、当日運よく沖正一郎先生にもお会いしました。 心よく解説頂き、幸運と共に感謝感激です。

 沖正一郎先生のコレクションは、美術館にも多く寄贈をされているようで、 大阪市東洋陶磁美術館「沖正一郎コレクション 鼻煙壺コーナー」 には1000個(実際は1200個だとか)寄贈され、 沖正一郎コレクション鼻煙壺コーナーが作られているほどのかたです。 北京の故宮博物院にも寄贈品があるようで、博物院からも「捐贈證書」 (証明書ですが、感謝状のような文書が正體字で書かれています)が贈られています。 古美術、工芸雑誌で有名な「目の眼」2008年9月号にもその時の様子が紹介され、 名前入りの「捐贈證書」も紹介されていましたよ!

 また、鼻煙壺は英語で「SNUFF BOTTLE」と呼ばれ、 沖先生のコレクションは英国のVo.&A博物館にも寄贈されたようです。 http://collections.vam.ac.uk/item/O154980/snuff-bottle/ で寄贈されたコレクションを見ることができます。

 教室でも、鼻煙壺のコレクターはいますが、ヤンピンもちょっとした安物ですが集めています。 沖先生の足元にもおよびませんが。 沖先生も言っていましたが、小さいので集めていくと、収納に場所を取らないからだとか。 ヤンピンは旅行中に購入しても、手のひらサイズ以下なので、持ち運びやすいのも一因です。

 鼻煙壺については専門家ではないので、特別に解説しませんが、さまざまな言い伝えはあります。 嗅ぎタバコの習慣が広がったのは、清の康熙帝に献上されたことによって、広がった説が一般的のようです。 その後宮廷の工房でも入れ物、鼻煙壺が作られるようになったようです。 また、鼻煙壺の蒐集は、欧米から人気が付いたとヤンピンは聞かされていました。 しかし、台北故宮博物院で購入した本には、明の時代から中国にも嗅ぎタバコの習慣が伝わった話が掲載されているなど、 嗅ぎタバコの風俗についても興味が湧いてきました。 ともあれヤンピンはすっかり、小さな小瓶に秘められた美の虜になったのは事実のようです。


台湾の故宮博物館で購入した一冊です。




 
 

随意談 第170号(2012年3月28日)   楊品瑜

 
~當乾爸乾媽(義理のお父さん・お母さんになる)~
 とうとうヤンピンに當乾爸乾媽の話が来ました。 この習慣を日本の方々に説明するには、実はとても難しいのです。 ヤンピン自身もよくわかっていないのも一因ですが、なんと表現してよいのか、難しいですね!  でも、なってほしい話が来たのです。と言っても微妙ですが、二回目かなぁ?

 どこまでの華人にこの習慣があるのか、よくわかりませんが。 昔からよく友達から、乾爸乾媽からこれもらった、あれもらった話をよく嬉しそうに聞かされていました。 なかには、外国に住んでいる乾爸乾媽からのプレゼントを嬉しそうに見せてくれていた友人もいましたね!  アクセサリー類をもらった話が多かったように、記憶しています。 羨ましかったですね!  そうです。 ヤンピンには乾爸乾媽はいないのです。成り損ねた話はありましたが~。

 よく中華系の人と国際結婚したかたからも質問されるこの習慣。 どこまでの責任があるのかが、一番気になるようです。 ヤンピンが思うには、実は単に子供がよく育つようにと、親心と言うか、 子供を可愛がってほしいと言う昔からの慣わしです。 そして、日本語訳に義理とつけましたが、本当の趣旨は本当に義理だからです。 戸籍に入るわけでもなく、正式には養育の義務もなく、相続権も原則ないのですが、 事情によって養育せざる負えない時は、実子のように面倒を見る人もなかにはいます。 よく可愛がられ、冠婚葬祭時は、乾兒子(義理の息子)、乾女兒(義理の娘)として行事に参加し、 多子多孫は幸せと言う考え方からもこのような習慣が続いているのですね!

 また、大抵は祖父母や周りの大人が薦めるので、子供が突然知らない叔父さんや叔母さんを乾爸、乾媽と呼ぶので、 小さい頃に「認」と言うのですが、つまり義理の関係を結ぶ傾向にあります。 因みに、儀式はさまざまですが、一応あるようです。 記念品をあげるとかも、人によっては行われます。

 確かに多くの人が、子供に愛情を注いでくれることは、子供にとっても幸せなことなのです。 ただ、ヤンピンにはその器があるのかどうか、疑問ですね!  どうしょうかなぁ?家族とも相談し、決断していきたいと思います。 末子は、弟か妹ができると喜んでいたけれどね~。 そうなんです。子供同士は「乾兄弟姊妹」(義理の兄弟・姉妹)にもなります。 つまり、子供代のより安定した人間関係を構築することにも繋がるのです。

 実は、「結拜爲兄弟姊妹」(義兄弟の契りを交わす)と言うのもありますよ!  お互い乾兄弟(義兄弟)、乾姊妹(義姉妹)の関係を結ぶのです。 有名な話では「三國演義」(三国志)に登場した、 劉備、關羽、張飛が「桃園三結義」(桃園の誓い)と言う乾兄弟になる話があります。 まぁ、こちらのほうは機会があれば、またご紹介しますね!


今回ご紹介した子供の祖母からは、
よく漢方薬を買ってもらっています。
紅棗、當歸(上段)、
黄耆、甘草、枸杞(下段)



 
 

随意談 第169号(2012年3月21日)   楊品瑜

 
~有機会請試看々!(どうぞ、試してみてくださいね)~
 教室の皆さんとも試食(飲)しています、佳格(quaker)の紫米紫山薬蓮藕と芝麻糊をご紹介します。 随分前ですが、銀耳杏仁蓮子を教室で試食(飲)したのがきっかけ、教室でもちょっとした人気の薬膳デザートです。

 毎回購入をしようと親戚に頼む度に、「送料のほうが遥かに高いのでは?」と言われています。 「豊かな日本なのに、買えないの?」とまで言われたこともありました。 台湾は国の政策もあって、食品は嗜好品、贅沢品を除けば、普通の食品はとても安いと思います。 理由は、人は生きていくのに物を食べなくてはならないからだそうです。 なので、日本の食品価格は想像が出来ないのだと思いました。 「送料を払ってでも日本で買うより、安いものがいっぱいあるよ!」と説明したら、 まるでヤンピンの説明が大げさのような反応をいつもされています。

 「quaker」とは、クエーカーオーツカンパニー(Quaker Oats Company)のブランド名です。 本社はアメリカ、シカゴです。 シリアルで有名だと思います。 朝食に食べる色々な食品を提案し、独自の商品開発が行われ、世界各国でもさまざまな商品展開が行われています。

 台湾では佳格(quaker)として、ブランドが確立し、日本ではオートミールがたぶんもっとも見かける商品でありますが、 親戚に頂いたシリーズはほとんどが薬膳の食材を使った台湾オリジナル食品のようです。 台湾では、超級市場(スーパーマーケット)などで結構気軽に買えるようです。 逆輸入品と言うか、台湾からの輸入は今のところ確認できていないので、日本での購入はちょっと困難かと思います。

 送って頂いたシリーズは、味、食感もなかなか日本では体験できないのですが、 教室で食べてもらった感想は、大概(おおむね)美味しいと好評です。 お湯で溶かして食べながら、飲むというスタイルなので、 忙しい朝、ちょっと食欲がない時、小腹が空いた時にちょっと食べる(飲む)のには、お薦めの一品だと思います。 因みに、「お湯で溶かしたと思えないほど美味しいね!」と、よく言われています。


紫米紫山薬蓮藕、芝麻糊



 
 

随意談 第168号(2012年3月14日)   楊品瑜

 
~學茶藝(茶芸を学ぶ)~
 お茶の愉しみ方は人それぞれなので、行く通りあってもよいと思います。 ヤンピンは中華文化の伝統を継承するように、子供の頃から躾けられてきましたが、 親戚友人への交際、面倒見なども無理せずの範囲ですが、やっていますよ。 これも伝統の一環ですから。一族の大姊(長女)の宿命と思う時もありますが。 日本では、嫁に出ているのに?と思うこともあるかと思います。 ヤンピンと結婚した旦那も楊家に帰ると自然に偉くなるというか、尊重されるのが慣わしですね。 逆に自分の一族では長男だった人が、結婚した奥さんが末っ子だったりすると、 奥さんの一族のなかでは、発言権がほとんどなく、肩身の狭い思いをすることがあったりして・・・ (ヤンピンの爸爸がそうです。)

 楊家はそう名門ではないのですが、とにかく親戚が多い、台湾中、世界中にいます。 よくツアーで出掛けると、「先生どこからも親戚が尋ねてきますね!」と言われるほどでした。 そして、台湾の親戚は決まって同行した受講者全員にお土産を渡すので、 初同行の方々は、決まって「次回から台湾旅行は大型のスーツケースで来ます」と感想を述べるようです。 このような体験も合わせて体験頂けるのが、この教室ならではの経験となるでしょうね!

 淹れ方だけが茶藝ではありません。 教室を始めるのにあたって、「なんでお茶をそう難しく飲もうとするの?」、 「茶は湯を注いで飲めばいいのさ~」と意見を頂いたこともありました。 また、人寄せのパフォーマンスはよく目につきますが、永年培われてきた茶文化が存在しているのです。 ヤンピンも最初に講師をやるのにあたって茶藝は日本の茶道を参考にしたと説明を受けていたので、 日本の茶道、華道などなど取材できる範囲のものはすべて取材してきました。 理解できたものもあれば、理解できなかったことも多々とありました。 今でも陰陽の考え方や老子思想や荘子思想について、教室の講義で話せるほど自信はありません。 老子、荘子は日本の茶道に影響を与えたと、 天野室長に連れられお会いした老舗の花器屋の社長に個人伝授を受けましたが、 同席した天野室長も理解できたのか・・・と内心思いつつ、 話を聞き続けましたがヤンピンも果たしてどれだけ理解できたのか疑問ですね!

 教室に通うことで、ひと時の異国タイムを過ごし、ひと時の休息が出来たという感想も幾度と頂いています。 昨年は教室自体が小休憩を頂きましたが、実は、指導師コースは永年Dコース第四日曜日が登録者多数のため、 新規加入の場合は要相談、または欠席者が出た場合の振替でなんとか運営してきましたが、 とうとう振替を断念しました。 人数がめちゃくちゃ多いという訳ではないのですが、中山之家の受け入れに限界を感じました。 なので、新たな開催日を設けました。 詳しくはこちら に。 今年はまた色々頑張りますので、ぜひ同感頂けるかたのご参加をお待ちしています。


ヤンピンの私物
茶を淹れるための小道具が入っています。


 
 

随意談 第167号(2012年3月6日)   楊品瑜

 
~契機(きっかけ)~
 子供の頃から慣れ親しんできたお茶。 大舅(母の一番上の兄)が自宅兼経営していた病院のお隣がお茶屋さんでした。 それも芸能人がよく来るお茶屋さんでした。 母はよく舅舅が経営していた病院を実家のように入りびたっていたので、 ヤンピンはよく看護婦さんに連れられて、そのお茶屋さんで遊んでいました。 なので、店主ご一家とも顔馴染みなのです。

 その後OLとなったヤンピン、会社から「お茶会でいいのだから」、「楊家流でいいからね」と、 茶芸講師をやることになり、「困ったなぁ~」となりました。 と言うのも、そう簡単に通じるものではないと思ったからです。 実際受講に来た方々は、皆凄い方々だったのですよ!  今でも覚えています。 記念撮影も沢山しましたが、直木賞作家や、各日本茶流派の家元、先生などなど。 とにかく、凄かったです。日本のお茶に対する美学の高さを目の当たりにしましたね。 その後、天野室長 から「伝統式泡茶法一回きりの講座では、受講に来た方々に失礼なのでは?」と指摘を受け、 運営方法からスタッフの研修まで、沢山悩み、勉強もしました。 当時のヤンピンは23歳です。 人生の大先輩が満足できる教室を成功しなくてはならない使命に、 正直、壓力(プレッシャー)に潰されていた日々でした。

 最初にすがり付いたのは、もちろん、両親です。 大手の茶行(茶屋)勤務経験を持つ叔叔(父の弟)、そして、急いで馴染みのお茶屋さんに連絡しました。 この時、お茶屋さんは台湾で、有数の多角化経営の大企業になっていました。 その間日本との茶ビジネスでは、時々アルバイトで大学生だったヤンピンを根気よく通訳として使いました。 なので、ヤンピンは入社後、多少お茶に関する知識を持っていたのです。 父の伝手、母の伝手と頼り、台湾に帰って修行をすることとなりました。 この時人生初体験だったのですが、実は両親への義理立てもあったのか、 お茶屋さんの董事長(社長)が専用の車と運転者をつけてくれる話となったのですが、 社内で空いている車が生憎なく、結局社長の車、「リンカーン 車」、運転手付きに乗って、 ヤンピンはお茶の勉強、修行をしていました。 うっ~。教室を成功しなくては・・・。

 その後、更に色んな方々の協力を得て、と或る日、出社し、 事務所に入った途端、皆が電話を受けている光景を目にします。 会社の電話回線が、パンク寸前で申込者が殺到したのでした。 「ヤンさん何をやったの~」と怒られていたのかと思うと、聞かれた瞬間から電話がかかり、 嵐のような数日間を経て、会社の上司たちが緊急会議を行い、人生の先輩たち、 強い期待を持ったキャンセル待ちの方々、皆さんの期待が膨らむ一方、ヤンピンの厳しく、 緊張した茶芸講師の日々が続いたのです。 実は、今更この話を持ち出したのは、 月日が経ち、皆の努力で茶芸教室が日本で定着した1ページを記録として書き留めておきたかったからです。 受講者、日本も台湾も出来る範囲で協力した方々、共にアイディアを出し、急遽淹れ方を覚え、 後輩のヤンピンの指示に協力した会社の先輩たち、皆一丸となって凄く頑張ったのです。

 ヤンピンが結婚し、スポーツによる怪我、やっとひと休みの許可を得るまで、茶芸教室は退社するまで続きました。 怪我が思うように治らず、引退かなぁ~と悩んでいたところ、かつての受講者から再開の要望が来ました。 とても身体的には辛い時期でもありましたが、まず、通いやすい近所で茶芸教室が出来るところを探し、 運よく アルテサーナ植草ギャラリー のオーナーから教室再開のチャンスを得たのでした。

 中華圏では、元々お茶を飲むのに「資格」と言う考えがなかった時代でした。 テキストを持って学校に通うような勉強講座を開催してほしい要望も多々ありました。 結局、茶芸教室なので、もっと生活のなかの芸術性を追求すべきかなぁ~と考え。 そして、大多数の意見は難しくしないでください。気軽に通える教室でいて下さい。 という要望が多かったです。 確かに、文人茶の時代はともかく、お茶を難しく飲んでいないなぁ~。 天野室長の言う茶飲みケーションの世界、ヤンピンが馴染んできた中国茶の世界をより多くの方々と 「共感頂くには?」をテーマに、紆余曲折を経て教室を今日まで細々と開催して来ました。

 手探りから始まり、20数年間運営のなか、最大のピンチは、昨年の震災と言ってもいいのかもしれません。 教室では今らに茶器は、一個も割れずに済んでいます。 しかし、地震がなかなか収まらず、計画停電、風評被害、また指導師コースの受講者半数近くの方々は、 往復2~3時間かけて受講に来ています。 5、10年以上通って頂いた方々がいます。 なのにこの状況のなか、来て頂くのには申し訳ない・・・気持ち複雑でしたね。

 教室の運営上、至らなかったことやご要望に応え切れなかったことも沢山あったと思います。 今もこの文章を書いている最中に地震がありました。 どこまで、頑張れるかわかりませんが、お茶を通じて、 視野が広がった・色々な年齢層の方々の話が聞けた・健康になった・癒せた・大陸的な考え方に憧れる。 などなど感想はさまざまなようです。 皆の茶芸教室となった今日、ぜひ、茶を愛す人々の集まりとして末永く運営できるように、 これからもよろしくお願いします。

 また、東日本震災が起きてから一年を迎えようとしています。 亡くなられた皆様の御冥福をお祈りするとともに、被災された方々には、改めて心よりお見舞い申し上げます。

 「同時希望日本的朋友們、早日恢復原來的家園!」
 (日本の皆様には、一日でも早くもとの生活に戻れますようにお祈り致します!)


一番最初、勉強のために薦められた一冊。
購入した時はすでに、表紙が変わっていまし たが、数年前に神田の古本屋街で、中国語 版の初期本を購入することが出来ました。
初期本は中山之家で読むことができますが、 ヤンピンが勉強に使った一冊はぼろぼろなの で、現在は家宝として大事に取っています。
写真は、家宝のほうです。


 
 

随意談 第166号(2012年2月29日)   楊品瑜

 
~龍眼(ロンガン・リュウガン)~
 タイ土産にドライ龍眼を頂きました。 中華圏では、干し葡萄のレーズンに似たドライ龍眼は、「桂圓」または「龍眼肉」とも呼ばれ、年中見かけます。 なので、今回、このような元の姿が残るようなしっかりしたものは、珍しいと思いました。 そのまま食べると好き嫌いが出そうな味ではありましたが、早速薬膳茶の「桂圓紅棗茶」を作ってみました。

 龍眼は、代表的な熱帯果物の一つです。 ムクロジ科、ムクロジ属の常緑樹の果実です。主な産地は東南アジア、中国南部、台湾など、 沖縄でも一部栽培されているようです。 果実が字の如く龍の目に見えることから龍眼と呼ばれるようになった、と一般的に言われていますが、 食べるのはその龍眼に見える殻を剥き、茘枝(レイシ・ライチ)の実より少々透き通った透明感のある実を食べます。 味も食感も茘枝に似ています。 ただ、ヤンピン的にはフレッシュ龍眼、桂圓、どちらも少々漢方薬的味がするように思います。 また、龍眼の種は黒っぽく、サイズも茘枝より小ぶりです。因みに?枝はムクロジ科レイシ属の果樹の実です。

 龍眼の樹木は非常に長生きするものも多く、多くの書籍にも記載されているほど実は古くから生薬として使われています。 また、その実は年間通じて常に採集できるわけではないので多くは乾燥させ、ドライにして、 漢方薬やお茶、料理に使われています。 「桂圓」は桂圓茶(湯)としてもよく飲まれますが、おめでたい席で出される「八寶茶」、 「八寶飯」の定番材料とも言えます。 フレッシュ龍眼は日本では、なかなか食べられないとは思いますが、桂圓は料理などにもよく使われるので、 意外にもレーズンだと思い、すでに口にしたことがあったのかもしれません~よ!


頂いたタイ土産「龍眼」


 
 

随意談 第165号(2012年2月22日)   楊品瑜

 
~鯉躍龍門 (鯉の滝登り)~
 先日の 昇り龍、降り龍 の話に続き、登龍門(登竜門)の伝説を色々調べていたら、 由来は逆流のなか、昇りきれた鯉だけが龍に成れる話を聞きつけました。

 伝説ではありますが、鯉が逆流のなか、登りきったその入り口は「龍門」と呼ばれ、実在するのだそうです (伝説ですからね!)。 茶的故事 花蓮大禹嶺茶 を書いていた時に、 爸爸から小学校低学年で勉強したでしょう~と、指摘を受けた「大禹治水」の話 (はっきりした記憶がない、ごめん爸爸!)、関係していたとは、ヤンピンは実に要勉強でしたね!

 「大禹治水」の伝説を勉強しなおしたところ、黄河の水を堰き止める時に、水流が激しく、 高山に阻害され、険しく、登るのも困難だった場所が「龍門」だったそうです。 そして、伝説とは言え、治水による痕跡、「龍門」が今も遺跡として残されているのです。 具体的な場所を記載した書籍も古くから多数残されているようで、 「斷鯉躍龍門」(直訳:鯉と決別し、龍門に入る)の場所として、 陝西省韓城と山西省河津の両県の間にある「禹門口龍門峽」辺りがもっとも有名です。 随分と具体的でしょう。 もちろん、いつからかわかりませんが、観光地として歴史もありますよ!

 フォローしておかなくてはいけないが、地名で龍門峽と言う地名が付くのは、 「大禹治水」の伝説以外でも、中国国内だけでも多数あります。 台湾、日本にもありました。伝説を意識していなかったので、記憶は定かではないが、 幾つかは行ったことがあったのかも知れません。 機会があれば、気持ち新たに、意識して訪れてみたいですね!

 思えば、博物館、美術館に「鯉躍龍門」又は「鯉魚躍龍門」をテーマにした有名な絵画や陶磁品、茶壺(急須)、 多数ありましたね!  そして、「鯉躍龍門」又は「鯉魚躍龍門」に因んだ贈答品は、入学、就職などのお祝いの定番です。 少々反省していますが、深く考えずに受け取っていたように思います。 手持ち資料も含め、色々見直して見ようと思います。


龍の紅包袋


 
 

随意談 第164号(2012年2月16日)   楊品瑜

 
~這是什麽?(何でしょう?)~
 タイで、よく使われているクリームと紹介され、 ジンジャークリームだとかで?何なのかがよくわからず?謎解きのために、 指導師がヤンピンのところに、謎の小瓶を持って来ました。

 一瞬、家族で何かとお世話になっている萬金油?(タイガーバーム)のタイ版?とも思いましたが、 タイ語が読めないので、書かれた説明、読める限りの英語を拾い上げてみました。 どうやらシトロネラを使ったオイルと書いてあり、シトロネラの精油を使ったクリームのようです。

 調べたところ、英語で「Herbal Balm Citronella Oil」、中国語では「香茅 草本護膚霜」と訳され売られていましたね!  「Citronella」とはイネ科のシトロネラのことで、同属にレモンバームがあります。 ハーブを少し勉強したかたでしたらご存知だと思いますが、シトロネラは天然の虫除け草です。 原産地はスリランカ、ジャワとされ、現在は熱帯地方に広く分布されています。 また、台湾では一部シトロネラの精油を「爪哇香茅油」と呼んでいます。 由来は、日本統治時代に日本人がシトロネラをジャワから台湾に移植したからだそうです。

 前にも 随意談40号 で紹介したように、 台湾ではアロマオイルを使った商品、綠油精、 萬金油(ミャンマー生まれのシンガポール華僑胡文虎、胡文豹が創業、香港にある有名なタイガーバームガーデンは現地では「虎豹別墅」、現在は「胡文虎花園」と呼ばれ、兄弟の別荘です)、 白花油(1927年にシンガポール・マレーシア在住の華僑顏玉瑩が創業)などなどの商品は、結構身近に普及し、 各家庭には必ずどれか一つか二つか、幾つかが常備され、歴史もそこそこあります。 そして、最近ではコンビニで気軽に買えたりしますね!  ヤンピンの幼少期では、これらのオイルを祖母や叔母たちがよく使っていたので、 今でも匂いを嗅ぎ分けられ、思い出と共に懐かしくなります。

 これらの商品開発は、漢方医学が中心だった華人圏の華僑たちが、 西洋のハーブをうまく漢方と融合し、考案したものと言えます。 息の長い商品ではありますが、伝わった国によっては、薬事法などでそれぞれの成分が制限されたり、 百應(何でも効く)と商品名に付けたことで、特定の国では商品名が変えられたり、 現代医学に押され隅っこに追いやられた時代もあったり、 と調べると結構勉強になって、面白いエピソードがあります。

 「Herbal Balm Citronella Oil」についても、どのように使われているのか、 どのような歴史、エピソードを持っていたのか機会があれば、 タイの皇族に嫁いだ先輩や友人、タイ人のママ仲間にもっと詳しく聞いてみようと思います。 しかし、入れ物が萬金油にそっくりなので、思わず、萬金油はタイでも一般的に使われているのかなぁ~と気になりました。  ともあれ、勉強になりました。

台湾の読者から早速メールが入りました。台湾ではよく知られているそうですが、 レディー・ガガ(Lady Gaga)さんは ツイッター でも紹介しているほど萬金油の愛用者だそうです。 しかし、アメリカ版(?)の萬金油初めてみました。



謎の小瓶?/Herbal Balm Citronella Oil


萬金油



 
 

随意談 第163号(2012年2月10日)   楊品瑜

 
~總算找到辦法了(なんとかなりました)~
 新年台北101の跨年煙火(年越し花火)の写真がどうのこうのの話を先日(随意談157)しましたが、 親戚が撮影した映像からなんとか取り込んで画像にしてみました。

 映像を見た限り、撮影ポイントが悪かったのか、天気のせいなのか、 今年の跨年煙火、スタートはなんとか101の煙火だなぁ~とわかりますが、 その後は気合の入り過ぎなのでは?と思えるほどの煙火量もあって、 十数分の映像中、101はずっと煙に囲まれていたように思います。 よくわかりませんが、少し煙が退散してから次の煙火を打ち上げればいいような気もしますが。 正直、煙っていっても、大轟音と共にまた大量の煙の繰り返しで、 時にその煙の塊がグラデーションのように色が移り変わり、「あっー」と思ったら、 「うん~」て感じで、やっと101のビルが見えたと思ったら、「結束了!」(終了です)でしたね。

 友人のなかには、 撮影スポットと予測したビルの外階段を10階近くまで登って撮影していたのに、 煙しか撮れなかった話に、找不到安慰話(慰める言葉が見つからない)ですね!  まぁ、満足度はともかく、跨年煙火の規模は凄かったです。来年も楽しみですね!

 撮影を頼んだ親戚は、交通渋滞や規制に悩み、行けるかどうか最後の最後まで悩んでいましたが、 結果的には撮影には成功しました。 謝謝!  ほか、数人の親戚、友人も撮影してくれましたが、やはり煙すぎて・・・と言うのが大半のコメントでしたね!  しかし、考えて見れば、そもそも日本語では「花火」と言いますが、中国語では「煙火」ですから、 煙って当たり前ですね。

 映像には、大勢の人たちが煙火の開始を楽しみに待ち受けている様子や沢山の風船が放たれ、 カウントダンの様子も写っていて、ワクワク・ドキドキ、臨場感にあふれていました。 台湾から暫く離れているヤンピンを初め、教室の受講者の皆さんにも気持ちがよく伝わり、皆大喜びでしたよ!


映像から101が見えるところで、
一枚の写真にしてみました。


 
 

随意談 第162号(2012年2月4日)   楊品瑜

 
~請做參考!(参考にどうぞ!)~
 家訓なのでしょうか?  食べ物の食べ方、食べ合わせ、普段の生活態度も含め、幼少の頃から 「吃東西要注意健康」(健康に注意して、ものを食べなさい) と言われて過ごして来ました。そのつもりではありましたが、もちろん、途中幾度も脱線しています。 でも、やはり、年齢には勝てないのか、一家の健康を担う主婦でもありますので、 ここ数年、ヤンピンはすっかり健康オタクとなりました。

 台湾など中華圏では、 一般に薬膳料理に関する考え方は「補栄養」、栄養を補う考え方が重要です。 日常の食生活から病気を予防していく食べ方、食べ合わせが「医食同源」の原点です。 病気になってしまっては、やはり病院に行きます。 治療の過程に於いて、東洋医学か西洋医学を選択するのかはもちろん人さまざまです。

 ヤンピンは、親や祖母、親戚などなどから色々な健康レシピ、食べ合わせ、運動、 生活リズムなどなどを教わってきました。 迷信もあったかなかったか・・・効果があったのかなかったのか、意味不明なことも色々ありましたが。 まぁ、そんな訳で結局親戚からも沢山の書籍を頂きました。 その中で、最近台湾で出版された、 中醫師(中国漢方の医者)と營養師(栄養士)が共著した薬膳の本がとても参考になったので、ご紹介したいと思います。

 紹介と言っても繁体字なので、日本でどれだけの方々が読めるのかはよくわかりませんが、 このような本が日本であんまり見かけないので、參考に紹介したかっただけのことです。 写真付きで、個々の食材の効果効能がはっきりと明記され、栄養面や食べ合わせが紹介され、 そして、食材から実際出来上がった料理も写真付きなので、とても分かりやすく參考になります。 ここ数年、台湾の中醫師試験は、より高度なレベルを追求したかったのか、超難関国家資格となっています。 病院勤務の中醫師が書いたことで、信用性アップを狙ったのでは?と最初は思いましたが、 栄養学の概念も加わり、文章もわかりやすくかったですね!

 最近、薬膳に使われる材料は、日本でもとても買いやすくなったように思います。 昔はわざわざ中華街に行ってまとめ買いをよくしていましたが、最近はご近所の漢方薬店や薬局でも在庫がなければ、 取り寄せも出来たりして、まぁ、便利と思いました。 ヤンピンがよく行く漢方薬局は、簡単な面談のような診断が必要ですが、 料理に使うと言ったら反って色々聞かれ、中国茶にも興味を持って頂けたりと良い交流になっています。 ただ話していると、やはり、「医食同源」や「未病」と言う、普段の食生活から健康を意識し、 病気を防ぐと言う視点よりも、まだまだ治療に対する処方箋のほうがメインなのかなぁ~とは思いましたね!

 教室に来たての受講者や友人のなかには、今までの食生活は、ダイエットばかり意識して食事をしていたそうです。 確かに、人によっては、ダイエットは健康になるための重要な項目となることもありえます。 でも、人間にとって、「爲什麽要吃東西」(何のためにものを食べるのか?)とつい聞き返してしまいます。 健康的な食生活とは何か?健康を保つバランスのよい食事も大事なのでは?とついつい言いたくなるヤンピンです。 鶏婆(台湾語からの当て字、おせっかい)ですかね・・・

*鶏婆 : 諸説ありますが、本来「家婆」と書くそうです。 「管家婆」、家の諸用を管理する人に由来するのだそうです。 「家」と「鶏」の台湾語発音が同じなので、「鶏」を当てて使われたりしたことで、 最近はすっかり「鶏婆」も定着したようです。



請做參考!


 
 

随意談 第161号(2012年1月30日)   楊品瑜

 
~龍年吉祥話~
 龍の伝説には、かつて、そう興味があったわけではなかったのですが。 よく日本の方から龍は鯉が滝を上ってなった話や昇り龍、降り龍がどうのこうの・・・の話を聞きます。 ヤンピンは、龍には九匹(匹で数えるのでしょうか? 中国語では、隻で数えています。) の子供がいる話はなんとなく聞いたことがありましたが、 この九匹の子供も諸説あるので、龍の伝説には正直あやふや、ちんぷんかんぷんなのです。

 先日旧正月を迎えるのにあたって、中山之家を春節らしく、毎年の行事も兼ねて、 春聯を張り替えようと思って、頼んで送ってもらったところ、立派な、立体的な春聯が届きました。 さて、どう飾ろうかと悩んでいます。 (右の写真を参照)そう言えば、昇り龍に飾るのか、降り龍に飾るのか?  真ん中に福もあるし、福到(中国語で倒=逆さま、と到来の到が同じ発音なので)にしたら龍は降り龍になるし、 どうしょう?と悩みました。 実は、昇り龍と降り龍を一緒にしたデザインも結構あるのですが、 送ってもらった春聯の二匹の龍は向きは違いますが、向かっている方向は同じなのです。

 諸説ありますが、昇り龍は上昇や繁栄を意味し、わかりやすいのですが、 さぁ~、降り龍は?と悩みました。 で、人生の先輩に聞いたり、色々調べてみると、 降り龍は天から願いを持って舞い降りて来る意味合いがあるとかで・・・  つまり、あの春聯を逆さまに飾ると龍が幸福を天から持って来てくれるという祈りにも通じるのでは?  うん、勉強になりました。と、逆さまに飾ったところ、重さのバランスから結局昇り龍になりました (悩む必要がなかったかも! 哈哈!)。 神様は、ヤンピンに、まだまだ頑張りなさいと言っているのだ、と感じました。がんばらなくっちゃね!


中山之家にて今年新たに加わった春聯


 
 

随意談 第160号(2012年1月23日)   楊品瑜

 
~好藍的天空(青い空)~
 昨日は旧暦の除夜、そして、今日は旧正月の元旦です。 大家新年好!  台湾は今、旧正月休み中と言うことですね!

 ヤンピンは今年の日本の正月休み中、初詣と共に親戚や友人の東京観光案内の予行練習を兼ねて、 スカイツリーの真下から実物を見て来ました。 そして、スカイツリーがある押上一帯から吾妻橋を渡り、浅草寺までも歩いて見ましたよ!

 最初は浅草が近そうに見えたし、浅草からの観光客が乗った人力車もあったので、 散策兼ねて歩こうとなったのですが、子供からは、「子供の足には酷!」と、ブツブツブツブツ・・・。 (因みに我が家の子供たちは、みんな標準越えの逞しい子供のような、大人のような体格と体力持ちです。) 途中、道に迷ったのもありましたが、何とか流れに合流し、無事に到着はしました。 子供も凄い光景に感動し、急に元気にはなったのですが、 今度は商店街の人が多すぎて、流れに追いつけず、結局東京観光の定番、雷門の前で記念撮影し、 芋羊羹を購入し、さっさと帰りました。

 随意談の台湾読者から、日本の空って「好藍的天空」と言うメッセージを頂いたことがあります。 「そうなのかなぁ? 空は皆繋がっているのに」と思いつづ、散策中はずっと空を見ていました。 やはり、日本の空は青いです。もちろん、雨の日もあれば曇りの日もあります。 でも、晴れた青い空はやはりとても綺麗です。 自慢できます。 南国の青い海と青い空が繋がった、水平線がよくわからないような青い空を何度も見ましたが、 ぜひ、みんなにも日本のこの清々しい、澄んだ青空を見に来てほしいと思いましたね!  思わず親指を立てて「很棒喔!」(凄いよ!)と言いたくなります。


スカイツリーの真下から撮りました。


浅草から見たスカイツリーです。
到着時間が遅かったせいか、
少々空が曇っています。


 
 

随意談 第159号(2012年1月19日)   楊品瑜

 
~滿載而歸(収穫がいっぱいです)~
 上野の国立博物館に行って来ました。 「北京故宮博物院200選」、清明上河図も見てきました。 とにかく混んでいて凄かったです。 観光で行かない限り、なかなか北京に行くことがないと思い、頑張って見てきましたが、 正直、清明上河図より「乾隆帝像」に感動しました。

 清明上河図はもちろん名画ですが、 それより教室でよく茶話で登場する若き、 凛々しい清高宗乾隆皇帝(略して乾隆帝)が25才に即位した年に書いたとされる全身図、座ってはいますが、 あちらこちらの資料でよく使われていたあの写真の実物、大きな掛け軸が展示されていたのには、感動しました。 行く前にもう少し情報収集すればよかったと少々後悔もしましたが、 予想していなかった絵が展示されていたことは、今でも感動しています。 正直、見た瞬間身震いしました。日本にいることをすっかり忘れましたね!  また、ラッキーなことに、掛け軸のまっ前に椅子が数個置かれ、誰も座っておらず、 挙句に紐に繋がれていた展覧図録も置いてあったので、説明を読みながら掛け軸を眺めることができました。 しかし、一枚の絵で、こんなに満足感が得られるとは久しぶりです。

 「三希堂」、乾隆帝の書斎名ですが、再現され、宝探しな気分で、ちょっと面白かったです。 展覧会を見終え、色々散策し、その後、教室の皆さんへのお土産、家族へのお土産、自分へのお土産などなど、 持てる限りのミュージアムグッズ、本、お菓子も買いました。 美術鑑賞に行ったのか、ショッピングに行ったのか・・・。 ちょっと微妙ですが、まぁ、心もお土産も、とにかく滿載而歸で、充実した一日でした。

 帰宅後、乾隆帝のことを家族に話したら、本当に本物?レプリカじゃないの?とみんなに言われましたが。 もちろん、本物だよね!


国立博物館内休館中の「表慶館」
写真右の道を行くと、展覧会
会場の平成館があります。


博物館のショップで見つけた一冊


 
 

随意談 第158号(2012年1月14日)   楊品瑜

 
~小行星探査機HAYABUSA 隼鳥號
(小惑星探査機 はやぶさ)~

 小行星探査機HAYABUSA 隼鳥號の実物を見てきました。 それも徒歩圏で行ける 千葉県現代産業科学館 で見てきました。 一部模型ですが、 あのイトカワまで行って来た小行星探査機HAYABUSA 隼鳥號の帰還カプセルの実物をこんなご近所で見られるとは吃驚しました。

 きっかけは、アルテサーナ植草ギャラリー にあったポスター群で情報を知ったのですが、 その後子供の学校からもポスター、チラシなどの知らせが来まして、結局家族全員で見てきました。 想像はしていましたが、やはり結構混んでいましたよ!  地元の得点をいかして、朝一に来ればよかったと後悔しましたが、 連日の行事や教室で、まぁ、見られただけでも幸せです。

 ヤンピンは、歴史ものが好きですが、実は科学ものも好きです。 子供の保育園時代に、知人の案内で筑波宇宙センターに行って、 模型ですがスペースシャトルにも乗って来たことがあります。 当時、子供は宇宙センターがどのようなところなのか、よくわかっておらず、 翌日保育園のお迎えに行ったら、保育士から質問攻めとなったことがありました。 どうやら「お休みはどこに行ったの~」と先生に聞かれた子供が、 「宇宙センターに行ってきたの~」、「えっ~」となったようです。 因みに 筑波宇宙センター の見学は、 気軽に行けます。 見学ツアーは事前予約制ですが、展示館の見学は事前申し込みの必要がありません。

 日本と言うか、首都圏には行ききれないほど、結構科学が身近に体験できる科学館があるので、 すごいなぁ~といつも思っています。 そう言えばお台場にあった 東京都水の科学館 も面白かったですね!  国立科学博物館はもちろん、日本科学未来館、科学技術館、船の科学館などなども行きましたよ!


見学当日に頂いたパンフレット


 
 

随意談 第157号(2012年1月10日)   楊品瑜

 
~新年正月飾(正月飾り)~
 新年早々、台北101(台湾の高層ビル)の跨年煙火(年越し花火) の写真をあちらこちらからプレゼントしたいとメールを頂きました。 謝謝! 

 実はこの跨年煙火を撮るのは至難なわざなのです。 日本からもツアーが組まれるほど、実は大人気なのです。 当日はビル周辺、好立地なシャッターポイントは大渋滞です。 花火がよく見える親戚家には一族が集まったりと、また駐車渋滞でとにかくてんやわんやだそうです。 確かに見たいですよね!

 ただ、今年は雲も多かったのか、最初の一発目を撮れた方はよかったのですが、 その後は花火の煙が拡散せず、充満したとかで、 効果不好(効果不良)とジョークめいたメッセージ付きの写真も頂いています。

 それで、どうお礼をしようと考えたのですが、昨年は、初詣の光景を紹介しましたので、 今年は中山之家の正月飾りをあちらこちらに紹介しました。 中山之家は旧暦正月になると台湾式に大根を飾っていますが、実は通常の正月は正月飾りも飾っています。 日本の方にはミスマッチに思うところもあるようですが、日本にいるので正月ぐらいは日本的に過ごしていますよ!  ただ、実は、春聯の下に貼り付けているので、正しいのかどうか?  中日合作で、友好の気持ちを込めてやっています。

 正月飾りは地方性もあるようで、台湾の方々にはなかなか説明しにくいのです。 東アジアでは日本以外の国は皆旧正月を過ごしているので、正月期間中はカレンダー通りに過ごしているので、 意外とこの時期、観光で日本に来る人は少ないのでは?  と思い、あえて正月飾りを紹介したのですが。 ヤンピンの説明不足と言うか、能力不足なのか、反応はまちまちでした。

 今年の旧暦正月は、1月23日(月)です。22日が除夜です。 なので、今年は運よく、除夜当日が教室日に当たったのです。 午前の指導師コース終了後には、毎年恒例の圍爐(圍炉)をやります。

 29日は「小正月」茶会を アルテサーナ植草ギャラリー でも開催予定です。 暫くはまだまだ正月気分、喜氣洋洋(楽しい気分。喜氣洋洋は願いの気持ちも込められた四字熟語です)が続きます。


中山之家で飾った新年正月飾


 
 

随意談 第156号(2012年1月3日)   楊品瑜

 
~五清圖(五清図)~
 中山之家にすっかり定着した「五清圖」、いつだったか?誰が購入したのか?記憶が定かではないのですが、 台北故宮博物院で購入したお土産であることだけは事実です。

 ヤンピンは専攻が美術史だけあって、やはり美術館巡りは大好きです。 台北の故宮博物院は親の関係もありまして、就学前から数え切れないほどに通っていたように思います。 なので、お土産品だけは、年代ものから始まり、覚えきれないほどあります。 価値はともあれ、誰からもらったのか、誰が買ったのか、いつの間にか訳がわからなくなってしまったのでした。

 「五清圖」は清代の惲壽平作です。 五清は松、竹、梅に水、月を指しています。 松は、雪が降っていても枯れることがない。 竹は、節があり、芯が空洞であっても、率直であることから君子の節操と謙虚さに例えられます。 梅は風や寒さの中でも綺麗な花を咲かせ、水と月は透明性を持ち、潔白の象徴だそうです。 まぁ、なんとか解釈しましたが、つまり、「五清圖」は昔から君子の品格に例えた名画ではあったようです。

 今考えてみれば、在学中は語学力の問題もあって、美術史をどれほど理解していたのか?疑問ですね~。 茶芸の世界を追求しているうちに、色々な美に対する価値観も自分の中で変化し、 芽生えた部分も出てきたのは事実ですね!  では、機会があればまた美術談義をしたいと思います。 では、今年もよろしくお願いします。


中山之家にある「五清圖」


 
 

随意談 第155号(2011年12月28日)   楊品瑜

 
~享受人生 or 珍惜人生
(人生を楽しむ or 人生を大切にする)~

 いよいよ新年を迎える準備ができました。 と言いたいところですが、相変わらずなぜか忙しいですね!  日本で生活していると本当に一日が終わるのが早く、あっと言う間に一週間、一ヶ月、気が付いたら年末年始です。 冬は、日が暮れるのも早いしね!

 今回「享受人生or珍惜人生」と言う日本語に訳すとちょっとお堅いタイトルを選びましたが、 やらなくてはならないことが山積みで、享受人生 or 珍惜人生を考える暇もないのが本音です。 でも、考え方を変えて見てみると、これがヤンピン的な享受人生or珍惜人生なのかもしれません。 前に外部の教室で「理想の職業とは?」の話になりました。 人数はそう多くないのですが、あと数年で定年になるので、 本格的な中国茶芸でも習おうかなぁ~と言うお話に始まりました。 「気が付けば、周りはみんな定年後の人生に備え、色々勉強したり、 資格を取ったりしていた。俺もやはり何かやらないと。」と言うお話でした。 「定年」と言う言葉の重みを痛感しましたね!

 台湾では、色々改革改善はされていますが、日本ほど終身雇用制度が定着していないので、 機会があれば、起業をするのが風潮でした。 なので、「定年」の重みにカルチャーショックを感じます。  時々、ヤンピンと同年代の台湾の友人や親戚から「退修」(定年)する話を聞きます。 よくよく聞くと退職し、転職をするためだそうです。 うん、やはりちょっと違うよね!

 今年は、幸せとは何か?色々なことを考えさせられた一年でもありました。 毎日家族が元気で、何事もなく平穏無事に過ごせて、忙しい毎日を送るのがヤンピン的享受人生or珍惜人生なんだなぁ~、 と悟った一年なのかもしれませんね!  もちろん、受講者のみんなにも、享受人生or珍惜人生が味わえるような教室を今後も開催していきたいと思います。 では、祝大家新年快樂!


秋、紅葉を見に日本に遊びに来て
くれた親戚からのお土産です。
中身はもちろん、教室の皆さんと
美味しく頂きました。好吃!


 
 

随意談 第154号(2011年12月22日)   楊品瑜

 
~聖誕歌(クリスマスソング)~
 バリ島の甘美朗(蘭)(ガムラン音楽、Gamelan music)調で奏でるクリスマスソング集を入手しました。 久しぶりに行った、バリ雑貨のお店で見つけたのです。 お店の方はとても親切で、数枚あったCDを丁寧に一曲ずつ出だしを聞かせてくれました。 迷った結果、写真の一枚を自分のクリスマスプレゼント(久しぶりのクリスマスプレゼントですよ!)に購入しました。 思わず、次は胡弓で演奏したものを探してみようと思いましたね!

 聞いた感想としては、結構すんなり甘美朗調の木琴や鉄琴、太鼓の世界に入り込んでしまいました。 でもクリスマスソングだよね!  不思議な気持ちになりました。 のどかな気持ちになり、落ち着きますね。 ヤンピンは民族楽器が好きで、弾けないのにちょこちょこ買いをしています。 元々そんなに民族楽器にこだわりがあったわけでもないのですが、 茶芸教室を通じて、仲良くなった二胡奏者姜建華さんとコラボした幾つかの教室やコンサートに数回参加したことで、 民族楽器の良さに目覚めたと言っても良いのかもしれません。

 OL時代から聖誕節は、毎年お陰さまで、ずっと働いて来ました。 今年の聖誕節も、諸教室を沢山予定しています。 また、今年は実に幸運で、聖誕節、旧暦の除夜も指導師コースの開催日に当たります。 もちろん、旧暦の除夜は、教室の皆さんと「圍爐」を行うことが決まりました。 でも、一足先に、今年の聖誕節を一味違う聖誕節にしたいですね!

 祝大家聖誕快楽! メリークリスマス!



CHRISTMAS DAY in BALI (CD)

先ほど台湾から届いたメールでの
聖誕卡(クリスマスカード)


 
 

随意談 第153号(2011年12月16日)   楊品瑜

 
~肉骨茶(バクテー)~
 肉骨茶は馬來西亞(マレーシア)や新加坡(シンガポール)で人気の薬膳スープです。 東南アジアは広東系や福建系の華僑が多いので、肉骨茶と書き、福建語のバクテーで呼んでいるようです。 ごめんなさい。 ヤンピンは広東語がまったくわからないのですが、取材したところ、福建語に由来したと言う説が一般的のようです。

 馬來西亞がイギリスの植民地だった時代に、福建省出身の華僑が、故郷の薬膳スープを参考に売り出したところ、 スタミナ食として広まったのが由来とされています。 ただ、新加坡でも似たような説があるので、どちらの国が発祥かの論争は今らにありますが、 どちらも福建出身の方々がスタミナ食として持ち込んだとは言っているので、 由来は福建料理であったことには間違いないようです。 ただ、馬來西亞では、イスラム教の教えから豚肉は食べないので、 華僑中心に食べられていて、新加坡のほうがより食べられていたようなお話もありました。 最近は屋台などでは、馬來西亞味(マレー風)、新加坡(シンガポール風) と色々なバリエーションで楽しめるようにもなったそうです。

 肉骨茶は排骨(豚のスペアリブ)と漢方薬で煎じたスープです。 茶葉は一切使われていません。 ただ、中国茶と一緒に食べることはよくあったようです。 スープが油っぽいので、お茶と合わせて食べられるようになったことで、肉骨(肉と骨)と一緒に、 ということから商品名が「肉骨茶」となった説があります。 また、商品名がはっきり定まらない頃、福建語で「肉骨地」、肉と骨のやつ、のような意味合いで呼んでいたのですが、 地と茶が福建語では同じ発音、スープも茶色なので、自然に「肉骨茶」で定着した説もあります。

 一方で肉骨茶は油っぽいわりには、朝からスタミナがつくようにと、朝食で食べられたりもするらしいのですが。 家庭薬膳料理教室でも、中華料理がよく排骨を出汁に使うことで、 油っぽさを取り除くアイディアをよく出し合っていました。 栄養的にはどうなのかの話はありますが、ヤンピンはよく一旦作ったスープを冷ませます。 冷めることで、上に油の膜ができます。 そして、その膜を取り除いて、温めなおしてから食べています。 かつて、大学で生物学を受講した時に、教授から温めた牛乳の膜は取って飲むように言われてから、 なんとなく冷めたスープの膜も取るようになったのも一因です。


台湾で購入した、馬來西亞から輸入
した薬包(中華風ブーケガルニ)


 
 

随意談 第152号(2011年12月10日)   楊品瑜

 
~啦啦隊(応援団)~
 楊品瑜主宰中国茶芸教室には、幾つかの啦啦隊がついています。 家族、友人はもちろん、中山商店街の皆様、台湾や中国に所縁の方々、 満州や台湾生まれの方々、または在住されていた方々、ヤンピンの父、母の知人、友人たち、 世界各地の親戚などなど本当に☆本当に☆皆さんありがとうございます。

 ヤンピンは今年で茶芸老師(先生)になって、25年目を迎えました。 四半世紀ですね!  今年は震災もあったので、お祝いどころか教室を数回休んでしまいました。 7月以降にやっと少しずつ通常になって来たように思いますが、まぁ、30年目に向けてまた頑張りましょうね!

 啦啦隊の皆さんや教室関係者からは、「震災関連の台湾からの多額の義捐金のことで、 どこにお礼を言ってよいのかわからないので、台湾の方々にお礼を伝えて下さい。」 と言う電話、伝言を幾つか頂きました。 本当に、なんと言ってよいのかよくわかりませんが、承知しました。 そして、代わりに「不謝、不謝」(いいえ、いいえ)と言いたいところですが、 「這是應當做的」(やるべきことなので)、逆に感謝頂ける気持ちに「皆、ありがとうね!」の気持ちでいっぱいでした。

 美味しい中国茶を飲んで頂きたいと言う一心から始まった茶芸教室、 茶芸教室は「生活芸術(生活の美学)を求める教室だよ!」と教わり、文化交流の輪と広がり、 啦啦隊の皆さんは協力だけではなく、好いことも嫌なことも含めて、 色んなことをヤンピンに教え、見守り続けてくれました。 意見の対立も時にはありましたが、結局は、ヤンピンが心配だからと言うのです。 確かに、茶芸教室はそうある習い事教室ではないので、啦啦隊の皆さんはきっと、気持ちひやひやなのですね~。

 いつもは夏を過ぎれば、翌年6月頃まで、交流会やイベント、 講演会とヤンピンも茶芸教室も、とても忙しくなります。 今年はさすがに、留学生が全員帰国したとか、先行きが読めず、国際交流会の企画ができなかった、 自粛などなどで寂しい状態です。 なので、暫くはお茶を飲んで、癒す企画を色々考案して行こうと思っています。 歡迎大家來喝茶!(どうぞ、皆さんお茶を飲みに来て下さいね!)




今年の中山之家の聖誕節(クリスマス)は、
このような雰囲気で皆様をお迎えします。


 
 

随意談 第151号(2011年12月6日)   楊品瑜

 
~來了!(来た!)~
 台湾から「鬼太郎之妻」が届きました。 そうです。本の帯にも紹介されたように、流行語大賞にも選ばれたあの「ゲゲゲの女房」の中国語版(繁体字版)が届きました。 中国語版は、いつかは出版されるとは思っていましたが、 かねがね‘ゲゲゲ’はどう訳されるのかが楽しみでした。 訳した方も、上手に訳しましたね!

 ゲゲゲの鬼太郎のゲゲゲは、元々、水木しげるの子供の時のあだ名「ゲゲ」だったそうです。 鬼太郎のテレビ放映に伴い、ゲをもうひとつ追加し、「ゲゲゲ」としたエピソードもしっかりと翻訳されていました。 本のなかでは日本語、ローマ字も加えて紹介し、最終的には「咯咯咯」の三文字を充てていましたね!

 本の翻訳は、ヤンピンも数回手がけたことがありましたが、どこまで訳すか確かに難しかったです。 文書の流れもありますからね!  かつて監修した自分の本でも、ラプサン・スーチョンを“拉布薩斯種”に訳されていました。 間違いではないのですが、「正山小種でいいのよ!」と説明したところ、吃驚されました。 お茶をよく知らない人には、まったく思いも着かなかった名前だったようです。 茶的故事桐木紅茶からの引用ですが、

“ラプサン・スーチョン(正山小種)の英名は「LAPSANG SOUCHONG 」(ラプサンスーチョン)と呼ばれています。 LAPSANGの由来は諸説ありますが、明末清初の時代に福建省の行政中心都市であった福州市の輸出業者が、 燻製に使った松の木の名前をブランド名として付けたと言われています。 ”

つまり紅茶ブランドとなった名前と中華圏での名前が違うのです。 まぁ、このような話は中華圏内でもよくある話で、 例えばトマト、北では西紅柿、南では蕃茄(番茄とも書きます)と呼ばれています。 ヤンピン的にはトマトは茄子科なので、蕃茄が当たり前と言いたいところですが、やはり中国の友人と話す時は、 出身地を考慮して使い分けています。 まぁ、伝わって来た時の由縁で、呼び方が違ってしまっただけなので、子供にはテストに出るかもしれないので、 「中国の北ではトマトを西紅柿と呼ぶこともあるけれど、茄子科だからね!」と説明してあります。

 翻訳は単に直訳または意訳、訳した人の語学力や知識力で変わってしまうところがありますので、 ある意味では面白いです。 前に、翻訳でトラブルが起きてしまい、原因を突き詰めるために、第三者のヤンピンに翻訳を託したこともありました。 「翻訳はそう言うこともあるんだね! ちょっと荷が重いなぁ~」と思いつつも、経験できたことはよかったと思います。

 中国茶芸について、まだまだ日本語での資料が少ないです。 茶がある「芸術生活」をまだまだ伝えきれていないのですが、 極力中国語から訳した内容のものを皆さんに伝えたいと思います。 その成果なのか、今では指導師コースの在籍者の半数以上が中国語学習経験者ともなっていますので、 皆さんの学習意欲、能力には敬意を表しますね!

 「ゲゲゲの女房」を読んだり、ドラマを見たり(途中からですが)していた当初は、 時代の流れや日本の漫画史がとても勉強になりました。 「鬼太郎之妻」を改めて読むと、どこまで台湾の人に理解してもらえるのかなぁ~と思うところもありますが、 旦那さんを信じ、ひたすら尽くす妻の姿勢は、きっと参考になるのではないのでしょうか?  おっと!失礼しました。 実は自分に言い聞かしていたりしてね!






 
 

随意談 第150号(2011年12月2日)   楊品瑜

 
~決定要請大家吃了!(皆さんにご馳走しますよ!)~
 10月中旬に、仕事で新宿へ行って来ました。 帰り、馴染みの百貨店に寄って、家族に手土産を買おうとあれこれ悩んでいたところ、 双子のようなリスの絵柄のパッケージに目を惹かれました。 でも、自分の手持ち荷物を見て、やはりもう少し効率のよいものを買おうと躊躇し、 近いうちにまた来るので、一旦あきらめて帰りました。

 そして先日、また行って来ました。 10分近く探したのですが、見つからず、この時も大荷物でしたが、 とうとうギブアップし、店員さんに助けを求めました。 ところが、ヤンピンは商品名を覚えていませんでした。 「リスの絵柄の箱のクッキー、リスの絵柄の箱のクッキー」と聞きまわりました。 で、結局偉い方から「あっ~イベントコーナーで売っていた西光亭のクッキーですね!」、 あっ、そう言えばイベントだとも言っていたかも・・・ちょっと落胆。 そしたら、「取引のある会社なので、今はこちらのコーナーにあります。どうぞ!こちらに!」、 と思わず、陽の目が見えたような気持ちになりました。

 結局種類に悩み、家族と教室受講者へのお土産も考えて、販売されていた12個入りの全種類を買いました。 本来教室では、なるべく中華圏本場の味を食べて頂くことをモットにしていましたが、 食材の入手が難しいと言う難点もあるようで、「なかなか先生のように作れませんので・・・」と言う言葉がよぎり、 少々方針転換(?)、お茶に合う何か話題や珍しい、日本の美味しいスイーツも時々教室で食べてもらうようにしました。 そう言えば、ヤンピンはかつてお茶に合うスイーツか何かの商品開発をしていましたね!

 という訳で、教室で食べて頂くことになりました。帰宅後、西光亭のクッキーについて、 あちらこちらと調べていたら、すでに有名なスイーツとなっていたので、 珍しいかどうかは微妙ですが、このホームページは、時々中華圏の方々が見て下さっているようなので、 気持ち的にも羊羹(なぜか、ヤンピンの周りでは、某老舗の一口、二口か三口サイズ羊羹が台湾土産に大人気) 以外の日本の洋菓子も紹介したかったので、随意談でも紹介することにしました。 数回教室で食べて頂いたなかで、知らなかった方も多くいまして、外箱がほしいと言うご要望もありました。 どこに買いに行くのかがもっとも盛り上がった茶話となり、交通手段まで調べたと言う予想外の展開もありました。


一口で食べるのがもったい
ない程、ほどよい甘さで、
さくっと美味しく頂きましたよ!


 
 

随意談 第149号(2011年11月28日)   楊品瑜

 
~到台場玩!(お台場で遊んで来ました)~
 先日も、中華圏の読者からメールを頂きました。 同時に、時代も実に進歩したなぁ~と思ったのは、 「正確さには少々問題があるけれど、自動翻訳で読んでいます。」と言うメールも頂いたことがありました。 真是謝謝大家!(皆さんありがとうございます)

 そして、前にもお話した、外国人観光客が必ず訪れる観光地、お台場にやっと行って来ました。 と言ってもお台場は近いので、時間があれば、ヤンピンはよく出没していましたが、 今回は、お台場のここ、あそこ、色々聞かれた場所で、 ヤンピンが気が付かなかった幾つかの穴場スポット巡りをして来たというのが、正直なところです。

 ヤンピンは、子供の頃からとても船が好きなので、 ついでに子供たちと元南極観測船「宗谷」にも乗船してきましたよ!  と言うのも船の博物館の波止場(海辺?)に止まったままの「宗谷」を見学して来ました。 感想としては、海の上に停泊しているので、ヤンピンは船に踏み入れた途端に、 軽い揺れを感じたので、すっかり乗船気分でしたね!

 思えば、子供の頃から同居していた叔叔が海洋関連の学校出身者で、卒業後数年間船員をやっていました。 南極はさすがに行かなかったが、当時は気軽に外国に行けない時代だったので、 色々な国のお土産話やお土産にはいつも感動していました。 叔叔はその後経験を生かして、貿易会社の社長(中小企業ですが)になったのですが、 相変わらず世界のあちらこちらからお土産を持って帰って来ていますよ!

 そう言えば、アメリカから豪華なソファーセットを持ち帰りたかったそうですが、 置く場所や送料などを考えて諦めた話もありました。 代わりに、一対の巨大檯燈(電気スタンド)だけを持ち買ったと嬉しそうに話していました。 その一対の檯燈は、テーブルの上に置くとテーブルからはみ出しそうな、実に巨大なものでもありました。 確かに、家は随分と豪邸に見えましたよ!

 そうそう、要運転免許ですが、アメリカの留学生たちに教えてもらった車の運転ができる場所も見てきました。 子連れだったので、こちらのコーナーは、見学のみとさせて頂きましたが、 右ハンドル、左側通行の体験ができるから人気なのかなぁ~。 と、ちょっと思いました。 因みに子供は、アトラクション感覚であちらこちらで遊び、ハイブリッドカートの組み立て予約もしていたので、 都在趕場、好忙喔(次々と予定が入り、ヤンピンが忙しかったですね)!


「宗谷」の操舵室
人がいっぱいで、やっと撮れた一枚です。


 
 

随意談 第148号(2011年11月24日)   楊品瑜

 
~好長喔!(長いですね!)~
 知人の知人から好長、好長的 菜瓜 を頂きました。 知人の知人と言うのは、日本に住む華僑仲間です。

 長く日本に住んでいてもやはり、故郷の味と言うか、なかなか食べられない中国野菜を食べたいものです。 なので、農地を借り(もしかして自前?)、ビニールハウスで色々自分用の中国野菜を栽培しているのだそうです。

 またこの夏、暑かったので、随分と豊作だったようです。 11月にはいても、まだまだ収穫しているのだそうです。 菜瓜は日本では、沖縄で「なーべーらー」と呼ばれ、沖縄ではよく食べられている野菜ですが、 この辺りの超級市場(スーパー)や百貨店でもたまに見かけますが、やはり一般的な食材ではないですね!

 今回頂いた菜瓜は、丁度、特別講座「ハーブティーを飲む会」の開催に間に合ったので、 中華粥を作って、教室で食べてもらいました。 今回のレシピは媽媽のアドバイスも受けて、皮を深く剥きました。 そして、なるべく薄く輪切りし、干し蝦とで作って見ました。 お粥に使ったご飯は 「栄養と料理」 2005年1月号(女子栄養大学出版部)でもご紹介した、 刻みご飯方式です。 「歯がなくても食べられるわね!」とのご感想も頂きました。 糸瓜の甘みとつるっと飲み込める食感は、概ね好評でした。

 お土産に皆さんにもお裾分けしましたが、何せ長いのでまだまだあります。 その後、家でもレシピを変えて、豚肉(細切れ)を細かく刻んだパターンも作り、 付け合せに鹽蛋(一般に日本では、塩玉子と呼ばれアヒルの玉子です)にしてみました。 家族にも、炒め物と違い、こちらのほうでもなかり好評でした。 次は牡蠣入りを予定しています。

 思えば、ヤンピンは菜瓜に対して、食わず嫌いだったのかもしれませんね!  永年みんなが、對健康好(健康に好し)、好吃(美味しい)!と、伝えられて来た食材だったのに、 もっともっとレシピを研究すべきでしたね!本当に、勉強になりました。


頂いた菜瓜、約60cmです。


教室で作った「菜瓜蝦米粥」
(ヘチマと干し蝦の中華粥)


 
 

随意談 第147号(2011年11月16日)   楊品瑜

 
~茶話會(茶話会 sawakai)~
 関根指導師から葉書と栞を頂きました。 ちょっと寂しいのですが、9月から中国黒龍江省にある哈爾濱(ハルビン)工業大学に日本語教師として再赴任するので、 また暫く教室を離れました。

 まぁ、指導師の教室では、子育てや介護、ご主人の転勤などなどで暫く離れ、 落ち着いた頃にまだ戻ってくる方もいますので、暫くのお休みと思えば寂しくないのかなぁ。。。

 関根指導師には中国語教室の入門、初級コースの講師も勤めて頂きました。 前に書いて頂いた 哈爾濱(ハルビン)便り はとても好評でしたが、 今回は違う形で、勉強頂いた中国語の受講者へのフォローも兼ねて、 中国語コーナーや中国情報(哈爾濱情報となりそうですが・・・とおっしゃられていましたが)を 茶・茶語録で「稚恵姐的茶話会」コーナーとして展開することにしました。 また、会員向けの会刊(会報)にも色々と掲載しますので、今後ともよろしくお願いします、 との伝言も頂きました。

 中国語初級コースは受講者の希望時間帯が一時期上級コースと重なっていたのですが、 8月からは通常の上級コースに戻しました。 入門、初級コースの新規受講者には、大変申し訳ないのですが、暫くお休みします。 代わりに前から要望があった繁体字講座を新たに加わり、 中国語を少し学んだだけの方々にも分かりやすい内容だそうで、一安心のところです。

 祝、稚恵姐一帆風順(順風満帆にことが進むように願いをこめて、旅立ちなどによく使われることわざです)!



関根指導師に頂いた葉書と栞


 
 

随意談 第146号(2011年11月10日)   楊品瑜

 
~買一送一(ひとつ買って・ひとつプレゼント)~
 台湾のセールなどでよく使われるキャッチフレーズ、「買一送一」、 ヤンピンは思わず先日の市川市中山街回遊展でgetしました。

 きっかけは、植草さんからの一通、中山商店街マップの手拭いプレゼントを知らせるメールです。 初日早速、「アルテサーナ植草ギャラリー」の植草さんが経営する雑貨店「民芸アルテサーナ」で、 法華経寺柄の手拭いを購入し、しっかり枚数限定のプレゼント用の手拭いも頂きました。 なんとなく日本慣れしちゃったヤンピン、なんとなくいいのかなぁ~と思いつつ、 結局追加で亀の親子ストラップなど、ごちゃごちゃとしたものをまた買い込んでしまいました。

 亀の親子ストラップの存在は、 アルテサーナ主催(多角経営のため、以下略称しアルテサーナで表記させて頂きます) の中国茶の会に参加された受講者からの情報です。 アルテサーナでは、定番商品となりましたね!  アルテサーナ主催の中国茶の会は、あれこれ14、15年間続けてきました。 正直、受講者が集まり過ぎたり、1名様の時、集まらない時(数回ですけれどね。地震もあったし・・・)もありました。 でも、植草さんはヤンピンの考え方を尊重し、一人一人の受講者を大切にしたいと言うことから、 とにかく開催し続けています。 亀の親子ストラップを教えてくれた受講者は,そんな寂しい状態に受講に来てくださった方です。 そうです。亀の親子ストラップは、受講後のいつもの植草さんからのプレゼントだったからです。

 多くの方々が、アルテサーナでの中国茶の会を受講後、 本格的に勉強したいと言うことからヤンピンの教室に来てくださっていることもあって、 開催日もほぼ第四日曜日に固定してしまい、何かと植草さんのご好意に甘えてしまっています。 植草さんいわく、女性で外国人、一生懸命子育てもし、仕事もしている、応援します。 だそうです。本当にいい人です。 好立地の中山之家も、実は植草さんの紹介、そう言えば、中山之家の大家さんも、同じことを言ってくれていました。 中山の街て、本当にいい人ばかりですね!  頑張らなくっちゃ、感謝!感謝!




ヤンピンが購入した亀の親子ストラップ
中の小亀は動きますよ!


 
 

随意談 第145号(2011年11月4日)   楊品瑜

 
~西洋藥草「HERB」(ハーブ)~
 ヤンピンが中国茶の講師を務めて、4、5年経った頃、講師としての能力や教室のマンネリ化の壁にぶつかり、 中国漢方に通じることも多く、さまざまな出会いから西洋薬草「HERB」を勉強することになりました。 と言うのもですね!  漢方、薬膳の方向性は勿論考えました。 しかし、現在の台湾は学校数が増え、状況が少々変わりましたが、 台湾では漢方を本格的に勉強するには、国が認定した大学の中醫系(中国医学科)、 つまり中国医学がある医学部に入学し、確か6年間勉強しなくてはならないのです。 もちろん、日本の医学部同様、卒業後は国家試験もあり、 合格すれば正式に中醫(中国医学の医者、略して”中医”)となります。

 かつては、 伝統的に親が子に伝授する漢方薬店が主流であったりと日本の薬事法や医師法ほど厳しくない一面もありましたが、 やはり講師と名乗って活動するには、きちんと勉強しなくてはならないハードルにぶつかりました。 まして、台湾の中醫系は醫學系(通常の医学科)に続くほどの狭き門です。 すでに働いていたヤンピンは、結局手軽に自分の知識を深められる範囲内で、 「HERB」から勉強することにしました。

 漢方はのちに、結婚や出産をきっかけに家族の健康を考えて、 親や親族、友人(幸い周りに医者が多いので)のアドバイスを受け、 資料を集め、取材も沢山し、薬膳の範囲内で勉強もすることとなったのでした。 効果のほどはよくわかりませんが、 幼少時に何の病気にかかったのかよくわかりませんでしたが、 外祖母に、布に包まれたねぎなどのわけのわからない薬草の刻みを頭に巻かれていたヤンピン (念のため、中醫の指示だそうです)、 子供ながらこんな格好で治るのか?と半信半疑ではありましたが、 やはり親となって薬膳料理の分野だけは欠かせなかったですね!

 HERBは中国漢方に通じることも多く、薬草も手軽に栽培し身近で利用しやすいので、 中国茶と共に生活を潤ってくれます。 中国茶も茶外茶と言う分野があるので、 東洋的HERBから勉強をされるとわかりやすいのかもしれませんね!  例えばバジル(Basil)、イタリア料理のイメージがあるかと思いますが、熱帯アジア原産のハーブです。 台湾では「九層塔」と呼ばれています。 語源は客家語です。 「塔」のように葉が生えているからだそうです。 「九」は多く、長くなどの意味合いから使われています。 客家語でも他に「七錢插」、広東省の一部では「金不換」、安徽省の北部では、「香花子」、 中国北部では「蘭香」、ほかにも調べた限り千層塔、荔枝草、羅勒香、菜薰草、零陵菜、西王母菜、 光明子などなどがありました。 もちろん、調べればまだまだありそうですが、とりあえず、中国語では「羅勒」がもっとも有力な呼び方のようです。 呼び方が色々あるてことは、それだけ身近な野菜であるということですね!

 ヤンピンはHERBの講師としては務まりませんが、相談を受けた受講者には、 知識として勉強されることをお薦めしています。 祝大家更加幸福!(直訳:皆様の更なるお幸せをお祈りしています。てところかなぁ~)。


ヤンピンが参考にした一冊です。


 
 

随意談 第144号(2011年10月29日)   楊品瑜

 
~蜜粉(ブリリアントパウダー)~
 ブリリアントパウダー(brilliant powder)の中国語について色々調べていたら、 やはり、色々な中国語に訳されていました。 少々悩みましたが、もっともらしい”蜜粉”を今回は使わさせて頂きます。

 そして今回ご紹介するのは、天然緑茶エキス入り、ラメ入りのヤンピンのお気に入り蜜粉です。 かつて、教室の皆さんにもご紹介したことがありました。 とても好評でしたよ!  ただ、今もまだ販売されているのかどうかはよくわかりませんが、ヤンピンはある程度買い溜めしていたので、 今も使っているのです。

 もう夏も終わり、今さらと思うところでもありますが、今年の夏では大変お世話になりました。 正確には、秋まで使いました。 ほのかな緑茶の香り、さりげなくきらりと光る(ラメ入りなので)夏のお肌、 お肌もさっぱりサラサラ、悪くないですよ!

 今ではあちらこちらと当たり前のように、お茶のエキスが食品以外にも使われていますが、 やはり児茶素=catechin(カテキン)の存在が色々認められたからでしょうね!  確か、前に茶工場を訪れた時に、責任者から、今ではお茶は芳香剤、シーツなどにも使われるので、 まったく捨てるところがない、環境にエコな素材ですよ!と言われた話を思い出します。

 思えば昔商品開発で訪れた工場でも、担当者に言われたのは、 これからの食品開発、特に工場に持ち込む食材は、ごみが出ないものをお願いします。 という話。 これからの商品開発は、美や健康と共に環境への影響も考えなくてはならない時代だなぁ~とつくづく思いましたね!


ヤンピンのお気に入り蜜粉(右)と
最近見つけたあぶらとり紙(左)。
もちろん、どちらも緑茶入りです。


 
 

随意談 第143号(2011年10月24日)   楊品瑜

 
~聊齊誌異(聊斉志異)~
 本を整理していたら、昔、子供に読ませた日本語版の「聊齊誌異」(りょうさいしい)が出てきました。 再来日 時に、文言文(漢文)で読もうと思って購入した数冊の中国古典小説の中で、 内容が一番ちんぷんかんぷんだった「聊齊誌異」の日本語版「聊斉志異」、それも少年少女版です。

 親としては、やはりなんとか子供たちに中国関連の名作を読ませたいものです。 しかし、なかなか日本で購入するのは難しいですね!  ある時、目を疑いましたが、本屋の中学生以上が読む書籍コーナーで「聊斉志異」を見つけました。 読みやすい~。 少々悩みましたが、購入しました。 そして、子供には電車の中で、時間つぶしに読ませました。 気持ち悪いと文句を言われながらも読み終え、達成感のあった一冊でもあります。 きちんと読み終えた子供にも正直吃驚でしたが、 今では、子供も色々と調べて、読み終えたことを自慢しています。

 「聊齊誌異」は清朝、作者蒲松齢が当時言い伝えられていた鬼故事(怪談)を書き集めた短編集です。 日本には江戸時代末期に伝わり、翻訳され、日本の近代作家たちにも影響を与えた名作とされています。 また、1987年公開の香港映画「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」、 中国語タイトル「倩女幽魂」、英語タイトル「The Enchanting Shadow」は「聊齊誌異」の ”聶小倩”篇(日本語タイトル”生き返った美女”)を題材にしたとしてもよく知られています。 「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」は、主演が日本でも人気だった張國榮(レスリー・チャン)、 程小東監督が映画としては、世界初のワイヤーアクションを取り入れたとして話題も重なり、 映画はシリーズ化され、テレビ版も作られ、大変人気なシリーズとなりました。

 ヤンピンは確か~「聊齊誌異」を知ったのは、高校の国語の授業でだったと思います。 勇気を出して読んで見て下さい、とまではお薦めしませんが、 名作ですので、中国茶と共に、秋の夜長に一度は読んで見てはどうでしょうか?


子供が読んだ「聊斉志異」(左)と
30数年経った文言文の「聊齊誌異」(右)



 
 

随意談 第142号(2011年10月18日)   楊品瑜

 
~葉形海龍 or 葉海龍(リーフィーシードラゴン)~
 葉形海龍 or 葉海龍 (leafy sea dragon) を見て来ました。 と言っても前に 随意談 第127号 でもご紹介した、 葛西臨海公園内にある水族館へまた行って来ました。 前回のエイとサメのタッチ体験がよほど思い出になったのか、子供の再度体験したいと言うリクエストを受けて、 家族揃って行ってきました。

 入場券を購入し、ヤンピンは何気なく手にした入場券、子供には記念になると思い、 よく見ずあげたところ、、子供から「這是什麼(何これ)?」と聞かれ、 よくよく見ると葉形海龍 or 葉海龍ではないですか・・・  ヤンピンは、思わずちょっとラッキー感に浸っていました。 実物が見れるといいなぁ~と祈りつつ、その後本当に無事に見ることができました。 すっかり、ひらひらと泳ぐ、神秘的な葉形海龍 or 葉海龍の虜となり、実に、幸運に思えました。

 ところで、なんでラッキーに思えたのかと言うとですね、単にヤンピンが龍年生まれだからです。 子供の頃から干支の龍は実在しない空想の龍と知りつつも、現実にいるわけではないのに、 まぁ、「龍」と名が付くものにはなんでも興味を持ってしまったという訳の分からない理由からです。

 中華圏は龍の縁起を担いで、龍年に子供を産むことをとても期待します。 子供の頃からよく「龍子」と呼ばれ(実際は龍女ですが)、期待をされていましたが、 実は龍年生まれは結構大変でした。 なぜなら、龍年に突然人口が増えるわけで、ヤンピンの時は確か受験生が通年の倍ぐらいに増え、 競争も激しかったですよ・・・

 そうそう、調べたところ、葉形海龍or葉海龍は元々オーストラリア南部・南西部沿岸に住み、 海草のようにも見えますが、漢方薬海馬(タツノオトシゴ)に似ているような気もします。 でも実は、同じヨウジウオ科ではあるようですが、海馬はタツノオトシゴ亜科で、 葉形海龍 or 葉海龍はヨウジウオ亜科に分類される違いはあるそうです。 中国語でも分かるように、似ていそうで似ていないのです。 分かりやすく言うと、馬と龍の違いがあったてことですかね!  真是神秘兮兮(やはり、神秘的でしたね)~。

 今回は、水族館の帰りに観覧車も乗ってきました。 天気もよく、景色もよく、帰り東京湾の夕日も眺められました。 実に、気分爽快な一日でした。


帰宅後、早速お土産に購入した
絵葉書を額に入れて見ました。


当日の入場券です。


 
 

随意談 第141号(2011年10月12日)   楊品瑜

 
~近況(近況)~
 なかなかご紹介する機会がなく、やっと順番が回って来ました。 実は今年の東日本大震災で、バタバタしていた頃、お見舞いも兼ねて、 指導師 から福建省武夷山土産を頂いていました。 ごめんなさい。 今頃、やっと教室の皆さんと飲み終わったところです。

 と言うのもですね!やはり、地震の影響で、教室が本格的に再開したのは6月、7月頃でした。 講座の企画自粛や計画停電、ボランティアに出掛けた方々、 留学生・在住外国人までが全員帰国したとかで(PS.ヤンピンも外国人ですが・・・)  まぁ、いろいろと大変でした。 本来こんな時だからこそ、皆さんに中国茶を飲んで頂いて、 ひと休み、ひと休みと言いたいところですが、数時間かけて教室に来る方もいらっしゃるので、 「無理なく参加頂ければ幸いです。」というのがヤンピンのせめての気持ちでしたね!

 そう言えば、開催が延期となっていた 、「第14回街回遊展 歴史と文化のまち」 中山会場のひとつになている「ギャラリー植草」も無事に「市川写真百選 見つけた!私の市川」 第6回入選作品展 (市川写真家協会)を開催することとなりました。 思えば、前に開催地となったことで、 中山界隈では休憩ができるところが少ないと言うことを心配したギャラリーオーナー、 民芸店の店主でもある植草さんのご好意で、中国茶のサービスを行った時。 担当したのは、今回お茶を頂いた指導師でしたね!  予想に反して、数百名の来場者となり、大変盛況だった記憶があります。

 今回は開催日と指導師たちの都合が合わず、中国茶のサービスを行う予定はありませんが、 ヤンピンは展覧会を見に行く予定です。 有機会、大家見啦(会場でお会いしましょうね)!


お土産に頂いた武夷茶


 
 

随意談 第140号(2011年10月7日)   楊品瑜

 
~豬籠草(ウツボカズラ)~
 ヤンピンが今住んでいる地域は、かつてほとんどが田んぼだったそうです。 住み始めた頃は、整備が間に合わず、わざとではなかったと思いますが、 農業用水の用水路が多く放置されていました。 そのためなのか、冬でも蚊がいるほど苦労した時代がありました。

 なのでヤンピン流に、蚊対策として虫除けハーブを育てたり、 食虫植物を数種類育てたりと色々工夫もしてきました。 捕蠅草 (ハエトリグサ)も数回育てたことがありましたが、、、  結局今まで育ててきた食虫植物の中では、一番長生きをしているのが豬籠草です。 アジア、特に熱帯気候の地域に多く分布されているからかなぁ~と勝手に思っています。

 豬籠草を育てるのに、温度、湿度がとても大切です。 肥料も色々格闘しましたが、冬を越すのが最大の難関だったように思います。 実は、今の豬籠草は二代目です。 一度枯らしてしまうと、なかなかまた育てようかなぁ~と躊躇することもありますが、 結局再チャレンジし、今日に至っています。

 最近では、近隣の農業用水道のほとんどが使われていないので、 埋め立てられたようで、歩道になったりしています。 蚊も昔と比べ、随分と減りました。 効果のほどはよくわかりませんが、我が家の豬籠草は相変わらずなんとか元気でいますので、 今後も引き続き我が家の蚊の番人として、頑張っていてもらいたいですね!

 そうそう、豬籠草の名の由来はですね、 豬籠とう言う下半身がちょっと膨らんだ形の藤かごに似ているからだそうです。 地方によって、別称もあるようですが、学術的にも中国語では、豬籠属、豬籠科に分類されています。


豬籠草


 
 

随意談 第139号(2011年10月1日)   楊品瑜

 
~猜猜看!(当ててみてね)~
 中国語繁体字(正體字)コース のテキストを取り寄せたら、 小さな風呂敷に包まれたをプレゼントを頂きました。 正確には箱を開けたら、小さな風呂敷包みがはいていました。 センスの良さに感動いたしました。

 そして、この年になって、今更37音の注音符號(発音記号) 「ㄅㄆㄇㄈㄉㄊㄋㄌㄍㄎㄏㄐㄑㄒㄓㄔㄕㄖㄗㄘㄙㄚ
ㄛㄜㄝㄞㄟㄠㄡㄢㄣㄤㄥㄦㄧㄨㄩ.」 を教えるとは・・・

 注音符號とは、似た発音の漢字を分析し、共通する一部分から作られた発音記号です。 一文字の漢字に一個から数個の注音符號がふりがなとなり、 さらに四聲(しせい)を加えて、発音記号として使われます。 また、注音符號からも漢字を想像しやすいので、台湾では幼稚園から覚えるお子様もいらっしゃいますね!  ヤンピンは小学校一年生時に台北で習い、その後はひたすら漢字を覚えて来ました。 日本で中国語を教える機会があった時には、英語表記の拼音を覚えなおして講座をやっていましたので、 実に久しぶりというか、自分の子供に教えて以来です。

 十数年前から中国茶の教室内からも台湾式と皆さんが呼んでいる注音符號を教えてほしい要望や、 繁体字を教えてほしいとの要望が徐々に増えていました。 日本で学ぶところがなかなか無いからだそうです。 その後、事がさらに進み、数年前からは中国関連のビジネスからドラマのテロップの文字、 書籍を読むにも、繁体字がわからないので困っているとのご相談が増え、 紹介のまた紹介で翻訳依頼も増えましたね!  会社によっては重要書類なので、 できれば簡体も繁体もヤンさんところ一箇所で訳してほしいという要望もよくあります。

 時には、子供の学校からも、 「中国出身の父兄がなぜ漢字が読めないの?」とご相談を受けることも数回ありました。 もちろん、丁重に中国の漢字と日本の漢字は違うからと説明しましたが。

 またある時、外部教室の受講者からは「注音符號を覚えたら、中国語で鍵盤を押す回数が減り、 手が楽になりました。」とのお話もありました。 キーボードの配列もわかりやすいのだとか・・・  詳しく調べたことはないのですが、 注音符號は一文字の漢字の発音のキーが1回から3回ほどで敲くのがほとんどなので、 気持ちがわかるような気もします。 携帯のキーも注音符號のほうが幾分押しやすいように思いましたが、 それでも台湾の友人からは、「携帯のキーは押すのが大変なので、結局電話したほうが早いよ!」と、 いつも言われています。

 結局教室をやる決意をしたのは、 美國(アメリカ)の親戚との話から「美國の大学では、中国語は両方やりますよ!」と言われました。 その両方とは発音記号までやっているのかは確認しませんでしたが。 教室でも要望があったので、やってみようとスタートしたところ、 注音符號で覚えたほうが音比較準(発音が比較正しい)と急遽、 37聲の注音符號をやることとなりました。 英語は元々日本人にとっては外国語、ローマ字発音にもなりやすい、 アルファベットを見て正しい中国語発音が掴めにくいというご意見もありましたね。 また、よく言われている「ㄜ」音の英語表記は「e」、「ㄝ」音は「ê」。 音を組み合わせた時に「ê」は「e」とも書くので、初心者にはどちらの音を発せばよいのか、 ちょっとわかりつらいようです。 中国語学習について、ヤンピンが偉そうに色々と言える立場ではないのですが、 対応できる限り、お手伝いはしようと思います。

 茶芸教室を長く通うと、やはり中華圏の茶芸館で、 自分の中国語で點茶(お茶を注文)ができるようになり、お茶屋さんを訪れた時には、 自家にお店の方々とコミュニケーションを取りたい気持ちが皆さんあるようですね!  ともあれ、繁体字、注音符號が少しでも中国語を覚えるのにお役に立てば幸いです。


猜猜看裏面包什麼?
(当ててみてください。何が
入っているのでしょうか?)
找答案(答えを探す)


 
 

随意談 第138号(2011年9月24日)   楊品瑜

 
~火龍果 or 紅龍果(ドラゴンフルーツ・dragon fruit)~
 火龍果 or 紅龍果を知る前から、実はヤンピンはピタヤ(pitaya)が大好きでした。 英語では dragon fruit も pitaya もサボテンの実でして、 ややこしく、ややわかりにくいのかもしれませんが、 日本で売られているものは、外見が赤いのがドラゴンフルーツで、 黄色のほうがピタヤのように思いましたが。

 最近では、黄色のほうは、イエロードラゴン or イエローピタヤとも呼ばれているようですが、 まぁ、呼び方は元々ご当地の呼び方があって当たり前なので、 色違いは単に品種の違いであると理解しましょう。

 ともあれ、赤いドラゴンフルーツを知る前に黄色いピタヤに馴染みがあったヤンピンには、 赤いほうは興味深かったですね!  そして、アジア産が赤く、中南米産が黄色と解釈していましたが、 台湾でどちらも改良生産されたものを食べてからは解釈が更に混乱しました。 まぁ、美味しければ好しとしました。

 ベトナム茶ドリンク集を書いていた時はまだ、日本でベトナム産火龍果or紅龍果が買えました。 その後、なぜかベトナムからの輸入ができなくなったようで、 ときたま沖縄産を見かけるようになっていたのした。 今回珍しく、ご近所のスーパーでベトナム産が買えました。 懐かしさもありましたが、即に迷わず購入し、教室のみんなとで頂きました。 淡白な味は、変わらなかったですね!


ベトナム産火龍果 or 紅龍果


 
 

随意談 第137号(2011年9月17日)   楊品瑜

 
~車站内(エキナカ)~
 いつ頃からか、ここ数年よく受講者からJR西船橋のエキナカ土産を頂きます。 なので、ヤンピンも電車に乗ることがあれば、時々覗いています。

 JR西船橋車站(駅)は3社5路線(JR東日本の総武本線、武蔵野線、京葉線各線、 東京地下鉄の東西線、東葉高速鉄道の東葉高速線)が乗り入れ、 近くに徒歩圏である京成西船駅もあるので、とにかく大変交通の便がよい駅です。 当たり前か、便利なので教室に通う受講者も何かと利用をする駅です。

 なぜかよくわかりませんが、昔と比べればずいぶんとお店は増えましたが、 利用者数の多い駅であるはずですが、店舗数はまだまだ少ないかなぁ~。 まぁ、乗り換えのとても便利な駅なので、電車の本数が多く、 時間をつぶす必要性があんまりない駅だからなのかなぁ?と勝手に思ったりもしています。 確かに乗り換えで、お店に寄る時間がもったいないと思うことがしばしばありました。

 日本に来て、車社会では体験できない、 ”車站”とは、ひとつの劇場のように思うことがよくありました。 単に電車を乗っているだけなんですがね~。 色々な思い出を与えてくれる場所だなぁ~とつくづく思いましたね!  そう言えば、今回エキナカを直訳”車站内”と訳しましたが、 実は中国語では、電車が通る駅は、車站と共に「火車站」も使っています 。 ”電車車站or電車站”とかは今のところまだ聞いたことがありません。 因みに、バス停も「車站」です。丁寧に言うと「公車站」です。 これからも電車の駅があちらこちらとどんどん増えそうなので、 時代の流れに随って、「車站」の呼び方もどんどん変わりそうですね!


西船橋の車站内で買った
モンドセレクション金賞を受賞した
イタリアンロールケーキ


 
 

随意談 第136号(2011年9月12日)   楊品瑜

 
~中秋節(中秋の名月)~
 台湾の親戚から月餅が届きました。 この時期は、お互いに月餅を贈り合う時期なのです。 中秋節は、旧暦8月15日なので、日本で言う十五夜、今年は9月12日、つまり今日なのです。

 秋かぁ~。

 中華圏の中秋節では必ず、月にうさぎと共に、「嫦娥」と言う美女が登場します。 嫦娥の伝説は、日本に伝わってかぐや姫になったとも言われていますが、 「嫦娥奔月」はとても有名な神話です。 ヤンピンは物心がついた時に聞かされ、 「いつもほらあそこにいるでしょ~」とよく月を眺めながら大人から絵を描くようにして、 嫦娥とうさぎの居場所を教わっていました。

 なので、ヤンピンもいろいろと想像をしていましたが、 人類が初めて月に上陸をしたとかのTV中継を見て、大人たちがあちらこちらから、 「やはり嫦娥は月に住んでいなかったわね!」と囁いているのを聞き、 子供ながらさっぱりしていました。 まぁ、正直なところ、いても、いなくても、どちらでもよかったのかも!  ただ、子供ながら美しい嫦娥にはよく憧れ、カッコをまねして、 ごっこ遊びもよくやっていたよ~な記憶です。

 頂いた月餅は、賞味期限内の今月の教室で美味しく頂く予定です(一部頂き済みですが)。 子供の頃、正直、月餅は苦手な食べ物でした。 特に餡が「五仁」と言うのが苦手でした。 しかし、最近は一番好きな部類にはいて来ました。 月餅の五仁餡は、5種類のナッツ類の仁(種の中身)を使った餡のことです。


頂いた月餅の菓子缶、頑丈です。


 
 

随意談 第135号(2011年9月6日)   楊品瑜

 
~泥魚(どじょう・mudfish)~
 相田みつをギャラリーがご近所(?)にあるので、子供たちと初めて行って来ました。 実はヤンピンは、相田みつをさんについてはよくわからず、 カレンダーをもらったりと作品は目にすることはありました。 子供の学校関連でも、講演会が開催されると言う通知が時々来ていましたので、 前から興味はあったのですが、ちんぷんかんぷんでしたので、 今回ギャラリーの方々から正式に教わり、数々の謎も解け、交流もできて、とても楽しかったです。 子供共々、改めて大変勉強になりました。

 実は、進学した子供が少々挫折中です。 相田みつをさんの作品、「道」を読ませたところ、とても感銘したようです。 子どものリクエストもあって、泥魚&金魚の詩も見てみたいとも言われたのですが、 市川散策も兼ねて、とりあえずご近所のギャラリーから行きましょう~。 となったのです。

 帰り、2冊の本、こまごまとしたミュージアムグッズと共にポローニャーの食パン、 プレーン味とチョコレート味を半斤ずつお土産に買いました。 と言うのもですね・・・着いた途端に、子供たちはパンの香しい匂いに誘惑されぱっなしでした。 今回訪れた市川市にある相田みつをギャラリーは、許可を得て (株)グランパ ポローニャー 市川ファクトリーが運営しているのだそうです。




購入した泥魚&金魚の詩集二冊
「おかげさん」は最後の一冊でした。


 
 

随意談 第134号(2011年9月1日)   楊品瑜

 
~大茶樹(大茶樹)~
 講演で、よく使う資料を整理していたら、教室主催のツアーで訪れた、 佐賀県嬉野市にある大茶樹の写真が出てきました。 少々懐かしいのですが・・・

 本来茶芸教室なので、茶畑を訪れるツアーと言うのもどうかなぁ?とも思ったのですが、 実はこの時は、八女(福岡県八女市)で白茶(しらちゃ)を栽培している茶農があり、 見せてくれるというので、九州を訪れたのでした。

 と言うのもきっかけは、「昔、九州で白亳銀針が栽培されたことがあり、 もしかして痕跡がまだ残っていますよ!」と聞きつけたからでした。 あれやこれやと調べていたら、結局見つからず、代わりに日本茶の白茶を見つけたのでした。 まぁ、つまり、白茶畑を見た帰りに、大茶樹を見に行ったのでした。

 そう言えば、念のために、台湾では、生水が飲めないので、 「水を下さい」と言うと吃驚されることがあります。 台湾の家庭では、よく湯冷ましを飲みます。 この湯冷ましは一般に中国語では「白開水」と呼ばれていますが、 台湾語や中国語で「白茶」と呼ぶこともよくあります。 また、水でもミネラルウォーターは、礦泉水です。 近年台湾でも、ウォーターサーバーが大変普及していますが、 聞いていると相変わらず、白茶、白開水と飲み水を呼んでいるようです。

 白茶と言えば、母の友人が北海道旅行中に、電話がかかって来たことがありました。 何かと聞けば、「ホテルで、飲み水の白茶(しろいおちゃ)を下さい。」 とホテルの方にお願いしたところ、「白茶は扱っておりません。」と断られたそうです。 それで「日本人は白茶を飲まないの?」と聞いてきたのだそうです。 母は笑ってはいけないと我慢したまま、「日本は水道をひねれば水が飲めるよ!」と説明したそうです。




嬉野市にある大茶樹とその説明


 
 

随意談 第133号(2011年8月27日)   楊品瑜

 
~海洋迪士尼(ディズニーシー)~
 海洋迪士尼へ行ってきました。 ディーズニーは、中国語では幾つかの訳し方がありますが、 今回は一般的な「迪士尼」で訳させていただきました。 また東京ディーズニーシーは「東京迪士尼海洋」と訳されることもあるようですが、 中華系の親戚たちは一般に「海洋迪士尼」と呼んでいるので、 今回は「海洋迪士尼」を使わせて頂きます。

 実は、英語名を中国語に訳す時の法則はなかなかひとつに収まらないのが実情です。 中国語と言っても、さまざまな中国語が使われているのも一因なのです。 台湾の小学生は、両親の母語を小学校で必ず勉強するようになっているとも聞いています。 因みに人によっては、母語は1種類とは限りませんからね!  まぁ、確かに語学と言うのは使わないと忘れてしまいます。 ただ、ヤンピンの経験では幼少期に、少しでも触れていれば、 一時期的に忘れていてもまた勉強すれば、思い出します。

 専門家によれば、語学と言うのは、脳に於いて、 子どもの頃に覚える場所と大人になってから覚える場所が違うのだそうです。 確かにヤンピンも子どもの頃に覚えた語学のほうが、忘れてもなんとか思い出せますが。 大人になってから勉強した語学は、辞書を引いても覚えられない言葉が山ほどありますね!

 迪士尼と言えば、皆さんも喜怒哀楽な思い出があったのではないのでしょうか?  いつまでも忘れられないお話ですが、 十数年前にヤンピンに迪士尼(ディズニーランド)のイベント用のスペシャルドリンクを提案する仕事が舞い込んできました。 途中でつわりが酷く、味覚がわからなくなり、仕事をやり抜けなかったことがありました。 皆さんにも大変迷惑をお掛けしました。本当に心残りでしたね・・・残念。

 ともあれ、夏休み最初で最後の休暇を家族で「海洋迪士尼」に行ってきました。 新しいアトラクションにも乗ってきました。 友人からよく羨ましがられるのは、迪士尼楽園(ディズニーリゾート)への近さ、 今回も近くってよかったとつくづく思った一日でした。 お陰様で、朝早くから夜遅くまで遊べました。 奶茶(ミルクティー)味のポップコンも食べてきましたよ!


海洋迪士尼にて


 
 

随意談 第132号(2011年8月22日)   楊品瑜

 
~香蕉干(ドライバナナ)~
 教室で、泰國(タイ)土産に香蕉干(”乾”と言う字を使うこともあります)を頂きました。 謝謝! 香蕉干と言えば、かつて台湾土産でヤンピンもよく購入しました。

 香蕉は栄養価の高いフルーツとして、よく知られていますが、 実はドライにしたもののほうがより栄養価が高いと聞いていました。 ただ、フレッシュの香蕉を先に食べ慣れていると、香蕉干は一癖がありそうで、 味に好みが分かれるところですねー。 しかし、今回の泰國香蕉干は久しぶりに食べたせいなのか、味にこくがあって美味しかったです。 お茶請けにも最適でした。

 ヤンピンはよく、子どものおやつに春巻きの皮でバナナの包み揚げを作ります。 実は、フレッシュの香蕉を使っているので、油がものすごく飛びます。 なので、幾分か水分の抜けた香蕉干を使ってみようと思いましたね!  色々試作してみて、機会があれば、また皆様にご紹介しますね!

 ところで、香蕉干について書いていると思わず、 日本でもよく知られているバナナチップス(banana chips)は中国語にどう訳されているのかなぁ~と気になりました。 バナナチップスのほうが、ヤンピンには最近ものに思えたので。。。 確認したところ、「香蕉芯片」だそうです。


お土産に頂いた泰國の香蕉干


 
 

随意談 第131号(2011年8月13日)   楊品瑜

 
~好香呀!(とてもいい香りです)~
 茉莉花 についてはあちらこちらと書いて来ましたので、 さすがにもう書くことがないと思っていましたら、先日のハーブ園行きで、予約し、 皆さんが購入した茉莉花が、あちらこちらの受講者宅で花が咲き続け、 特有の香りを各家庭に放っているようで、あちらこちらからお礼と言うか、 感動と言うか、久しぶりのヒット作と言ってもいいほど、沢山の反響がヤンピンに届いています。

 なかには台湾でよく嗅いだ”あの”匂いと同じだぁ~懐かしい・・・とのお話もありました。 確かに匂いの表現は難しい、前にもお話しましたが、ヤンピン家の子どもたちは、 今でも”あの”匂いを「お茶の匂いだよ!」とお友達に説明しています。 念のため、正確には茉莉花の香りは茉莉花の香り、茉莉茶は茉莉花の香りを付けたお茶ですよ!

 香りは好みがありますので、ご家庭によっては嫌がるのかもしれないと、実は少々心配していました。 茉莉茶(またの名は香片)を教室で出すとたまに、「香水みたいなお茶だね!」と言われていたり、 「強い匂いは苦手だわ!」と言われたり、香りには好みがあるなぁ~と学習したヤンピンには、 茉莉花の香りは、受講者のご家族に受け入れてもらえるのか、少々ひやひやであったのです。 でも、さすが受講者のご家族、ほぼ好評のようで、ヤンピンも一安心です。

 暑い夏ですので、アロマ効果(?)、いや、まぁ、純粋に香りを楽しんで寝たいだけですが、 ヤンピン家の茉莉花は今、ヤンピンのベットから窓越しに置いてあります。 今年は毎日咲いているうえ、茉莉花は夜のほうが強く香りが楽しめられるような気がしますので、 貴重な睡眠時間は、茉莉茶(?)の香りに誘われ、至福の時間ともなりました。


ヤンピンが長年育てている茉莉花
花が咲いたと思っていたら、すぐ散って
しまうのが寂しいのですが、まだまだ
香るので、鉢内に拾い集めています。


 
 

随意談 第130号(2011年8月6日)   楊品瑜

 
~活到老學到老(生涯学習)~
 気功の 水谷先生 から上海土産を頂きました。 日本の地震でゴタゴタしていたので、延期した少林寺での修行にまた行って来たのだそうです。 さすがですね!

 ヤンピンは台湾での在学中に、授業で護身も兼ねて武術は習いましたが、 正直に言って、すっかり忘れています。 ところが、時々水谷先生から古文(中国語)での難しいツボの日本語読みを教えてほしいという依頼が来ます。 中国語でもどう読んでよいのかわからないような専門用語を、 一生懸命勉強をされている姿は本当に感心しました。 真是(本当に)活到老學到老の精神を持った優等生です (もちろん、先生は否定をされていますが、謙虚なかたです。本当に。)。

 でも、実はヤンピン主宰の教室では、「活到老學到老」を実行されている方が水谷先生以外に沢山います。 在学中はよく学校の先生に「活到老學到老」を口酸っぱく言われて来ましが、 なんとなく卒業とともに、気持ち的に勉強から開放されたと思うヤンピンには、 受講者の勉強の熱心さに本当に刺激を受け、多くのことも学べました。

 先日、アルテサーナ での教室でも、 一年近く中国茶の会を参加された受講者からご自身の病気がきっかけで、 水について沢山の勉強をされた話を聞くことができました。 昔と違って環境が大きく変わっているので、確かに水も大きな学問と関心しました。

 7月は講座が多忙でしたが、8月は天候が暑いし、お盆、帰省や旅行で、 教室では慣例的に特別講座は開催しませんが、 9月以降は様子を見て、また色々な講座を企画したいと思います。


水谷先生に頂いた上海土産


 
 

随意談 第129号(2011年7月30日)   楊品瑜

 
~有緣千里來相會(ご縁がありますように)~
 「有緣千里來相會・無緣對面不相識」と言う古い老話(古くから伝わることわざ)があるように、 縁があれば、本当に縁があるものです。 ”有緣千里來相會・無緣對面不相識”の直訳は、 「縁があればいくら離れていても会えるもの・縁がなければ目の前にいても知り合えない」てところかなぁ~。 つまり、縁があれば会えるものですよ!

 先日受講者から、「友人が趣味でこのようなものを作っているので、先生、皆さんもらってください。」 と頂きました。 よく見ると亀の鑰匙圈(キーホルダー)ですね!  「縁起物だね!」と思っていたら、亀の中に5円玉がはいていました。 随意談は中華圏の方々も見ているので、念のため説明しますと。 5円(ごえん)と御縁(ごえん)の発音が同じなので、 日本円の5円玉は縁起物の代表格になったったのです。 因みに御縁とは中国語で”有緣”と言う意味です。

 しかし、凄い、世の中にはやはり器用にものを作る方がいらっしゃるのですね!  つなぎ目がわからないほどに、綺麗に5玉を包むようにして編んでいるのです。 感心しました。それもひとつひとつ個性を持たせながら、本来は作品ですよね!  でも、色が違うだけで、差が見つからないほどに商品のように、本当に、 綺麗に作っていらっしゃっていますね!

 キーホルダーをもらって、ついポツリと、「もう結婚しているので、手遅れか、もうご縁は・・・」 とつぶやいたところ、「先生、ご縁は結婚だけではないのですよ!」と皆様から一斉に返事を頂きました。 まぁ、わかっていましたが、ちょっと本音が出てしまったりしてね!  哈哈(ハッハッ)

 と言うか、やはり「ご縁」と言えば中華的には、「緣份」、やはり最初に思いつくのは「結婚」、 結婚はやはり要有緣份(縁がなくてはならないので)と言うふうに直感してしまいましたが、 確かに、教室に長く通ってくださっている皆さん、遠方から五年、十年以上と通ってくださっている皆さん、 5円玉のご縁と中国茶がもたらしてくれた縁です。 まさしく、「有緣千里來相會・無緣對面不相識」ですね!  縁があったから出会えたのですね!  真是有緣(本当に縁があります)!


頂いた手つくりの鑰匙圈


 
 

随意談 第128号(2011年7月22日)   楊品瑜

 
~朝鮮薊(Artichoke、アーティチョーク)~
 ヤンピンが教わった限りでは、朝鮮薊は地中海原産の植物で、 欧米ではよく知られる食べられる花としても人気の野菜です。 朝鮮半島経由で、日本に伝わったため、日本では朝鮮薊とも呼ばれているのです。 台湾では馴染みのない植物なので、日本に習ってかどうかは確認できませんでしたが、 一般に朝鮮薊と訳しているようです。

 朝鮮薊と言う植物はかねがね知っていましたが、一番詳しく取材し、調べた時期は、 ベトナム茶ドリンク集を書いた時期でした(詳しくはベトナム茶ドリンクを読んで頂けば、幸いです)。 ベトナムでは、朝鮮薊茶がよく飲まれていましたので。 また、OL時代の上司から朝鮮薊はフランスの高級レストランでは、 「ステーキのように出されることもあるのよ!」とよく聞かされていたので、 高級ステーキのように出された朝鮮薊はとても憧れていました。 「日本では食用としては、缶詰が比較入手できるよ!」とも聞かされていましたが、 これがなかなか出会えないものでした。

 先日、運よくご近所の超級市場で買えました。 十数年ぶりかもしれません。 早速、中華料理風にアレンジし、薬膳料理教室や家族で頂きました。 味は、ですね!うん~意地悪ですが、食べてみてください。 いやいや正直、 買った缶詰の朝鮮薊はドイツ料理のキャベツの酢漬「ザワークラフト」のような食感に思いました。 前に食べたものとはまた違う味わいでしたね!  ヤンピンも研究不足でしたね!  もっと色々な朝鮮薊料理を食べなくてはならないなぁ~と思うほど未知な味です。 ソースに左右されやすい野菜だなぁ~と思いました。 まぁ、作った料理は魚醤で酸味をカバーし、なんとか美味しいとは言って頂けましたが、 很可惜(ちょっと残念!)。 ヤンピン的には、まだ朝鮮薊を使いこなしていない一品となりましたね!


ヤンピンが作った「朝鮮薊の魚醤炒め」


 
 

随意談 第127号(2011年7月15日)   楊品瑜

 
~好棒喔!(すごかったです)~
 あまりの暑さで、タイミングよく来日した親戚と我が家の子どもたちで、 家から電車で十数分の葛西臨海公園へ行って来ました。 久しぶりに行ったのですが、すごかったです。 本当は、アクアマリンふくしまから避難してきた動物たちに会いに水族館へ行こうかと思っていたのですが、 運よくマグロショーが見れました。 ほかにも色々あるのですが、とにかくご近所の水族館ではなく、りっぱな水族館でしたね!(当たり前かぁ。)

 葛西臨海公園はディズニーリゾートのお隣駅なので、台湾とかから来た観光客には、 日程的に行きにくい不利な条件がありました。 でも、日程的に余裕のある外国人のかたを連れていくと、隠れ家的で喜ぶかたは多いですね!  今では大きな観覧車はさほど珍しくなくなったのですが、 やはり大きい水槽で魚が泳ぐ様子が見られる水族館は、大変喜ばれますよ!

 本当は、子どもたちから久しぶりに、 イルカショーが見られる水族館へ連れて行ってほしいと懇願されましたが、 おかげ様で計画停電で休んだ反動なのか、教室が多忙で遠出ができない状態なのでした。 でも、夏休み前でしたが、今回のマグロショーは大満足だったようです。 よかったです。


マグローショー(許可を得て撮りました)
最初はドキドキでしたが、
子どもたちが大喜びでした。


エイとサメのタッチ体験コーナー
飼育員の指導で魚にタッチできます。


 
 

随意談 第126号(2011年7月9日)   楊品瑜

 
~紫錐花開花了!(エキナセアの花が咲きました)~
 先日教室で訪れたハーブ園で購入した紫錐花(エキナセア)が無事に花を咲かせました。 紫錐花はピンク色の花が咲くものだと思っていたのですが、 ヤンピンが購入したのは、白色の花の品種でした。 残り最後の一株だったので、残りものには福があるかも?とちょっと欲を持って買いましたが、 中華的な慣わしでは、欲を持ったり、公表してしまうとご利益がなくなるので、 ご利益についてはもう買った時点で、手遅れでしたね! 残念!

 紫錐花については、忍田指導師がアロマリズム で詳しく紹介していますので、 よかったら参考にしてくださいね!  そして、ヤンピンが急にエキナセアのお茶を飲み始めたのは、新型インフルエンザが流行った時期でした。 結果的には凍頂烏龍茶でもよかったような気がしましたが、 教室では多くの方々が集まるので、皆さんにも飲んで頂きました。 効果のほどはよくわかりませんが、警戒した結果なのか、 教室の受講者は誰も新型インフルエンザにかからなかったという、いわくつきと言うか、 格別な思い出のあるハーブでした。

 紫錐花については、台湾では十数年前に本格的にカナダから移植し、栽培を始めたところだそうです。 ハーブティーとしてはすでに、流通はしているようですが、 そもそも紫錐花は西洋漢方なので、政府の研究機関のほうでも、アジア人の体質に合うかどうか、 副作用があるかどうか、さまざまな角度からも慎重に検証が行われているようです。 意外と台湾はしっかりしている~と感心しました。

 右の写真の紫錐花の後ろにあるのは、大賀蓮です。 まだ蕾もついていません。 大賀蓮は 茶的故事 台湾茶其の二十一 白河蓮花茶 でも紹介しましたが、台湾でも栽培しています。 勿論、白河蓮花茶は教室でも飲みました。 ひと蕾だけでも十分に甘く、美味しいのですが、 そもそも蓮は、癒してくれるだけではなく、花、葉、芽、実、レンコン、すべて無駄なく使える食材です。 本当にすばらしい植物ですね!

 実は、台湾台南県白河鎮は、最近ではあの蓮舫さんのお父様、謝哲信さんのご出身地としても、 とても有名になりました。 確か、蓮舫さんが初めて大臣に任命された時にも、町をあげてお祝いをしたそうです。 とても人情味のある田舎町なので、機会があれば、日本の皆様にも訪れてほしい町のひとつです。


開花した紫錐花と
未開花の大賀蓮(咲くといいなぁ~)


 
 

随意談 第125号(2011年7月2日)   楊品瑜

 
~薫衣草(ラベンダー)~
 子どもと薫衣草棒(ラベンダースティック、Lavender stick)を編みました。 子どもも最初は何をやらされるのか不安のようでしたが、編んでいるうちに静かになり、 集中力もアップし、ちょっとした精神修行(?)となりました。 意外に上手にできたので、親としては一安心でした。

 薫衣草棒とは一般にイングリッシュラベンダー(真正ラベンダー・コモンラベンダー)を使って、 リボンと編みこんだステッィク状の防虫芳香剤です。 今回子どもが使ったラベンダーは、ヤンピンが満開のラベンダー畑で蜂と戦い(?)いやいや、 少々大げさでした。 蜂に刺されないように格闘しながら切ってきたものです。 ラベンダーは殺菌や虫除けなどなどの効能があるとされていたので、 ラベンダースティックは一種のおばあちゃんの知恵として、イギリスでは伝統的に使われていました。 作るのも楽しいですからね!

 しかし、 薫衣草との思い出は沢山ありすぎて、語りきれないのですが、 これでまたひとつ思い出が増えました。 正直、子どもがラベンダーを折らずに無事に編み上げられたことに、 ヤンピンは勝手に子どもの成長に感動しました。 そもそも、薫衣草はヤンピンが最初に覚えたハーブでもありますからね!

 現在中山之家も含め、ヤンピンは3種の薫衣草を育てています。 また、今は季節的に新緑の季節で、花は少ないのですが、 森とまでは行きませんが、とにかく緑いっぱいに囲まれています。 桑の実やブルーベリー摘みがもう始まりましたよ!  子どもの成長とともに、植物の成長も結構感動しますね!  そうそう、睡蓮鉢のめだかたちも今年は無事に赤ちゃんが生まれましたよ!  あとは課題として、今年も睡蓮が咲くかどうかですね!


子どもと編んだラベンダーステッィック


 
 

随意談 第124号(2011年6月23日)   楊品瑜

 
~鳳凰樹(鳳凰木)~
 卒業おめでとうございます。 えっー今?いやいや台湾での話です。 日本では卒業や入学の時期は桜ですが、台湾では鳳凰樹が咲く頃が卒業シーズンだそうです。 鳳凰樹または鳳凰木は、日本でも鳳凰木(ホウオウボク)や火炎樹と呼んでいるようです。 鳳凰樹とは、ジャケツイバラ科の常緑高木、マダガスカル島原産、学名:Delonix regia です。 日本の鳳凰樹は沖縄などでよく見ることができるようですが、1896年頃に台湾から種を持ち込み、 栽培され始めたのだとか。。。

 ヤンピンの両親は台南育ちなので、台南と言えば別名「鳳凰城」、 両親にとって鳳凰樹は思い出がいっぱい詰まった樹木なのです。 いっぱい、いっぱい鳳凰樹の話を聞かされてきました。 花が咲いた時の町の鮮やかさやお陰で、亜熱帯気候の台南はいつも涼しかったのだとか、などなど。 しかし、いろいろな論争のなか、都市、道路整備に伴い、鳳凰樹は枯れ葉が多く、 害虫に犯されやすいことや通行人が根っ子に躓き易いなどなどの理由から多くの樹木が伐採されたのだそうです。 今では多少の不便でも、多くの樹木があることはエコなのに~時代の流れだったのかもしれませんね!  確か、ずいぶん前から「植えよう~」運動があったと思いますが、 ただ樹木は育つのには時間が必要ですよね!  植物好きのヤンピンにとっては、ぜひ、頑張ってほしいですけれどね!

 大人になってからはなかなか、台南に帰ることがなくなり、 噂の鳳凰樹をよくよく見ることもなく過ごしてきました。 台湾のあちらこちらにも鳳凰樹があったはずですが、なかなか花が咲く時期に回り逢えずにいたのでした。 ところが、十数年前に印度(インド)へ行った時に、これではないかと思って写真を撮って来ました。

 両親に確認したところ、残念ながらよくわからないと言われました。 意外とみんな身近にあったのにも関わらず、よく観察していなかったようです。

 この時期に台湾に帰って、花盛りの鳳凰樹を見る機会はなかなか難しいのですが、 いつか確実に観察し、写真を撮ってきたいと思います。


色褪せしていますが、印度で撮った鳳凰樹と思わせる写真です。 本当はなんと言う植物なのでしょうかね?
思い出話ですが、現地の印度人の友人たちが両親の話を聞いて、 記念に持って帰りなさいと落ちた花をいっぱい拾ってくれたのですが、、、
日本の動植物検疫法により、残念ですが全部印度に残してきました。 對不起(ごめんなさい)!


 
 

随意談 第123号(2011年6月15日)   楊品瑜

 
~當三明治(サンドイッチになる)~
 「三明治」の三文字を見る度に、よく子供の頃から大人に、 「來來來去當三明治!(おいで、おいで、おいで、サンドイッチになりに行きなさい!)」 を勧められたことを思い出します。 子供が三明治になるとカップルのデートがうまく行くとして、ヤンピンはよくいとこや親戚、 両親の知人のデートに同行していたのです。

 今考えればただただ、邪魔だけですよね!  でも、確かに表哥(苗字が違う従兄)のデートに同行した時、表哥と彼女が一致団結し、 一生懸命世話をしてくれていたのを今も覚えています。 勿論、その後結婚され、円満です。 二年前には初孫も生まれました。 つまりヤンピンもメデタク表姨婆(従妹大叔母)となりました。すごいでしょー。

 その後、「今天去當三明治!」直訳すると「今日、サンドイッチになりに行った!」まぁ、 一種の暗号と思って下さい。を大人になってもいつの間にかヤンピンも使っています。 「當三明治」は今でも俗語として、いろいろなところや場面で使われていますが、 確かにカップルの仲介役に使われていることが多いように思います。 何がきっかけで使われ始めたのかなぁ~と思うこともありますが、確か、 広告を前後にかぶって歩きまわる人をサンドイッチマン(sandwich man)と呼んでいたようにも思いますが、 何かに挟まれての表現に使うのは確かにわかりやすいように思います。

 今でも、ヤンピンが三明治となって結婚したカップルに、 お陰様で結婚できたことを感謝されることもありますが、 つくづく「三明治」は実に奥が深いです。


親戚にもらった三明治用缶詰


 
 

随意談 第122号(2011年6月7日)   楊品瑜

 
~洋甘菊新鮮花茶(フレッシュカモミールティー)~
 近所の超級市場(スーパーマーケット)の野菜売り場で、 ハーブティー用の新鮮的洋甘菊(フレッシュカモミール)を見つけました。 自宅でも少し栽培しましたが、飲むには量が少な過ぎますので、ここ数日は売り場で見つけたら、 ほぼ毎回買って飲んでいます。 ちょっとしたリッチ感に浸っています。

 指導師の教室でも久しく、凍頂烏龍茶の受賞茶を入手し、みんなで飲みました。 こちらもリッチ気分でした。 最近の台湾では、よいお茶が大陸の観光客による大量買いで、数年先まで予約がいっぱいだそうです。 悲鳴を上げている農家や茶業関係者が多いようで・・・しかたなく下のランク茶までを売る羽目となり、 自責の念にかなれている農家や業者もいるそうです。 台湾茶のイメージダウンを心配している声も多く、早急に対策や自主規制を考えているのだそうです。 日本ではどのようにやっているのか参考に聞かれたりもしましたが、売れすぎるのも大変ですね!

 台湾産高級茶と言えば「梨山茶」、こちらも最近の教室で飲みました。 美味しいお茶を同時に飲まないのが従来の方針でしたが、3月4月と地震、 余震や計画停電で18年間続いてきた教室が初めて、教室の都合で休講したので、 お詫びも兼ねて奮発しました。 もちろん「少しでも疲れを取って頂ければ幸いです。」という気持ちもありましたので。。。

 しかし、気分転換も兼ねてハーブティーを飲んでいたのに、 やはり中国茶のことを考えてしまうヤンピンでしたね!

 夏の電気不足で、教室がどうなるか不安な部分もありますが、 節電モードと合わせて、頑張って開催して行きますので、 ぜひ、受講予定の皆様ご理解とご協力をお願いします。


ご近所の超級市場で購入した
新鮮的洋甘菊(フレッシュカモミール)


 
 

随意談 第121号(2011年6月1日)   楊品瑜

 
~鳳梨酥(パイナップルケーキ)~
 日本で一般に呼ばれているパイナップルケーキ、"鳳梨酥"を父から台湾土産にもらいました。 今回は,両親の実家がある台南発祥の老舗ものです。 リーフレットには、1890年創業、戦後本店を高雄に移転し、 現在は台南、台北などにも支店があると書いてありました。 また、もちろん(?)慣例(?)、親切に日文(日本語)の説明文もあります。

 ヤンピンが思うのにはですね~、台南は比較的に味付けが甘いですね。 料理に、砂糖もよく使います。キャベツなどの野菜炒めの仕上げに砂糖を一つまみ入れたりしますもね!  まぁ、よくわかるのが 香腸、台南味はやや甘い、 台北味は五香粉のよく効いた、しょっぱさが主流です。 補足ですが、最近は物流がよくなったので台北でも甘みの香腸が食べられますが、 台北の香腸がしょっぱいと言うのは、家庭で作った香腸などの一般論です。 因みに、しょっぱいのは、保存ができるようにするためでもあります。 そうそう、ヤンピンの友人のなかで、しょっぱい香腸を食べ慣れている人のなかでは、 甘い香腸は別物を食べているように思う人もいるらしいです。 なので、香腸の味は典型的な家郷味(ふるさとの味)が味わえる一品でもありますよ!

 ほかにも台南の砂糖の使いかたは、中華料理にしては、本当に一味違いましたね!  かつて、友人に切ったトマトに、醤油+砂糖のソースを出したところ、大変吃驚され、 ソースはいらないわ!と言われたことがありました。 実はこの食べ方はわざわざお金を払って屋台で食べるほど人気な食べ方だった、と母がよく自慢していました。 半信半疑でしたが、今でも確かに台南の屋台でも見かけます。

 ヤンピンは子供の頃から鳳梨酥を食べるとどうしても餡と外側の生地を別々に食べたいタイプでしたが、 いつからか、年齢が増したせいなのか、一緒に食べる美味しさを感じ取れるようになりましたね!  父も言っていましたが、実は自分たちはあんまり台湾土産に鳳梨酥を買って来なかったのです。 ほかにも、いろいろと美味しいものがありますからね!  今回は、久しく買って来たと嬉しそうに言っていました。 台南鳳梨酥はもちろん、早速教室でみんなと頂きます。 感想としては、やはり味は台北ものと違う~と思いました。 台南ものなので、凄く甘いかも(?)と思っていたのですが、意外に味は甘すぎず、 台北ものを食べ慣れたせいか、素朴な味に感じましたね!


台南土産、鳳梨酥
(パイナップルケーキ)の外箱


 
 

随意談 第120号(2011年5月25日)   楊品瑜

 
~結果(結果)~
 114号小東西 の猜謎(クイズ)について、多くのメールや問い合わせを頂きました。 答えは口頭で説明しにくいので、「5月中に随意談でご説明します」と言うご返事をさせて頂いていました。 そろそろ正解を・・・写真の通りです。

 サイズは縦8.5cm、横16.5cm 、高さ8.5cmです。 とても繊細な作りで、螺鈿の色もとても綺麗な色で、本当に一目ぼれでしたね!  実は閉じた時、両側にそれぞれ上下各一個10円玉大の丸い穴がありまして、 単にデザインと思っていたのですが、 引き出しを引き出す取っ手がないので、もしやと思い、人差し指を丸い穴に中て、 軽く押してみたら当たり前のような細工とも思いましたが、引き出しがやはり出てきました。 つい数回も押して遊んでしまいますが、最初にこの方法を思いついた人は誰だろうね~。

 調べたところでは、日本の螺鈿は奈良時代、中国唐の時代に輸入された、貝を使い、 主に漆、木などの製品の表面に埋め込む一種の伝統工芸です。 貝は、主に夜光貝やあわびなどが使われていたようです。

 「古いものほど、今の時代にない貝殻の色を発色するので、螺鈿は時代のロマンを感じさせてくれるのよ!  見る度に感動するわ!」と言うコメントを、 当教室の茶芸指導師が言っていたことをヤンピンも見る度に思い出し、螺鈿への見方が変わりました。  綺麗なものをもっといっぱい見て、感性をもっと磨こうとも思いましたね!。


随意談114号猜謎(クイズ)の答えです


 
 

随意談 第119号(2011年5月18日)   楊品瑜

 
~日式鮪魚醤(日本風味のツナスプレッド) ~
 前回の随意談の続きですが・・・

 ヤンピンには、ちょっと珍しい「日式鮪魚醤」と言う缶詰もはいていました。 マヨネーズ風味ですね!  クラッカーにのせて、食べると美味しいよ!と言うような写真が載っています。 ちょっと洋風なようにも思いますが、ヤンピンは三明治(サンドイッチ)に使いました。

 20数年前(OL時代)は、仕事で缶詰を輸入していたこともありました。 当時は安全で、美味しいと言うことが、もちろん輸入において一番大切なことでしたが、 缶詰は意外に輸送中にへっこむのです。 私はペコ缶と呼んでいました。 品質に問題がなくても、日本では売り場に出して売るには難しいので、 時にはヤンピンも参加してこれらのペコ缶を探し出す検品を手伝っていました。

 ヤンピンが手伝うのは売り場に出す前のもので、ひと箱24缶入りです。 本当に重かったですよ!  最初からへこまない缶詰を作ってくださいよ!と嘆いてばかりでしたが、 今回親戚からの缶詰は見事にペコ缶がなく、 (余談ですが、お茶缶はペコ缶がありましたが)台湾の缶詰の技術は、 本当にレベルが高くなったように思いました。 (PS.今回頂いた日式鮪魚醤は泰國(タイ国)から台湾に輸出されたものでしたが、 こちらのほうもペコ缶はありませんでしたよ!)

 頂いた缶詰は、ほかにも日本のツナ缶や蒲焼のようなものがありましたね!  今日午後、昨日受け取れなった荷物が届くので、 どうやらそのなかにはまた新商品が入っているようですので、楽しみかも!


日式鮪魚醤の罐頭(缶詰)
三缶入りです


 
 

随意談 第118号(2011年5月10日)   楊品瑜

 
~台糖蕃茄汁鯖魚(台湾製糖・さばのトマトジュース煮)~
 台湾の親戚が、魚の缶詰を船便でいっぱい送って来ました。 あら、懐かしいと思うものから何これと思うものもありましたが、 まず見覚えのある魚のトマト煮の缶詰から着手(?)いやいや頂きました。

 そして、昔は何も気にしていなかったのですが。 一時期、ヤンピンはお砂糖の仕事をしていまして、きっかけはティールームのメニュー開発だったのですが、 仕事が飛躍(?)し、日本の砂糖のバリエーションを台湾に紹介したいと想い、 台湾製糖とコンタクットをしていたのですが、砂糖の輸入は色々と産業保護の観点から事業展開が難しく、 結果的に頓挫し、ヤンピンには努力が残念でした。 と言う思い出があった「台糖」の二文字があるのではないですか・・・

 砂糖屋さんと思っていたのですが、砂糖を使って魚の缶詰を作っていたのですね!  恐れ入りました。 思えば確かこの缶詰はヤンピンの子供の頃からあったように思います。 メーカーはどこだったかはさすがにに周り誰に聞いてもよく覚えていないのです。

 昔は開けてそのままおかずとして、食べていましたが、今は電子レンジがありますので、 温めて美味しく頂きました。 味はですねー。 ヤンピン的にはほのかな甘みにブイヤベースを思い出されるような、やはり中華味でしたね!  骨までが柔らかく美味しく食べられるので、ヤンピンの子供たちは吃驚しながら、 きれいに完食しましたよ!


頂いた「台糖蕃茄汁鯖魚」の缶詰


 
 

随意談 第117号(2011年5月2日)   楊品瑜

 
~好感動喔!(感動しました)~
 好感動喔!開花了(花が開きました)。

 昨年、秋から少しずつ枯れて行ってしまった・・・お気に入りの荷包牡丹(Dicentra spectabilis 華鬘草・鯛釣草)。

 三月末から新緑の葉っぱが次々と伸びてきたなぁ~と、ひと一安心をしていたところでしたが、 あっという間に蕾を作っては、またその先に蕾を作って行く習性。 そして先にできた蕾から次々と順に花が咲き始めているのにも、大変感動しました。

 実は、秋頃から枯れ始め、「休眠状態になるよ!」と言われていても、本当に枯れて、 土の上からは何も無くなっていたので、悲しい気持ちになっていました。 ヤンピンの育て方で、本当にまた生えてくるのかなぁー。とも思っていました。 生命力の強さにも感動しましたね! まして購入した昨年より花数も多いのです。 ヤンピン家の一員になってくれたのだなぁー。とさえ思いました。 元気というか、パワーというかもらいましたね!


荷包牡丹
新しい蕾が花の先(隣?)に次々とできて
くるので、本当に成長が楽しみです。


 
 

随意談 第116号(2011年4月25日)   楊品瑜

 
~陣中慰問?(陣中見舞い)~
 続く余震や計画停電で、教室の開催が幾度もあやぶまれました。 特に指導師コースは遠方から来る方が多くいらっしゃいますので、主要な交通手段となる電車の問題も重なり、 教室の開催は難しい決断でした。 でも、経済活動も再開しないと教室運営が・・・とにかく、いろいろと大変です。

 こんな時なのに、多くの陣中慰問禮品(日本語の”陣中見舞い土産品”の直訳のような、意訳のような中国語です)が届きました。 うれしかったですね!  教室でも地震の話が一番の関心事となり、時たまに発生する余震に皆さんはすっかり慣れたのか冷静に対応していますね!

 ヤンピンが台北に住んでいた幼少期は、実によく水害に遭いました。 水が退いたあとに、家の中庭で積み上げた家財道具を干す光景は、今でも目に焼け付いています。 台北は盆地であり、湾曲した淡水河の支流に囲まれ、台風も多いので、床上浸水は実によく発生していました。 もちろん、近年は治水により相当改善されています。

 実は、今回の東日本大地震の海嘯(津波)映像を見て、多くの台湾の友人はヤンピン同様、程度は違いますが、 かつて経験した水災(水害)を思い出すと話す友人も多かったです。 世代が同じだからなのかもしれませんね!

 では、最近一番のお気に入り、杉林渓茶を飲んで、教室で残った茶菓子でもつまんで、ひと休み・ひと休み。


頂いたどら焼きです


 
 

随意談 第115号(2011年4月18日)   楊品瑜

 
~櫻花開了(桜が咲きました)~
 櫻花開了。 晴れた青い空、そして街が徐々にピンク色に染まり始め、キャンパスに書かれた絵、 いやいや、よくある日本を代表する絵葉書のような景色ですね~。

 長年のヤンピンの個人的な感想ですが、「櫻花の開花も楽しみですが、 桜吹雪、散って行く美しさも好きですね!」 とよく観光に来た親戚や友人に説明しています。 ですが、残念と言ってよいのか・・・  花が咲き、散るまで滞在しているわけではないので、想像がつかないのは本音のようです。

 中山之家の近くの真間川沿えの桜並木はちょっとした花見スポットとなっていまして、 川の流れが遅いところでは、桜の花びらで、川の水色が一面のピンク色に染まっているのも、 儚いのか、美しいのか、なんとも言えない光景をヤンピンは毎年当たり前のように見てきました。 やはり、ちょっとした自慢なのかもしれません。

 今年の花見は散策で終わりましたが、自然界のエネルギーをいっぱいもらったような気がしました。 そして、なんとなく自我加油(自分で自分に油を入れる=がんばれ自分)ですが、 新たな気持ちで日本式に新年度を迎えたいと思います。


ご近所散策で見つけた、
立派な櫻花樹(桜の木)


 
 

随意談 第114号(2011年4月11日)   楊品瑜

 
~小東西(小物)~
 写真の小物入れは、数年前に ギャラリー植草 の一階、 ところ狭しに小東西がいっぱい飾られている、「民芸アルテサーナ」で見つけた韓国製の螺鈿の小物入れです。

 いつも、色々とお世話になっているのにも関わらず、元々販売価格がお安く設定されていたのですが・・・  ご主人の植草さんに色々と値切って購入しました。

 ご主人の植草さんは、町興しやボランティアを沢山されている方で、 思えば、ヤンピンに色々と下総中山の町の歴史、文化、街の方々とどう付き合い、 溶け込むのかまでを身を持って教えてくれたように思います。 本当に助かっています。

PS.ヤンピンだけに親切ではないのですよ!  みんなに親切なのです。 因みに中山商店街には、植草さんだけではなく、数人植草さんのような勇士がいらしゃるのです。 だから、みんなが安心してこの街に住めるのだと思いましたね!

 ここ数年、ヤンピンが日曜日の教室に向かう途中に必ず見る光景は、朝早くから下総中山駅前に、 わくわく楽しみに待つ、ウォーキングのために集まるグループです。 東山魁夷美術館や中山法華経寺などなどを巡るのが、ちょっとした人気のウォーキングコースになっているようです。 ヤンピン的には、ウォーキングとまでは行かなくても、商店街の路地裏散歩だけでも結構昔懐かしく、 毎日色々な発見がある街だと思いますね!


請猜猜看要怎麼用呢?
(使い方を当ててみてくださいね。)


 
 

随意談 第113号(2011年4月3日)   楊品瑜

 
~KELP(ケルプ、海藻)~
 アメリカの親戚からチョコレートと一緒に、KELPのサプリメントを頂きました。

 ほっー、とても心配をしてくれたようです。 しかし、このようなものが売られているんですね! 勉強になりました。

 実は日本国内外問わず、ほかにもいろいろ聞きつけて、懐中電灯、電池、水、野菜などを持ち寄ったり、 送ってくださったりと本当に助かっています。

 ヤンピンも何かできないかなぁ?と思っていますが、現在は計画停電や子供の安全に追われ、 遠方から教室に通われている受講者の安全も考慮し、幾つかの教室は現在休講中です。

 なので、なんとか4月からは、教室を再開したいと考えています。 そして、教室再開後、受講者たちとも相談し、 何かお役に立つことを当教室としてもしたいと思います。

 そうそう、いろいろと確認をしたところ、 多少のお皿や茶器が割れた、停電、断水があったりしましたが、 当教室の受講者、関係者はみんな無事です。

 ご心配頂いた各国、各方面の皆様、本当にありがとうございました。
謝謝各位大家!
Thanks to everybody!



親戚から頂きました


 
 

随意談 第112号(2011年3月25日)   楊品瑜

 
~「2010臺北國際花卉博覽會」(「2010台北国際花卉(き)博覧会」)~
 台湾台北で行われている「2010臺北國際花卉博覽會」の写真が届きました。 台湾初の世界級の博覽會の開催だったらしいのですが、とりあえず仕入れた情報では、 会場は幾つかに分かれているようです。 なかでも圓山公園区一帯は30年前(?)のヤンピンの通学路だったので、 届いた写真はさすがに、興味津々に見入りました。 しかし、元の景色がまったく思い出せないほど、本当にすっかりと変わりましたね~。

 植物大好きなヤンピンですが、開催期間は、公私ともに超多忙な時期なので、 このままだと訪れることはできないようです。 残念ですね!なので、あちらこちらの親戚や友人からも多くの写真を頂きました。謝謝!

 本来圓山公園区の会場近くには、あの圓山大飯店や羽田から直結(?)の松山機場がありますので、 帰ろうと思えばすぐですが。。。なかなか。。。

 そうそう、これも仕入れした情報ですが、 近年台湾では、健康とエコの観点からも自転車専用道路の整備が進み、 基隆河沿いの「基隆河左&右岸自行車道」(「基隆河右と左岸のサイクリング道路」 (地元では有名らしい)も花博会場まで、道が整備されたそうです。

 もうじき清明節ですね!  確か清明節辺りは、台湾では連休ですので、親戚からのお土産を期待したりして☆☆☆






 
 

随意談 第111号(2011年3月14日)   楊品瑜

 
~謝謝大家!(みなさんありがとうございました)~
 先日大きな地震が起きましたね。 被災に遭われた方々や犠牲者が出たことに対し、お見舞いとお悔やみを申し上げます。

 実は地震当日、ヤンピンもとても大変でした。 あんまり思い出したくないのですが、自宅は本が少し落下しましたが、 中山之家も本が散乱し、どう片付けようか悩んでいます。

 当日は自宅にいたのですが、強震のなか子供を連れて、一瞬どこに逃げようかと迷いました。 最終的には広場に出ましたが、なんとか冷静に対応しました。 電話もメールも繋がらない状態でしたので、とにかく情報収集をするしかなかったのですね。

 後に、余震が続く中、日本中、世界中の親戚、友達からの電話やメールに対応していました。 しかし、こんなに情報が早く世界に広がるんだ~とも思いました。 いや~、なんとも言えない経験です。落ち着いたら、防災対策を再度見直そうとは思いましたね!

 取り急ぎ、ヤンピン、家族はみんな無事です。 謝謝各位大家的關懐(皆様にご心配お掛けしました、心よりお礼申し上げます)!



 
 

随意談 第110号(2011年3月8日)   楊品瑜

 
~烏魚子(からすみ)~
 今年の旧正月で、とてもクリーミーな烏魚子を頂きました。 先日のアルテサーナ植草ギャラリー主催の中国茶の会で少しお出ししたところ、 お酒のおつまみだよね!とお酒は飲まないから・・・の方や、 これはうまいとおかわりする方や懐かしい~台湾を思い出す~、と反応いろいろでした。 烏魚子一品で、こんなに皆さん思いさまざまで、会話も弾むとは感動しました。

 ヤンピンがまだ歯もはえていなかったねんねんころりの赤ちゃんの頃、 外祖母が親ばかと言うのですかね?親戚みんなで集まって食事をしていた時に、 外祖母に抱かれ、皆さんの食事風景を見つめることしかできなかったヤンピンに、 無理やり烏魚子を食べさせようとしていた逸話をよく聞かされています。 それだけ、外祖母はヤンピンを愛しく思ってくださったようですが、 いくら烏魚子はクリーミーだからといって、まだ赤ちゃんには早いのでは?と 媽は止めさせたと言っていましたが、なぜか、 親戚からもこのことから烏魚子の高級さをよく例えられています。

 小学校の頃、外祖母が生の烏魚子(この段階は、まだぼらの卵ですよね!)を突然買って帰って来て、 ガーゼ2枚を上下に包み、更にレンガ2枚で挟むように、その烏魚子を押しつぶし、 干したかもしれませんが、ぼらの卵から烏魚子を作って食べさせてくれたことは、 今でもよく覚えています。

 思えば、外祖母はよくハイカラな物を作って、食べさせてくれていました。 ある時、日本のおすしを作ってくれようとしたところ、黒酢しか手に入らず、 黒酢で海苔巻きも作ってくれました。 当時のヤンピンはお寿司をよく知りませんでしたが、 一緒に食べていた表哥(姓が違う年上の男性のいとこ)が隣で、 「なんでお寿司が黒いの?」と嘆いていた声は、今でもたまに思い出します。 やー色々とものがない時代でしたが、今思えばそれなりに楽しかったかもね!


今年の旧正月に頂いた烏魚子
よく見ると、パッケージには日本茶での
ティータイムが提案(?)されています。


 
 

随意談 第109号(2011年3月1日)   楊品瑜

 
~逛街(街なかをぶらぶら)~
 やっと念願の聖徳記念絵画館へ行ってきました。
そうです。随意談第72号 で青山通りから見えていた謎の建物です。 台湾銀行が奉納した絵、台湾に縁の絵や歴史人物李鴻章の肖像画(後姿でしたが、)もあって、 なかなか興味深かったですね!  お土産に、教室でご紹介できるようにと絵画集も買いましたよ!

 帰りに青山通りに向かって散策し、国立競技場や神宮球場、いわゆる神宮外苑を一通り 回って来ました。 なかなかない機会でしたし、天気も良かったので、本当に面白かったですね!

 お昼は偶然見つけた中国茶器がいっぱい飾られていた、シノワズリ風の中華料理店で食べました。 食後は、昔表参道で茶芸教室をやっていたビル辺りまで散策し、 うん~やはり、もう少し遊ぼうと思ったので、銀座線で、やはり銀座に行ってきました。

 ともあれ、何かを得たのか無かったのかよくわかりませんが、逛街(ぶらぶら)をしてきました。 ヤンピンには、贅沢で貴重なひと時だったように思います。 帰宅後は思わず、高額な阿里山茶を出して、贅沢気分の余韻に浸っています。 やはり、お茶は美味しいし、癒せますね~。


聖徳記念絵画館前


 
 

随意談 第108号(2011年2月23日)   楊品瑜

 
~度小月(度小月)~
 お土産をまたもらいました。 今度は懐かしい、台南の名店「度小月」ブランドの缶詰です。 缶詰と言ってもひき肉ソース?麺か米粉にかけて食べます。 ご飯でも良いそうです。 かけると言っても、温めてからです。

 しかし、この温めかたが結構悩みますね!  ストレートなのか? お湯で薄めるのか?  昔はよくお店の方に聞いていたのですが、どこで聞いても揃って、好みでどうぞ!でした。。。

 なので、その場その場で、味が薄いなぁーと思えば適当に味付けしています。 毎回やはり、本場で食べるのが一番だね!と自分に言い聞かせながら、頂いていますよ!

 ヤンピンはよく米粉で頂きます。 理由はよく分かりませんが、なんとなく米粉のほうが食べたいからです。 最近はご近所のスーパーで、気軽に香菜も買えるので、必ず香菜をトッピングします。 時間があれば、醤油味のゆで卵も作り、色々と記憶をたどりながらレシピを楽しんでいます。

 「度小月」と言えば、ヤンピンにとっての最大の記憶は、小さい時、親や外祖母らに連れられて、 笠をかぶった白いシャツ(下着のような)に半ズボンの叔父さんが、 椅子(小さいちょっと腰掛をするだけのサイズ)だの、鍋だのをいっぱい担いで来て、 食べさせてもらった記憶があります。 台湾では担いで麺を売っていたことから、別名「担担麺」や「担麺」とも呼ばれている由縁です。 やー懐かしいですね!





 
 

随意談 第107号(2011年2月15日)   楊品瑜

 
~聖米歇爾山・聖彌額爾(モンサンミッシェル)~
 モンサンミッシェルを中国語にどう訳すか?悩みましたが、 直訳では、「聖米歇爾山」が一般のようですね!  しかし実は、カトリック教では、天使ミカエルのお告げで、 現在のモンサンミッシェルに礼拝堂を作ったことから、 聖彌額爾山(聖ミカエル山)とも呼ばれているようです。

 そして、なぜ聖米歇爾山のお話が登場したのかと言うと、そうです。 受講者からお土産を頂いたからです。 法國(フランス)土産でした。もちろん、聖米歇爾山へ行って来たのだそうです。 今年の歐洲(ヨーロッパ)は大雪続きでしたので、よく予定通りに行って帰って来られたと関心しました。 幸運のお土産でもありますね!

 聖米歇爾山のガレットは有名でしたからね!あっという間にみんなで美味しく頂きました。 もちろん、お茶のお土産も頂きましたよ!「クスミティー」です。 クスミティーとは、創業者のKOUSMICHOFF(クスミチョフ)さんが、 帝政ロシア時代の1867年にセントペテルスブルグにて創業し、 皇帝御用達となったお茶屋さんだったそうです。 1917年のロシア革命後、貴族趣味とされた「茶」は廃れてしまい、 法國に亡命後、ロシアンティーとして、法國でまた人気のお茶屋さんとなったのです。

 人気の主な理由は、ロシアン的なフレーバーと パッケジーのおしゃれさだそうです。 因みに、クスミティーのほとんどは薫り付けされたフレーバーティーです。

 この時期は、実に非常有口福(よくご馳走にありつきます)! いつも紹介しきれないほど、次々とお土産を頂いています。 謝謝大家(皆さん、ありがとうね)!


お土産のガレット


クスミティー


 
 

随意談 第106号(2011年2月10日)   楊品瑜

 
~魚翅(フカヒレ)~
 レンジでチンのインスタント魚翅、それも姿煮を台湾土産に頂きました。 結構食べ応えがありました。

 正直、頂いた時はあんまり期待はしていなかったのですが、食べて納得しました。 何を納得したのかと言うと、グルメな親戚から「珍しいよ!」「美味しいよ!」 「レストランで食べなくてもこれで十分よ!」と言われたのですが、 レンジでチンでしょ~とヤンピンは内心思っていました。 でも、魚翅だからやはり食べようと、一大決心して食べたのです。 少し悔しいのですが、やはりグルメな親戚の言う通り、美味しかったです。 もちろん、乾燥した魚翅を戻して、こつこつ煮込むのが一番美味しいのですが、 なかなか難しいです・・・よ! 魚翅の姿煮は。 なので、よく考えたなぁ~と感心しました。

 14、5年前の話ですが、ヤンピンはかつて、 頼まれて魚翅の缶詰めの輸出を手がけたことがありました。 年末、旧正月と続くシーズンは台湾では、最大のギフトシーズンです。 魚翅の缶詰めは、もっとも喜ばれるギフト品のひとつだったのです。 この時から缶詰めと同時に、レトルトの魚翅も紹介されました。 どんぶりやラーメンにかけても美味しいよ!とのことでした。 貴重な一枚しかない尾っぽを好むかたが多く、サイズの問題もあって、 どうしても規格外のヒレが余ってくるので、 もったいないから色々と商品を開発したようです。 なので、ヤンピンはすでに15年前からインスタントの魚翅を口にしていました。

 まぁ、両方のインスタント魚翅は共に美味しいのですが、 笑われるかもしれませんが、違いは調理した味だけのように思います。 同じ海で泳いだ鮫のヒレですからね!

 近年環境保護の観点からも、台湾でもこのまま魚翅を消費しても大丈夫なのか? と懸念されています。 一方で、台湾は魚の養殖が盛んなので、そのうちに養殖の鮫も登場してくるのかしら? と思うこともありますが。 鋭い歯を持つピラニア、台湾では「呉郭魚」が食用として養殖に成功していますもね!  名前通り呉さんと郭さんが養殖に成功したのだそうです。


頂いたチンする魚翅


 
 

随意談 第105号(2011年2月2日)   楊品瑜

 
~巴西巧克力(ブラジルチョコレート)~
 今年も、巴西(ブラジル)の親戚から巧克力(チョコレート)が届きました。 そして、今年の巧克力はどうやら美味しさが一目置かれ、好評のようです。 好吃!(美味しいです!)

 思えば新婚の頃、巴西の親戚から生きた龍蝦(ロブスター)が届いたこともあった話は、 教室でも雑談でよく話しました。 なぜならば、ヤンピンはよく鶏を絞められますか?と聞かれるからです。 なぜか?花嫁修業の一環と思われていたようです。 しかし、さすがのヤンピンでも、生きた生物を調理する勇気はありません。 無理・無理です。 なので、生きた龍蝦も調理できない人として釈明させて頂きました。

 今でもなぜ生きた龍蝦が届いたのかよくわかりませんが、 箱を空けたら縛られて、微かに動くロブスターがいたのです。 しかし、目はキョロキョロと元気いっぱいです。慌てて電話したのですが、 「食べて」とのことでした。ほっー。

 その後、最大の問題は調理法です。 ボイルも考えたのですが、調理の行程を想像しただけで、いやになりましたので、 結局蒸し器にそのまま入れて蒸しました。 30分後かなぁ?どきどきしながら蓋を空け、その後どうやって食べたのかはさすがにもう記憶がないです!  でも、新鮮でとても美味しかったことは、はっきりと覚えています。 本当にブラジルの親戚に感謝!ロブスターに感謝!でした。 貴重な体験ですね!

 その後もちろん、生きたロブスターが届くことは無くなったのですが、 子供が生まれたこともあって、代わりにチョコレートが届くようになりました。 毎年この時期には、教室の皆さんにも食べてもらっています。


残り3個となった巴西巧克力


 
 

随意談 第104号(2011年1月26日)   楊品瑜

 
~滑冰・溜冰(スケート)~
 第三回茶芸珍蔵展 が無事に終了しました。 ヤンピンも一安心しました。 皆様の大事な思い出を預かっての展示会なので、やはり終わるまではいつも責任重大ですね!

 ところが、ヤンピンのプレシャーを知ってか知らずなのか、 子供同士の情報で、家の近くのショッピングセンターでなんと期間限定の溜冰場 (滑冰・溜冰と両方が使われているようですが、ヤンピンは溜冰が使い慣れていますので、 ここからは溜冰を使いますね!)ができたので、どうしても週末に行きたいというのです。 つまり、珍蔵展の前日です。 準備疲れもありましたので、まぁ、今日はこのまま家事をサボり、 食事をしてから帰ろうかなぁ・・・という気持ちで、家族総出で行って来ました。

 少し不安のなか、きれいなライト花火が見えてきて、 まさか・・・  吃驚しました。 本当にりっぱできれいなリンクが見えました。 子供たちは大喜びで、大騒ぎです。

 結果的にはとても楽しく、初体験ながら満足し、また来たいとさまざまな感想のなか、 しりもちもいっぱいつきました。 なので、ズボンはびしょびしょです。 晩御飯はお弁当となりました。 帰宅後はすばやくお風呂にも入り、家伝の漢方で打ったところのアフターケアをし、 思い出と共に夜はぐっすりと寝てくれました。 ある意味ではヤンピンはこれで落ち着いて、珍蔵展の残りの準備にまた取り掛かれました。

 珍蔵展では、教室の受講者の皆さんが積極的に準備、 すばやく片付けを手伝ってもらいましたので、本当にこちらも幸運でした。 当日も定時を少しオーバーした時間で終わったのにも関わらず、片付けは予定より早く終わりましたね!

 まだまだ運営のノウハが未熟な部分もありますが、これからもまた継続的に開催できるように、 自我加油(自分に頑張れと)な気持ちになれました。 謝謝各位大家(珍蔵展ご来場頂いた方々も含め、関わったすべての皆さん、ありがとうございました。)





 
 

随意談 第103号(2011年1月20日)   楊品瑜

 
~多少錢?(おいくら?)~
 イクラをいっぱいもらいました。 ヤンピンも子どもたちも大好きなので、ちょっとした食べ放題でした。

 イクラといえば、思い出すのは、昔、媽(母)が台湾に瓶詰めのイクラをお土産で持って帰った時のことです。 税関で呼び止められ、「這是什麼」(これは何ですか?)と聞かれ、 媽はとっさに何の魚の卵かを忘れていたようで、 台湾語と日本語のチャンポンで「這是イクラ」と答えたのでした。 そしたら、税関のかたが「イクラは多少錢(おいくら)?ばかにしないでください」と返して来たのです。 媽もまたチャンポンで「イクラ就是(は)イクラ」と言い張ってしまい、 結局不明物体として、税関に置いて来たことがありました。

 日本では誰もが知っていたであろう、美味しいイクラでしたが、 当時の台湾では、まだメジャーではなかったようですね!  媽には「魚の中国名が分からなくても、魚蛋(魚の卵)と説明すればよかったのに」 とアドバイスしたのですが、 「台湾ではこのような色の魚蛋はないから、その人に説明しても無理だったと思うわ!」 (PS.ヤンピンの内心ではそうかなぁ・・・)とあっさり言われました。 マグロがいろいろ騒がれていますが、中華圏ではナマモノをまだまだ食べない人も多くいますので、 まぁ、こんなこともあるさーと理解したのかないかでした。 因みにヤンピン家では、台湾風に魚蛋を蒸して頂くことがよくあります。 魚蛋のイクラもやったことがありました。 レシピが悪かったのか、硬くなり、美味しくなかったです。 なので、イクラはやはり生のほうが美味しいと思います。

 フルーツの柿(かき)と魚介類の牡蠣(カキ)、橋(はし)と端(はし)、花(はな)と鼻(はな)、 かつてヤンピンが住んでいた京都の桂(かつら)と頭に付けるかつら、 などなど関西弁と東京弁のイントネーションもあって、実はヤンピンは今だに混乱しています。。。 日本語はやはり難しいですね!





 
 

随意談 第102号(2011年1月14日)   楊品瑜

 
~餡餅(あん餅)~
 新年早々、子供たちと日本流に初詣へ行って来ました。 実は、学校の新聞を作るためでもありました。 帰り道、出店に餡餅のお店がありましたので、学習のためと思って餡餅を一枚購入し、 試食させようと思ったのですが、一枚では止まりませんでした。 さまざまな味やサイズがありますが、餡餅とは小麦で練って焼いた薄ぺらったいおやきのことです。 餡無しの”焼餅”と違い、ひき肉などの餡入りなので、一般に餡餅と呼ばれています。 餡餅は台湾でも食べたのに、と思ったのですが、やはり味覚で覚えていたようで、おかわり、おかわりでしたね!

 つい思い出したのは、ヤンピンが台湾で過ごした学生時代に、よく親に内緒で学校帰りに、 友達と屋台の餡餅を購入し、食べてから帰宅していたことです。 餡餅は、一枚日本円にして一円にも満たない、 学生には優しい小吃(小腹が空いた時のおやつ)だったと思います。

 ヤンピンがよく通った屋台は、蒋介石と一緒に戦争で台湾に渡って来た退役軍人さんの屋台でした。 なので、家庭の味の餡餅です。 ほかでは食べられないオリジナルの味、素朴で、新鮮に感じ、本当に美味しかったです。 その後、日本に来てからも幾度と試しに作るのですが、 日本の薄力粉で作るとなんとなく上品過ぎる味となり、やはりあの味は作れなかったですね!

 機会があれば、一緒に作ろうね!と子供を説得し、やっとおかわりが終わりましたが。 屋台の味や楽しさ、人情も子供にはもっと体験させたいと思いました。 その後子供たちはやはり、餡餅のことをしっかりと新聞に書き込んでいましたよ!


スカイツリーと亀戸天神


 
 

随意談 第101号(2011年1月8日)   楊品瑜

 
~通世界(世界に通じている)~
 先日、突然20数年ぶりに台湾の友人から実は、いつもホームページを見ていると言う連絡を頂きました。

 とても吃驚しましたが、戸惑いもありました。 そうだよね~ヤンピンもボタンひとつで、毎日中国語や日本語圏のニュースをチェックしているのですから、 日本以外のところから反響が来るのも当たり前ですね。。。

 しかし、日本語で文章を書いていても、日本の読者だけではなく、 やはり、インターネットは世界中と繋がっていた実感がさらに湧きました。

 台湾では、高校の授業で第二外国語教科に、日本語を選ぶかたが多いと聞いていましたので、 今後は、中国語圏での閲覧も意識した書き物を書かなくてはならないのかなぁ~。 と少し思いました。 確かにそろそろ、台湾や中国での講演も考えてはどうかとお誘いを受けたことがありました。

 悩むところですが、目の前の教室ひとつひとつをこなしていくのが、精一杯なのが、現状かなぁ。。。 なので、今後の課題としましょう!

 では、今年もよろしくお願いします。
 恭禧新年★兔年行大運!


XO醤

親戚からもらった、お土産の華泰大飯店の干貝XO醤(ホタテのXO醤)です。 最初は、なぜヤンピンにお酒を?と反応してしまいましたが、よく見たら SAUCE XO と書いてありました。 言い訳ですが、今回、ヤンピンもさすがに浅はかでした、 なぜか父はよくお土産で「XO」と書いた洋酒をもらっていたので、 どうやらヤンピンにはこちらのほうが馴染みだったようです。 XO醤は台湾よりも香港でよく使われていたように思いましたが、 だから台湾では珍しいので贈答品に使われたりしていたようです。 なので、正月料理に使いました。


 
 

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