随意談 第100号(2010年12月31日)   楊品瑜

 
~談茶藝(茶芸について語る)~
 随意談を書き始めて、100号に到達しました。

 子供の頃から親しんで来た中国茶、 そして茶を持って芸術性のある日々を送ろうと言う茶芸文化の美学を知るようになり、 本当に茶芸がもたらしてくれた充実感でいっぱいです。 もちろん、お茶は飲むことが原点です。 しかし、その飲み方に美学があったことに気がついた時には、本当に衝撃を覚えました。

 教室を通じて多くのお茶通に出会いました。 「どうしてこんなに知っているの?」と吃驚するほど教養の高い方にも多く出会いました。 今まで、多くのイベントに招待されてきましたが、 今回の中国茶会が一番よかったとお褒めの言葉を頂いたことも多くありました。 やはり、日本の茶道文化の教養の高さがもたらした結果だとヤンピンは確信しています。 また、多くの指導師たちも、中国茶を勉強したことによって、 日本人なので、茶道も知っておかないといけないよね!と茶道についても、勉強するかたを多く見受けます。 そう言えば、着付けを習い始めたかたもいらっしゃいます。 やはり外国に行っても、なんとか自力で着物を着たいのだそうです。

 中華圏では忙しい毎日の生活に追われ、茶藝を楽しむ余裕がない方がまだまだ多くいらっしゃいます。 時たまヤンピンも関係者から講演の依頼を受けますが、日本の皆さんからよく茶藝を教えてほしいと言われ、 淹れ方だけだと思っていたら、あれやこれやと聞かれ答えに困り、 お茶は、淹れ方だけではなかったのだね!とよく言われました。 お茶を飲むとリラックスしますので、和やかな雰囲気となり、会話が進み、 時たまヤンピンでもお答えできない質問が飛び交い、後日ご返答します。 となることがよくありますよ!しかし、後日の文通やお電話で親交が深まったりもしますので、 「茶飲みケーション」となるのです。 とご説明しています。

 近年日本での中国茶ワールドは少し、門が拡がったように思いますが、 まだまだ関係者が協力し合い活動していかなくては行けないように思います。 国籍、国境に関係なく、自然体でマイペースで活動している弱小の教室主宰者のヤンピンには、 細々と勉強し茶藝を伝えていくことしかできませんが、今後も同感頂ける方々の応援をよろしくお願いします。 (今後也請大家多々指教!)

 祝新年快楽!

中華民國茶藝協會刊行の
『1987中華民國茶藝大観』

少し懐かしいのですが、中華民国茶芸協会(当時)秘書長だった范先生に頂いた 協会発行の本です。 台湾で行われたさまざまなコンテストの優勝者、茶人、茶芸館、さまざまな茶芸文化の楽しみ方、 銘茶の産出農會(農協)、日本、韓国茶道などなどを紹介しています。 中華民国茶芸協会は主に台湾の天仁銘茶が主体に中国茶文化の発展に共感したお茶屋さんや有識者が集まり、設立した民間団体です。 「天仁銘茶」グループは中国本土では、「天福銘茶」として知られています。天仁名茶は台湾に約150店舗、 天福銘茶は中国本土に約1040店舗、ほか世界数カ国にも店舗展開があります。 もちろん、日本にも支店があります。 また、福建省に在校生2000名を超えるお茶の学校や茶の博物館も所有しています。


 
 

随意談 第99号(2010年12月24日)   楊品瑜

 
~以茶會友(以茶会友)~
 気がつけば、家に色々な茶メーカーのグッズが溜まっていました。 仕事をした謝礼からお茶を購入した時の景品、各国の茶メーカー、 茶園のオーナー からもらったものなどなどがあります。 今も残っているものは確か、本、ペン、手帳、企業のロゴ入りポロシャツ、ぬいぐるみ、 ストラップ、テスティングカップやボンチャイナの茶碗までさまざまありますね!  ヤンピンには、ちょっとした宝の山です。

 ヤンピンがやっていたお茶の仕事は、教室の講師だけではなく、メニュー開発からお茶の商品開発まで、 広告代理店の相談役、本当に色々とやりました。 追伸:勿論いやな思いもいっぱいしましたよ!紹介されて到着した茶工場で、名刺をもらってもらえなかた(相手されずかなぁ・・・ちょっと悲しかったですね!)とか色々ありますよ! そして、近年は国際交流や文化交流と更に活動分野を広めましたが、 やはり一人でも多くの方々にお茶を飲んで頂くのがすべての原点ですね!

 ここ数ヶ月、指導師たちが立て続け、知人から自宅茶会を開催してほしいという依頼が来ています。 ヤンピンも、茶や茶菓子をおすそ分けしたりと色々と協力しました。 嬉しいのです。私でいいのかなぁ?お茶の仕事をどう続けようかなぁ?それともやめようかなぁ? と一人でもがいていた時代と違って、今は仲間が沢山いますので、 茶会の依頼がどんどん来ると本当に嬉しいですね!

 時たま日本風にアレンジされた中国茶の楽しみ方をお見受けしますが、 鍋貼(焼き餃子)が日本に伝わって、餃子(一般に中国語では、餃子は水餃子を指します)となったように、 中国茶の今後は、日本でさらにどのように浸透し、歴史を作っていくのかも楽しみです。

 来年は、2年に一度の 「第三回茶芸珍蔵展」 をまた開催します。 多くの茶友にもぜひ、お茶を飲みに来て頂きたいですね!

祝大家聖誕快楽!(メリークリスマス!)


頂いたミニチュアの車



 
 

随意談 第98号(2010年12月14日)   楊品瑜

 
~苦瓜排骨湯(ニガウリと豚のスペアリブのスープ)~
 台湾でよく見かける白苦瓜を頂きました。 そして、自家製枸杞子、排骨(豚のスペアリブ)とともに薬膳スープを作りました。 少々季節はずれですが、枸杞子 は前にご紹介後も、 続々と採れていたので丁度今回の料理にも使えました。

 白苦瓜は台湾では60年以上の栽培実績があるのだそうです。 ヤンピンの実家ではよく白苦瓜を食べていて、苦瓜は白色が当たり前と思ったぐらいでした!

 韮(ニラ)も白色に近い黄韮をよく食べさせられていて、 今住んでいる地域のご近所のスーパーや百貨店でも気軽に黄韮が買えたので、韮は黄色に近い白いものが当たりで、 日本は気候が違うから緑色も作っているんだと勘違いをしていたほどです。 その後、黄韮は光を遮断して栽培していたことを知りました。

 白もの野菜と呼んでよいのかよく分かりませんが、 前に紹介した 筊白筍(まこもたけ) の他に、 ヤンピンは夏によくアメリカ原産の「ハヤトウリ」という珍しい白い瓜を頂くことがあります。 瓜類は日本では一般に漬物にして食べるようですが、ヤンピンは豚の細切れと炒めて数回教室で試食頂きました。 瓜類を火に通して食べるのを珍しがられましたが、食感も味もよく、 火を通すと沢山食べられるのでたまにはよいかも!と共感頂きました。





 
 

随意談 第97号(2010年12月7日)   楊品瑜

 
~OPEN小將(open-chan) OPENちゃん~
 関根稚恵 指導師の台湾土産で”OPEN小將”関連の土産を頂きました。 学会で台湾を訪れたそうです。

 OPEN小將とは、宇宙から台湾のセブンイレブンに来たとても縁起の良い宇宙犬でして、 現在は実習生を経てめでたく店員となりました。 と言っても、実はマスコットキャラクターです。 2005年、日本の電通という会社が開発した今ふうで言うゆるキャラです。

 もちろん、登場後は大人気で、昨年、ポイントを集めれば、 音楽を鳴らしたキャラクタ人形がもらえるということで、ヤンピンは貴重な二体を親戚からお土産で頂きました。 また、一体一体が繋げられるようにも作られていて、子どもたちは思いついた時には、 駆け寄ってはボタンを押し、リズミカルな音楽とともに、トントントンと指で叩く音とともに、 全員揃って踊るキャラクターたちに合わして、子どもたちも全員揃って踊っています。 因みに頂いてから一年近くになりますが、そろそろ電池交換の時期なのかもしれませんが、 人形たちも、子どもたちも現役です。 本当に家中が一瞬にして明るく、楽しい雰囲気になります♪♪♪

 OPEN小將たちの近況としましては、、キャラクターを使った商品がさまざま企画開発され、販売されています。 そして、上海のセブンイレブンでもデビューを果たしたそうです。 なので、更なるご活躍をご期待しています。

OPEN小將関連の景品と商品


左:小竹輪(ちくわ色のハムスター)
右:COCO鳥


LOCK小?のグミ(OPEN小將と
性格が反対な宇宙から来た犬)



 
 

随意談 第96号(2010年12月2日)   楊品瑜

 
~新加坡(シンガーポール)~
 今度は親戚から新加坡土産を頂きました。 新加坡と言えば、前に勤めた会社がかつて、数店舗の出店をしていたので、ヤンピンは大変親しみを感じる国です。 いつも出張して来た新加坡のスタッフとは、英語でしゃべったり、マンダディン(標準語=中国語)でしゃべったり、 たまに閩南語も通じたりしますので、口が忙しかったですね!  今回頂いた土産は、正直懐かしい香りがしました。

 そうそう、新加坡と言えば「マーライオン」。 よくお土産であれこれともらっていたマーライオンは、千葉の館山市の「南房パラダイス」にもありました。 今もあると思います。 理由は、シンガポール国立植物園とは姉妹園だからだそうです。 初めて行った時はやはり思わず、日本のマーライオン関連のお土産を買いました。 今でも飾っています。 今では、家中のマーライオンは日本のマーライオンなのか、 新加坡のマーライオンなのか、区別がつかなくなることもあったりしています。

 今思えばヤンピンは、「南房パラダイス」がとても楽しかったので、 千葉で茶芸教室をやろうと参考になったのですよ!  やはり気候的に熱帯植物が育つのと、肌にあったのでしょうね。 海が近いところがよかったのかなぁ~。 やはり、台湾で住んでいた環境になんとなく似ていたのかなぁ~。 (ps.台湾の平地では雪は降りませんが・・・)

 そう言えばヤンピンの名前は、父の相談を受けた元新加坡大学(シンガポール国立大学)の教授が付けたのだそうです。 やはり新加坡は何かと縁がある国だよね!


頂いた新加坡土産です。



 
 

随意談 第95号(2010年11月25日)   楊品瑜

 
~吃辣油(ラー油を食べる)~
 ずいぶん前に台湾で、健康法「喝茶油」(茶油を飲む)というブームがありました。 お茶の種から搾った油を飲むのですね~。 そして、日本では今、食べる辣油が流行っていますね!  数年前に教室のお茶請けに茶油を使った涼拌(リャンバン)を出したところ、受講者のお一人から、 「ダイエット中なのに、中国茶の教室で油を摂取するとは思わなかった」と言われた話を思い出します。

 確かにダイエット中はカロリーは気になりますよね!  ただ、油はさまざまな役割と働きがあるので、取りすぎには注意すべきですが、 自分の身体需要に合わせて、質を選んで油を摂取すべきでは?と説明しました。

 現在では迷うほど多種類の油が販売されていますが、 かつてアボカドオイルを扱った経験から、油は本当に学問と思いました。 なので、少々知識はありました。 中華料理では当たり前のようで、何気なく使っていた油、上手に使えば料理が美味しく頂けるだけではなく、 健康の促進にもなることも勉強になりましたよ!






 
 

随意談 第94号(2010年11月18日)   楊品瑜

 
~春華秋實(春華秋実)~
 「春華秋實」と言いたいところですが、今年2回目の枸杞子(クコの実)を収穫しました。 中国語の「春華秋實」とは、春に花が咲き、秋に実るということから学習の成果を称えたり、 外見の美と内面の徳が優れていることにも使われます。

 ところで、枸杞の栽培は3年目に突入しました。 花はいっぱい咲くのですが、無農薬なので、いつも葉っぱは虫にいっぱい食べられてしまい、 なかなか枸杞子の収穫量も増えませんでしたが、今年は2回収穫に成功しました。 やはり、強くなったように思います。 自画自賛ですが、「春華秋實」の枸杞子です。

 枸杞と言えば、 かつてヤンピンは中国家庭料理店を運営する北京出身のマダムとの共同イベントで教室の講師を務めたことがありました。 企画会社と共に打ち合わせ中にマダムは枸杞茶をずっと飲んでいたので、 いろいろお聞きしたところ、北京ご出身なので、茶葉を使うお茶は取り寄せをすることが多いので、 やはり茶外茶をよく飲むそうです。 また好みのお茶は、よく浙江省から取り寄せるそうです。 時々、ジャスミン茶も飲むようですが、 当時のお話では、北京ではよくジャスミン茶が飲まれ、 烏龍茶を使ったジャスミン茶をよく見かけるのだとか・・・とのお話でした。 見せてもらったのですが、枸杞茶はシンプルに急須に入れられ、お湯を注いで茶杯で飲むスタイルでした。 モデル出身のマダムなので、とてもヤンピンにはおしゃれに見えましたね!  ヤンピンには、通常お店で出しているお茶を出してくれていましたが、忘れられないお茶の味でもありました。 北京語風に「記憶中的茶味兒」(記憶の中のお茶の味)てところです。

 ヤンピンは枸杞をよく薬膳料理に使っていたのですが、 日本ではデザートにも使うので、最初は吃驚しましたね!  そのうちドライナッツなどとも一緒に食べられていたのにも吃驚しました。


自家製枸杞子



 
 

随意談 第93号(2010年11月12日)   楊品瑜

 
~肉圓(バーワン)~
 懐かしい~。肉圓を頂きました。 ヤンピンが大好きな 台湾小吃 のひとつです。 台湾に帰ると必ず食べる一品ですね!  小吃とは小腹が空いた時にちょっとお腹を満たそうとして食べるおやつのような、 食事のような料理たちのことです。 よく屋台で売られているので、気軽に買えることで、一種のコンビニフーズですね!  それも手作りがほとんどですよ!

 屋台料理は衛生面では色々注意しなくてはならないことが多くありますが、 現在は働くお母さんたちを支援している一面もあるように思いますね!  台湾では働く女性が多いので、作れない時は無理せずに利用するかたも多いので、 実は屋台料理は競争も激しく、淘汰も多いようです。

 最近知り合いの台湾料理屋さんが色々と紹介してくれるので、 結構本場の食材を手に入れられるようになったので、 教室でも受講者に色々食べて頂けるので、助かっています。 なかなか日本で作るといっても、水の味から違うように思いますので、 教室で本場の味を皆さんに味わってもらうのは、ヤンピンのちょっとしたこだわりですね!

 ところで肉圓とはですね、直径10cm前後の半透明の饅頭ですかね!  中には細かく刻んだ醤油味の豚肉、竹の子などの餡がはいています。 そして、甘辛ソースをかけて食べます。 プルプルした食感のおやつとおかずも一緒に頂けるて感じ?ですかね。  しかし、久しく頂きました。美味しかったです。懐かしかったですね!






 
 

随意談 第92号(2010年11月5日)   楊品瑜

 
~飯店的茶(ホテルのお茶)~
 色々と物を整理をしていたら、こんなものが出てきました。 そうです。教室主催のツアーで泊まった飯店のオリジナルのお茶です。

 懐かしい反面、ずいぶんあるな~収集してしまいました。 なかでも圓山飯店はもっとも人気の飯店の一つでしたので、結構貯まりました。 圓山飯店は台湾神宮の跡地から建てた飯店だったので、本当に興味深い飯店のひとつです。 また故宮博物院へのアクセスも近いので、実によく利用したホテルのひとつですね!

 因みに圓山飯店前の大通りはヤンピンが高校生だった時代の通学道でした。 と言っても1年と少ししか通っていませんが。 ヤンピンの幼少期の初来日の日は、圓山飯店近くの松山機場(当時の国際空港)から旅たちましたので、 圓山飯店の真上を見て台湾を離れるんだ~と言う気持ちでした。 もちろん、帰って来る時も圓山飯店を見て、「おー、帰って来たんだ」でした。 なので、感慨深いですよ圓山飯店は!

 しかし、現在の国際空港は桃園國際機場ですが、 こちらもこちらでまたヤンピンにもさまざまな人生のドラマがありましたね。。。 当たり前のようにホテルに置いてあったサービス茶ですが、持って帰ってみると貴重なお土産となりました。

PS:確か、10月31日より羽田空港⇔台北松山機場(空港)が
   結構な便数で就航する予定です。








 
 

随意談 第91号(2010年10月30日)   楊品瑜

 
~青豆(グリーンピース)~
 昨年台湾で「ちょっとした青豆ブームだよ!」と聞いていましたが、 とうとう、家の近くにある大手の輸入食品専門店でも販売されていました。 吃驚です。

 青豆ね~。 このブームは、聞いた友人の周りでのブームだと思っていましたが、日本でも購入できるとはね~。

 そして、ヤンピンは二種類購入しました。 ひとつはなぜか、やけに売れているのでは?と思ったのでした。 商品名は「香辣青豆」です。 タイトルからしても、絵柄も唐辛子付きなので、やはり辛いから人気なのかなぁ~と思っていたら、 よくよく見るとパッケージ上のコメントが凄い。。。  過剰包装ならぬ、過剰表現というか・・・笑えます。 大げさな表現なので訳せないです。。。  ヤンピンには(大笑いです)・・・ 「驚・爆・地・球」と書いてありますよ!  他にも「香辣青豆・不吃瘋狂」などなどと書いてあります。

 しかし、物凄く大げさなのでは?個性的なところが人気なのでしょうね!  しかし、正規に輸入された商品ですからね!  やはり、面白いですね!

 一方で、もうひとつ穏やかに思える方のパッケージには、「日本酒の酒器と共に」、 例の如く 日本語 が書いてあります。 「栄養でおいしい」だそうです。

 二袋とも教室の茶菓子として出す予定ですが、食べる前から、 味よりもタイトルだけでも相当盛り上がりそうです!






 
 

随意談 第90号(2010年10月23日)   楊品瑜

 
~日式煎蛋要怎麼翻成英文?(日本のだしまき卵をどう英訳しますか?) ~
 先日、お話した日本留学中のアメリカの親戚 からだしまき卵について、色々と質問されました。 「どうして、角ばっているの?」、「どうして甘いの?」、そして「英語でなんと言うのだろう?」と。 「なるほどね!Japanese rolled omelette かなぁ?」と説明したら、やはり本物のオムレツを想像するようで、 切り身となった玉子焼きと結び付けるのは、なかなか難しかったようです。 色々説明はしましたが、結局は「機会があれば作ってあげるね!」ということにしました。

 そして、またまたご近所の超級市場で、つきじ丸武の玉子焼き(テリー伊藤さんのご実家)を購入しました。 開けたら、まさしくJapanese rolled omelette でした。 最初からこれを見ていたら、親戚も理解頂けたのかもしれませんね!と思いました。

 ところで、今回の親戚のご来訪でヤンピンには大変勉強になったことがありました。 実は、親戚を皆さんにご紹介をしようとしたところに、呼び方の違いから性別の混乱をもたらしたのです。 中華圏では一般に、自分から見て、兄弟の子供の息子は「姪子」、娘は「姪女」と呼びます。 姉妹の子供では、その息子は「甥子」、「甥女」と呼ぶのに対して、 日本では兄弟姉妹に関わらず、一律その息子は「甥」、娘が「姪」だったことに初めて気がつきました。 経験しないとわからないって、このことか!と本当に勉強になりました。






 
 

随意談 第89号(2010年10月15日)   楊品瑜

 
~俄羅斯套娃(マトリョーシカ)~
 哈爾濱(ハルビン) 帰りの関根稚恵 指導師から俄羅斯套娃をもらいました。 超可愛(超可愛い)なので、紹介したいと思い、俄羅斯套娃についての中国語資料をあれこれと調べていたら、 吃驚、なんと由来は日本の七福神人形だったそうです。 諸説があるのかもしれませんが、七福神人形からヒントを得たロシア人が、 1900年のパリ万博博覧会で賞を取ったのがきっかけで広まったと言うのです。

 中国茶の凄さを更に感動した瞬間でしたね!  中国茶をきっかけに、俄羅斯套娃の由来まで知ってしまったからです。 中国茶芸教室が縁で繋がった関根稚恵指導師は、ロシアと何かと関わりが深い哈爾濱、 土産として何気なく買って下さった俄羅斯套娃でしたが。 ヤンピンも何げなく、由来は何だろうと思って調べただけでしたが、 由来は日本でしたかぁ~巡って・巡って日本ですか~すごいなぁ~。

 そう言えば、昔、ベトナム茶関連の講演を行い、講演終了後に受講者数人のお誘いを受け、 主催者とも一緒に、古民家の隠れ家的な喫茶店へ行った事を思い出します。 みんなから「お茶て凄いのね!  こうして一瞬にして、みんなを繋げ止め、今ここで仲良くお茶を飲み、談笑するとはね!  哈哈哈(ハッハッハッ)、本当に『茶緣』(お茶が取り持つ縁)ですね!」と。

 「有縁千里來相會、無縁對面不相逢」 (縁があれば千里離れた所から来てでも会うことができる、縁がなければ目の前にいても巡り会わない)と言いますが、 ヤンピン的には、「有茶就必會有縁」(お茶があれば必ず縁がそこにある)のようにも思いますね!


哈爾濱土産のマトリョーシカ



 
 

随意談 第88号(2010年10月8日)   楊品瑜

 
~綠豆(緑豆)~
 ヤンピン主宰の教室でよく、綠豆関連のお土産をもらいます。 なかでも綠豆糕は、ベトナム土産でも頂いたことがありました。

 昔から綠豆糕はよく茶菓子として登場していましたが、由来は正直よくわかりません。 ヤンピンはどちらかと言うと綠豆椪が今となっては懐かしく、よく食べたくなります。 綠豆椪は油ぽっいので、子どもの頃は正直食べられませんでした。 しかし、今では懐かしくて懐かしくて、無性に食べたくなることがありますね!

 夏になると綠豆湯を食べて、”夏ばて防止”とよく親に言われてきました。 なので、教室でもよく作って皆様に食べてもらっています。 昔と違って綠豆もずいぶん日本で気軽に買えるようになりました。 と教室で話したことがありましたが、するとある受講者からぽつりと、 「綠豆は戦後食糧難の時代によく食べましたなぁ~」と。 「今はほとんどが加工品に使われているからね。 こうして、粒粒の綠豆を見るのは懐かしい!」と言われたことがあり、 興味深く拝聴させてもらいました。 綠豆には日本でも色々と歴史や物語があったのですね。

 綠豆はなんとなくデザートに使われるもの、と言うのがヤンピンの認識でしたが、 昔コンサルタントを行った会社のフィリピン人社員からは「綠豆はよくスープなどの料理に使う」ということで、 レシピを教わったことがありました。 初めて聞いた時はもちろん、吃驚しましたが、よく考えたら緑豆もやしがあるのだから料理に使われても当たり前か。。。


中国土産で頂いた綠豆糕



 
 

随意談 第87号(2010年10月1日)   楊品瑜

 
~孩子泡的茶(子供が淹れたお茶)~
 先日、孩子們(子どもたち)がヤンピンのために紅茶を入れてくれました。 食育の結果?でしょうか。 超級市場(スーパー)で自分たちで、食用花(エディブル・フラワー edible flower)を見つけ、 媽媽の教えに従い(2003年2月16日読売新聞の記事)おしゃれに淹れてくれました。 とても美味しかったですよ! 人が淹れたお茶を頂くことは、ヤンピンにとっては、更なる至福の時間ですからね!

 孩子們も満足感からか、淹れたお茶の写真を撮るようにせがんできました。 せっかくなので皆様に紹介させて頂こうと思い、タイトルを決めたところで、 何か懐かしいような、似たようなものをどこかで見たような~と思っていたら...  一時期中国語の歌が恋しくて、携帯にいっぱいダウンロードした周杰倫の、 ヒップホップ調(?)の「爺爺泡的茶」(直訳するとおじいちゃんが淹れたお茶)を思い出しました。

 「爺爺泡的茶」の歌詞は、台湾育ちには本当によく心に沁みる内容です。 お茶の味は単純にお茶の味を飲んでいるのではなく、その文化も飲んでいることを象徴した内容ですね!  歌い出しの歌詞に爺爺が淹れたお茶には、「家」と言う味がする♪♪♪と曲が続きます。 「回憶童年」(子どもの時代を思い出す))、爺爺と一緒に住んでいたあの時代を思い出しますね!  懐かしいなぁ~。

 そして、肝心な写真ですが、湯気がたち、なかなかプロのようにうまく撮れませんでした。 なので、代わりに子どもと育てた棗(なつめ)の木をご紹介します。 もちろん、肥料はお茶です。 三年目でやっと実りました。 実りの秋ですね♪♪♪


孩子們と育てた棗の木
写真中央右端に茶色ぽっく
見えるものが、なつめです。


 
 

随意談 第86号(2010年9月22日)   楊品瑜

 
~回娘家(里帰り)~
 先日、実家に帰ったら、媽(ヤンピンの母に対する略称)が一生懸命見ていた、DVDがありました。 もちろん、「要不要一起看(一緒に見ようよ)!」と誘われ、一部だけ見ました。

 とても凛々しい主役(台湾の人気俳優陳冠霖さん)と着物が物凄く現代ファッションだったので、 台湾では着物はこのように映るのかと関心しました。 着物に眼が行ってしまっているヤンピンに、媽から「看戯(ストーリー)?(ドラマを見なさい)!」 とストリーに集中するように言われましたが、やはりファッションに眼が行きますよねぇ! ヤンピンは、日本慣れしてしまったよう~です。

 DVDは数年前に台湾のテレビ局が制作した番組だったようで、 日本統治時代に、台湾の嘉南平原(台湾最大の農業区)一帯での治水で活躍した八田与一の半生物語です。 俳優陣は全員台湾の俳優が出演し、ストーリーは前々から知っていましたが、 台湾で作った日劇(日本のドラマ)は、こうなるのかと違う視点からでも面白かったですね!

 媽はついつい懐かしさからか数回も見てしまっているようですが、ドラマの中には、幾つか懐かしい物、 言葉遣いや出来事があったようで、レトロで子ども時代を思い出していたようです。 日本でも昭和もののドラマが懐かしく、新鮮でもあるような感覚と同じなんだなぁ。と思いましたね!


媽と一緒に観た台湾のDVD「水色嘉南」



 
 

随意談 第85号(2010年9月14日)   楊品瑜

 
~琉球芒果(沖縄マンゴー)~
 昨年 に続き、今年もフレッシュな芒果をいっぱい頂きました。 そして、今年はとうとう琉球芒果も頂きました。 ありがとうございます。

 子どもの頃から食べて来た芒果ですが、どこ産も年々磨きがかかり、甘みとうまみが増しているように思いました。 日本での芒果人気の始まりはプリンだったように思います。 今では、芒果プリンはスーパーで普通に買えるようになりました。 今年は、青いドライマンゴーも日本で購入できました。芒果の楽しみ方が、益々日本でも浸透してきましたね!

 おいしい芒果を頂いたところで、、、今年の夏、本当に暑かったですね!  秋からはこの夏に消耗した諸エネルギーを回復する諸講座を開催してほしい要望が幾つか来ています。 やはり、本格的な熱い中国茶がそろそろ飲みたくなったようです。 また、指導師 たちにも、 あちらこちらからと茶会を開催してほしい依頼が幾つか来ているようですね!  もちろん、まだ相談を受けた段階です。

 ヤンピンの教室では、中国茶は原則熱いお茶で頂くのです。 少しは涼しくなるようですが、まだまだ暑さが続くようですね。。。 と悩むところもありますが、やはり「この夏は暑かったですね!」 と茶話として生かしつづ、教室で培われた茶を美味しく、楽しく彩ってくれる食べ物たちを上手に取り入れ、 ひと時の異国、“中国茶タイム”を楽しんでほしいですね!






 
 

随意談 第84号(2010年9月8日)   楊品瑜

 
~看起來好好吃?!(美味しそうですね!)~
 我が家の小朋友們(子供たち)がマンゴーゼリーのフルーツポンチを作りました。 近所のスーパーで楊桃(スターフルーツ)を見つけ、作りたいというので、 市販のゼリー も購入し、オレンジも加え、ひと工夫も加え、愛情(?)も加え完成しました。

 途中で誰が楊桃を切るのか、誰がオレンジの皮を剥くのかを決めるのに苦労しましたが、 全員が体験したので、完成するまでに通常の三倍の時間がかかりました。 きっと美味しさも三倍でしょうね!

 ヤンピンは教室で、よく愛玉や仙草のゼリーを使ったフルーツポンチを出しています。 愛玉に至っては愛玉子(愛玉の種)を揉んで、ゼリーから作ったこともよくありました。 ただ難点は、数時間後には水に戻ったりしますので、作ったらすぐ食べないといけないのですね~。

 そうそう、愛玉は上野谷中に「愛玉子」という名店がありますね!  仙草ゼリーについては、明治39年銀座六丁目にオープンした「台湾茶喫茶店」にも出されていた歴史あるデザートです。

 では、そろそろ冷えたかなぁ?  これから小朋友們の力作を頂いて来ます☆☆☆


楊桃がちょっとぽっちゃりのフルーツポンチ



 
 

随意談 第83号(2010年9月1日)   楊品瑜

 
~ゲゲゲ要怎麼翻?(ゲゲゲをどう訳しますか?)~
 松屋銀座で行われている「水木しげる米寿記念ゲゲゲ展」へ行って来ました。 きっかけは、ギャラリー植草 でお世話になっている植草さんから当教室宛てに招待券を頂いたことです。 ここ半年間、教室でも茶話でよく登場した、『ゲゲゲの女房』。 雑談のようで、中国茶の教室でお話をするのはどうかとも思いましたが。。。 

 ヤンピンは、たまたま知人が水木しげる夫婦と同じ番組で紹介をされていたので、 初めて水木しげるの人物像を知りました。 幾つかの本を購入し、読んだ後にドラマも見始めたのです。 なので、ドラマの前半のお話は残念ですが、見ることができなかったのでした。 しかし、日本の漫画史をまったく知りませんでしたので、外国人であるヤンピンにも大変勉強になったドラマですね!

 ところで、、中華圏の友人に『ゲゲゲの女房』を紹介しようと思ったところ、 「ゲゲゲ」の訳に戸惑いました。 音でなんとか説明はできたのですが、「漢字ではどう書くの?」と言われたのです。 →「ゲ」の音に近い字に「喀」を当てている紹介は見ましたが、結局教室受講者と話し合って見ようと思ったところ、 話が少々それて、ドラマ人気の凄さを知りましたね!  しかし、見る人によっては角度様々なところもドラマ『ゲゲゲの女房』の面白さと思いました。 ヤンピン的には、ひとつひとつの名作漫画がどのようにして誕生して行くのかには、興味津々でした。

 中華圏でも十数年前に『阿信』(おしん)が大人気でした。 日片(日本ドラマ)人気の再来となるかは、楽しみですね!


使用したチケットと、鬼太郎茶屋で
ちゃんちゃんこアイスを食べた記念



 
 

随意談 第82号(2010年8月24日)   楊品瑜

 
~天天収禮品(お土産の毎日)~
 今年の日本の夏は、本当に暑いですね!
 ヤンピンには、台湾の 屏東の三叔(父方兄弟の叔父)家 にホームステイした記憶がよみがえりましたよ!

 先日、アメリカの親戚が日本に留学に来るというので、ヤンピンに会いに来ました。 台湾経由で来ましたので、台湾土産を頂ました。 商品名は「香芋紅豆麻糬」(麻は米篇付きも使われています)です。 サトイモとアズキともちがはいた酥餅(パイ)です。 酥餅類は、教室でも大人気の茶菓子です。 なかなか日本では同じ味が作れませんので、頂いた時には、なるべく教室の皆さんにも一緒に食べてもらっています。 今回頂いた酥餅はもちろん美味しいのですが、食感も不思議です。 もちっとした食感とさくっとした食感のコラボレーションが味わえるのです。

因みに麻糬は日本語の”もち”の当て字で、マーチーのように発音します。 一方で、酥餅は、ぽろぽろとこぼして食べるのも特徴です。 かつて、偉い学者の大先生から、「楊先生、酥餅は大変美味しいのですが、 新聞紙を使わないで美味しく食べる方法はないですか?」と相談されたことが可笑しくて。。。。

 「お皿にのせて食べられてはいかがでしょうか?」と言えばよかったと思う日々です。 (答えにはなっていませんか~)





頂いた「香芋紅豆麻糬」




 
 

随意談 第81号(2010年8月16日)   楊品瑜

 
~長崎唐人研究(長崎唐人の研究)~
 いつだったか長崎を訪れた時に、「参考になるのでは?」と李獻璋著「長崎唐人の研究」 を頂きました。 とても高そうな本ですが、社会に対する貢献、文化活動の一環として、 親和銀行ふるさと振興基金会から出版された非売品の本です。

 しかし、先日、本の評価を何気なく調べて見たら、現在では眼が飛び出るほどの高値が付いていました!  やはり評価された一冊の本だったようです。

 そして、ヤンピンは読んでみてとても勉強になったので、「参考になるよ!」と爸爸(父)に 紹介しました。 で、とても残念と言うか、、、

 実はその本は、爸爸が出版相談を受けた本でした。 なので、爸爸はすでに持っていました。 もちろん、内容も知っていました。 逆に爸爸から「どうして、その本を知っているのか?」と聞かれました。 浅はかだった。。。

 確かに文章もちょっとした中国通が読んで理解できる内容ではなく、学術書ですからね!  文章也很深(文章も難しい)。 それより、爸爸から見ればヤンピンが難しい学術書を読むようになったことのほうが、驚きだったのかもしれません。

 ヤンピンはまだまだ、子どもなのですね~。






 
 

随意談 第80号(2010年8月9日)   楊品瑜

 
~健康球~
 正式な名前はよく分かりませんが、ヤンピンの健康グッズのひとつで、 ヤンピンが”健康球”と呼ぶものがあります。

 効果功能はよくわかりませんが、血行をよくしてくれると聞いて、半信半疑でほぼ毎日やっています。 なんとなく血行がよくなったように思いますが、どうでしょうね?  OL時代に、ガンガン冷房のお陰様で、日本で言う冷房病になりました。 その後、母の言うことをおとなしく聞いて、漢方的な食生活や生活に戻し、 現在は冷え性の面影がまったくないのですが、ヤンピンもたまには病気するのですよ!

 健康法は人さまざまと思いますが、中国茶を飲んでいると確かにあんまり風邪はひかないように思います。 もちろん風邪予防には、食事、気温差に気をつけたり、流行時はマスクをしたりもします。 また、毎日の食事時間を厳守すれば、胃腸を壊さない、などなど母からは口すっぱく言われ続けています。 母も外祖母に口すっぱく言われていたようですが、 現代社会ではなかなか毎日三食同じ時間で食べるのには至難のわざのように思いますね!

 そうそう、健康球の使い方ですが、2個を一気に手のひらにのせて、一定の法則に従って回します。 右手、左手と別々で行います。球はそれぞれ重さがありますので、足の上に落とすと、もちろん痛いです。 また、床に落とすと穴が開くとまでは行かないのですが、傷がつくかもしれませんので、 いろいろと気をつけて使っています。






 
 

随意談 第79号(2010年8月2日)   楊品瑜

 
~食在宮廷(食は宮廷にあり)~
 清朝(清の時代)のドラマを見るとお茶を飲むシーンがよく登場しますが、いつも何茶を飲むのだろう?  と思っていました。 ずいぶん前ですが、愛新覚羅 浩著の「食在宮廷」が再販されると知った時には金額を気にせずに真っ先に予約し、 購入しました。

 満漢全席と呼ばれる料理の具体性も気になりましたが、やはりお茶のほうが気になりますね!  ところが、本に紹介されたお茶の話は、ほんの僅かでした。料理を中心に紹介した本なので当たり前ですが。

 でも、民間より伝わったお茶、楊の著書でも紹介した「麺茶」に似たお茶が飲まれていた話があったので、 少しは収穫がありましたね!  しかし、写真の中の茶杯がきちんと雙(偶数)になっていたのには、さすがと思いました。

 そして、1月頃からも教室では清末(清朝末期)の宮廷を舞台にした、 浅田次郎著の長編小説 『蒼穹の昴』 のお茶のシーンがずっと話題でした。 飲み方や使っている茶器などが皆さんは気になるようですが、 ヤンピン的には茶器の時代性が照合しているのかが気になるところは幾つかありましたが、 まぁ、このような楽しみ方もあるてことですね!



ドラマ 「流転の王妃・最後の皇弟」
を見て、訪れた千葉市ゆかりの家・
いなげ(旧愛新覚羅溥傑邸)で見つ
けた、新覚羅浩様が貞明皇后より
拝領した白雲木の孫だそうです。





 
 

随意談 第78号(2010年7月26日)   楊品瑜

 
~寄居蟹(ヤドカリ)~
 先日、家の近くのペットショップで売れていない(?)寄居蟹を子どもが見つけ、 ヤンピンはしぶしぶ2匹を買わされました。 この一帯は海に近いので、寄居蟹を購入するほどのことではないと思いつつも、 眼が合い、つぶらな瞳にヤンピンもほれ込んでしまったようです!

 ヤンピンの媽媽は熱帯育ちなのと家族が病院関係者なので、虫や菌にとても敏感で、 常々「触るな」と教育されてきました。 なので、ヤンピンは犬、猫は飼ったことがあったのですが、 それ以外の動物を触ることや育てることは夢にも思いませんでした。

 と言っても、10年ぐらい前に仕事でお世話になった アルテサーナ植草ギャラリー 主宰の植草さんが育てた蓮に見とれ、 鉢の中を泳ぐめだかや金魚に憧れ、見様見真似で育てた蓮とめだか(現在はめだかのみ)を維持するのがやっとなので、 子どもから寄居蟹を育てたいと言われた時には、さすがに困りました。

 ヤンピンは台北一の繁華街、西門町に生まれ、 お茶の先生になるまでは、植物の栽培にも興味がなかったのですよ!  土は、「ばい菌がいっぱいなので、触ってはいけない」とも言われていましたからね!  お茶を通じて、ハーブを勉強し、やっと植物の栽培に興味が沸いたところでしたのに、 今度はさらに高度な動物ですか。。。 と不安いっぱいで、結局、今日も子どもと寄居蟹飼育で格闘しています。 そして、現在子どもとの最大の目標はなんとか寄居蟹的搬家(引越し)を目撃したいです。 いつの間にか、家で飾っていたどこかの海で拾ってきた貝殻が2つ寄居蟹の水槽に入れられていました。

 で、実は寄居蟹飼育の話を親戚たちに伝えたところ、台湾でもちょっとした人気のようで、 子どもたちは毎日、香港だの、台湾だの、アメリカだのの寄居蟹情報を収集し、チェックしています。 また、今のところ小さい虫かごに子どもたちとヤンピンで、寄居蟹を見つめていたら、 しばしば頭がごつんこになるので、やはり大きい水槽に換えようか悩んでいます。 気温が20℃を切ると室内で管理しなくてはいけないのよね~。 寒くなるとバナナ などの熱帯植物も室内に戻ってくるので、 家が本格的なジャングルになりますね!

ペットショップで購入した、ペイント
されたヤドカリのお引越し用の貝殻




 
 

随意談 第77号(2010年7月19日)   楊品瑜

 
~長﨑文明堂的蛋糕(長崎文明堂のカステラ)~
 長﨑文明堂的蛋糕(蛋糕とはケーキのことですが、カステラは今のところ特別な中国語訳はないようなので、 ケーキの一種として蛋糕と訳しました)をお中元で頂きました。 とても食べて見たかったので、非常幸運(とてもラッキー)です。 長崎は公私ともに大変お世話になっている町なので、大好きです。

 今はNHKの大河ドラマ「龍馬伝」で観光客がいっぱい訪れていますが、台南に縁のあるヤンピンにはやはり、 鄭成功 の生誕の地とされる平戸がもっとも気になる町(島)ですね!  平戸には日本最初の茶畑跡とされる「冨春園」があるなど、お茶に関わるものとしては何度も訪れたい町です。 ヤンピンが一番最初に訪れたのは、実は20年ぐらい前に爸爸(父)に連れられて、 鄭成功生誕地を探しに行った時です。 鄭成功と日本の関わりを幾度も聞いていたのですが、やはり、見つけた時はとても感動しました。

 ただ、一般の観光客が来ないところで、あちらこちらの建物はみんな鍵が掛かっていました。 爸爸はどこからか人を呼んで来て、開けてもらうことができ、 いろいろ説明を受け、見学ができて嬉しかったですね!  しっかりと道教の海神(海の神様とされ、航海時の守り神とされています)「媽祖」像もあり、 いろんな方の気持ちが込められていることに大変関心しました。

 実はヤンピンはこの最初の平戸行きでは、現地で聞いた「じゃがたらお春」の話に興味を持ってしまい、 「冨春園」に気がつかなかったのです。 道路標示があったけれど、「日本茶でしょー」と言う程度でしたね!  後に本を書く時に、平戸の資料を読み直して、中国茶との関わりに吃驚しました。

 長崎は教室以外にはツアーや取材でも幾度と訪れていますが、いつもじっくりと市内観光ができず、 カステラもついつい空港で買っていました。 老舗の文明堂には行ったかなかったか・・・記憶がはっきりしません。 でも、やっと食べることができました。 もちろん、教室の皆さんとも一緒に食べます。 茶話は、もうすっかり「龍馬伝」になりそうですね!

追記: ヤンピンは2006、2008年に、九州最初の喫茶店「ツル茶ん」と「孫文先生故縁之地」などを訪れ、 近くの日本茶の輸出の先駆者 大浦慶さんの居宅跡 も取材しました。 大浦慶さんは「龍馬伝」にも登場するようです。 「海援隊発祥の地 土佐商会跡」も訪れていましたので、ついでにご紹介します。








 
 

随意談 第76号(2010年7月10日)   楊品瑜

 
~好一朵美麗的茉莉花
(とても綺麗な一輪のジャスミンの花)~

 突然子供が、テレビのコマーシャルソングを聞きながら、中国語で
   好一朵美麗的茉莉花
   好一朵美麗的茉莉花
   芬芳美麗満枝芽・・・
を歌っていて、吃驚しました。

 いつ教えたか、記憶になかったのですが、なんと古い学校の教科書(もちろん日本語の)を持って来て見せてくれたのです。 どこかで見慣れた文字、中国語ではないですか。 お隣は韓国語(ハングルで)の歌もありました。 ふりがなは日本語でしたが、「すごいなぁ、今の教科書は・・・」と感心しました。

 しかし、子供がしっかりと譜面を見ずに中国語で歌っていたので、 日頃は中国語で話かけても日本語で返事する子でしたが、 やはりしっかりと脳内には中国語が生きていたかと、親としてはちょっと感動しました。 特別に中国語教室には通わせなかったのですが、ヤンピンもこのような時期がありましたので、 ある意味では安心しました。

 茉莉花は種類が豊富で、精油としても高級です。 アロマ講座 でも色々と忍田指導師が説明していました。 香りの世界でも中国茶用の茉莉花とそうじゃない用に大きく分かれるそうです。 また、茉莉花は一般に蔓を巻くとされていましたが、 中国茶用の茉莉花は蔓を巻かない、木のような形になっているそうです。 とても興味深いお話でした。

 実はこの蔓を巻くか巻かないかは前に授業中で質問されたことがありました。 ところが、ヤンピンが栽培している中国茶用の茉莉花は無理すれば、巻くかもしれませんが、 どう見ても蔓を巻きそうにないのです。 中国語の資料を見ても蔓性の話が出て来なかったので、確信が持てませんでしたね!  茉莉花の品種は世界で300種類以上あるとされていますので、実に興味深いお花ですね!


今年も茉莉花が咲きました
中国茶の茉莉花茶に使われる品種です


中山之家に咲いた
ハーブティー用ジャスミンです



 
 

随意談 第75号(2010年7月3日)   楊品瑜

 
~茶葉蛋(茶たまご)~
 色々整理していたら、親戚から頂いた、ずいぶん古い市販の茶葉蛋のインスタント調味料が出てきました。 別に、作れるので、こんなものはいらないと思いながらも、 何かの撮影で使えるのかもしれないとも思い、結局今日に至りました。

 一方で、使ってしまうと手持ちの資料がなくなるので、もったいない気持ちもありました。

 茶葉蛋と言えば、五香粉の匂いが思い出されます。 いつも、この匂いを嗅ぐと、台湾でのほろ苦い学生時代を思い出し、ヤンピンには曰く付きの匂いです。。。

 時代が変わり、最近の茶葉蛋はよく台湾のコンビニで売られ、 日本のコンビニおでんのような存在と例えられていたこともありましたが、 ヤンピンにはやはり、道端でバケツいっぱいに詰められて、歐巴桑(おばさん)が必死になってお客様を追っかけて、 売っている姿が印象深いです。 茶葉蛋は小腹がすいた時のおやつでもありますが、時代を象徴した一品料理でもあるように思いますね!

 実は、本を書くのにあたって、茶葉蛋のことをいろいろ調べていたら、 由来や薀蓄はさすがにわかりませんでしたが、ヤンピンが食べ慣れていた味は、紅茶を使ったものでした。 ちょっと吃驚でしたね!  台湾のお茶=烏龍茶でしたので、そう言えば紅茶も生産していたなぁ。。。 が最初の反応でしたね。つまり、紅茶+醤油+五香粉のゆでたまごが茶葉蛋の正体でした。

 ヤンピンのお薦めですが、茶葉蛋はおかずとして食べるよりも、中国茶のお茶請けに最適です。 五香粉の香りは、日本では好みが分かれるようですので(教室での経験から)、 料理の仕上げに、好みに合せて入れたり、入れなかったりしています。 では、請大家試試看(ぜひ、お試し下さい)!


バーコードのシールがついた
ままで、ごめんなさい。



 
 

随意談 第74号(2010年6月26日)   楊品瑜

 
~好久不見了(お久しぶりです)~
 好久不見了、と言っても今回ご紹介するのは人ではなく、食べ物です。

 子供の頃からよく食べていた、おかずが足りない時のもう一品、麵筋(湯葉)の罐頭(缶詰め)です。 超級市場(スーパーマーケット)で一般に買える一品です。 そう言えば、缶詰めと言えば、北京オリンピックのお陰様で、教室でも「缶」についてよく質問されました。 「缶」は中国語では ㄈㄡˇ、 fǒu と発音します。 中国語で言う「缶」は、楽器の一種でして、酒の席に使 われていた樽みたいなものに由来したものですよ!

 で、麺筋の話に戻りますが、ヤンピン家では、朝食によく麺筋+お粥を食べていました。 台南の母の実家に預けられていた一年近く(はっきり覚えていませんが)の間は、ほぼ毎日食べていたように思います。 当時はあるものを食べるしかなかったのですが、 後に母からは外祖母の麺筋料理は「とてもしょっぱかったでしょう」と言われ、そうだったのかと思いましたが、 父から送られて来た日本産の高級しいたけがいつも麺筋と共に煮物に入っていたことだけは覚えていました。 しかし、外祖母家の朝粥はほとんどが、残りご飯から作った白いお粥なので、味付けがなく、 麺筋の煮物とは相性がとてもよかったように思いました。

 写真の缶詰は親戚からお土産で頂きました。 味は、醤油味でやや甘みがあります。 ヤンピンには、懐かしさからか、とても美味しく感じました。 確か、昔教室か友達に食べてもらった時には、ふん~でした。 コメントに困ったのか、ヤンピンには美味しいのか、まずいのかがよくわかりませんでしたね!  発売当初の台湾では、食べ物が缶詰やビン詰めになっただけで珍しい時代でした。 加工技術を疑い、口にしたくなかった人たちも沢山いましたが、やはり歴史が積み重なり、 今日まで商品が売られ続けてきたことにはやはり、尊敬しますね!  ある意味では、続ける哲学を教わりました。。。

 ところで、教室でもよく質問される台湾の多くの商品になぜ、「日本語が使われているのか?」、 「日本人を意識しているのか?」とよく聞かれました。 もちろん、その要素もありますが、中には読んでも意味不明な日本語が使われたりしていますよ、ね!  単に流行だと思いますが、日本でも多くの商品に英語が使われている感覚だと思います。 また、デザイン性や国際性のイメージが商品に付くとなんとなく高級感が出てくるのでは?  という狙いもあるように思われます。






 
 

随意談 第73号(2010年6月19日)   楊品瑜

 
~水土不服(水に合わない)~
 仕事で初めてベルギーへ行ったときに、つい水土不服を意識し過ぎて、 現地でハーブティーを購入すればよいと思い、いつも携帯していた、中国茶をついつい置いて行ってしまいました。

 行った時は真夏でしたので、白夜とまでは行かなかったのですが、長いお昼に慣れず、 とうとう推測ですが、日射病になり、病倒了(病気になりました)。。。  その後1、2日はりんごと水でなんとかしのぎ、その後は中華レストランをハシゴし、 見つけた口が合うレストランには昼も夜も毎日、とお世話になったのでした。 状況を察したのか、店員さんがすごく労わってくれた記憶があります。 そして、中国茶も頂き、離れる時にはすっかり立ち直りました。

 今でも記憶深いですね!  この時はヤンピンにとては、初めて海外で、体調を崩したのでした。 実はその後もいろんなところへ行きましたが、今のところ海外で病気になったのは、やはりこの一回だけです。 そして、もちろん最初であって、最後でもあってほしいですね!(ヤンピンにとて日本も海外ですが。。。)

 しかし、この経験から学習し、慣れない土地に行く時には、必ず飲み慣れているお茶を携帯するようにしています。 旅先で水土不服にならないように中国茶を携帯するのは先人の知恵ですからね!  本当に懲りました。

 そして、ベルギーでは体調が悪いながらも、幾つかの観光をして来ました。 絵が好きだったので、見られる限りの絵は皆見て来ました。 しかし、マナーから写真はもちろん撮っていません。 なので、見たけれど手元には書籍以外は何も形になるものはありません。

 でも、一番の思い出の品は刺繍で有名なベルギーなので、いつくかの刺繍製品をお土産に買いましたが、 いっぱい買ったので、店長さんが記念にと蝶々の刺繍ブローチをもらいました。 黒か白色かを選ばさせてもらったのですが、ヤンピンは白色を選びました。 そしたら店長さんから、 「日本人はみんな黒を選びますよ! あなたはやはり日本人ではないね! どこから来たの?」と聞かれ、 なぜか「香港?」と言われました。 どこから来たのと聞かれると、日本から出発したので本来は日本か?  元々は台湾から出発? と自分も混乱しましたね!  とりあえずパスポートが台湾籍なので、台湾から来ましたと答えました。


頂いたブローチ



 
 

随意談 第72号(2010年6月12日)   楊品瑜

 
~玩茶(茶遊び)~
 先日教室で、「玩茶遊東京」の講座を行いました。 と言っても教室会員向けの、定期的に行っているツアーです。

 お茶好きが集まってのツアーなので、毎回ヤンピンにとっても、新発見があります。 また、とにかく
数駅分歩き周りますので、参加するには、まず歩ける体力が必要ですね!  ヤンピンはかつて排球(バレーボール)を国を渡っても、渡ってもやり続け、 結果的には12~13年間やり続けたのでした。 大学では外国人ながら副部長も務めさせて頂いたのですが、排球はもうすっかり引退し、正直ケガも多かったです。 そのお蔭なのか、現在は都会と茶畑のトレッキングオンリーながら、幾らでも歩ける体力だけが残りました。

 なので、つい我を忘れたと言いますか、玩茶ツアーではついつい数駅を歩いてしまいます。 幸い受講者は、みんなヘトヘトながらもついて来てくれます。 ヤンピンと回るとよく、日本にいながら外国へ行って来ました。 とも言われましたが、やはり視点が違うのでしょうね!  結果的には、日帰りの海外旅行気分だったようです!  玩茶ツアーは元々所属指導師からの提案講座でしたが、近年では、とてもやりがいがある講座に成長しました。

 茶芸教室は、ついつい茶芸館で行うイメージがあります。 外でとなると、野点、茶畑巡り (一部の茶芸関係者では、茶畑巡りは農業的分野なので、茶芸とは関係ないとしています。 日本の茶道でもあんまり茶畑巡りはしないでしょう?とよく例えられましたね!  ただ、せっかく勉強をしているので、茶畑を見てみたい心理はありますよね。。。)と思われがちですが、 茶芸の世界はまだまだ奥が深く、お茶も時代によって、淹れ方が違い、 時間旅行ができるぐらいにバリエーションも豊富です。 なので、製法、味も大切ですが、少し哲学的ですが、 それぞれのお茶が持っている長年の歴史は本当に個々のお茶をより美味しく味を引き立たせてくれますね!  そして健康面はもちろんですが、時には感動、時には愛情や友情を持たせてくれて、友も作ってくれるので、 本当に教室を開催する度に自分も常に何かを得ている気持ちになります。

 では、まだまだ、部屋(茶芸館)から飛び出ての茶芸ワールドをご紹介していきたいと思いますので、 早速次はどこへ、行こうか、どのような内容にするか。。。と企画しますね!


写真は時期が違いますが、
昨年の講座で見つけた景色です。
猜謎(クイズ)です。さぁーどこへ
行ってきたのでしょうか?



 
 

随意談 第71号(2010年6月4日)   楊品瑜

 
~真是有緣(本当に、縁があります)~
 先日、久しぶりに 指導師コース を修了する予定の方が二人も出ましたので、 見せるため、ヤンピンは慌てて実家からいろんな茶器を運んできました。 指導師コースは原則一年ですが、数年から十年以上在籍の方が多く、 ヤンピンもついついのんびりと授業をやってしまっていたのも一因です。

 ところで、数年前に珍しい茶杯を数個頂きました。 よく見るとどこかでヤンピンはすでに目にしたことがあったのでした。 確かそれは、酒器として紹介された日本製の器です。 一方で、数年前に頂いた茶杯は台湾製です。 うん~真似た? いやいや参考にしたのでしょうね!

 説明が長くややこしくなりますが、ヤンピンが実家から運んできた茶器の中に、 かつて記憶にあったその酒器も含まれていました。 これらの酒器はヤンピン一家が京都に滞在中に大変お世話になった、フランス在住のベトナム華僑の会社の商品です。 日本の名古屋で作ってもらい、神戸からフランスに輸出していたそうです。 紆余曲折を経て、ヤンピン家にも数セットありまして、ヤンピン一家(結婚前)とさまざまなところに渡り、 引越しもして来ました。 結局今回のことで、父から正式にもらうことと相成りました。 なので、これらの酒器はヤンピン家に定住することとなり、毎回実家に返さなくてもよくなったのです。

 多くの茶器は酒器を参考にして作られて来たとは言われていましたが、 実家から持って来た酒器たちは、実はちょっと面白いのです。 教室ではもちろん、お茶を使って実際に使ってもらいましたが、お湯を注ぐと変化する器と音が出る器です。 としか今は言えませんが、教室では大変喜んで頂きました。 しかし、まさかこれらの酒器が回って回って、教室に登場して来るとはね~想像もしていなかったです。


実家から持ってきた酒器セット



 
 

随意談 第70号(2010年5月28日)   楊品瑜

 
~豆花(豆腐花)~
 台湾で一般的に呼んでいる、豆花というデザートは日本では豆腐花と呼んでいるようですね!  と言っても豆漿(豆乳)で作ったデザートでして、食感は豆腐より柔らかく、つるっとしたデザートです。 中国各地では、豆腐腦、豆凍、老豆腐などなどの呼び方があるようです。

 ヤンピンが食べ慣れている味は、素朴な甘いピーナッツの入ったスープをかけて、豆花と一緒に頂くものです。 ヤンピンの子供の頃は、真っ白なシャツ(下着だったような?)に笠をかぶった、 奥里桑(おりさん→おじさん、漢字の当て字は幾つかのパターンがあります)が肩にかけて量り売りに来ていた本当に庶民的な食べ物でしたね!  現在の台湾では百貨店のフードコーナーで食べることもできますので、 ヤンピンは帰省した時には、必ず食べる一品ですね!

 ところで、先日親戚から豆花を作る素を頂きました。 説明書を読んでいたら、わけが分からなくなり、まだ作っていません。 「何とかならないのか、この説明書」と思いました。 書き出しにいきなり黄豆(大豆)10両(370g)を用意し、4時間水に浸けると書いてありますが、 水だけを使うレシピも書いてあります。 これはどちらともOKってことですか?  それとも両方必要?  だったらこの素はなんの素?  と悩んでいるうちに、いつも教室でヤンピンが出しているレシピで作りました。 そもそもせっかく買うのならば、豆漿を固めるだけのものを買ってくれたのかと思いましたが、残念!  なので諸事情により、頂いた豆花粉はいまだに開封していません。

 そういえば最初に本を書くのにあたって、参考として色々な中国語レシピを集めていたら、 多くのデザートやゼリーのレシピは百人分と書かいてあったので、 参考にならなかったなぁ~と思ったことがありました。 一般家庭で、ゼリーの型を百個用意するのも大変ですよね!  と言うとこのレシピ本は誰のため?  日本の食品業界で育ったヤンピンには、やはり戸惑いが多くありますね!


親戚から頂いた豆花の素



 
 

随意談 第69号(2010年5月21日)   楊品瑜

 
~草莓酥(苺パイ)~
 受講者の娘さんから台湾土産に草莓酥を頂きました。 非常高興、謝謝!(とてもうれしかったです。ありがとうございます)  台湾土産の定番は鳳梨酥 (俗にパイナップルケーキと呼ばれています。 一般に酥はパイ、蛋糕がケーキです。)だったのですが、 今回はあえて違うものを選んで購入して頂いたようです。 実は”通”ならではのお土産選択です。

 かつて台湾産フルーツと言えば、香蕉(バナナ)、鳳梨(パイナップル)、茘枝(ライチ)、 芒果(マンゴー) などなどですが、実は最近台湾では草莓も結構栽培されています。 茶的故事の 台湾茶 其の十五 大湖酸柑茶 でも紹介したことがありました。 また、草莓については、よく母から、 「外祖父は日本時代(日本統治時代)に高級フルーツを輸入販売していたが、草莓はとても貴重で人気だったよ」と聞いていました。 母はよく食べさせてもらったようで、「とても美味しく、子供ながらに忘れられない味」だったそうです。

 所以(したがって)、ヤンピンには亜熱帯(正式には台湾では、北回帰線を境に北は亜熱帯、南は熱帯です) の台湾産草莓のイメージがあまりなかったのでした。 しかし、栽培技術の向上で美味しくなったのですね!  草莓狩りも人気の行事となっていましたよ。 台湾に帰ると、たまに誘われるほどですから。。。 ヤンピンは正直、近年は草莓狩りよりも、釣蝦場(えび釣り場)での釣蝦に夢中 (釣蝦についてはかつての思い出を 随意談第22号 でも紹介しています)でしたが、 機会がありましたら、草莓園へ行って、台湾流の草莓狩りも体験しておきます。


台湾土産に頂いた草莓酥



 
 

随意談 第68号(2010年5月12日)   楊品瑜

 
~背論語(論語を丸暗記)~
 先日、家族で論語の勉強法が話題となりました。 子供たちには西遊記、三国演義(三国志)、聊斎誌異(聊斎志異)、論語までは日本語版でなんとか頑張って読んでもらったのですが、 背論語をするのはさすがに難しいです。 確か4、5歳から四書五経を覚え始めるのはかつての伝統教育でした。 覚えると言っても背書(丸暗記)です。 現代に至っては勉強する科目も多いので、子供に強制するのはどうか悩みますね!  意味を理解すればよいのでは?と思いたいところですが、台湾の教科書を見て、 台湾ではみんな頑張って背書(本を暗記)をしているので、やはり厳しく行くべきか、さらに悩むところです。

 ヤンピンもかつて、国語の教科書を丸暗記させられましたが、今となればよかったのか、よくわかりません。 確かに国文科に進んだ方々は、本当に尊敬できる物凄い暗記力でした。 因みにヤンピンは、背書が常にクラス一苦手でした。 ただ唯一褒められたのは、 大学受験前に受験科目になかった社会科の最後の試験を面倒くさいからと丸暗記した内容で文章題の答えを書いたら、 先生に驚かれ、褒めてよいか悩んだ先生の表情が面白かったのでした。 結果的には、よく丸暗記しましたね!と褒めたか否かのお褒めを頂きました。

 そういえばヤンピンは、長崎の孔子廟を訪ねたことがあります。 学問の神様なので、受験生もよく訪れるのだそうです。 確か論語全文が台湾花蓮の大理石に彫りこまれていましたね!  近場では、もちろん湯島聖堂を訪れたこともありました。 湯島聖堂では中国茶に縁の神農祭を見学しました。 日本にはまだいくつかの孔子と縁の廟があるようですので、機会がありましたらまだまだ見学したいと思います。

手持ちの子供用論語
台湾版は漫画です。


 
 

随意談 第67号(2010年5月5日)   楊品瑜

 
~家常便飯(家庭料理)~
 子供達の発育を見てなのか、よく「何を食べているの?」、 「あそこの家は食べているものが違うかもー」とあちらこちらによく言われます。

 そうね・・・和食も作るのですが、どう答えてよいのか?  ただ、やはり食べて美味しい料理よりも、育ち盛りの子どもたちの発育や健康を考えての献立は多くなりましたね!

 ヤンピン的媽媽常説(母が常に言っていました)、中華料理は豚や鳥などの内臓を使った料理をよく食べますが、 日本ではあまり食べないのとバリエーションも少なく、なかなか買えないので献立に困ると言うのです。 最近では確かにヤンピンも思いました。 内臓料理には食材を無駄なく召し上がる考え方の他に、自分の弱っている内臓を補うために食べる考え方もあります。 栄養素やカロリー、そして野菜中心の食生活も大切ですが、育ち盛りの子どもには大人と違い、 いくらでも栄養が必要なのです。 なので、中国薬膳はもちろん、家庭料理の範囲内で活用しています。

 薬膳の考え方からも、身体を冷やす冷やさない食材の摂取も意識しています。 冷やす冷やさないとは、食物には、平性、温性、涼性(更に寒性を加える場合もあります)の性質を持ち、 お茶では一般に烏龍茶が平性、紅茶や普洱茶が温性、緑茶が冷性とされています。ご注意ですが、 冷え性が気になるかたには、冷性とされる食材は必ずしも身体に悪いのではなく、 工夫し、温かくして食べると良いのです。 サラダより温野菜で食べるとかね!  緑茶の場合は身体に良い栄養がいっぱいあるので、冷え性が気になるかたには温かくして飲むと良いのですよ!  また、暑い夏には”火氣大” (のぼせなど、漢方の専門用語、カリカリしていて怒りっぽい時にも使われるほど一般的な言葉でもあります) を防ぐのには冷性の食材は大切です。 なので、忙しい毎日、100%無理でも、季節、体調、食べ合わせに気をつけながら子供たちの献立を考えていますよ!

 ヤンピン家の家教(家に伝わる教えでは)では子育てで一番大切なのは、食生活です。 子供たちが苦手な食べ物は、やはり人間ですからそれぞれありますが、食べなさいと言えばきちんと食べてくれます。 一般に子供が苦手とされるピーマンやにんじんはみんな大好きで、 いくらでも食べられます。 乳歯が抜けて咬みにくい野菜があっても頑張って食べていましたね!  こんなものを子どもに食べさせるなんて、と周りが吃驚することも幾度とありました。 お茶については薄めて、お茶の成分に応じて朝昼晩と種類を換えて飲ませています。 辛いものや刺激的なものを除き、薬膳の苦いスープも鼻をつまみながら、なんとか頑張って飲んでくれます。

 ヤンピンも小さい時は、同じことをやっていましたなぁ。 しかし、不思議ですね!  あの苦味は大人になると懐かしさと共に、たまに飲みたくなりますし、美味しく感じるのです。 やはり、食育の結果ですかね?  しかし、子育ては親も本当に多くのことを学習しますね!!


子どものランチョンマットを借りました。
今晩のおかず、二品を紹介
左:春野菜と厚揚げの甜麺醤炒め
右:鳥レバーとハツの野菜炒め



 
 

随意談 第66号(2010年4月29日)   楊品瑜

 
~歡喜唱唐詩1、2(唐詩を詠う楽しさ1、2)~
 「子供たちにいかが?」と唐詩の勉強になるであろうVCDを親戚から頂きました。 ヤンピンは子どもの頃から、「唐詩宋詞」と呼ばれる詩や詞の意味をよくわからずに、 いっぱい暗記させられて来ました。 何に役に立ったのか今もよくわかりませんが、子供たちと一緒にVCDを見ていたら、 不思議に記憶がよみがえってきますね!  懐かしかったです。

 子供たちはもちろん、最初は何か面白いものでも見せてくれるのかとワクワクしていましたが、 途中からはどう脱出したらよいのか、四苦八苦していました。 まぁ・いいか。。。 想像通りのことだなぁ。これからもしつこく続けるしかないかなぁ。。。と、親としては気持ち複雑です。

 実は一緒に「白鶴報恩、法蘭徳斯的靈犬」の中国語、台湾語対応のVCDや「海底總動員」、 「大雄的太陽王傳説」も頂きました。 さぁーて、日本語タイトルは何でしょうか?

 中国茶と詩の関係は深く、多くの名詩は文人たちが茶を飲みながら作りました。 また、茶を取り入れた名詩も沢山ありますね。 そして、誕生秘話などもが本当か否かよく分かりませんが、いろいろと語り続けられています。 ヤンピンは中国文学が専門ではないので、ここではひとつひとつ取り上げてご説明しませんが、 学校の授業でも多少かじったのは事実です。 が、詩と茶の世界は奥が深く、まだまだ勉強しなくてはならないのが正直なところですね!  まして、日本語に訳して日本の皆様にご説明するにはまだまだ頑張らなくっちゃ。。。です!! →ということで、ヤンピンは頑張って計4枚の唐詩のVCDを合唱しながら無事に見終えました。ホッー。

 では、何かお茶を飲んでひと休みしてきますね!  杉林渓 の高山茶にしようかなぁ。 最近教室で飲んだお茶のなかで一番好評です。 値段も、とても良いお値段のお茶ですが、やはり、ご褒美で飲みたいお茶ですね!

(VCDの日本語タイトル:「つるの恩返し」、「フランダースの犬」、
「ファインディング・ニモ」、「ドラえもん のび太の太陽王伝説」)




 
 

随意談 第65号(2010年4月21日)   楊品瑜

 
~電子倉鼠・開心鼠(ズーズーペット)~
 先日ご近所の反斗城(トイザラス)で、アメリカで人気の電子倉鼠・開心鼠(ズーズーペット)を購入しました。  回家就馬上(家に帰るとすぐに)説明書を見る間もなく、 子供と電池入れや走らせるスペースを作るための掃除などなどに追われました。 その後子供たちはとても楽しそうでしたが、媽媽はとても急がされたひと時を過ごしました。 そしてヤンピンが「その猪(豚)チャンかわいいね!」と言ったら、 子供から、「媽媽、違うよ! 倉鼠(ハムスター)だよ!」と。 うそ! Zhu Zhu Pets て書いてあるよね!

 そうです。ヤンピンには Zhu は中国語の猪と同じ発音なので、てっきり猪(かわいい子豚)と思いました。 よく読むと説明文の真ん中辺りに「ハムスターの遊び方」という日本語が書いてありました。 ヤンピンの早とちりでした。 しかし紛らわしい~わね!と今でも子供に言い訳をしています。 確かに、ここは日本なので、"Zhu = 猪" になるはずがない。 ちょっとカルチャーショックでしたね!

 前にアメリカの親戚からうわさを聞いていましたが、 わざわざアメリカから送ってもらうまでは考えていなかったのですが、 近所に反斗城もありますから、そのうち日本で発売するだろうと思っていました。 子供たちは倉鼠のことを「うちの子」と呼んででいますよ!  あちらこちらに走り回ると子供たちは「こらこらどこに行くの~」とも叫んでいました。 我が家の子供たちも小さい時はあちらこちに行ってしまっていたので、口調が同じだーとついつい思いました。 面白い現象でしたね!  まぁ、お蔭様で中国語の”猪”の発音もよく覚えたようです。

 そうそう、意外なご利益もありました。 開心鼠們(ズーズーペットたち)は糸くずや髪の毛が絡むと動けなくなるので、 子供たちは走らせるスペースを作るために、そのスペースだけ一生懸命となって掃除をしていますよ!

我が家に来た電子倉鼠・開心鼠們
今日は写真を撮るために、子供たちが
おしゃれをしてあげたようです。


 
 

随意談 第64号(2010年4月15日)   楊品瑜

 
~介紹日本(日本を紹介)~
  約20年前に、ヤンピンが茶芸講師としての活動を紹介した『東京』と言う雑誌(昭和63年4月1日発行)をご紹介したいと思います。

 こちらの雑誌は主に台湾、香港、新加坡(シンガーポール)で販売され、 中国語で日本の文化、風俗などを紹介しています。 社長は翁倩玉(ジュディ・オング)小姐(さん、若い女性への敬称)です。 偶然ですが、翁倩玉小姐とは直接面識はないのですが、台南の親戚の長女が「做16歳」、 「做16歳」とは台南特有の風習で、数え年の16歳に祝いごとを行い、家族親戚が集まり、 そして当事者は親戚やご近所に「紅龜」と称する亀に似せた紅いお餅を配ったりする行事です。 一般には長男長女各一名だけが祝ってもらえます。 そして、「七娘媽」という道教の神様を拝むらしいが、詳し行事はよくわかりません。 ヤンピンは長女なので経験しましたが、ヤンピンの時は簡素化され、確か、紅包をもらっただけのような記憶です。 因みにヤンピンは京都にいた時もタイミングよく、「十三参り」を経験しましたよ!

 話は戻りまして、ヤンピンのいとこが紅龜を配る時に、翁倩玉小姐の祖母家が目の前だったので、 紅龜を配るのに、同伴し、訪れた時にヤンピンも初めて翁倩玉小姐の存在を知ったのです。 日本で大変活躍され、子供だったヤンピンにはその家がとても豪邸に見えましたね!  また、ヤンピンは日本に行く予定になっていたので、日本ですか~子供ながら気持ち複雑でした。 今では翁倩玉小姐はとても憧れの先輩と勝手に思っていますが、 国際交流に関われたのも先輩たちが与えてくれた礎があったからかなぁ。 と時々感謝しています。 現在『東京』と言う雑誌は見かけませんが、 たまに知っている人がいたりとやはり一定の購読者はいらっしゃったのですね!

 あともう一冊ご紹介したいのが雑誌『光華』です。 こちらはヤンピンが載ったことはないのですが、昔から飛行機の中やあちらこちで見かける雑誌です。 日本版は中国語と日本語の対訳で、日本、台湾や華人圏の風俗などを紹介しています。 最近入手した光華雑誌には北海道に多くの中国人観光客が訪れたきっかけの「非誠勿擾」 や正月映画『艋舺』などの華流映画が紹介されています。 中山之家では常に置いてありますが、光華雑誌は日本でも結構入手できる雑誌です。 繁体字ですが、語学勉強にも最適と思います。

上段:雑誌『東京』と『光華』
下段:紅龜を作る時に使う型
左は骨董だそうです。


 
 

随意談 第63号(2010年4月7日)   楊品瑜

 
~為什麼要學茶藝(茶芸を学ぶとは)~
  先日の 指導師コース の教室中に、 どうして茶藝(茶芸)を学ぶのだろう~という話になりました。 なんと、皆が異口同聲(口を揃えて)で、「教養ですね!」と言ってもらえました。 ヤンピンはとても感動しました。 そう思って頂けるなんて、本当に頑張ったかいがありました。

 確かに中国茶は美味しいし、健康に好し、癒しも与えてくれます。 そして、淹れ方も大切ですが、コミュニケーションにも最適です。 とうとう教養として、学習する聖域まで、ご理解頂けるところまで来たのかと思うと、益々励みになりました。 もちろんヤンピンが最適な講師として、おこがましくても大口では言えませんが、 1993年に指導師コースを始めた頃は、もちろん明るい未来を信じて、毎日がワクワクでした。 しかし、続ける大変さ、孤独感、無力感を幾度も感じました。 その度に在籍している指導師たちの頑張り、熱心さに、本当に感心し、刺激を受け続けて来たのです。 なので、ヤンピンも自然体であんまり無理せずに、頑張ってやって来られたのだと思います。 本当に毎日が勉強、勉強ですね!

 出版不況の中、なかなか書籍となって皆さんに茶芸の世界をお伝えできませんが、この場を借りて、 これからも頑張って、分かりやすい言葉で、さまざまな茶芸ワールドをご紹介して行きたいと思います。 対応できる限り、ご賛同頂けるかたの受講も随時お待ちしています。 そして、今後也請大家多々指教(今後とも皆様のご指導の程、よろしくお願いします)!

ヤンピンの恩師の一人、 中華茶文化學會
理事長 范増平 先生に頂いた本の一部
(頂いた本はまだまだありますよ!)
范先生は、北宋の政治家・文学者
范仲淹の末裔でもありです。


 
 

随意談 第62号(2010年4月1日)   楊品瑜

 
~清明節~
  旧暦の三月初め、西暦の四月初め頃に「清明節」という、旧正月の次に大切な行事があります。 またお茶に関わるものとしても、美味しい明前茶、特に龍井茶や碧螺春が頂ける季節でもあります。 清明節とは古代中国で、農業行事を行ううえで、旧暦を二十四節気に分け、その一つが「清明」です。 「清明」の一つ前が「春分」です。 明前とはこの「清明」を迎える前の節気に摘まれた茶葉が柔らかく、茶湯が甘いとして高級茶になっています。 また、「清明」の一日前に摘まれた茶葉が特に美味しいとして好む人も多いようです。

 ところで、日本で清明節とは何かを説明する時に、ヤンピンはよく日本のお盆のような行事として説明しています。 日本のお盆に由来した盂蘭盆は中華圏では仏教行事として、盂蘭盆節(略して盂蘭節)、 道教では中元節として旧暦7月中旬に過ごしています。 こちらのほうももちろん、大切な民族行事ですが、家で祭事を行い、静かに過ごす傾向です。

 一方、清明節のほうは春を迎えるということもありまして、帰省し、掃墓(墓参り)、 祭祖(ご馳走を作って先祖を祭る)、潤餅(野菜などを巻いた生春巻き→台湾や福建が有名)を食べ、 盪鞦韆(ブランコに乗る)、放風筝(凧揚げ)、踏青(今風に訳すとピクニックです)、 鬥鶏(闘鶏)などの行事が行われてきました。 かつてはこの時期に盪鞦韆や踏青が楽しみだった事から、 清明節を「鞦韆節」(中国本土では秋千節、中国語での発音は同じです)や「踏青節」と呼ぶことがあったそうです。 近年では、墓参りや祭祖が主な行事として行われていますが、何せ中華圏は広いので、 今でも特徴のある行事や風俗が清明節で行われ続けています。

 確か、この時期は連休や学校が春休みとなりますので、日本のお盆の時期のように交通機関も混雑しますね!  台湾では高速道度の渋滞を緩和するため、ニュースでは今年も通行無料になるようです。 そして楽しかった旧正月後に、つかの間に離れた親戚や家族と再開する時期としても楽しみですよ!  また、 ヤンピン的には数多くの名画「清明上河図」が残されて来ましたので、 清明節 の賑わいや大切さをご理解頂けるかと思います。

 近年、ヤンピンの清明節の感想としては、一日に回るお墓が多くなってきたことかしらね。 ヤンピンのご先祖たちは土葬で、風水師に見立てた場所にそれぞれ埋葬されていますので、 親族が集合して、数台の車に分乗し、墓参りを行っています。 小さい頃はついお墓の周りでいとこたちとはしゃぎ、走り回ってしまい、 阿公會被你們吵死了。 意訳は「おじいちゃんはうるさいと言っているよ!」ですが、 なぜか大げさに「うるさくって死んじゃうよ!」と怒られていました。 たまに會被你們吵醒(うるさくって目覚めるよ!)とも怒られていましたなぁ~。 今ではヤンピンの子供たちも同じことをやって、ヤンピンに怒られています。 ヤンピンは吵醒のほうを使っています(かなぁ)。

台北故宮博物院で購入した
「清明上河圖」のテーブルクロス
清明節の賑わいがよく伝わる名画です



 
 

随意談 第61号(2010年3月27日)   楊品瑜

 
~粘粘糊糊的炒飯(ベトベトチャーハン)~
 我が家には自称「粘粘糊糊的炒飯」というメニューがあります。 日本によくあるパラパラご飯のチャーハンは「日式炒飯」(日本式チャーハン)と呼んで区別しています。 随分昔ですが、新婚の時に山東省出身の嬸嬸(父の弟のお嫁さんに対する呼び方→叔母) から習った、粘粘糊糊的炒飯を久しぶりに子供と作りました。

 作り方はまず準備として、玉子を溶いておいて、塩で軽く味付けします。 用意した冷や飯とひたすらかき混ぜます。 そして、熱したフライパンに油をひき、肉、出来るだけ細かく切ったキャベツ、ねぎを塩、 胡椒(日本のように、一般家庭では使わないことが多いのですが、好みで使ってください)で炒め、 先程かき混ぜたご飯を加え、味をさらに調整し、炒めれば完成です。 代わりになぜか、味の素を好く使うご家庭があります)で炒め、先程かき混ぜたご飯を加え、 味をさらに調整し、炒めれば完成です。 味はキャベツにとても左右されますが、野菜の汁がご飯に浸み込み、野菜たっぷり味の炒飯となります。 かつて料理教室でもよく作った一品です。 しかし、火力とお米の違いからなのか、ヤンピンが作ると粘粘糊糊なのです。

 五嬸(通常の呼び方、5番目の叔母です)の実家では餃子を作る時は、いつも千個単位だそうです。 もちろん、皮をこねるところから作ります。 そして嫁に出た娘たちに数百個ずつ持たせてくれるそうです。 ヤンピンも数回頂いたことがあります。 味は美味しいを通り越して、感動です。家庭の味と、母の愛心(愛情)までおすそ分け頂いたのですからね!  当然、非常好吃(当然、とても美味しいです)!

 五嬸からは、ほかにも湯類(スープ類)の料理を習いました。 家族や教室で好評だったのが烏骨鶏のスープがあります。 でも五嬸いわく、大嫂つまりヤンピンの母から習ったのだそうです。 五叔(父から数えて5番目の弟、つまり五嬸の夫)は湯類が好きなので、やはりレパートリーも豊富のようです。 そして、お下がりの料理本もいっぱい頂きました。 姪女姪子(自分の男兄弟または夫の兄弟の子供)への面倒見もよく、聡明で、とても家庭的なかたですよ!  賢妻良母(良妻賢母)な、伝統的な中国女性です。 非常崇拝(とても憧れます)。

粘粘糊糊的炒飯



 
 

随意談 第60号(2010年3月20日)   楊品瑜

 
~馬頭琴又稱莫林胡爾
 (ばとうきんまたはモリンホールと言います)~

 13日(土)に教室の皆さんと江戸博物館で行われた「チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展 セーンジャー Spring Concert」 へ行ってきました。

 展覧会はもちろん大変よかったです。 日帰りでモンゴルに旅行し、タイムスリップした一日でした。 お茶関係のものも少しありました。 一般に中国茶とモンゴルと言えば、思いつくのはバター茶などさまざまなモンゴル茶ですが、 お茶は元々、時代によって飲み方、楽しみ方が違うので、一言にモンゴル茶と言われてもですね。。。  また、茶業に於いても時代や地方によってさまざまな変化を遂げてきていますからね。。。  と話すと一大講義になります。 展示品とは、思わぬの出会いがありました。中国茶との関わりはもちろん、詳しく受講者に説明しました。 展覧会はまだ開催中なので、非常對不起(ごめんなさいね)! ここでは詳しくお話ができないのが少々残念です!

 そして、コンサートのほうも大変よかったです。 今でも余韻が残っています。 コンサートの初めに、賽音吉雅さんは朝からこのような大人数のコンサートを行うのが初めてで、緊張しています。 とコメントをしていました。 ですが、ヤンピンも大変緊張しました。 なぜならばヤンピンは運よく 賽音吉雅(セーンジャー )さんのまん前に座れたのです。 また、数日前にテレビ朝日の番組「徹子の部屋」に出たことを意識して、同じ衣装で今日来て下さったのだそうです。 と、テレビを見た人は?とも聞いていました。 やはり大勢のかたが見たようです。 日本語はとても流暢でしたが、スター性もばっちりな賽音吉雅さんでしたよ!  今後の更なるご活躍が楽しみですね!

 ヤンピンが紹介するのも〇×▲□ですが、知っている限りではありますが、 中国語で呼ばれる馬頭琴とはモンゴル語でモリンホール(Morinhuur)です。 モンゴルを代表する代表的な民族楽器です。 弦が2本、弦が2本と言っても無数の馬の尾毛を使って、束ねています。 合計350本ぐらいだとか。 ただ、最近はナイロンを使うこともあります。 また弓にも尾毛やナイロンを束ねて使っています。 ヘッドに馬の頭の彫刻が施され、弦の裏に指をいれて引くこともあります。 音程等については専門外なので、詳しくご説明できませんが、 聞いた感想としては、引き手にもよるのでしょうが、 二胡の哀愁な音色に比べると幾分パワーがあるように思いましたね! ヤンピンはもちろん、初めて聞いたわけではないのですが、馬頭琴の本格的なコンサートは初めてでした。

 また、賽音吉雅さんのコメントによると、 馬琴頭は本来広大な草原のなかで引かれてきた楽器ですが、 これからはステージの上に持ち上げて、日本の皆さんに紹介していきたいそうです。 実は、ヤンピンは馬頭琴の演奏を聞きながら、途中から一直回憶(ずっと思い出していた)、 20数年前に 姜建華 さんが小澤 征爾さ んにスカウトされ、世界中のオーケストラ で二胡を引くようになった様子。 きっと賽音吉雅さんもこれからどんどん活躍をされていくのでしょうね~。 芸術が職業になるって、やはり羨ましいです。 しかし、持って生まれた才能ですよね! 素晴らしいですね!


ミニチュアの馬頭琴



 
 

随意談 第59号(2010年3月15日)   楊品瑜

 
~遊戯ㄅㄆㄇ(BPM遊び)~
 どのようにして子供たちに中国語を覚えさせるのかが、ヤンピンの課題でした。 親戚からは好多、好多(たくさん)の台湾版幼児教材を頂きましたが、 結局決断した方法は、やはり注音符号ㄅㄆㄇ(台湾で使われている発音記号)を覚えさせています。

 ヤンピンが日本語を覚えたように、基本の発音を早く覚え、実践に移ったほうが語学に興味も湧き、 成長の過程で、一時期忘れていてもまた思い出せるような気がします。

 ヤンピンは中国語会話教室も開催しているので、一文字の漢字に繁体、簡体、日本式漢字と一文字の漢字に対して、 3文字も覚えなくてはならないことがよくあります。 書き順も違うことがありますので、漢字を覚えるのだけで精一杯と行きたいところですが、 世の中は中国語だけではないのも悩みです。

 何はともあれ、子供たちにはとりあえず、ㄅㄆㄇをまず覚えてもらい、 将来、もっと中国語を勉強したいときには、アルファベット式の拼音(発音を組み合わせること) も覚えてもらいましょう。 また、数万とされる漢字を覚えてもらいましょう。 そして、台湾語も。そうそう台湾ではすでに小学校から英語教育なので、英語も頑張って頂きましょう。 参考ですが、台湾の高校では多くの学生が第二ヶ国語に日本語を選択しているそうです。 すごいですね!ヤンピンの子供たちは。。。 語学だけで、こんなに勉強をしなくてならないのに、将来何になるのでしょうね!  語学以外にも勉強しなくてはいけないことが一杯あるのにね!(大変ですね!)

 もちろん、母国語は一番大切です。ただ、外国語のある環境は子供の選択を増やせますね! かつて、堂弟(同姓の従弟)が初来日したときに、「我現在在東京呀!」(私は今東京にいるんだ!) と物凄く感動していると言われました。 どうして?と聞くと小さい頃、大伯父(ヤンピンの父)の日本人友人からお年玉をもらったことがあり、 その時、初めて外国人に会い、感激したそうです。 そして、覚えた日本語が「ありがとう」でした。 その後、堂弟は日本に留学に来ることはなかったのですが、日本をもっと知りたいと日本語を勉強したそうです。 堂弟は現在世界を跨ぐ大企業に勤め活躍しています。 子供の頃から一度行って見たい国、日本にやっと来られた。 とヤンピンに訴えていた表情は童心そのものでしたね!

 ぜひ、ヤンピンの子供たちにもさまざま感動を得て大人になって行ってほしいですね!  加油!(頑張れ!)


磁石になっている注音符号を組み
合わせ、遊びながら覚えていく教材



 
 

随意談 第58号(2010年3月9日)   楊品瑜

 
~向左走、向右走(ターンレフト ターンライト)~
 向左走、向右走(ターンレフト ターンライト)は少し前に台湾発で人気になった幾米(ジミー)作の絵本のタイトルです。 そして、映画にもなりました。 ヤンピンも幾米さんのブランド小物にはまり、台湾土産としてよく買っています。 時々、日本の百貨店でもお財布や小銭入れが売られていて、買うことができます。 それで、どうして「向左走、向右走」の話をしたいと思ったのかはですね、、、

 実は、先日教室でヤンピンが台湾で購入した幾米さんのブランドのピンクの小銭入れからヘアゴムを出したら、 教室でブランドが話題になったのです。 もちろん、ほしいとなったのですが、、、

 台湾の日系百貨店で購入したと説明したら、台湾へ行ったら探してくると言うのですが、まだあるのか不安です。 台北車站の目の前の百貨店で購入したことを延々と説明し、その後もちろん話題は「向左走、向右走」となり、 映画の内容をまで説明しました。 映画の内容は少し時間が経ているので、少々思い出すのに苦労しました。 しかし、最大の難関は出演している俳優さんたちを説明するのに、名前の段階での苦労です。 中国名だの英語名だの日本名だの、、、覚えきれないのが正直な話です。

 名前がなぜこんなに混乱したのか?  それはですね。。。 元々は中国名が英語圏で覚えにくいことから覚えてもらえるように、 著名人が各自で勝手にあだ名のように英名を作っていたのが、いつの間にか普通の人にまでが持つようになっています。 一部、西洋かぶれな気持ちもあったのかもしれませんが、ヤンピンみたいに覚えやすい名前はともかく、 やはり難しい名前もいっぱいありますからね!

 しかし、多くの華人たちが英名を持っている話は、教室でもしばしば質問され、茶話として話題になりました。 ヤンピンがなかなか馴染めないのはですね、 昨日まで普通に呼んでいた友人の名前が、突然今日から英名で呼んでほしいと言われた時です。 なかには、やっと英名で呼び慣れたのに、理由もなくまた違う英名に変わったからと言われたこともありました。 やれやれですね。。。


幾米さんのブランド小物



 
 

随意談 第57号(2010年3月2日)   楊品瑜

 
~収了好多禮物喔!
(お土産をいっぱいもらいました)~

 年末年始、そして教室の皆さん、友人、親戚たちからもいっぱいお土産を頂きました。

 真是謝謝大家!(皆様ありがとうございました)。 食べ物のほかに 中山之家 にもいっぱい賀年卡(年賀状) や関根稚恵 指導師からも剪紙(切り絵)をいっぱい哈爾濱(ハルビン)から送って頂きました。 謝謝関根稚恵指導師。とても嬉しかったです。

 頂いた剪紙は貼紙(シール)になっていたものもありました。 虎と福を選び、綺麗に剥がせるか? 少々自信がありませんでしたが、思ったよりも丈夫で、少々大げさですが、 精神を集中して、切らずに、綺麗に剥がせました。 また、額に入れて持ち運びたかったので、紙に一発で綺麗に貼れるか? 途中でくじけるかとも思いましたが、 光沢紙を使ったせいなのか、張りなおせて、完成時には達成感から、まるで大作を作った気分に浸っていられました。

 そして、もっとも受けた禮物は台湾の口罩(マスク)です。 台湾の華やかな口罩は定評(?)がありましたので、実物を見たら更に好評のようです。 手に持った時には、口罩の割には、少々重いように思いましたが、付けた感じは意外と安定し、 和装や寒さ避けに、日本の冬には最適かも。。。と思いました。 ただ、日本で使うのには勇気が相当必要のように思います!

 ほかに頂いた禮物には、お茶はもちろんですが、茶梅、緑豆糕、ドライライチ、 インスタントの珍珠奶茶、烏魚子(カラスミ)、ふかひれなどなどがありました。 日本中のご当地土産、美味しいものもいっぱい頂きましたよ!  お茶請けにと、茶芸指導師ならではのものが多かったのですが。 ヤンピンからは‘教室の皆様‘にと頂いたお歳暮でしたが、台湾椪柑(ポンカン)や日本各地の蘋果(りんご)を ささやかな禮物としても、教室の皆さんに持たせました。


台湾の口罩



 
 

随意談 第56号(2010年2月22日)   楊品瑜

 
~Horse Horse Tiger Tiger(馬馬虎虎→まあまあ)、
あたまこんくりーと(頭コンクリート)~

 ずいぶん昔ですが、ヤンピンが一年と少々で通った高校で、 当時流行った英語での諺に「Horse Horse Tiger Tiger」があります。 と言っても、先生が無理矢理流行らしたのです。 中国語の諺「馬馬虎虎」からの直訳で、「まあまあ」という意味です。

 調べた限りでは、意外と歴史ある言葉でした。 由来は宋の時代のとある画家が、虎の絵を描いている最中に、来客から馬の絵を描いてほしいと頼まれ、 画家は書き途中だった先程の虎の絵は頭までしか書いていなかったのでしたが、 そのまま馬の胴体を書き加え、依頼者に渡したそうです。 しかし、依頼者は馬か虎かよくわからない絵なので、いらないとなったそうです。 画家はその絵を家に飾っていたら、子供たちからこの絵は馬なのか?虎なのか?と聞かれ、 画家は子供たちにそれぞれ、「馬」「虎」と適当に答えたため、 その後、子供たちは馬と虎の区別がつかず、悲劇が起きてしまいました。

 「馬馬虎虎」は曖昧に答えるときにも使う言葉なので、 よい言葉か悪い言葉かに一概に分類できない言葉でもありますが、 日常によく使う言葉です。 使い方を間違わなければ、結構便利な言葉でもありますね!

 そして言葉遊びではないのですが、台湾で子供のころからよく耳にする日本語に 「あたまこんくりーと」を久しぶりに思い出しました。 日本語がしゃべれない人でさえ口にする日本語でした。 こちらのほうは由来がはっきりとわかりませんが、 ちゃんとした有史ある言葉と説明する人もいます。 頭が固いとか頑固という意味で使われています。 ヤンピンが日本で始めて使った時には、周りから唖然とさ れ、カルチャーショックを受けた言葉のひとつです。 「えっ?」、私、今、日本語をしゃべったよね!と思いましたが、 日本人に通じない日本語(?)だったように思います。

 言葉をいっぱい知っていると頭が混乱しませんか?と、よく聞かれます。 いつも決まって「いいえ」と答えてきましたが、今思えば、 単純に自分が混乱していることに気がついていなかっただけです。。。 哈哈(ハッハッ)!

 確かに一種類の言葉をきちんとしゃべれたほうが良いと思う時も多々とありましたが、 ヤンピンは生まれた時から数種類の言葉に囲まれた環境で育ってきましたので、 グローバルの時代、ヤンピンみたいな人も必要なのかなぁー。と思うこの頃です。


張炳煌 先生による書『茶禅一味』
台湾の書法家 張炳煌先生(台湾西門紅樓
の建物の看板文字などで有名) に頂きま
した。軸装するようにということでしたが、
ヤンピン家のリビングに飾るために、額に
入れてみましたが、いかがでしょうか?
Horse Horse Tiger Tiger (馬馬虎虎)ですか?


 
 

随意談 第55号(2010年2月15日)   楊品瑜

 
~恭禧發財
(おめでとうございます。お金が儲かりますように!)~

 旧正月になると、台湾では恭禧、恭禧、恭禧你の歌が鳴り響き渡りますが。 なぜなのか、露骨ですが、昔から恭禧發財は永年の新年の挨拶語となっています。

 今年の過年(正式には‘過旧暦年‘、旧正月のことです。中国語では春節とも言います。)は、 大年初一(元旦)が2月14日です。 つまり除夜は13日です。 大年初二回娘家(嫁に出た娘の里帰り日)は15日、旧正月十五日は元宵節で、 元宵(湯圓とも言い、餡が入った白玉団子です。)を食べ、 提燈籠(ランタン提げて町中を歩き回ります。現在は廟などにさまざまなランタンが飾られ祭りにもなっています。)で、 一連の旧正月行事がひと段落となります。 また、今年の元日は前にもご紹介した 西洋バレンタイン と重なるので、どのようなにぎわいを迎えるのかが楽しみですね!

 旧正月では、こだわりの料理を食べて、新年を迎える行事はヤンピン主宰の教室でも毎年やっています。 ヤンピンには2人山東省出身の嬸嬸(父方の弟たちのお嫁さん)がいますので、 嬸嬸たちから中国東北の旧正月の過ごし方、風習、料理数多く教わることもできました。 なので、教室でも紹介しています。

 実は、ひとつどうしても日本で出来ないヤンピン家の正月行事があります。 それは、除夜に新年を迎える延々と続く爆竹です。 子どもの頃はご近所のお友達と数え切れないほど、やりました。 思い出もいっぱい、もちろん、いたずらもありましたが、まぁ、それは過ぎたこととして、、、です。 そういえばヤンピンの子どもたちが小さい頃に、台湾で新年を迎えると、 夜中に突然の爆竹音に驚き、泣きぐずったのも懐かしいです。 今は、まるで他人事で、先頭に立ってはりきっています。

 旧正月と言えば、子どもたちにとて、最大の楽しみは 紅包 をもらうのが、 正月の最大の楽しみですね!  ヤンピンの実家ではイベントにもなっています。 家長から励ましの言葉を頂いて、良い新年を迎えるのです。 かつて、母方の祖母の60か70歳(数え年なので)祝い兼ねての新年には”三叩九拜”という伝統礼儀を経て、 やっと紅包を頂いたことが強く記憶にあります。 しかし、三叩九拜については、正しい拝みかたはあるようですが、どれが正しいのかよくわかりません。 ヤンピンは両親の指示により拝みましたが、今となっては自己流でしょうね!(哈哈ハッハッ)

 今年は台湾へ帰って旧正月を過ごせませんでしたが、非常思郷(ホームシック)ですが、 教室の皆さんと旧正月が過ごせるので、やはり幸せです。 恭禧! 恭禧! 恭禧發財!


ヤンピン家の人気おかず
「普洱茶のポーク煮」


 
 

随意談 第54号(2010年2月11日)   楊品瑜

 
~大難不死、必有後福
(大きい禍から生き延びたら、のちに必ず福がくる)~

 今回は「大難不死、必有後福」という俗語をタイトルに選びました。 危ないことに遭われたときに、よく使われる励ましの言葉です。 日本では似たような諺に「災い転じて福となす 」とありますが、 「大難不死、 必有後福」では降りかかった禍を転じるのではなく、 「そのときをしのげば、いずれ「福」がやってきますよ!」という願いが込められ、使っています。 英語にも似たような言葉に「Bad luck often brings good luck. 」や 「Good comes out of evil. 」などなどがあります。 お国によっては多少使い方が違うようですが。。。

 そういえばOL時代に、イギリス人、オーストラリア育ちのアメリカ人と三者で共通語の英語での打ち合わせをしていた時に、 ヤンピンが使った「Fruits boutique」(フルーツブテッィク、会社が本社ビル改装のために作った造語で、キャッチフレーズでした)が、 イギリス人の方から使い方がおかしいと指摘され、「Boutique」(ブティック)は洋服屋さんに使う言葉で、 フルーツ屋さんでは使わない話に始まり、おっしゃる通りと思いつつも、 フォローに入ったた同席のアメリカ人の英語もところどころおかしい話にすり替えられ、会話が終わったことがありました。 確かにアメリカ英語とイギリス英語の違いはありますが、同席したアメリカ人にはオーストラリア訛りもあったので、 指摘されたようです。

 正直、この時の高度すぎる英会話のディスカッションに、ヤンピンはついていけず、 非常抱歉(申し訳ございません)、指摘された使い方の違いまでは記憶していませんが、 傍観者(傍聴者)になって、そうか、 オーストラリア英語(方言というのでしょうか?)もあったのかと関心していました。 でも、言葉の綾を楽しんでいるようにも見えましたね!

 中国語も元々種類が多く、ヤンピンは閩南語も話すので、閩南語と標準語でしか通じない言葉の綾があります。 よく教室で紹介する標準語の「客人来了」(お客様が来ました)は、閩南語で漢字を当てると「人客来了」となります。 なので、人は来る前から客なのか?来てから客となるのか?のジョークを言い合います。

 このような言葉遊びと言ってよいのかわかりませんが、世界の華人たちは大好きなのです。 日本でも中華料理店などでよく見かける、逆さまになった「福」や「春」は、 単に逆さまの「倒」と到来の「到」の発音が同じだから逆さまにして、 福や春が到来することを祈って、縁を担いでいるのです。 また、双喜のマークは偶数を好むことから、双喜臨門(喜ばしいことを同時に二つ迎える)、 なのでヤンピンの教室では茶器は人数分用意するのではなく、偶数で用意します。 もちろん、「四」を避ける傾向はありますので、紅包では36や38、 日本では中途半端に思う数字を包むのはよくあります。

 中国語でめでたい席でものを割ったときに、 必ず周りからおまじないのように出てくる俗語に「歳歳平安」という言葉があります。 中国語の砕けた「碎」と「歳」が同じ発音なので、 物は割れたけど、「平安」や「平安没事」(直訳は何事もなく、という意味)を付け加えて、 何事もなかったことにして、嫌なことを忘れるようになだめるのです。 子供の頃は「邪気を飛ばすために言っているのかなぁ?」とも思いましたが、 きっとそういう気持ちもあるような気がします。 また、「你好!(こんにちは!)」や「最近怎麼様?(最近いかがお過ごしですか?)」と聞かれたときに、 「平平安安、没事」や「平平凡凡、没事」で返事することもよくあります。 なので、「平安」は安らぎを与えてくれる言葉でもあります。 中国語に興味がある方は参考に覚えておくと便利ですね!


虎と同じくネコ科?!
台湾製キティーちゃんの紅包袋
(今年の 圍炉 で使用予定です)


 
 

随意談 第53号(2010年2月4日)   楊品瑜

 
~照片好難照?!(写真が撮りにくいです)~
 1月の指導師コースの教室はお土産尽くしで、お茶、食べ物や写真などなど、 本当に謝謝大家(みんなさんありがとうございます)です!  機会があれば、頂いたお土産を順次ご紹介したいと思いますが、 まず最初に、「噴水西瓜與青蛙」(噴水する西瓜と蛙)をご紹介します。

 前にも教室で、足?いやいや 知足常楽 をご紹介しましたが、 さらに進化したものを米田指導師が上海の茶芸館で見つけて来ました。 それは、茶湯をかけると蛙の口から勢いよく水が噴射される不思議なオブジェです。 とても風流な茶遊びでしょう!

 ほかにも噴水する烏龜(亀)や水牛變黄牛(水牛が黄色に変身)がありました。 これらの遊びには中国人特有のジョークも含まれていますので、実に面白いです。 米田指導師によれば、「教室に持って来て共感頂けたのは、大変よかったです」、と。 やはり、普通の日本人には何が面白いのか???  不思議に思うようです。 また、目にも留まらなかったそうです。 でも、教室では大うけしました。 そして、大変楽しいひと時を楽しめました。 真是謝謝、米田指導師!(本当にありがとうございました!)

 ところで、噴射する瞬間をヤンピンの写真技術で撮るのには、大変苦労しました。 家族総出でてんやわんやで撮りました。 なんとか蛙の口から水が噴射されているのがわかりますか? 言い訳になりますが、水って、素人には実に撮りにくいです。。。

 そうそう、水が勢いよく噴射するのには、ちょっとしたコツが必要です。 ここでは少々意地悪をさせていただき♪秘密♪です。 ネタばらしは教室でね~!


ヤンピンが頂いた「噴水西瓜與青蛙」


 
 

随意談 第52号(2010年1月27日)   楊品瑜

 
~一張比一張大(サイズを比べています)~
 旧正月を前に台湾からビッグな賀年卡(年賀状)が届きました。 写真ではわかり図らいのですが、サイズはA4サイズです。 これでも小さいサイズだとか?  でも、ちゃんと日本に届くサイズにしてくれたのだそうです。 非常高興(とても嬉しかったです)!

 ヤンピンは、日本から送り出す、いわゆるグリーティングカードはいつもワンパターンの富士山、 鶴、桜柄を購入しています。 変化がずっとなかったので、昨年は新たに城シリーズを加えました。 聖誕老人(サンタさん)や聖誕樹(ツリー)などのクリスマス柄はクリスマスシーズンにしか使えないので、 なかなか送る賀年卡に変化が乏しいのも現実です。

 また日本では、気の利いたカードはクリスマスシーズンにしか買えないので、 旧正月頃には大半の店では売っていないのも難点です。 なので、前もって予測し、多めに買い貯めるか、わざわざ観光客が来るようなところへ行って、 お土産用の日本風のカードを探して来てやりくりしています。 なんだかんだ、やはり和風のものは喜ばれます。

 最近、日本の四季や行事にあわせたカードの販売を時々雑貨店で見かけます。 時期が合えば使うこともあります。 例えば、旧正月が2月中旬にずれ込んだ年には、雛人形のカードを使い、 雛人形の習慣も紹介したことが一度ありましたね!

 しかし、幸せなことなのか否か、日本の年賀状、欧米の友人・親戚への年賀状、 そして旧正月圏への年賀状などなどで、ヤンピンは毎年3月近くまで、まだまだ賀年卡を書いていますよ☆☆☆


頂いたA4サイズの封筒
切手にも注目してほしいです


入っていた特大サイズの賀年卡



 
 

随意談 第51号(2010年1月21日)   楊品瑜

 
~黒橋牌香腸(黒橋ブランドの腸詰め)~
 多くの台南人はなぜか、数多くの香腸ブランドがあるのにも関わらず、黒橋牌の香腸が好きなのです。 台南味は一般の台湾家庭料理に比べ、砂糖を使うので、少々甘いのが特徴です。 これには、かつて製糖工場があったからだと言われています。 なので、黒橋牌の香腸は甘く香ばしく、ヤンピンも大好きです。

 食べ方はいろいろですが、意外と手間がかかります。 一般的には一旦蒸して、なかまで火を通しておきます。 そして、油を引いたフライパンで焦げ目を付け、食べやすいように斜めにスライス切りします。 屋台でも売られていますが、家庭と一味違うように、炭火で焼いたのをよく見かけます。 ヤンピンの外祖母(母方の祖母)は炊きたての炊飯器に入れ、蒸らし、そしてフライパンで焼いていました。 蒸らした時の汁がご飯にしみ込み、また美味しいのです。

 ヤンピン的には隠れ台南名物に「呉郭魚(Tilapia)」をお薦めします。 呉振輝、郭啟彰両氏がシンガポールから養殖用に導入した魚で、台湾では両者の苗字を取り「呉郭魚」と呼んでいます。 正式には「羅非魚→ピラニアの一種」だと思います。 台南に養殖池があるのです。 台南親戚からよくご馳走になりました。 ピラニアは日本では一般に食べませんが、 なぜか冷凍した食用ピラニアを郊外の大型お肉の卸売りセンターで買ったことがあります。 先日久しぶりに食べたのですが、やや骨が多く、臭みを強く感じました。 昔は美味しい、美味しいと食べていたのですが、ヤンピンの舌が変わってしまったのか、 たまたま料理の仕方が悪かったのか。。。でしたが、ともあれ、台南に行ったらぜひ試してみてください。

 実は外祖母家に居候していた頃、外祖母はよく手づくりの烏魚子(からすみ)、 肉鬆(お肉と漢方のふりかけ)、香腸を作って食べさせてくれました。 市販のものとはもちろん味が違いますが、台南味は一般に甘いのですが、 外祖母が作った香腸だけは何故かものすごくしょっぱかったです。 話によるとやはり保存を考えてのことだったそうです。 そういえば、食糧事情もありますが、日本の巻きすしを作ってくれた時に、すし飯が黒かったこともありました。 一般家庭では黒酢しか使わなかったからです。 外祖母はとても良妻賢母でしたが、今考えると一生忘れない滑稽話も多くありましたね!  懐かしいなぁ~。





 
 

随意談 第50号(2010年1月14日)   楊品瑜

 
~酒盃(盃そらぎゅう)~
 ヤンピンはほとんどお酒を飲みませんが、今年の日本での正月は、 なんとなく「そらぎゅう」を出して使ってみました。

 熊本の天草に遊びに行った時にわけもわからずに買った、縁起の良いものらしいのですが、 漏斗型のお猪口なので、一気に飲み干さないと卓上に置けないお猪口です。 底に小さな穴があるものもあるらしいです。 購入したものは、海鼠釉(なまこゆう)の元祖とされる水の平焼きです。 海鼠色は中国の影響を受けたとの説明に引かれ購入したのも一因です。 購入したものはもっとも有名な藍紫色ではなく、工房作かもしれませんが、 名人が作ったものらしいです。

 ヤンピンの研究テーマのひとつとして、昔の先人が日本に渡って、 どのような交流が日本の皆様とあったのかを調べる時間旅行を時々しています。 現代と違って昔の人たちは、どのようにして日本に来たのか、またなぜ来たいと思ったのか、 とても不思議に思ったからです。

 ヤンピンのご先祖もどうして、文明がそう現代化していない時代に 天気予報が発達していたわけでもない時代に、黒水溝と呼ばれた台湾海峡を渡って、 台湾に住み着いたのか。やはりその時の冒険心、開拓精神に興味があったように、 やはり日本に渡ってきた先人が気になります。 ある意味では、時代は違いますが、ヤンピンも海を渡ってきた冒険者の一人ですからね! (ヤンピンは飛行機を乗ってきましたが)

 では、今年もよろしくお願いします。請多々指教!


水の平焼き「盃そらぎゅう」


 
 

随意談 第49号(2010年1月8日)   楊品瑜

 
~下棋(象棋をする)~
  「下棋」とは中国語で、駒を使った遊戯(ゲーム)をすることの総称ですが、 「象棋」(シャンチー)は中国将棋と訳す方もいます。 順番はよくわかりませんが、囲碁、チェスと並んで世界三大競技人口が多いボードゲームとされています。 とりあえずここでは、象棋をご紹介したいと思います。

 日本の将棋に通じるところもあるようですが、ヤンピンは勉強不足で、象棋しかわかりません。 象棋は二人で対戦するゲームで、古くからある遊戯です。駒は決まった動きがあって、 上手に駒を動かしながら、相手の戦陣の将軍駒をとれば勝ちです。

 茶館が盛んだった時代では、茶館のなかで、茶を飲みながら囲碁と並んで人気なゲームです。 前にも紹介した台湾の西門町中華商場には確か、 どこまでも続くワンフロアに、象棋や囲碁に夢中になりながらお茶を飲む男たちの茶館があったように記憶しています。 通路となっている走廊(廊下)が通り抜けにくいほど、皆さんの気迫溢れる真剣勝負の光景は、 今でもはっきりと覚えています。

 写真の象棋セットはヤンピンが台湾から持ってきたものですが、 父は強すぎてヤンピンは対戦相手になれません。 ヤンピンはすっかり対戦する相手もなく、月日が立ちました。 しかし、先日父が孫に象棋を教えているところを見ていたら、 そういえば中山之家にも置いてあることを思い出しました。 そしてなんとなく、ムズムズしてきました。 でも、象棋は相手がいないとできないのですよね!  子供たちに頑張って覚えてもらいましょう。。。


象棋の駒の並べ方


 
 

随意談 第48号(2009年12月31日)   楊品瑜

 
~夏威夷産的鳳梨(ハワイ産のパイナップル)~
 台湾語の鳳梨の発音が中国語の標準語の「旺旺来」や「旺旺升」に音が近いことから、 パイナップルは縁起ものとなっています。 「旺旺来」は幸運がどんどん寄せてくる、「旺旺升」はどんどん昇進します。の意味があります。

 ヤンピン家ではあちらこちらと鳳梨が飾られています。 というより自然に集まりました。 鳳梨は食べ過ぎると舌がしびれるので、ヤンピンは子供のときはよく同居していた祖父に対して怒りました。 阿公(台湾語のおじいちゃん)がこんなものを買ってくるからと。 食べるたびにいつも、いつも阿公に文句を言っていました。 かといって懲りずに、食べ過ぎるヤンピンでした。 なので、鳳梨には阿公に対する深い思い出があります。 因みにこの話は大人になった今でも親戚から言われるほど、有名だったようです。

 台湾でよく鳳梨と並んで、飾られるのは大根です。 大根は台湾語で「菜頭」標準語の「好彩頭」と音が近いので、選挙や正月によく飾られます。 「好彩頭」は好い始まりという意味があります。 飾り方は一般に大根に赤い紐を結んで、玄関先に吊します。

 しかし、数年前に台湾の親戚家で見た大根の盆栽には驚きましたね!  偶数は縁起が良いので、立派な鉢にどうやら白い大根二本を刺しただけの盆栽でした。 どう感想を述べてよいのか。。。 大根の盆栽を見たせいか、その後別の親戚家で、 カービングした巨大なラディシュ(それとも赤かぶ?)が、 藤の籠の中心にお花と一緒にアレンジメントとして飾っていたのには、大変芸術性を感じましたね!  聞いたところによると、某有名な日系の百貨店内の花屋さんで購入したそうです。

 ずいぶん前にイクスピアリで、写真の夏威夷(ハワイ)産の鳳梨のポプリを購入しました。 18cmほどのものですが、購入したお店にはミニチュアのものもいっぱいありました。 夏威夷では、間引きや出来損なった鳳梨をポプリにするそうです。 ずいぶん年数は経ちましたが、今でも、ほのかな鳳梨香(パインナップの香り)がします。

 実は鳳梨のポプリの存在は、OL時代から知っていました。 当時勤めていた会社は、夏威夷産フルーツの宣伝活動を兼ねた教室も行っていて、 お手伝いもしていたので、いろいろと教わりました。 なので、お店で目に付いた途端、すぐに購入しました。 夏威夷産だからなのか、なかなか萬事(すべてのこと)が「旺旺来」や「旺旺升」といきません。 だけど、平々凡々なのが御利益なのかもしれませんね!  今日も無事に一日を迎えたことに、感謝、感謝です。 そして、日本風に皆さん、良いお年をお迎え下さい。 良いお年を!(祝大家新年快楽!)


「旺旺来」or「旺旺升」


 
 

随意談 第47号(2009年12月25日)   楊品瑜

 
~做媽媽難(母になる難しさ)~
 ヤンピン已經做十幾年的媽媽了(十数年お母さんをやっています)!  異国で子供を育てる難しさ、しみじみと感じています。 カルチャーショックを受けながら、挫折して、幾度も台湾に帰ろうと思いました。 いつも教室の皆様に励まされ、癒しを求めて教室にお見えになった方々にまで、 愚痴をこぼす有様、真是謝謝大家的關懐(皆様の気遣いに感謝しています)です。

 子供が小さい時はよく、教室の皆様とも茶畑巡りの旅行をしました。 そして、よく抱っこもして頂きました。 そうこうしているうちに、子供が学校の家庭科でお茶を入れることとなったのです。 中国、日本の伝統文化をどう同時に子供に教え込むのか、 日々悩んでいますが、媽媽は中国茶の先生なのに、と思いつつ、 知っている限りの日本茶のお手前を簡単に子供に教えました。 幸い、京都に住んでいた頃の恩人から日本人と結婚するのでは?と日本茶の入れ方、着物の着付け、 家庭料理と教わりました。 中国茶を通して、多くの茶道の茶人との交流や茶会への出席、 また日本茶を教養として習った多くの先輩がたが教室の受講生として、 在籍頂いているので、ヤンピンもいろいろと教わりました。

 招待された明治神宮の茶席での失敗を思い出すと、ヤンピンもずいぶん成長したように思います。 茶席での失敗?、はいそうです。 まず、正座ができませんでした。 途中でいろんなかたにお助け頂いたのですが、せっかく家元から頂いたお茶の味の記憶もなく、 ただただ足がしびれ、失態続きでした。 また、懐紙を使うことも知らず、勉強になりましたね。。。

 子供たちには将来国際交流に貢献できるように希望していますが、 思っていたより、今の環境は外国人に対する差別もなく安心しています。 親のほうが、タジタジ、ドタバタですが、まだまだ媽媽業は奮闘中です。 ただただ、自我加油(自分で油を入れる→自分にがんばれ→がんばろう→無理なくがんばりたいと思います。)!  の日々です。

 では、祝大家聖誕生快楽(メリークリスマス)!


子供たちと作った龍井茶の冬瓜スープ
彫刻にも頑張ってチャレンジしました


子供たちの作品、中山之家にて


 
 

随意談 第46号(2009年12月19日)   楊品瑜

 
~喝也喝不完、談也談不完(飲んでも飲んでも飲み切れません、話しても話しても話し切れません)~
 中山之家を訪れる度に増えていると言われているお茶たち、最初は関心頂けるのですが、 いつの間にか、いつもの光景として慣れて来るようです。 中山の家がオープンしたときは、空っぽだった棚は今ではぎゅうぎゅう詰めです。 もちろん、今までヤンピン主宰の教室で飲んだお茶はこんなもんではありません。 数百種類はあるかと思います。 そして、保存し、ねかせているものもありますので、 1000種類を終点にしたいと思ったら、折り返し地点なのでしょうか?  ということはあと20年は教室をやらないといけないてことなのでしょうか?  →頑張りましょう。。。

 実は、このお茶たちは、受講者たちが頑張って探したものも多く含まれています。 さまざまな思い出とともに、今では教室の誇りでもあります。 持ち帰ったパッケージまで、保存していますので、時代の移り変わりを見ることもできます。

 そういえば先日、年末年始、旧正月期間中の教室では、いつもいいお茶を飲むので、 教室で久しぶりに普洱茶をやりました。 12月の教室では、毎年飲んでいるねかした散茶の普洱茶以外に、団茶の餅茶もご用意しました。 そして団茶を淹れる前に、ヤンピンは、 最近日本でも見かける普洱茶の団茶を切るピック(またはナイフ、茶刀とも言うらしい)を使わず、 上品とは言えない手でちぎったのです。

 確かに、昔からよく書物に「切茶」の表現があります。 かつてはよく講演で「切茶」茶葉をどうやって切るの?とのご質問がありました。 →それはですね! 簡単に説明すると、昔の中国茶の形態は今みたいなパラパラのお茶ではなく、 固まった状態の団茶の時代がありました。 明の時代に製茶技術が向上し、散茶(パラパラのお茶)が作られるようになったようです。 なので、お茶を淹れる前には「切茶」を行うのです。 かつては切茶=茶を淹れるに通じてしまうこともあったようです。 切茶は直訳すると”茶を切る”ですが、ここが翻訳の難しさです。 茶を切るには必ずしも道具を使って切るとは限らないのです。 道具を使う場合には正しくには道具名を指定しないと手で切ってもよいわけです。 また、ちぎるは主に「撕碎」と訳されると思いますが、 撕碎は紙をちぎるには使っても、茶にはあまり使わないと思います。 →とまぁ、話しても話しても終わらないこのような茶話をしています。




 
 

随意談 第45号(2009年12月14日)   楊品瑜

 
~中山之家的秘密(中山之家の秘密)~
 説老實話(正直にお話しします)、中山之家の看板には秘密がありました。 由来は大家さんが前にギャラリーを運営した時の看板をリサイクルしたものですが、 きれいな看板に作り直したのは、下総中山駅中山商店街にある老舗の和菓子屋さん (知り合った時から営業年数が80数年と聞いています)「松月堂」の店主父子が共作で作ってくれました。 お父様が字を書いてくださり、息子さんが彫刻し、看板に仕上げたのです。

 知り合ったきっかけは、 ヤンピンがいつも茶芸教室でお世話になっていますギャラリー植草兼民芸アルテサーナ経営者の植草さんのご紹介です。 植草さんとともに、松月堂の若旦那は商店街の活性と町興しのボランティアを沢山されていまして。。。  土地柄法華経寺に通じる商店街は船橋市、と市川市が入り組み、かつては行政上の弊害もあったようですが、 今では中山地区として活動が認められ、活気を得ています。 因みに同じ商店街にあるのに、ギャラリー植草兼民芸アルテサーナは船橋市に所在、松月堂は市川市所在です。 また、ヤンピンを応援したきっかけも商店街の活性化に役に立つのでは?からが始まりです。

 事の経緯は、なぜか植草さんから松月堂のご主人は書がうまい話を教わりました。 しかし、字を書いてもらってもどのようにして看板にするか、ヤンピンは困っていました。 日ごろ挨拶程度の知り合いの息子さんに思い切って相談したところ、ボランティアで作ってくれることとなりました。 最初は、半信半疑でしたが、責任感の強いかたのようで、 かつて同じくボランティアで作った幾つかの看板を一緒に見にいきました。 とても素人のかたが作ったものとは思いません。 お堂の表札もありましたので。 お店の和菓子はもちろん、抜群に美味しいのですが、こちらの才能にも感動しました。

 下総中山の駅は先日、やはり、松月堂の若旦那を中心にクリスマス飾りが飾られ、 きらびやかな夜空となっています。 寒い冬に、元気をもらっていますよ!  謝謝です。

 写真の看板はクリスマスに合わせて、少々イメージチェンジしました。 飾りのポインセチアはヤンピンの媽媽がオープンの年に用意してくれたものです。 こちらもヤンピン流にリサイクルしました。 てんやわんやと中山之家も、クリスマスに加え冬支度です。 実は、中山の商店街は散策したあとにお休みする喫茶店が少ないので、 個人商店の方々が休憩用にボランティアで椅子を無料で提供しています。 中山之家も協力頂けないかとのご依頼があります。 ただ、中山之家は商店街と逆の南口にありますのとヤンピンのキャパが追いつきません。 ですが、今年の年末年始は初詣のかたにお休み頂けるように検討したいと思います。




 
 

随意談 第44号(2009年12月8日)   楊品瑜

 
~有頭有尾、有始有終 (頭があってしっぽがある、始まりがあって終わりがある→やり遂げる)~
 自宅に飾ってある完成までに2年間かかったスウェーデン刺繍は、 縦140センチ、横22センチのヤンピンの大作(自称)です。 通常は2年間もかからないとお思います。 ヤンピンは挫折を繰り返したからです。 途中数回捨てようとさえ思いましたが、捨てられず、しまっては出しての繰り返しでした。 そもそもどうして、こんなことをしようと思ったのか???  幾度も自分に呆れています。

 スウェーデン刺繍とは何かも分からずに始めてしまったのですが、 裏に玉を作らず上手にほどけないないように刺繍していくコツは勉強になりました。 しかし、思いもよらなかった最大の難関は、刺繍することよりも、糸探しです。 買ったキットは6本の細い糸が一本になっている刺繍糸から、 2本ずつ細い糸を抜き取って刺繍していくのですが、残った糸の管理が難しかったです。 まだ次に使うからです。 刺繍糸の種類は100近くあったので、結局ヤンピンはボール紙にパンチで穴を開け、 糸の番号を書き、残った糸を1種類ずつ穴に通して、軽く縛りました。 根気がいりました。 ヤンピンにとては、精神修行でした。 挙句に、完成後は、壁に無造作に虫ピンで止めていたので、 来客にはなかなか手づくりと気付かれず、どこかの国の機械刺繍土産と思われていたようです。 悲しかったです。 せっかく名前も刺繍してあるのにー。

 結局挫折を繰り返したスウェーデン刺繍は、完成後約10年を経て、 皆様のアドバイスを受けて、数年前にやっと額に入れました。 少しは大作に見えますか?  結構出費したのですが、額装頂いた店からは凄く褒められ、展示したいとまで言われました。 嬉しかったです。 本当に、やり遂げる大切さを学びましたね!  本当に「做事要有頭有尾、有始有終」(何かをやるときには必ずやり遂げる)と思いました。 なので、ヤンピンの大作は今日も家族の一員として、我が家の喜怒哀楽を見つめてもらっています。




 
 

随意談 第43号(2009年12月1日)   楊品瑜

 
~世界文化遺産 土樓(世界文化遺産 土楼)~
 教室出身の指導師から 土樓 の写真が届きました。 最近行ったものではないのですが、 やはり中国茶の勉強をしているといろいろ関係するところへ行ってみたいようですね!  参考になります。

 土樓とは一族が外部からの襲撃を守るために結束し、 土と木で作った要塞のような巨大なマンションです。 形は主に円、角、楕円型があります。 ほかには、八卦の形や中国のお城のような五鳳楼と呼ばれるものもあります。 主に福建、江西、広東三省の境にあります。 現在も3000棟残っていて、 一帯は「福建土樓」として2008年7月に世界文化遺産に登録されました。

 70年代までの研究では土樓と言えば客家の方々が住んでいたとされていましたが、 最近の研究では閩南(福建省南部)人が先に円形の土樓に住んでおり 客家人の移住により、四合院などの建築を取り入れた土樓がその後発展したのだそうです。 土樓の研究は実に最近で、かつてアメリカの衛星写真に映ってしまい、 核サイロに似ていたことで、国際的に誤解を招いたこともあったそうです。

 一時期の「福建土樓」は、若者が出稼ぎやより便利な都会を求め村から出て行ってしまい、 住民の高齢化が進んでしまったそうです。 また、老朽化と現代的な衛生設備が整わないことで、 移住し、観光客に開放した土樓もあります。 これからは、世界文化遺産に登録されたことで観光客の増加が期待されていますので、 若い世代が戻ってくるといいですね!

 土樓についてはヤンピンは子供の頃、 教科書やどこかの博物館で模型を見たことがありましたが、 本物を見てみたいとまでは思いませんでした。 しかし、悠久な中国茶の歴史に長年関わってきた成果なのか、 教室でもよくお茶の歴史探索のツアーをやっていますので、 自分のルーツ探しも兼ねて、タイムスリップした気持ちで訪れてみたいですね!


土樓での茶席。蓋杯式です。蓋杯に赤い
中国結びがついています。教室でいろい
ろ勉強してから訪れると、身体に感じる
ことがより多いようで、受講者が思わず
茶席での写真も撮ってきてくれました。


 
 

随意談 第42号(2009年11月21日)   楊品瑜

 
~家傳秘方(家に伝わる秘方)~
 台湾の迪化街の漢方薬店で、十数年前に客家人の「家傳秘方」として、 感冒(風邪)をひいたときに食べるお茶を購入してからは、 ヤンピン家でもこれらのお茶を感冒をひきやすい季節に「家傳秘方」として常備しています。 さまざまな漢方生薬とお茶が練りこまれ、少々ねっとりとしますが、 感冒のひきかけに少し切って一日数回に食べています。

 日本では薬事法が厳しいので、医療に従事していないヤンピンには効果効能は唱えられませんが、 台湾では、なかなか西薬(西洋医学による薬)では治らない酷い咳の風邪では、このような漢方利用が一般的ですね!  ヤンピンは中国茶のお陰なのか、あまり感冒をひきませんでしたが、 子供たちは日本の保育園に行くようになってからは、次々と感冒(風邪)となり、 子供に食べさせようとチャレンジしました。 最初は子供たちはもちろん、素直に食べてはくれません。 匂いだけで逃げ出す子、鼻をつまむ子や急いで水を飲む子、毎回延々とぐずり、 大変な面もありましたが、今では子供のほうから、”慣れた”ちょうだいとなることもあり、 なんとなく続いています。 もちろん、この先も一生感冒をひかずに済むとは思いませんが、食生活の改善も図り、 成長とともになんとなく丈夫になったように思います。

 お茶の健康法としては、 お茶を食べるほかには、普段から定期的に烏龍茶の茶浴も行います。 子供たちは小さい頃、よく湯船に浸かりながら、茶湯をすくい、媽媽可不可以喝→ママ飲んでもいい?と聞かれました。 焦りましたが、もちろん、入浴に浸かった茶湯は飲むのはやめましょうね!と指導しました。 しかし、茶浴は風呂釜に茶渋が付くことが難点ですが、気持ちよいので続いています。


台湾の大手茶業公司で販売されている
食べる健康茶です。きれいにカットさ
れていますので、とても便利です。


 
 

随意談 第41号(2009年11月16日)   楊品瑜

 
~茶帯来了什麼東西?(お茶がもたらしたものとは?)~
 資料を整理していたら、りっぱな方々が書いた茶経の資料が出てきました。 父が頂いたのですが、ヤンピンが預かりました。

 このまま引き出しにしまおうかと幾度も思いました。 教室では紹介済みですが、やはりもったいないので、存在自体を公表しようと思いました。 中身はすべて手書きのコピー、表紙のサイン等は自筆です。

 教室を長年やっていると、取材も含め、やはりさまざまな人たちと出会います。 ヤンピンはお茶のおかげだといつも思って、感謝しています。

 たまにどうしてあなたは先生ができるの?と質問されます。 確かにそうです。 もともと自分から進んでやったわけではないのですが、 なぜ、今だにやっているのでしょうかね?とヤンピンも思うことがあります。 正直、いっぱい勉強しました。今も勉強しています。

  OL時代に始めた頃は右も左も分からず、20年前では受講者のほとんどが年上でした。 また、お茶に精通した人生の先輩ばかりで、直木賞作家もいらっしゃいました。 なので、緊張と不安が一杯の中での教室開催でした。 教室が始まる前には、決まって裏で「できない~」と大泣きをしていました (今では信じてもらえないのかもしれませんが、本当の話です)。

 いつも 天野室長 が、ヤンさん自然でいいのよ!  今持っている知識でいいのよ!  と励ましてくれました。 あとは会社の同僚がフォローしてくれていました。 仲間の大切さを教わりましたね!  またいつも外国人扱いだったヤンピンが、日本社会に打ち解けた瞬間が中国茶芸教室だとも思いましたね!

 きっと大変だった始まりが心地よくなり、哈茶族になったのですね! その後、教室運営についても多くのことを学習しました。 ヤンピンは100人の講 師がいれば、百人百様(百人いれば、百通り)、 100通りの中国茶の学問があるべきだと思っています。

 ちなみに、哈(ハー)は台湾語からの当て字です。 はまる、合う、好きの意味があります。 参考ですが、台湾ではご馳走を出された時に”哈味”(お口に合うかどうか)が使われます。 また、台湾の漫画家哈日杏子の造語で「哈日族」は、 日本にはまった族、つまり日本好きな人達たちとして使われていることでも知られています。

 話しは少々反れましたが、中国茶はお手前より、大事なことが一杯あるのです。 一部では日本の茶道のようなことを真似たと思われる部分もあるのですが、 やはり中国茶は形より、「生活芸術」、つまりいかに自分が思う芸術的な生活を送れるかの立役者なのです。 茶芸教室を始めた頃によく上司に言われたのが、茶の芸→パフォマンス、で終わらないようにね!と。 今も肝に銘じています。

 長い歴史の中で育まれてきた中国茶は、皇帝や有名人に飲んでもらったなど、 さまざまな故事や薀蓄で価値がつけられてきました。 なので、教室では癒しを求めて飲んでいるだけの人も多くいらっしゃいますが、茶の薀蓄、美学、少々の哲学を求めて飲む人もいます。 また、中国茶を勉強したことで、自分のルーツ、日本人だから、日本茶をも勉強するかたが多くなりました。 とてもよいことですね!

 ヤンピンも長年の勉強のお陰で、 やっと父の友人たちが書いた茶の書を少し理解できるようになってきたように思います。 20数年の間に日本語の能力もアップしたように思います。 最近では、講演での日中のお茶の交流についての対応も少しできるようになってきたように思います。 大学では苦手だった日本美術史も引っ張り出して、勉強しなおしています。 博物館実習も含め、 4年間ヤンピンを指導した日本美術史の冷泉先生(上冷泉家第25代当主)の教えもやっといかされるのでしょうか?  最近つくづく美術史を勉強してよかったと思っています。


佐伯富編 青木正兒博士譯註
『茶 経 索 引』


 
 

随意談 第40号(2009年11月5日)   楊品瑜

 
~綠油精♪綠油精♪(緑油精♪緑油精♪)~
 先日、随意談 で「綠油精」の話に触れたら、ホームページを見た親戚から綠油精が届きました。 最近は薬なのに、台湾の便利商店(コンビニエンスストーア)でも気軽に買えるそうで、 久しぶりに実物を見たら、思わず懐かしいと思いました。

 綠油精は、緑色の精油という意味で、1964年に台湾で発売された、 瓶の大きさが5cm未満の塗り薬ですが、 匂いを嗅いでのアロマテラピー効果のほうが、優先的だったのかもしれませんが、 今思えばアロマテラピーの先駆者だったのですね!

 説明書にはさまざまな薬効が書かれていましたが、 ヤンピンは乗り物酔いや頭痛以外での使い方にはあまり詳しくないのですが、 実物を手に取った途端に「綠油精♪綠油精♪」のコマーシャルソングが過ぎりました。 面白い現象ですね!  子供の頃からいつも聞き慣れた子供が歌った「綠油精♪綠油精♪♪」 のコマーシャルソングがよみがえり、 つい歌い出しました。 コマーシャルて凄いとも思いました。

 その後も台湾での綠油精のコマーシャルは、ジャズ、ラップ、ロックなどなどのバージョンで、 基本の音符や歌詞をなるべく変えずに、時代時代に新鮮味を感じさせながら歌い続けているようで、 やはり誰もが口ずさめる名曲(?)ですね!

 綠油精はぜひ、台湾土産にと言いたいところですが、お薬なので、お勧めしません。 代わりにぜひ、台湾に行く度に「綠油精」のコマーシャルを見てみてください。 台湾風俗の變遷(移り変わり)とともに、きっと面白い発見がありますよ!

 綠油精♪綠油精♪♪爸爸(パパ)愛用綠油精→
 大家愛用綠油精♪♪♪
 哥哥(お兄さん)、姊姊(お姉さん)、妹妹都愛綠油精→
 姊姊、妹妹、哥哥都愛綠油精♪♪♪♪

と歌詞にも変化があります♪♪♪♪♪


最近、台湾では綠油精を買うと、映
「海角七号」 の茂伯が付いてい
るものがあります。 茂伯は台湾語
で「緑油精は年寄りや若い人、みん
なに”愛”されている」 と言ってい
ます。この愛には、好きと欲しいと
いう意味が含まれています。


 
 

随意談 第39号(2009年10月28日)   楊品瑜

 
~作家瓊瑤、三毛(女流作家瓊瑤、三毛)~
 ヤンピンは女流作家「三毛」の大ファンです。 ヤンピンが中学、高校と台湾で過ごした時代では、 瓊瑤(簡体字では琼瑶)と三毛の著書を読まなかった女子学生はいなかったほど、 実に大人気の二大女流作家です。 瓊瑤は本名陳喆、四川省成都生まれの恋愛小説の作家で、 映画化されたものが多いので知られています。 一方、三毛は本名陳平、重慶(元々四川省の所属でしたが、1997年に直轄市に昇格)生まれ、 エッセ作家です。 ともに瓊瑤の夫、平鑫濤が創設した皇冠出版社(現在は皇冠文化集団) から刊行した書物でヒットしたのがきっかけです。

 瓊瑤はのちに夫とともに映画製作会社も創設し、作品を次々と映画化したのです。 瓊瑤映画には歴史に残る大スターも多く生まれたことでも知られ、 「二秦二林」または「雙秦雙林」時代といわれるほど一時代が築かれ、 「二秦」とは、秦漢、秦祥林,「二林」とされる女優は林青霞と林鳳嬌(成龍=ジャッキー・チェンの奥様です)。 なかでも林青霞の人気は今も健在で、引退したのにも関わらず、美女ランキングの常連です。

 ニュースにもなったのですが、少し前に、台湾で瓊瑤の処女作「窓外」の上映会を行ったのですが、 主演女優林青霞の人気もあやって大盛況だったようです。 林青霞は香港の青年実業家との結婚後引退し、香港に定住、出産、子育てを経て、 現在芸能界復帰が囁かれています。 実は「窓外」の映画、ヤンピンは見ていません、社会的に大反響だった話は聞きましたが。 「窓外」の映画化を巡って、瓊瑤は同意していなかったため訴訟となり、 台湾でロケは行われたのにも関わらず、台湾では見ることが出来なかったようです。 機会があれば見たいですね! 小説のほうは、もちろん読みましたよ!

 一方、三毛はスペイン人ダイバーとの結婚後サハラ砂漠に移住し、 サハラでの痛快な生活を紹介した著書「撒哈拉的故事」でよく知られています。 ヤンピンは中国語版と日本語版を持っています。 また、定期的に買い換えています。 理由は、やはり本の老朽化ですが、ワクワクしながら読んだ気持ちは、 30年近く経っても覚えています。 三毛の著書を読むと元気をもらえることが多く、なぜか思春期の時代に読んだのが特によかったと思います。 三毛の文才はもちろんですが、今で言う自然体な活き方が憧れだったように思います。 ただ、三毛の実人生は著書と合判(中国語?)して、プライベートでは不幸が続き、 晩年では今で言う憂鬱症(うつ病)となり、体調不良も重なり、辛い闘病生活を送っていましたね!

 実はヤンピンは瓊瑤や三毛の小説を読むまでは、あまり読書に興味はなかったです。 本の良さを教えて頂いたように思います。

 瓊瑤と三毛の著書は、台湾だけではなく国境を越えて読まれています。 女性ファンが多かったのですが、中華圏では数億冊も売れたと言われ、 今ではかつての読者が自分の子供に買い与えていると聞いています。

 中山之家では本の貸し出しは出来ないのですが、読書できるコーナーがあります。 三毛の著書も数冊置いてありますよ!


日本語版の著書


張学學良記念館と三毛故居の案内


 
 

随意談 第38号(2009年10月22日)   楊品瑜

 
~一府、二鹿、三艋舺
(一府(現台南)、二鹿(鹿港)、三艋舺(萬華))~

 親戚から台湾の古都「鹿港」のお土産を頂きました。 遊びに行った帰りのお土産なので、ヤンピンの手元に届いたときには、中身をお見せできないほど粉粉です。 教室で、皆様にはもんくなく”美味しい”と言って食べて頂いたのですが、 箱を開けた瞬間、笑いをこらえる皆様の表情が。。。

 頂いた茶菓子は地元では「君子糕」と呼んでいるようですが、素朴な昔からよくある伝統茶菓子で、 日本の落雁を柔らかくした食感です。 頂いたのは味がもう混ざってしまって、ほのかな甘さと杏仁味しか分かりませんでしたが、 一般に「緑豆糕」緑豆餡で作られたものをよく見かけますね。

 鹿港は台湾の彰化県にあります。 彰化県と言えば、八卦山の大佛(大仏)や近年は台湾初のテーマパークとして台湾民族村があります。 「一府、二鹿、三艋舺」の数字順は繁栄度(清の時代)として、付いたもので、 鹿港の地名の由来は諸説ありますが、オランダ統治時代に港から多くの鹿の皮が輸出されていたようです。 日本とのかかわりとしては、 日本統治時代に砂糖工場があったことやサトウキビ列車(70年代には廃止されたそうです)があったことでも知られています。

 子供の頃から諺語(ことわざ)のように耳にしてきた、「一府、二鹿、三艋舺」、 やっともう少し歴史について勉強し、温故而知新(温故知新)の気持ちになって、再度訪れてみたいと思うこの頃です。 実はお恥ずかしいのですが、茶的故事の連載で『台湾省其の二十四 雲林雲頂茶』 を書いた時に初めて 「一府二笨」(一府=台南、二笨=笨港=現雲林県北港)を知りました。 こちらは同じく清の時代で、「一府、二鹿、三艋舺」の前に使われていたようです。 これらのことを知るようになったのもお茶を勉強したお陰ですね!

  しかし、粉々になった残りの君子糕をどうしょうか?  真剣に悩んできました。




頂いた君子?(直径約4cm)です


 
 

随意談 第37号(2009年10月15日)   楊品瑜

 
~筊白筍(まこもたけ)~
 先日、近所のスーパーで久しぶりに筊白筍(まこもたけ)を見つけました。 台湾に住んでいた時は、調理された筊白筍はよく食べていましたが、 母に「これが筊白筍だよ!」と教わってからは、 日本の「超級市場」(スーパーマーケット)で見つけると感動しますね!

 ただ、よく見かけるのは台湾産でしたが、今回は京都産で珍しいですね!  ヤンピンは野菜については、そう詳しくないのですが、イネ科の多年草植物だそうです。 中国、台湾が原産とも言われていますが、日本では万葉集にも登場する野菜だとか。。。 また、「そう珍しくない野菜だよ!」という人もいましたが、なかなか買えないのよね!

 中華料理では、炒め物によく使われますが、ヤンピンは食感が好きで、くせのない味なので、いくらでも食べられますね!(ほっほっ)  実は、子供の頃からきちんと「筊白筍」が言えなかったのです。 なぜならば、台湾語ではよく「カーペースン」と母は呼んでいたのですが、 ヤンピンには漢字が全然見当つかず、音だけで適当に覚えていました。 大人になって、料理教室に出すのにあたって、さすがに調べましたが。

 言い訳ですが、一般の台湾主婦は「超級市場」ではなく、「菜市場」(市場)で毎日の食材を買いますので、 値段は駆け引き、商品の品質は肉眼で厳しく吟味、なのであまり商品を説明するポップがありません。 品物はわかっていても、字を見ることがなかったのです。 なので、多くの食材は「口音」(音)だけで覚えているのは、きっとヤンピンだけではないと思います。 ちなみに、筊白筍の英名は「Manchurian Wild Rice」と呼ばれているようです。

 どうやら、「筊白筍」は「腳白筍 」が由来のようですね!  後に「腳」(脚)の音に近い「筊」が使われるようになったのです。 「筊白筍 」と呼んでいた由来は、マコモ種のイネの茎に黒穂菌が寄生し肥大したため、 皮を剥いたら、白く、まるで、「美人腳」(美人の足)のようだったからだそうです。 なんとなく発想が単純で、很幽默(とてもユーモラス)ですね!

備註(PS.):台湾では一般に「筊白筍」が使われますが、一部「茭白筍」も使われています。 大陸では茭白笋、筊白笋と使っています。 大変混乱しますが、ここでは筊白筍で統一させていただきました。

京都産の筊白筍


 
 

随意談 第36号(2009年10月10日)   楊品瑜

 
~第一本茶書(初めてのお茶の本)~
 二十数年前、中国茶芸の先生 をやることになり、「さぁー困った」と思って家族に相談したところ、 父から差し出された一冊の本、家の本棚にいつもあった一冊の本、「中国喫茶詩話」でした。 この本は1982年に父の長年の友人でもある、著者の竹内実先生からプレゼントされた自慢の本です。 もちろん、サイン入りです。 本のなかに台湾の「中國功夫茶館(中国功夫茶館)」の話しがありますが、 若き日の父が同行取材し、写真にも写っていました。 中國功夫茶館は当時の流行のレストランで、茶芸館のさきがけと言えます。 父がよく日本人の来客を案内し、ヤンピンもなぜかよく同行させられていました。 この頃は千千萬萬也没有想到(幾千幾万も思いもしませんでした)、お茶と関わる仕事に就くとは。。。 今思えば、この頃から修行が始まっていたのでしょうか?

 中国功夫茶館は中国の蘇州風の造りで、料理を楽しんだ最後に、 上品なチャイナ服を着たきれいなお姉さんが出てきて、 功夫茶器で美味しい中国茶を淹れて飲ませてくれるのが特徴でした。 料理の内容はさすがに記憶していません。 あとで知ったのですが、手がけたのは茶芸ブームを仕掛けた台湾大手のお茶屋さんでした。 その後閉店され、暫くしたら茶芸館ブームが到来したように記憶しています。 中國功夫茶館の存在は、今でも当時を知るお茶ファンの伝説店として記憶に残る名店です。

 ヤンピンが高校に再来日するときに愛読書、少々おませですが、 数冊の中国の古典小説を買い集め、持参しました。 なかでも「紅楼夢」が好きで、上手に日本語に訳せませんでしたが、教室でも時々紹介しています。 紅楼夢は、清朝の乾隆49年(1784年)に書かれた恋愛小説で、 著者は曹雪芹です。三国志演義、西遊記、水滸伝と合わせて「四大著書」とされています。 当時はストーリーを夢中に読んでいたのですが、今ではところどころに出てくるお茶のシーンを見つけては、 茶話のネタとして楽しんでいます。「中国喫茶詩話」のなかでも「紅楼夢」の話が紹介されていて、なんとなく運命を感じたりしてね!


竹内先生から頂いた本


辭典(辞書)のような厚さの「紅楼夢」


 
 

随意談 第35号(2009年10月2日)   楊品瑜

 
~媽媽味的炒米粉(母の味の焼きビーフン)~
 久しぶりに炒米粉を家族のために作りました。 新竹の親戚が買ってくる米粉は、日本で売られているものよりは細いです。 なのでやはり、細いほうが食べ慣れています。 乾燥した米粉はいつも沢山頼むのですが、かさばるので、持ち運びにくいのです。 なので、貴重な新竹米粉はついつい教室に参加された皆様に優先に食べて頂き、家族には残り物となりがちです。

 大学やOL時代に初泊まりに来た友人たちからはいつも揃って、 ヤンピン家は朝起きると「外国なのね~」と母が作った炒米粉が美味しかったとのご感想を頂きます。 ヤンピンにも作れると思ったのか、母と同じ味の炒米粉が食べたいとのリクエストが多いです。 作り始めて10数年、やっと味が近づいてきたように思います。 材料も大事ですが、中華鍋が養壷(養鍋?)のように育ったのも一因だと思います。

 そうそう、時たま家庭料理の教室をやりますので、いつも味付けに困ります。 なぜならば、ヤンピン家では調味料は塩、せいぜい醤油しか入れないのです。 その分、食材選びにはとてもうるさいです。 元々中国人は辛い味を好む人、にんにくを食べる食べない、などなど。 多民族なので、お客側も味が薄いと思えば、自分で醤油を足し、 辛み、ねぎ、にんにくがだめな場合は事前に抜いてもらい、双方確認し合う心遣いはマナーですね。

 時には、牛肉食べない人もいます。 宗教が理由なのかもしれませんが、多くの人はかつて農作業で牛を使っていたので、 忍びないから食べられないのです。 来日した友人にハンバーグを勧めて、失敗したことがあります。 日本のハンバーグは豚と牛の合挽きが一般的なのに、てっきり豚のひき肉100%だと思っていました。 中華料理では豚と牛を合挽きするのはあまり聞かないので、合挽きの考えがまったく頭になかったです (今はもちろん、知っています)。 因みに餃子も一般では、豚肉のひき肉のみを使います。 具の味付けも塩、五香粉程度で、好みのたれで食べます。 そもそも中華料理では日本で言う 餃子=水餃子、焼き餃子=鍋貼 です。

 ヤンピンはよく一皿の炒米粉を食べながら、途中から豆瓣醤(豆板醤)を足して、 味に変化をつけながら食べます。 日本での由来はわかりませんが、中華料理店の食卓にいつも置いてある調味料たちは、 そのためにあるものだと思っていました。。。


ヤンピンが作った炒米粉
想不想吃呢?(食べてみたいですか?)
この日家族と茶会用に20人分作りました


 
 

随意談 第34号(2009年9月26日)   楊品瑜

 
~楊氏族譜(楊家の家系図)~
 ヤンピンの父方のご先祖は、族譜(家譜ともいう)によると、発祥は河南省→福建省→台湾と移住してきました。 ヤンピンは+日本となりますが。 日本では、族譜があると何かおこがましく思われますが、実は、これは、結構切実なものなのです。 例えば「楊」姓は中国八大姓の一つとされるほど楊さんは世界中にいます。 その親戚たちもいます。世界各地に散らばった華人同士は、どこかで結婚するかもしれません。 歳の差は関係ないと思っていても、代が違う(例えば叔母と甥の代、姪と叔父の代)、 また、代が同じでも近縁として、慣習から結婚ができなくなることがあります。 なので、事前予防として、交際する前に確認しておく必要があるのです。 このときに、この族譜が活躍するのですね。

 もちろん、族譜が残っていない家もあります。 なので、なるべく同姓の人とは結婚しないのも予防法ですが、同姓でも親族ではない場合がありますからね。。。 華僑の友人宅では、論語の詩を代ごとに一文字順に名前に取り入れ、 同じ代ならば同じ字が使われることで、予防しています。 因みにこちらの友人宅では、男性ならば、幼少時から武術も修行するのが慣わしだそうです。

 そうそう、せっかく結婚が決まっても「合八卦」を行う家が結構あるのです。 一般に双方の名前、旧暦の生年月日と生まれた時間を使って、占うのです。 主に、結納や結婚の日時、今後の人生のアドバイスをもらいます。 なかには、合わないとして破談になることもあります。 ドキドキです。 また、時差がある国で生まれると、どのように調整するのかでひと悶着することもあります。

 数年前に、某女子大学(現在共学)で中国文化についての講演をしたときに、 この話をしたところ、大変興味津々に聞いてくれました。 族譜の話を持ち出したのは、世界どこに行っても自分のルーツの大切さを伝えたかったのですが、 やはり、結婚話は20代前後のお嬢さんたちには興味があるんだなぁと思いました。 最近講演した幾つかの大学の生徒さんからも、国際結婚の便りが届きました。 少しは参考になったのでしょうか?


友人から届いた婚約の喜餅
喜餅は男性側から結納品として納められ、
未来の岳母(新婦の母)が親戚や友人に
配り、娘の結納が整ったお知らせです。


 
 

随意談 第33号(2009年9月19日)   楊品瑜

 
~追悼三舅母(追悼三番目の伯母)~
 三舅母(母方の三番目の伯母)が亡くなり一周忌を迎えました。 三舅母はクリスチャンで、看護助手をされていました。 医者であった三舅との結婚後、地図で見つけるのにも困難なぐらいな小さな漁村、 高雄県梓官郷蚵仔寮に移り住みました。 当時この村は無医村でした。 もちろん、診療代がもらえないこともしばしばあったそうです。 一説ではこの時代は恋愛結婚は許されず、恋愛=乱愛(偶然にも台湾語の発音が同じ)なので、 恋愛結婚に外祖母の強い反対があったそうです。 でもせっかく許してもらった結婚なので、夫婦で話し合って、 華やかな都会よりも無医村で人様の役に立ちたいと思ったようです。

 三舅家に遊びに行くと、三舅母は、漁村案内も兼ねて夕食の買出しにいつも連れ出してくれます。 食べたいものも買ってくれるのです。 夕食には新鮮で豊富な海鮮が食べられるのはもちろんですが、 家を出た途端にあちらこちらから「先生娘」(台湾語で、先生の奥さん)のお声がかかってきます。 気がついたら菜市場(生鮮食品や生活用品販売を中心とした市場)に着く前には、 頂いた色々な食べ物で、三舅母はすでに両手が一杯になっていました。 小さいころは買い物に行くのにずいぶんお知り合いが多いですね!と思っていましたが、 段々三舅母の人気度が理解できるようになり、 いつの間にか三舅母と一緒になって会釈をするありさまとなり、誇らしげな気持ちになります。

 どれぐらいに三舅母が「做好事」(良いことをする)をされてきたか、 三舅母からは一度も自家に聞いたことがありません。 でも色々な大人の会話で分かりました。 亡くなる前には高雄市のりっぱな病院に入院していたのですが、 三舅母を見舞いたい行列が毎日出来てしまい、誰か有名人が入院しているの?と大騒ぎとなり、 患者さんも面会が負担となるので、ご遠慮ください。 と病院からもコメントを出されていたのですが、それでも病院の外では拝む行列が成していたそうです。 テレビや新聞のニュースにはならなかったのですが、ヤンピンはこの話を聞かされたときには、 感動でたまりませんでした。

 三舅母は日本に嫁に行ってしまったヤンピンに、いつも烏魚子(カラスミ)を送ってくれていました。 食べきれず、教室でいつも無理矢理受講者に差し上げていました。 ヤンピン家の冷蔵庫は当たり前のようにいつも烏魚子はありました。 今となっては烏魚子は高値の花となりました(なかなか買えませんので)。 でも、やはり烏魚子を見ると三舅母を思い出しますね。。 そう言えば漁師料理も三舅母→母を通じて一杯教えてもらいましたね!  三舅母も漁師さんからいろいろ教わったそうです。 しかし、不思議、今なんとなくですが、蚵仔寮漁村特有の魚腥味(魚臭さ?)が甦ってきましたよ!  港から上がった魚の競り場も思い出深いです。 機会があれば、子供を連れて訪れたいですね!


以前、教室でお出しした三舅母からの烏魚子


 
 

随意談 第32号(2009年9月12日)   楊品瑜

 
~暈車、到野柳地質公園玩
(車酔い、野柳地質公園へ遊びに行く)~

 當時(いつ頃かの当時)は単に景色を見るのになぜ、 こんなにはるばる車に乗って来なくてはならないのかが理解できませんでした。 また、道路の舗装もよくなかったようで、ヤンピンは乗り物にも弱かったので、 暈車(車酔い)とともに苦労して見に来る理由がわかりませんでしたね!  みんなの厄介ものでもありました(很悲哀=とても悲しい)。

 記憶では、パンフレットによく使われた「女王頭(女王岩)」よりも、當時は「仙女靴」が特に人気だったように思います。 女性のサンダルによく似ていて関心を持った記憶がありました。 今では、長年の浸食で「女王頭」があと20年で折れてしまうと心配され、 一番人気の岩となっています。

 そう言えば當時の野柳もそうでしたが、防衛上あまり海辺で写真は撮れませんでした。 撮りたい場合は海に向かってシャッターを押してはいけない制限もありました。 なのに、今では誰もこの話をしないので、やはり時代を感じます。

 しかし、「女王頭」は確かに首あたりが前に見たときより、ずいぶんと細くなったように思います。 月日を感じました。 最近は淡水に来ると九份に行ってしまうので、野柳に来ることがなかったですね!  野柳は確か一時期は台湾を代表する観光地だったのに、いつのまにか景色が変わるかもしれないとは。。。  少々自分の年を感じます。 子供の頃から見慣れている景色は、やはりいつまでも残してほしいですね!  歳月不饒人(歳月人を待たず)なのでしょうか?

 実は、台湾では昔から暈車によく「緑油精」という薬を使いました。 緑色の液体薬です。 少し指に垂らして、そしておでこに塗ります。 緑油精とともに「萬金油」は西薬がない時代では、各家庭によくあった常備薬でしたね!  そしてヤンピン家では擦り傷には、祖母がよく冷めた茶湯をかけて消毒してくれていました。 日射病では刻んだねぎだの生卵だので作った漢方薬と称する薬をタオルに詰めて頭に巻いたことがありました。 どこまでが本当に効いたかよくわかりませんが、思い出すとこっけなのかよくわかりませんが、 懐かしい限りです。

 日本に来た頃は電車でもよく暈車しましたが、大人になってからは、暈車がよくなりました。 やはりいろいろ遊びに行くには乗り物にも強くならない気持ちが勝ったのでしょうか?


最近の女王頭
人が多くてうまく撮れませんでした


女王岩でのヤンピンと老爸(父)
40年前の女王頭は首も太かったね!


 
 

随意談 第31号(2009年9月5日)   楊品瑜

 
~玩踢毽子(ティージェンツ遊び)~
 踢毽子は今一旦、「ティージェンツ」と訳させていただきます。 踢毽子をお土産で頂きました。 諸説ありますが、踢毽子は漢の時代から盛んだった中国伝統の遊びで、 学校の授業でも行われるほどメジャーなスポーツでもあります。 残念ですが、日本ではあまり知られていませんね。

 ヤンピンも子供の時代は、夢中で遊びました。 成龍(ジャッキーチェン)の映画でもしばしば見ることがあります。 やりかたはサッカーボールを蹴るように蹴るだけですが、 コインに羽が付いている毽子を蹴る(毽)だけなのに、 やはりちょっと技とバランス力が必要です。 サッカーのリフティングのように個人で蹴ってもよいのですが、二人以上で、蹴り合うのも楽しいです。

 本当に毽子を見た瞬間から蹴りたくなるのが、正直な気持ちです。 そして、いろいろ調べたのですが、競技名が「踢毽子」以外での呼び方が、今のところは見当たらないですね!  直訳すると毽子を蹴る、つまり“毽子”を蹴る行為、行為が競技名なのです。

 因みに、オリンピック競技にならないかなぁ~とずっと期待され、申請もされていますよ!  なので、今後も踢毽子と呼ばれるかどうか分かりませんが、やはり踢毽子はティージェンツです。 とにかく楽しいですよ!  技が必要とする蹴り方もありますが、慣れればほどよくツボに当たるとマッサージにもなりますので、 子供も大人も気軽に楽しめるのも魅力だと思います。


お土産に頂いた「踢毽子」の“毽子”


 
 

随意談 第30号(2009年8月27日)   楊品瑜

 
~過了夏天就是秋天(夏が過ぎれば秋です)~
 当たり前のようですが、夏が過ぎれば秋です。 と言っても日本は四季がはっきりしているので、当たり前ですが、はっきりしない国もあるのです。。。

 ひと夏ベランダで過ごしたヤンピン家の水果園の果実たち、 バナナ、パインナップは赤ちゃんがりっぱに育ちました。 グアバは実を30個ぐらいかなぁ~取れました。 初夏では桑のみを子供と食べ放題しました。 無花果、パッションフルーツ(時計草)も実が取れました。 梅雨時期には枯れたかと思った枸杞(クコ)も何とか花が咲き、枸杞子(クコの実)も採れました。 今年は結構収穫があったように思います。 少しコツがつかめたのか、水果(果物)ではないのですが、 買った時にしか咲かなかったブーゲンビリアは三年ぶりに花が咲きました。 子供たちが育てた朝顔、オクラ、ひまわり、プチトマトなどもいっぱい育ちました。 もちろん、野菜類はおいしくいただきましたよ!  また、中山之家では金針の花もきれいに咲きました。 こちらは”初”栽培成功です。 今年の夏は日照不足でしたが、肥料はすべてお茶だけなので、 お茶の恵みと千葉の太陽の恵みかなぁ(?!)  ヤンピン家は海にも近いので、暖かいから育つのでは?とも思います。

 実はヤンピンはもともと植物栽培には興味なかったのですが、茶畑巡りやハーブを勉強したことで、 徐々に興味を持ちましたね!  最初は茶葉のリサイクルも兼ねての実験でしたが、 茶畑で子供たちがどんぐり拾いのように茶の実を山ほど拾って帰り処分に困り、 適当に撒き散らし低い確率でしたが、芽が出て、本当に子供やお茶のお蔭でいろいろ学習しました。 ハーブは、かつて茶芸教室に行き詰まり(正確にはワンパターンの教室開催に限界を感じていた)、 視野を広げるのでは?とお誘いを受けて勉強をしたのです。 当時はまだ、日本ではさほど認知されていなかったので、ヤンピンにはとても新鮮でした。 この時もハーブ栽培の勉強が一番苦手でした(苦笑)。 また、子供が生まれ、外に出られない時期が続き、癒してくれたのが水果園の植物たちだったのかもしれませんね!  その後歩き出した子供たちが、次々と種や苗を拾い、 持ち込み、ヤンピンも負け地と見つけては持ち込み、今日に至りました。

 ともあれ、これからは水果園は秋、冬と越冬の準備に入ります。 特に冬の間には枯れないように頑張りますね!  かつてドリアンを種から育てことがあったのですが、越冬に失敗し、 その後幾度とチャレンジしたのですが、まったく芽が出ませんので残念でした。 そして、これからはお茶の花が咲きます。 もう蕾ができています。 機会がありましたら、また、ご報告します。


二本になったバナナの木
三月頃のバナナの木


 
 

随意談 第29号(2009年8月20日)   楊品瑜

 
~莫名奇妙的一刹那(わけのわからない一瞬)~
 先日、ハイテク都市(?)つくば(茨城県つくば市)のショッピングセンターで”莫名奇妙的一刹那”を体験してきました。 それは関西に住んだことのあるヤンピンには大変びっくりなもので、 なんと"たこ焼きの自動焼き"を見てきました。 店員さんが汗を一杯かいて、ひとつひとつたこ焼きを回転して焼く姿ではなく、 たこ焼きが自分でくるくる回っているのです。 たこ焼き店の前に店員がいないので、多くの子供が店を囲み、静かに夢中でみていたので、 不思議に思い、近ついてみると、自分の目を疑いました。 思わず目をこすりたくなりました。 本当に不思議な光景でした。リズミカルにくるくる回るたこ焼きたち。。。 「ホー」「為什麼呢?」(どうして?)と思いました。

 ヤンピンはその前に、隣の香港おかゆ屋さんで注文したご馳走を待っていたのでした。 その後、たこ焼き屋の余韻を持って注文したセットメニューを受け取り、 ジャスミン茶の飲み方の説明を聞いていたら、またびっくり!  茶葉が沈んたら、こちらのポットをマグにのせれば自然に茶湯が落ちて飲めるというのです。 「エー」?で、早速やってみました。 「ホー」本当でした。お湯のお代わりも自由ですが。 よくよく聞くとこちらのポットは台湾製で世界主要発明展金賞受賞を取ったものだそうです。 帰り早速一つ買って帰りましたが、ちょっとした出費でしたね!

 たこ焼きはその後購入し、皮が薄く、ちょっとパリット感がありましたが、たこが大きかったですね。 ジャスミン茶と一緒に飲茶しました。美味しかったです。 たまに、遠出するのもいいですね!  と思った一日でした。次はどこに行こうかなぁ~。


マグに載せて、自動的に(?)
茶葉を濾して飲むポット


 
 

随意談 第28号(2009年8月12日)   楊品瑜

 
~哎!再来一次習慣不同
(そうだ!もう一回、習慣が違います)~

 先日雙盤坐のお話を紹介したところ、少々反響がありました。 なので、もうひとつの習慣不同をご紹介します。ヤンピンの失敗談ですが、 かつて表妹(姓が違う従妹)への結婚祝いに水色と白の包装で有名な某高級ブランドのネックレスと指輪をプレゼントしたところ、 嫁ぎ先のご両親から不幸をもたらすとして、苦情を受けました。 昔から結婚祝いに24kの純金アクセサリーを差し上げる習慣が慣わしで、 由来はやはり長い結婚生活でお金が必要になったときに売って換金するためです。 出産祝いにも、生まれた赤ちゃんの性別問わずに24kのベビーリングを送りますね!

 しかし、ヤンピンは当時仕事が忙しく、台湾に帰れず、日本では18Kしか見つからなかったので、 ふんぱつしたのですが、水色と白の包装紙が不合格でしたね!  黒や白はもちろんですが、水色も仏事や葬式にもよく使われる色だったようです。 思えばお葬式で亡くなったかたとの血縁の順番で、水色と白を組み合わせた服装もありましたね!  伝統的な葬式では親族は亡くなった方との関係で服装が変わります。 一番血縁が近い場合、一般には子供ですが、粗い麻を頭から羽織ります。 孫代は少し上等な麻を羽織ります一般に「披麻帯孝」(披麻戴孝)といいます。 ヤンピン家では、婿殿たちが水色×白の綿の羽織でした。 人様の子孫なので、麻より上等だそうです。 そして、邪気が移らないように、天気に関係なく黒の傘を差します。 葬式は経験しないとわからないことが多かったので、本当に勉強になります。 しかし、皮肉にも親族を何人も送り出す年齢となったのですね。。。

 余談ですが、ヤンピンが夏に麻の手提げを提げて台湾に帰ったら、 葬式を思い出すと親戚中不評だったこともありました。

 そして結局、結婚祝いは買い直しました。 出費が倍でした。 アクセサリーは一旦あげたものでしたが、中国式のおまじないで、百円をもらいました。 つまり親戚がヤンピンから買ったことにしました。 思えば、昔、母にパラソルをプレゼントしたら、「傘」と「散」が同じ発音なので、 母から百円をもらったことがあります。 因みにもう一つ絶対にあげてはいけないものが、大きな時計「Clock」です。 腕時計は手錶なので、大丈夫です。 大きい時計は「鐘」と呼ばれ、(大きい)時計を送る。=中国語で「送鐘」、「送終」と同じ発音です。 =最後を送る→一般にはお葬式などで人生の最後を見送るに使います。 なので、気をつけてくださいね!

 その後、表妹ご夫婦の結婚生活には紆余曲折がありましたが、 子宝にも恵まれ、家庭円満で一安心です。 最近では某高級ブランド(水色×白)の存在もよく知られ、ご両親にも少しはご理解頂けたようです。 ほっとしています。


ヤンピンが頂いた出産祝い
金のタマゴだそうです。


 
 

随意談 第27号(2009年8月6日)   楊品瑜

 
~菜瓜又叫絲瓜(菜瓜または糸瓜と呼ばれます)~
 先日、近所のスーパーで菜瓜を見つけました。 台湾では、一般にへちまを菜瓜と呼びます。 また、一部では絲瓜と呼ぶ人もいますが、呼びかたの違いは単に出身地の違いに由来すると言われていますが、 どちらも通じるので、ヤンピンはどちらも使います。 中国語では、一般に菜瓜の英名訳は「Luffa」だと思いますが、「snake melon」と訳すこともあるようですね!  因みに日本では、ヘチマは Luffa、Loofah、Loofa と英訳しています。 料理教室で初めてヘチマ料理を紹介したところ、「エッ~、たわしですか?」と言われました。 「たわしに使うやつですよね~」とトーンダウンしてくれました。 日本では、沖縄で食べられていることは知られていますが、 やはり一般的ではないのだなぁ~とヤンピンも学習しました。

 菜瓜は、繊維が豊富なインド原産のウリ科植物です。 品種にもよるのですが、熟したての菜瓜は食用になりますが、 時間が立つと実の繊維は硬くなり、食べても美味しくないのです。 なので、たわしや化粧水としても利用されます。

 子供の頃は、特有の味、皮のざらざら感と身のとろーりとした食感が苦手で、 正直、進んで食べたいと思いませんでした。 しかし、最近は懐かしさから、自宅でも進んで買って調理しています。 何が美味しいのかと思いつつも、見かけると買ってしまいますね!

 思えば昨年は料理教室をきっかけに、教室全般でハヤトウリがブームとなりました。 ハヤトウリは水分が多く、中華風に炒めたら、スープがいっぱい出てきて、 面白い食材だと思いました。 日本では瓜は漬物にすることが多いので、 炒めた瓜を初めて食べた方にはやはり新食感に感じたようです。 中華料理では、黄瓜(きゅうり)を漬物にしたりもしますが、 黄瓜も含め、瓜類は結構火に通して料理します。

 ヤンピンはかつて苦瓜が食べられませんでしたが、今は大好きとなりました。 最近、生でのサラダも食べられるまでになりました。 食べられたきっかけは、調理法を工夫したのが一因です。 個人的には、やはり子供のときに覚えた食感が生かされた結果だと思います。 食育の大切さを痛感しましたね!


ヘチマ料理


 
 

随意談 第26号(2009年7月31日)   楊品瑜

 
~喝酸梅湯(酸梅湯を飲む)~
 子供の頃から夏になると、夏バテ防止に酸梅湯と緑豆湯をよく食べさせられていました。 と言っても酸梅湯は冷たい飲み物です。 子供の頃はアイスクリームは高級品で、かき氷か冷たい飲み物がせいぜいの贅沢でした。 台湾の夏はとても暑いのに、当時は冷房もさほど普及していませんでした。 確かに冷たい飲み物で、身体を冷やさないとね!

 ヤンピンは日本に来てから、「冷え性」という病気を知りました。 OL時代にたまに台湾に帰って冷房が寒く感じ、日本で言う冷え性になった話を親戚にすると、 聞いたことがないと不思議がられ、「こんなに暑いのに冷房を緩めるなんて、、、」と。 確かに緩めると皆さんは大変な汗をかいていました。 やはり、医食同源の食生活なので、季節とともに体調が調和されているのだと感じました。 しかし、冷房のかけすぎで、体調を崩さないのはやはりすごいです。 最近台湾も環境保護の観点から、冷房のかけすぎには注意しているようですけどね。

 酸梅湯は台湾だけではなく、民間に伝わる健康飲料なので、 中国や香港でもあちらこちらに伝説と飲み方があります。 北京では、元朝を倒し、明朝を樹立した朱元璋が発明したという伝説があります。 由来は酸梅湯は烏梅が使われていて、朱元璋が烏梅を販売していたというのです。 当時疫病が流行し、朱元璋が酸梅湯を作ってみんなに飲ませ、助けたそうです。 どこまで信憑性があるのかはよくわかりませんが、 酸梅湯の由来を調べていたら朱元璋の名前もいっぱい登場したのにも吃驚でした。 烏梅は梅干を燻製したものです。 つまり黒くなった梅干、漢方の一種です。 因みに中国茶のお茶席でもよく出されています。


 酸梅湯は「健胃」と言って、胃を助ける効能があるとされています。 なので、温かくして飲むこともあります。 日本では濃縮したエキスが売られていますが、ヤンピンはよくセットものを買ってきて、 煎じて飲んでいます。 冷え性がひどかった時代は常温で飲んでいました。 味は名前の如く甘くすっぱいです。 日本で飲むとやはり故郷の味を感じます。


台湾の超級市場(スーパー)で購入した
手作り用酸梅湯セット


 
 

随意談 第25号(2009年7月24日)   楊品瑜

 
~今年非常有口福
 (今年は、とてもご馳走に恵まれています)~

 今度は台湾芒果(マンゴー)が届きました。 こちらは関係者しかもらえないお中元ですが、頂きました。謝謝!

 とても大粒なので、食べるのがもったいないですね!  説明書には、日本で言うアップルマンゴーが、台湾では「愛文」種、 台湾独自改良した品種には「金煌」種、こちらの2品種が主な台湾芒果であると書いてありました。 勉強になりますね!少々余談ですが、 「金煌」種については茶的故事の 『其の三十一 高雄六亀茶』でも紹介しました。

 最近の台湾芒果事情を聞いたところでは、日本向けに輸出するものは、 特に日本側の検査や消費者が厳しいので、高品質なのを輸出しているのだそうです。 そして、高品質な芒果が作れる信用にも繋がるので、日本に輸出できるように頑張る農家が増えているようです。

 またここ数十年の台湾産芒果は、台南県の山一帯で栽培されたものが特に高品質とされています。 なかでも玉井郷が有名で、始めてアメリカのフロリダ州から愛文種の苗を導入し、栽培に成功したのだそうです。 かつての玉井郷は農地が限られているため、農家は貧しく、 稲作や短期で収穫する農作物を作って生活をしのいでいたのだとか。。。 しかし、愛文芒果の栽培が成功したことで、一帯の農家の収入が大幅に改善されました。 よかったですね!

 台湾芒果はアメリカや近隣諸国に輸出されていますが、日本でもスーパーで見かけるようになりました。 でも、まだまだ限定された数量しか輸入されていないので、本当に貴重ですね!  なので、教室の皆さんと美味しく頂きます。





 
 

随意談 第24号(2009年7月17日)   楊品瑜

 
~布袋劇(人形劇)~
 ヤンピンも知らなかったのですが、 「今台北で、観光客向けの布袋劇が見られるよ!」と教室会員から教えてもらいました。 ヤンピンは布袋劇世代なので、 滑稽役の”ハッベアニンキ”(かなり無理な台湾語ですが)=歯が合わせて二本(前歯)と言うキャラクターが記憶深いです。 歯が生え始めた赤ちゃんが歯が2本となったなったときに、 つい、「ハッベアニンキになっちゃた」と叫んでしまって、”なにそれ~”と言われ、 世代が分かっちゃたことがあります。

 布袋劇がテレビで放送され始めた頃は、ずいぶん昔ですが、 確かヤンピンは未就学児だったように思います。 午前中はテレビ放送がなく、正午に祖母とテレビ前に駆け込んで、 夢中で見ていた記憶があります。 なのに、演目はまったく覚えていません。 人形が、宙を舞う(投げ飛ばされていた)記憶だけはあります。 不思議ですね!  今考えれば、ちょっと過激な演出ですね~。

 当教室主催のツアーで、(頼まれて)訪れた台北免税店で、 つい懐かしさから買ってしまった我が家の三体の布袋劇人形たち。 現在は、男女ペアで中山之家にいます。自宅には、関帝さんがいます。 当時はハッベアニンキも検討したのですが、周りから美観的なことから反対されました。

 庶民娯楽の人形劇だったかもしれませんが、現在は伝統芸術として見直され、 十数年前にかつての人形師たちは人間国宝になったと聞きました。 やはり、長く何かを続けるすばらしさを学んだ気がします。 でも、人に感動を与えられる仕事はやはりすばらしいですね!


中山之家にある布袋劇の人形



 
 

随意談 第23号(2009年7月10日)   楊品瑜

 
~好吃!台湾巧克力(美味しい! 台湾チョコレート)~
 不好意思(直訳=わるいですね?かなぁ。)!  お土産で台湾チョコレートをもらいました。 チョコレートと言えば、OL時代にフランスからの輸入を担当し、 大変な思いをしたことがあります。 ずっと一定の温度で品質を保たせながら、消費者のお手元に届ける管理が特に難しかったです。 量も多いので、冷蔵庫ごとで運ぶわけにもいかず、 冷蔵庫代わりの飛行機や車を探し、 正直、味(シェフにお任せし)より品質管理に気を遣いました。 休まず出勤し、根気の必要な仕事でしたね!  なので、チョコレートにはちょっと気持ちが一入です。

 昔台湾で食べたチョコレートは気候のせいか、頑丈に硬く固められ、 ざらざらした感じで、正直美味しくなかったです。 確か、夏期は売っていなかったように思います。 現在は技術も向上し、冷房、冷蔵庫も充実していますので、夏でも買えるようになり、 美味しいチョコレートも増えました。 そして、日系デパートの進出で、バレンタインを過ごすイベントもあります。 「西洋情人節」と呼んでいますね!  因みに従来の情人節(恋人たちの日)は旧暦7月7日の七夕でしたが、 若い世代は西洋情人節のほうを楽しんでいるように思います。

 数年前台北で、特売で日本でも良く知られている高級輸入チョコレートを 買一送一(一つ買うと、もう一つプレゼントされる)で買いました。 開けたら、チョコレートたちはブルーミング(温度差による劣化)で表面はでこぼこ、 またすざまじく箱の中で回転していました。 思わず、私のかつての苦労を思い出しました。 ヤンピンもかつて不慣れで、お客様にご迷惑をかけたことを思い出しながら、 家族と談笑しながら、結局見た目は悪くても、 つまみながら中国茶と一緒に美味しく完食しました。

 ところで、頂いたチョコレートたちは、 夏なのに頂いた台湾チョコレートはブルーミングもなく、 回転の苦情を避けたのか、 キャンディのように一粒一粒のビニール入りの小包装となって箱にはいていました。 味はざらざら感もなく、少し固めですが、口溶け感はよく、 中華風の味に関心しながら、教室の皆さんと美味しく頂きました。


お土産で頂いたチョコレートたち


 
 

随意談 第22号(2009年7月4日)   楊品瑜

 
~洗温泉or泡温泉(温泉に入る)~
 台北の歴史を紹介するDVDを見ていたら、 1896年に大阪出身の商人平田源吾が自分の病気療養で訪れた北投にそのまま移住し、 最初の温泉旅館天狗庵旅社を開業 した話がありました。 そして、北投での温泉業が繁盛し始まるきっかけは、 日俄(日露戦争)戦争で負傷した兵士の湯治だったそうです。 台北陸軍衛戍療養院北投分院(現国軍北投医院)がその名残だそうです。 知らないことだらけでびっくりでした。

 ヤンピンは人と一緒に風呂に入る習慣や湯船に浸かる習慣もなかったので、 さほど温泉好きではありませんでした。 子供の頃、親と行った陽明山の温泉は湯船もあったようですが、 狭いシャワー式の個室に母が子供を一人ずつ入れるのに苦労していました。 あげくに食事は自分たちで釣り上げたものということで、父と親戚は楽しそうでしたが、 ヤンピンはつまらなかったですね。 記憶ではえびを釣って食べていたのですが、結局足りず、 追加注文もしていました。 そもそもなぜ、自宅で風呂に入らなかったのか、 たぶん大人も温泉のことをよく分からなかったのだと思います。

 しかし、最近の台湾の温泉事情は変わりました。 ゆっくり浸かれる温泉や遊べる温泉プール、カラオケも楽しめたり、とにかく楽しいです。 いつかのんびりと帰れるときに、いろいろチャレンジしてみたいと思っています。 台湾でも温泉で湯船に浸かることが多くなってきたことで、 温泉に行くことを「洗温泉」から「泡温泉(温泉に浸かる)」と言う人が増えています。

 そうそう、北投と言えば、 ヤンピンは個人的には日本とも縁深い「北投文物館」が好きです。 元々は、1920年に建てられた「佳山温泉旅館」です。 純和風の建物ですが、日本統治時代では日本軍官倶楽部、 戦時中は神風特攻隊の度假所(休暇を過ごす所?)にもなっていました。 1998年に台北市政府から三級古蹟に認定されました。 当時の兵隊さんの朝のラジオ体操写真も展示されていましたが、 主に台湾縁の骨董を展示しています。

 北投文物館では最近、日本の茶道が学べる教室も開催され、 日本との文化交流の場としても利用されされているようです。 敷地内の茶芸館はヤンピンの隠れ家でしたが、 ポットを使用しているため、毎回茶を入れるお湯の温度が低いのがちょっと残念です。 改善されたかなぁー。


「台湾之旅」DVD


 
 

随意談 第21号(2009年6月27日)   楊品瑜

 
~一張明信片(一枚の絵葉書)~
 中山之家に飾ってある一枚の絵葉書、 文章をよくよく読むとエッー誰が書いたの?と思わせる字体と文章です。 頑張って読んでみると内容は日本語(少々フランス語雑じり)で、 中国の景色がとてもきれいで感動したと書いた簡単なコメントでした。 そのはがきを書いた主はヤンピンの前職の後輩で、中国旅行のお知らせでした。 すらっとした背の高い、金髪で青い目のきれいな清楚なフランス人女性です。

 当時はまだ日本語を勉強し始めたばかりで、自分のキャリア磨きのために香港経由で来日し、 小売を勉強するために就職したのでした。 でも、売り場に立っているとあちらこちらから指をさされ、ちょっと気の毒だったので、 ヤンピンの部署が預かったのです。 青っぽい万里長城(日本語では万里の長城)の絵葉書を選んだのは、 やはり独特のセンスの持ち主と見えました。

 最近もらう絵葉書は中国、台湾からのはもちろんですが、 ケニア、インドネシア、インド、スリランカなどの茶産地と関連したものが多くなりました。 旅行に行っても、ヤンピンのことを思ってくれるなんてと思う一方で、 お茶好きはお茶好きなのね!と感心もしています。 もらう絵葉書も茶摘みの光景や茶器などお茶と関連した図柄が多いです。 なんとなくヤンピンの交友関係にも変化が起きたように思います。


頂いた「万里の長城」の絵葉書


 
 

随意談 第20号(2009年6月22日)   楊品瑜

 

~巨峰葡萄来了!(巨峰ぶろうが届きました!)~
 先日長崎マンゴーのお話をしたところ、御礼にと、農家の方から長崎県島原産の巨峰葡萄が届きました。 長崎は地理条件、気候のおかげで、早くから出荷が出来るそうです。 ヤンピンにとって巨峰は初物でしたが、長崎ではもう出荷が終わる頃だったようです。 粒は大きく、味も甘く、とても美味しいかったです。 非常謝謝!  中国語では「ご馳走さまでした」のような言葉がなく、 「非常好吃(とても美味しく頂きました)」ぐらいですね。

 そう言えば、皆様はどのようにして葡萄を食べていますか?  ヤンピンは葡萄を食べるときは、粒ごと、皮ごと、まるごと口にいれて、 口の中で器用に皮を剥く食べ方が嫌で、いつも手がベトベトとなりながら、 一粒一粒皮を剥いて、味わいたいのです。 見ていてイライラすると言われたこともありましたが、 やはり、この食べ方が一番葡萄を美味しく食べられるとヤンピンは思っています。 葡萄は冷やすと甘みが増すので、甘く頂きたいかたは冷蔵庫で冷やすといいですよ!

 でも、思い出しました。前に台湾の留学生に日本のみかんが甘く、 美味しい話をしていたときに、「日本のみかんは甘すぎる」と言われました。 えっ、失言?国際問題?  いやいや、よくよく聞くと、 「みかんは甘く食べたい人とすっぱく食べたい人がいるのだよ!」と言われました。

 そうだった、中華系の人たちは多民族なので、自分の味を相手に押し付けないのでした。 中国語には人の心理を例えた俗語に「吃不到葡萄説葡萄酸」があります。 直訳は「葡萄を食べられなかったことに、その葡萄はすっぱいと言い切ってしまう」ことです。 ちょっと意味が逸れてしまいましたが、すっぱい葡萄の味は美味しいのか、 どうか決め付けませんが、言い直して、葡萄はいろいろな味をどうぞお楽しみくださいね!

 頂いた葡萄のお礼に農家のかたに電話を入れたところ、 若い男性が対応してくれました。 少しびっくり、マンゴー栽培を手がけたきっかけとなったのは、 国立大学の農学部出身の息子さん(電話に出た方)のアイディアだったのですね。 日本では若者が農業をやりたがらないと聞いていましたので、 優秀な大学を出て、家業を継ぎ、 さらに将来を見据えての南国フルーツ栽培(パッションフルーツも栽培していました)へのチャレンジ、 ちょっと感動ですね。 ヤンピンも孝順父母(親孝行)しなくては、と思いました。


巨峰とマンゴー


 
 

随意談 第19号(2009年6月15日)   楊品瑜

 
~収集郵票(切手を集める)~
 6、7歳のある日、突然親から「切手を集めなさい」と言われました。 ソファに座らされ、収集帳を渡され、切手の挿み方を教わり、 わけもわからないまま始めたヤンピンの収集郵票。 収集帳はその後もずーと一冊どまりのままですが、 引っ越しても、引っ越してもずっと捨てられず、とってありました。

 中身は大した切手がありませんし、正直、きちんと集めていません。 ときどき罪悪心が湧き、きちんと集めようと思い、 手紙、はがき、小包から切手を切り取るのですが、 その切手たちも気がつけば、山ほど溜まっています。 今でも、なぜ集めければならなかったのかはよく分かりません。 当時の流行だったようですが、何かを集めることを親は教えたかったのかもしれません。

 ある時、十数年前に親しくなった北京出身の友人が日本を離れるときに、 中国人は切手を集める人が多いので、 「記念にどうですか?」と立派なコレクション集とお茶を一緒にもらいました。 とても嬉しかったです。 そういえば、昔集めていた切手帳があったなぁ~と思い出し。。。 その後、2冊仲良く本棚に並んで飾っています。

 やっと収集帳が2冊になったのですが、その後も2冊のまま。 ヤンピンの不出来の収集帳とともに、いつの間にか大切な宝物となりました。 「続ける大切さ」を親は伝えたかったのかしらね~と悟ったか、 悟らないか(?)です。


楊の郵票集


 
 

随意談 第18号(2009年6月8日)   楊品瑜

 
~習慣不同(習慣が違います)~
 たまに華人(中華系)に質問される日本での中華料理の幾つかの不思議に、 ヤンピンも学習することがあります。 もっとも有名な話では、ラーメン・炒飯セットです。 中華料理ではどちらも主食だからです。 そして、中華料理店で食事をすると、 なぜ、どんぶりや皿を別の皿に乗せて出すのか(洋風に、2枚皿とも言うのでしょうか)?です。 始めて聞かされたときは、洗い物の心配?と一瞬思ったのですが、 どうやら出身地によっては、その出し方は仏様への食事に見えるようです。

 理由はよくわかりませんでしたが、調べたところでは、 中国の仏像はよく雙盤坐(あぐらを組んだ座り方)をするので、 雙盤の雙→双、盤→皿、つまり二つの皿に由来したからではないかと思います。

 日本で、結婚式を行った在日華僑の友人からも相談されたことがありました。 親の要望で、料理の皿を重ねて出さないようにホテルとの交渉に七苦八苦したそうです。 中華料理は熱いので、ウェイトレスさんが出しやすいからではないのでしょうか?と伝えたのですが、 なかなか親は納得してくれなかったと苦悩していました。

 ヤンピン的にも、中華料理のランチョンマット使用にとても悩みます。 ドラマや映画でも見られる中華料理の食習慣は、真ん中におかずを集めての自家箸なので、 ランチョンマットを敷いて食事をする習慣は、一般家庭ではありません。 ヤンピンの教室に参加された方には、本場の食習慣を実感頂くために、 教室では使用しませんが、戸惑う方もいらっしゃるようです。 ただ、日本的に取り皿と菜ばしは用意しています。

 ほかでは、よく相談されるのが結婚式へのご招待。 日本と違って、気軽に参加してほしいと招待されることがよくあるようです。 服装は真っ白や真っ黒(黒色は最近OKのところもあるようですが、 アクセサリーで一工夫をされるとよいと思います)ではなければ、特に拘らないところが多いです。 但し、ご祝儀袋を包む場合は、紅包袋が定番です。 日本の水引き付きの鮮やかなご祝儀袋は、やはり白包(仏事用)に見えるらしいです。 特に黒い墨で字を書くとさらにそう見えるのです。 日本人だから日本式でよいと言ってくれる場合もありますが、 長老がうるさいときもあるので、 冠婚葬祭はやはり現地の習慣をよく確認されたほうがよいとアドバイスしています。

 台湾では一般的に紅包袋の上に黒のペンや青のペンでコメントや名前を書きます。 紅包袋は真っ赤なので、この時は黒い筆でコメントを書いても大丈夫です。 紅包袋はほかにもお年玉袋やちょっとしたチップ入れとして使えますので、 ヤンピンは年間通じてオリジナル(ちょっと自慢)のを携帯していますよ!


楊のオリジナル紅包袋(上:表、下:裏)
檀香=白檀の香り付きです


開けると、お札の肖像を見ることができます
(この写真はおもちゃのお札を使っています)


 
 

随意談 第17号(2009年6月1日)   楊品瑜

 
~喜不喜歓吃芒果?(マンゴーはお好きですか?)~
 社会人になって初めて台湾に帰省したときに、 会社の同僚と訪れたのは西門町の舅舅(母方のおじ)家でした。 舅舅はすでに医者になっていましたが、実はちょっとした水果(フルーツ)博士でもありました。 母の実家は日本統治時代には、自称高級水果店でした。 主に日本から輸入した水果を販売し、草莓(イチゴ)がとても売れた話をよく聞かされていました。 そして、長男だった舅舅はよく店を手伝わされていたので、 フルーツの知識を唯一外祖父(母方の祖父)から受け継いだ人とされてきました。

 同僚との訪問は、もちろん台湾水果への取材でした。 ヤンピンは中国茶の先生をすでに始めていたので、 この時の会話は真剣に聞いていなかったのが、今となっては残念です。 ただよく覚えているのは芒果の話で、「繊維があるほうが甘く美味しいが、 繊維が歯に挟まるので嫌う人も多い」と話していたことです。 因みにこの時の会話はオール日本語でした。

 母も当時ヤンピンが勤めていた会社にお中元を買いに来て、 懐かしさからか、台湾巨峰葡萄(台湾産巨峰ぶどう)の美味しさを私の同僚に力説していましたね。 このことを書くにあたってちょっと調べたのですが、 台湾巨峰葡萄は1935年から1939年かけて日本から導入したのだそうです。

 この時期(約20年前)の日本はまだまだ、芒果の人気は未知数でした。 確か輸入されたシンガーポールの芒果布丁(マンゴープリン)のヒットで芒果の人気に火がつき、 さらに完熟マンゴーで芒果の地位が定着したように思います。完熟マンゴーは 完熟寸前に樹木からもぎとるので、繊維が少なくなり、甘みも増すのです (表現が悪いのですが、水果は腐る寸前が一番甘く美味しいとされています)。 農家が一つ一つネットがけし 落ちない工夫のおかげで、美味しい芒果を食べられることとなったとも言えます。

 先日珍しい長崎県島原市産の芒果を頂きました。 「えー、長崎で芒果?」、人気がここまできたのかとも思いましたが、 食べてみたらとても美味しかったので、「やっぱり本物だ~」と思いました。 前職在職中はインドのアルファンソマンゴーの缶詰を輸入していたことや、 台湾物産館が設立される前に芒果の話を台湾から参考にと取材を受けたことなどを思い出しました。 そういえば、ヤンピンはよく台湾への水果を輸出したい相談を受けますね!  夏はやはり暫く水果店に変身?(冗談ですよ!)

 聞くところでは、長崎芒果の栽培にチャレンジされた農家は葡萄の巨峰を作っていたのですが、 雲仙普賢岳の火砕流で家屋や畑を流され、再建された農家だそうです。 芒果栽培はまだこちらの農家だけのようですが、 こんな美味しい芒果が作れるのには能力とともに、凄く研究をされたように思います。 また、島原半島の土質、気候の恵みも必要だったと思います!  隠れ長崎or島原土産になるといいですね!

 ホームページをご紹介しておきます。 掲載の了承を得ようと問い合わせたら、ご好意ですばやく茶・茶語録をリンクして頂いたようです。謝謝(ありがとう)!
   島原観光農園 http://www.shimabaramango.com/index.html


島原産完熟マンゴー
美味しく頂きました


 
 

随意談 第16号(2009年5月25日)   楊品瑜

 
~回憶西門町(西門町の思い出)~
 よくよく考えたら、ヤンピンは台北の西門町生まれなのです(実感はないのですが)。 なぜならば、母の兄が西門町で病院を経営していて、台北での実家代わりだったので、 近くの病院でヤンピンを産んだのです。 ヤンピンは高校生だった頃、よく学校帰りに友達と西門町に入りびたっていました。 若者の町西門町に遊びに行くのに舅舅(母方のおじの呼び方)を見舞うことは、とてもよい口実でした。

 舅舅家のお隣は、お茶屋さんでした。 と言っても、この時代はまだ茶芸館がありません。 単なる茶葉を販売するお茶屋さんです。 社長さんは、お茶を担いで屋台で売っていた苦労人だとよく聞かされました。 記憶深いのは、台湾は夏が暑く長いので自動販売機やコンビニもない時代、 期間限定的に店頭に冷たいお茶をぐるぐる回す、ジューススタンドのようなマシンが二台置かれていたことです。 一杯ずつ注文し、お店の方がグラスに注いで、その場で立って飲むスタイルが主流でした。

 土地柄なのか、芸能人もよくお茶を飲みに来ていました。 当時の台湾の芸能人はテレビ局専属だったので、 「街中でどこどこのテレビ局のだれだれがお茶を飲んでいる」と騒ぐ声がよく聞こえ、 ヤンピンも看護婦さんに連れ出されて、病院の門から一緒になって覗いていました。 サングラスをかけて、カッコよく飲んでいましたね!  アイスティーのメニューはそう多くなかったと思います。 確か冬瓜茶や菊花茶(紅茶とのブレンド)だったと思います。 たまに、お店の方もごちそうしてくれました。 「很甜(とても甘い)、大人の味かぁ」と感心していました。 今では、もう病院もお茶屋もその場所から引退しました。 アイスティーは形が変えられ、紙パックやペットボトルとなり、あちらこちらで買えるようになりました。

 西門町といえば、中華商場を懐かしむかたも多くいらっしゃるかと思います。 中華商場は台北駅からの線路に隣接した一大商業ビルです。 このビル群を通って西門町へとデートする方も多かったと思います。 1992年の捷運系統(地下鉄など)の整備に伴い、 取り壊されました。 ヤンピンは学生時代によく友達と遊んだ思い出の地でもあります。

 母が西門町に里帰りすると、 中華商場を出てすぐの名店「鴨肉扁」(50年続いている鴨肉の名店)の料理を舅母(おば)が用意してくれていました。 鴨肉扁の周りの店もすっかり変わってしまっていますが、「鴨肉扁」はまだまだ名店です。 當帰(トウキ、漢方の一種)の香る鴨肉扁、うんーまた食べたくなりますね。


右)紙パックになった冬瓜茶
左)超級市場(スーパーマーケット)で売ら
れていた煎じるための冬瓜茶の素


 
 

随意談 第15号(2009年5月19日)   楊品瑜

 
~有没有去赤嵌樓玩過呢?(赤嵌楼に遊びに行ったことがありますか?)~
 台湾の幾つかの古跡(旧跡)には、オランダ人やスペイン人によって建てられた建造物があります。 ずさんな管理や地震による倒壊もあったようですが、政権が変わっても補修してなんとか使用され、 今日までに残ったのです。 古都台南の赤嵌楼(Provintiaプロヴィンティア城、オランダ語では永遠という意味)は、 オランダ人が数年かけてジャワのバタビア(現在のジャカルタ)からレンガを数年かけて運んで来て建てた城です。 その後、鄭成功がここに承天府を設置しました。 ヤンピンの卒業制作(油絵で50号を2枚)のテーマの一つもです。 テーマに選んでしまった以上、薀蓄も勉強することになりました。

 因みに、もう一枚のテーマの選択は大変不評でした。 ヤンピンは、どちらかというと、こちらの方が描きたかったのです。 それは旅行などで幾度も行った軽井沢の商店街です。 ヤンピンは小学校を京都で卒業しており、身近すぎて選びませんでしたが、 古都の京都を選ぶべきだったらしいのです。

 赤嵌楼の近くに、ヤンピンがよく行った茶芸館があります。 最近は行けていないので近況はわかりませんが、 当時は入り口に滝があり、店内に川が流れていて、左右に過去と現代の茶コーナーが楽しめました。 現代コーナーでは泡沫紅茶が飲めました。 最近の台湾では泡沫紅茶はスタンドで飲めるまで定着しましたが、 当時はどちらの店が発祥かで論争の渦中でした。 もちろん、論争中の台中の茶芸館でも泡沫紅茶は飲めましたよ!

 新幹線の開通で台南は交通の便がよくなりました。 次回のツアー開催では候補地になっています。 台南に帰るとよく担担麺や菜粽を食べにいきますが、鱔魚(田鰻)料理もよくご馳走になりました。 特に鱔魚麺は台南の有名な小吃です(日本では田鰻は食べないと聞いていますが)。 かつて「美味しいよ、美味しいよ」と親戚に勧められたままに食べてしまった友人の悲鳴は、 今でも忘れられません(笑)。


約20年前の赤嵌楼のパンフレット中の写真
中国語、英語、日本語で書かれています


 
 

随意談 第14号(2009年5月13日)   楊品瑜

 
~為什麼要教茶(お茶を教えるとは)~
 ヤンピンが大学卒業後に日本に残らなかったら、きっと、お茶の先生にはならなかったと思います。 それまでの中華圏では、中国茶は日常的な飲みもののひとつでありながら、 みんな強いこだわりを持ち、一番知っているつもりなのです。 まして、若輩のヤンピンが先生業で報酬を得ることは考えられないことでした。 ヤンピンに「茶文化」の分野を確立し、伝えていく大切さを教えてくれたのは、日本の皆様だと思います。

 ヤンピンの実家や親戚の家では来客に備え、中国茶器一式が来客用の机に茶盤ごと置いてあるのが普通の光景です。 来客に自慢のお茶の薀蓄を語ることで、会話が始まります。 そして父や叔父たちは囲碁を始め、残された人たちは茶菓子をつまみながら、 聊天(おしゃべり)が始まります。 この光景がきっとヤンピンが主宰する教室の原点でしょうね。

 父から日頃、お茶を飲むときは「花生(ピーナッツ)は、自分で殻を割って食べなさい」と言われます。 面倒くさいと思うのなら、お茶を飲む資格がないと叱られます。 花生や瓜子(スイカ、かぼちゃ、ひまわりなどの種の総称)は伝統的な中国茶のお茶請けです。 ものがない時代では、貴重な栄養食でした。 なので、伝統を大事にし、花生に手間隙をかけて、気持ちに余裕を持って、お茶を飲むようにとの教えです。

 中国茶の先生になって20数年、最近では、 中国や台湾からの留学生や在日の方々も教室に参加頂いてもらっています。 彼らは、「懐かしい一面、逆に日本にいた方が教えてもらえる」と話ます。 茶文化の大切さを日本の皆さんから教わったのだと思います。 伝統は時にはその時代にそぐわないと思うこともありますが、 後に大切さに気がつくこともあります。 なので、守っていく大切さを父は教えてくれたように思います。 これが「家教」(家に伝わる教え)というのですかね!


学生時代からコツコツ集めた美術書の一部
多くの中国茶器の歴史を学びました


 
 

随意談 第13号(2009年5月7日)   楊品瑜

 
~遊印度(インド旅行)~
 映画「貧民百萬富翁」(スラムドッグ$ミリオネア)のヒットで、思い出したインドへの旅。 と言ってもずいぶん前に行ったきりですが。 大学卒業後に勤務した会社で5年近く紅茶の輸入に関わり、退職し、落ち着いた頃の同行取材でした。 得たものは数え切れないのですが、今でも思い出深く、すべての出来事を忘れることはありません。

 訪問予定のダージリン茶園に上る前に、中国との国境に連れて行ってくれました。 「あなたと同じ顔の人がいっぱいでしょう!」と言われ、 「中国との国境かぁー」と気持ちは複雑でしたが、物々しさは意外になかったです。 でも、以前にヨーロッパで幾度もの国境超えの旅をしていた雰囲気とは、 やはり受け止め方がどこか違いますね!

 地元一番の名店で食事しました。 中華料理店でした。 お店は国境の山脇に建ち、店の中に入って行くと、 ところどころで床の隙間から底なしの谷間がよく見えました。 正直、恐怖心はありました。 華僑の強さにも感動し、胸いっぱいでした。 一方で台風が来たらどうするのだろうと心配しましたが、 アッ、ここは台風が来ないのだと勝手に納得しました。ご主人はとても親切で、お互い中国語で自己紹介しました。

 その後、手配してもらったジープに乗って、 トイトレイン(正式にはダージリン・ヒマラヤ鉄道)を眺めながらダージリンのテッペンへ向かって上っていきました。 茶園のオーナーが所有する土地はひとつの山からとなりの山に続く凄さで、びっくりでした。 当時一番の高値が付いた紅茶ガーデンを訪ねたら、 一番偉いと紹介されたインド人のマネージャーは、中華系のヤン(Mr. Yang)さんでした。


茶園のオーナーに頂いた記念品
今でもヤンピン家の壁に大事に飾っています


 
 

随意談 第12号(2009年4月30日)   楊品瑜

 
~對不起、搞錯了(ごめんなさい、間違いました)~
 先日教室の指導師が私用で「こうしゅう」に行くと言うので、てっきりお茶の名産地、浙江省の杭州(こうしゅう)と思い、 お土産をいろいろ偉そうにアドバイスしました。 後日お土産を見て、「あーそうか、広東省の広州(こうしゅう)か・・・」、となってしまいました。 広州は中国南部の大都市ですが、ヤンピンにとって、”こうしゅう”=杭州しか頭になかったようです。 大変失礼しました。

 ヤンピンが主宰する茶芸教室では、多くの会員は「お茶」をテーマに旅行されています。 そのためか、中国語を習い出したり、やり直す人もいます。 やはり、直に中国の方々とコミュニケーションを取りたいと言いますね!  とても良いことです。 語学を習うことは新しい境地の開拓にも繋がるので、頭の体操にもお勧めです。

 ヤンピンもみんなからもらったパワーで、数回フランス語をやり直したのですが、 使わないと忘れてしまいます。 フランス語をしゃべる前に英語が出てしまいます。 ヤンピンにはもう語学は限界のようです。 (ましてお茶の研究も大変です。 何せ中国茶だけでも種類が多いのです。 また、時代、時代で飲み方も違ってきます。ふー、以上は小言です。)

 そうそう会員の中には、中国語の他に韓国語を勉強している方が数人います。 それもちゃんとしゃべれるのです。 すごいですよね!

頂いた広州土産の「花生酥」
もう食べ終えて、箱はありません


 
 

随意談 第11号(2009年4月25日)   楊品瑜

 
~逛唐人街(中華街でぶらぶら)~
 先日、ゴールデンウィークの混雑を前に、友人と横浜中華街でお茶のはしごをやってきました。 日本で言う中華街は、中国語では一般に「唐人街」と呼んでいます。 唐人街は世界各地にありますが、ヤンピンは日本にある三大中華街、横浜中華街、神戸南京町、 長崎新地中華街すべてを10回以上訪れています(少々自慢しています)。 もちろん、観光目的が多いのですが、取材でもよく行きます。

 神戸南京町は、大学時代のひとり暮らしのヤンピンが、故郷を求めて過ごした思い出の町とともに、 震災後数回取材に訪れ、再建していく姿を見てきた、少々ほろ苦い思い出があります。 思い出深いのは、よく行った食材の雑貨店の伯父さんが、 「震災になったからって、遠慮せずにどんどん買い物に来てほしい」と切実に願っていたことです。 「皆さんが買い物に来ることで、活気も出て、生活も助かる」とのことでした。

 ヤンピン主宰の教室でもよく中華街ツアーを組みます。 中華の空気を吸いに行くと言ったほうがよいのかもしれません。 茶芸館を貸し切ったりもします。 旗は持ちませんが、中華街散策ではヤンピンはよく、 ”你是導遊嗎?(あなたはガイドさんですか?)”と中国人ガイドに間違われました。 教室以外で茶芸館に行くと、ヤンピンはいつもお茶を淹れる側でしたので、 淹れてもらえる幸せを噛み締めています。
 毎次都覚得很好喝(いつも美味しく頂いています)、 也非常謝謝!(ありがとうございます!)

 中国茶は美味しく淹れることも大切ですが、 ”もてなす気持ち”と”いただく気持ち”が一番大事ですからね!

 写真は横浜中華街で買った豆腐糸で作った涼拌(リャンパン)です。 盛り付けた中鉢は、前に同じく横浜中華街で買ったものです。 涼拌は夕食で美味しく完食しました。





 
 

随意談 第10号(2009年4月21日)   楊品瑜

 
~吃飯了嗎?有没有吃飽?(ご飯食べましたか? お腹いっぱいに食べましたか?)~
 通訳をやっていて一番訳すのに困った中国語が、「吃飯了嗎?有没有吃飽?」でした。 直訳すると、「ご飯食べましたか? お腹いっぱいに食べましたか?」ですが、 昼間3時頃に言われたり、明らかに食事は済んでいる時間でも聞かれるからです。 これは日本で言う、「今日はお天気がいいですね! 暑いですね! 寒いですね!」のような挨拶ですが、 直訳するか、意訳するか、あえて直訳し延々と習慣を説明するか、困ります。 相手によっては、「その習慣知っているよ」、「不思議?」、 「何を今さら」などなど、さまざまな反応があります。

 「吃飽」はほかに「吃飽没事做 (幹)」(直訳すると、お腹いっぱいでやることがないで、「暇」ということを表現しています)もよく使われます。 なぜ、「暇」を表現するのにいちいちお腹がいっぱいを持ち出すのか?(うんー?)。 そうそういい忘れそうでした。 「吃飯了嗎?」と聞かれ、もし「まだです」と答えた場合は、雰囲気的に「おごってほしい」に聞こえたりしますので、 「我自己来」(自分で済ませる)を付けた方が良いと思います。

 教室で、中国茶を淹れているときに、茶葉の浸出を待っている間によくこれらの話をしました。 きっかけは、話の切り出し方について話をしたときです。 最初は「吃飯了嗎」を説明するのに戸惑いましたが、「日本で言うお天気ね!」と教室の受講者が教えてくれました。 それまでヤンピンはずっと、どうして日本人はいつも天気の話をするのか、疑問に思っていました。 晴れていて、今日は天気が悪いなんて言わないのに。。。 寒いのに暑いなんて言わないのに。。。 挨拶だったんですね! お陰様で勉強になりました。

 永年日本に住んでいても、久しぶりに華人(中華系の人)に「吃飯了嗎?」を言われると、ホーと思い、 やはり親近感を感じますね! 一方で国際慣れしている人も多いせいか、代わりに「Hi(ハーイ)」が良く使われているように思います。 残念ですが、ヤンピンも「Hi(ハーイ)」派のように思います。 気持ち複雑です。

 写真は、以前に教室主催のツアーで台湾に帰省したときに、もらった茶菓子 包種茶糕です。 数日間ご好意の食事接待を受け続け、食べきれなかった心残りの一品です。 直径25cmぐらいで、中身はもちもちな餡子、表にまぶされた茶葉が美味しかった記憶があります。







 
 

随意談 第9号(2009年4月14日)   楊品瑜

 
~這是什麼東西呢?(これはなんですか?)~
 お土産に台南安平名物の「剣獅」の中国結びをもらいました。 何かと思ったら、一種の魔よけでした。 諸説ありますが、中国本土から台南に移住した人たちがお守りとして持ってきたとか、 鄭成功とその兵隊たちの無事を祈って、みんなが門や家の中に掛け始めたとか、 鄭成功の軍隊の武将がお守りとして盾に付けていたら戦いに勝利し、持ち帰ったその盾を飾ったところ、 御利益を信じてみんなが真似し始めたとか、などなどです。

 実はヤンピンの両親はそろって台南生まれの台南育ちです。 ヤンピンも台南の小学校に通ったことがありました。 当時は徒歩でよく、いとこたちと鄭成功を祭った延平郡王祠(こちらは市内)で遊びました。 「懐かしいでしょー」ともらったのですが、ちょっと記憶にありませんでした。

 鄭成功は中、日のハーフで、日本生まれです。 日本の歌舞伎の「国姓(性)爺合戦」の国姓爺は鄭成功の別名です。 生誕の地、長崎県の平戸にも数回行ったのですが、「剣獅」については勉強不足で、気がつきませんでした。 次回機会がありましたら、確認してきますね!

 そういえば、十数年前に最初に平戸を訪ねたときは気がつかなかったのですが、 『台湾茶の楽しみ方とおいしい料理』の本を書くときに歴史で鄭成功のことを調べていたら、 お茶とのつながりが見つかりました。 それは、栄西が中国から帰ってきた後、平戸に滞在中に冨春庵(現在の千光寺)で初めて禅を教え、 そして日本で初めて茶畑を作ったというものでした。

 その後、教室でもツアーを組み、九州北部の歴史トラベルに行って、 冨春庵跡の茶畑などを見てきました。 歴史って、覚えようとすると苦手に思う方も多いかと思いますが、 自分の好きな分野や旅行、故事(昔話)となると結構よい経験ができますね。



安平剣獅
剣をくわえた獅子の中国結び


 
 

随意談 第8号(2009年4月2日)   楊品瑜

 
~偉大的天野室長(偉大なる天野室長)~
 清明節ですね!  清明節といえば、明前龍井茶が美味しい時期でもあります。 「明前」というのは、この清明節の前を指します。 清明節は日本のお盆のような国民的伝統行事です。 帰省し、自宅ではご馳走を用意して、神様やご先祖様を祭り、お線香をあげ、墓参りし、お墓周りの雑草を抜いてきれいにします。 ヤンピン家では、ご先祖のそれぞれの人生を振り返り、個々に合う場所を風水師にみてもらってお墓の場所を決めています。 なので、当日は占い帳を見て、適切な時間で、順番に、墓参りし、大忙しです。

 先月、元新宿高野室長天野秀二さんが亡くなりました。 ヤンピンを茶芸講師に育ててくれた指南役の一人です。 企業に於ける文化活動の重要性を唱え、生涯サラリーマンとして企業に貢献し、 マスコミ各社からも信頼され、文化人としても大変ご活躍をされました。 93歳というご高齢で亡くなられたのですが、今年の正月には、年賀状を頂いたばかりでした。

 室長との一番の思い出はやはり、 世界的な二胡奏者となった上海出身の姜建華さんとの交友です。 最初は、姜さんのご主人と室長が知り合いでした。 茶芸教室での演奏依頼を電話したところ、ご主人はシンガポールへの演奏旅行中でしたので、 来日したばかりの姜さんの通訳というか、交渉役がヤンピンでした。 姜さんはすでに、アカデミー賞で受賞した映画の主題歌を弾いた実績の持ち主でしたが、 とても気さくな方で更にびっくりしました。 当時の日本では、二胡の演奏はまださほど馴染みがなく、姜さんは日本での第一人者だったと思います。 その後も通訳(後には不要になりました)や共同で教室を開催したりして、公私とも親交が深まりました。

 天野室長は企業人でありながら、本当に数知れない芸術、文化の新人を発掘し、 デビューさせたことでも知られています。 なのにサラリーマンを通した生き方には、やはり尊敬します。 いつもニコニコ穏やかで、おしゃれで、帽子を少し斜めにかぶり、 フルーツ柄のネクタイは印象深いです。 天野室長、永遠不会忘記您(永遠に忘れません)。

 右の写真は、20数年前の中国茶の本が少ない頃、室長から「参考になるかしら、どうぞ!」と渡された中国茶の本

  『茶の口福』 陳東達 文化出版局(昭和49年7月10日第一刷)

です。 数年前には、この本もかなりくたびれてしまいました。 ティーベリーサロン主宰の 渡部 先生との話の中でお父様が製本のプロと分かり、見てもらいました。 そうしたら、なんと偶然にもお父様がかつて製本された本で、 「こんなにぼろぼろになるまで、よく大事に持っていてくれた」と感心され、 無償できれいに再製本して頂きました。 人の縁を実感させてもらった大切な一冊です。


天野室長から頂いた本


 
 

随意談 第7号(2009年3月23日)   楊品瑜

 
~我家是水果園(我が家はプランテーション)~
 ヤンピン家には、茶葉を肥料にして育てた熱帯の果樹が幾つかあります。 冬は室内に入れるために、家の中はまるでジャングルです。 先日、やっと外に出しました。

 買ったときはみんな小さかったのですが、育たなくなり枯れたものから、 今では自分の背を超えるのもあって、種類は覚えきれないです。 バナナ、グアバ、パッションフルーツ、パイナップル、椰子、パパイヤ、アボカド、棗、 枸杞(クコ)、無花果(いちじく)などなど。 お茶の木ももちろんあります。

 ジャスミン茶用の茉莉花(ジャスミン)もあります。 茉莉花の花が咲いた夜は、まさに「夜来香~」(イェライシャン)です。 その香りをかいで、「ジャスミン茶だー。」(?)と歓声をあげたお客様もいましたが...

 果物は実を付けるので大好きです。 ヤンピンが台北に住んでいた家は、いつも庭に果物が育ち、草花より身近でした。 蓮霧(レンブ、別名ワックス・アップル)の木もありました。 果物は買うより、庭で摘んで食べていたかもしれません。 スイカの種を落としただけで、スイカが育ったこともありました。

 我が家は狭いのですが、気がついたら大きくなる木が多く、少々将来に不安を感じます。


左がグアバ、右がバナナ


 
 

随意談 第6号(2009年3月16日)   楊品瑜

 
~鳳梨酥(パイナップルケーキ)~
 ややこしいのですが、アメリカに住む親戚の台湾土産に、佳德糕餅有限公司 の鳳梨酥をいただきました。 台湾に里帰りしたとき、アメリカに戻る前に、日本に遊びに来てくれたのでした。

 子供のころは鳳梨酥を食べるとき、中のパイナップルジャムを取り除いて食べていました。 どうやらヤンピンはジャムが嫌いだったようです。 でも、肉まんも皮だけを食べていました。

 そんな子でしたが、いつからか、ヤンピンも台湾土産には鳳梨酥を買っています。 最近のはジャムが凝っていて、餅入りや受賞ものもありで、すっかり楽しんでいます。 一部では台湾チョコレートにお土産トップの座を奪われたという話もありますが、 チョコレートもしっかりと黒ゴマ餡や龍眼餡など、台湾味のをいただきました。 みんな美味しかったです。

 他には、長く故郷を離れているせいか、 名店 犁記 の緑豆椪(ソフト生地のパイで緑豆餡)が独り占めをしたいほど好きになっています。 いくらでも食べてしまいます。 子供のころは中身のひき肉が油ぽっくって、苦手でしたが、今では毎回家族にお土産として買って来てもらっています。 すっかり定番となりました。

 ”非常有口福”(「口福」とは中国語で、食べる幸せの表現です)、 食べきれないときは教室のみんなにも味わってもらっています。 教室会員からもお土産をよくいただきますが、もちろん、そういうものは独り占めはしていませんよ!  お土産は少々買う人の知的さとセンスが問われますが、もらう側はやはり楽しみです。 謝謝(ありがとう)!


お土産に頂いた鳳梨酥の箱
右下に受賞歴が記載されている


 
 

随意談 第5号(2009年3月9日)   楊品瑜

 
~國際交流(国際交流)~
 ヤンピンは幼少時から引越しが多く、小学校から高校までは、入学した学校と卒業した学校の国が違うのです。 子供で言葉の通じない環境におかれた時の辛さは、あまり思い出したくないほどです。 中国茶の本を出版する時には、中国茶よりもその人生を本にしませんかと言われたほどです。 このためか、過去を振り返りたくない性格となり、 過去の取材や行った教室の資料はいつも終了とともに仕舞いっぱなしになってしまいます。

 一昨年の中山之家のオープンをきっかけに資料の整理をしていたら、懐かしい資料がいろいろ出てきました。 今もまだ整理中です。 こちらは単にずぼらですかね?

 振り返ると国際交流に関わったことが多くありました。 学生時代は国際会議での受付、前職中は主に食品関連の交流会の開催、 独立後には企画スタッフとして参加することもありました。 思い出すままに書いてみると、中華圏以外でもインド、シンガポール、タイ、ベトナム、フィリピン、 フランス、ベルギー、ノルウェーなどなどの国をお手伝いしてきました。

 「国際」という言葉はヤンピンにとって、とても重い言葉です。 国際人と名乗れるほど器量はありませんが、 子供頃の辛い経験が思わぬところで役に立っているのでしょうか?  ひとりの人間としてみんなと自然に接しているだけのつもりなのですが。

 ひとつひとつの資料を見ていると懐かしいです、やはり。



日華(台)関係研究会での講演が掲載
された会報
表紙の写真は講演中のヤンピンです。


 
 

随意談 第4号(2009年3月2日)   楊品瑜

 
~我是郵差嗎?(私は郵便屋さん?)~
 映画「海角七号」の郵差or送信的(郵便屋さん)ではないのですが、 教室会員のご両親がかつて台湾に住んでいた住所を数回探したことがあります。 ご両親たちは当時、ほとんどが小さい子供だったので記憶も薄かったのですが、 親から話を聞いており、具体的に当時の住所を持っていました。 台湾では旧住所は「地政事務所」である程度調べられるそうです。 でも、年配の方に聞き込みをしたほうが、その土地にまつわる昔話が聞けたり、知り合いにたどり着いたりできます。

 先日教室に、最近仕事で台湾から戻ってきた方が新しく参加されました。 その方のご近所は、かつて受講者のために探し回った場所でした。 吃驚!なので、現在の状況をいろいろ教えてもらい、不思議な感銘を受けました。 ヤンピンはかつて何も知らずに行ったところでしたが、今では新幹線が通る駅となっていました。 自分が生まれる前に繰り広げられていたさまざまなドラマが、昔と今、オーバーラップしました。 次回行ったときにはきっと、違う想いが生じることでしょうね。

 日本で中国茶の教室をやるようになってからは、懐かしさからか、 多くのかつて台湾に住んでいらした日本人が来てくださいました。 満州に住んでいらした方もおられました。 ご高齢などの理由で教室に通われなくなってからも手紙のやりとりが続いていましたが、 最近はめっきり回数が少なくなったり、滞ったりで、寂しいですね~...  でも代わりに、そのお子様世代が受講に来てくれています。 歳月を感じます。

 ヤンピンが台湾に住んでいた子供の時代には日本語を話す年配の方は多く、 聴人講故事(昔話を聞きながら)で育ちました。 でも、あまり日本人に会うことがなく、「日本統治時代は昔の話ね!」としか思っていませんでした。 今は、教科書に出てこない昔話をまだまだ聞きたいと思っています。


台湾新幹線乗車記念のボールペン
新幹線を模したのストラップが付いており、
写真はそのストラップ部分を写したもの。
     (写真:所属指導師提供)


 
 

随意談 第3号(2009年2月23日)   楊品瑜

 
~終於給我看完了(やっと観終えました)~
 先日やっと、「海角七号」のDVDと一緒にもらった台湾版「赤壁(レッドクリフ)」のDVDを見終えました。 正直、海角七号の余韻にもう少し浸っていたかったのですが、 教室でよくレッドクリフに出てくるお茶のシーンについて聞かれるので、大急ぎで観ました。

 「史実とどう違いますか?」、「淹れ方をどう思いますか?」など、よく質問されますが、正直わかりません。 なぜなら史実の部分もあれば、伝説の部分もありますからです。 お茶が駆け引きに使われた話は多くの学者が検証していますが、まだ研究価値があり、歴史的なロマンと思っています。

 ヤンピン的には、教室の茶話のためにも、ロマンの部分を残してくれた方が良いなと思っています。 中国人にとって、茶を飲みながら聊天(おしゃべり)するのは一番のリラックスで、 三国志は子々孫々の茶話になっていますから。

 そうそう、三国志とヤンピンは、実は意外なところで繋がっています。 子供のころから自分の名前の「瑜」の漢字を説明するのに、父から周瑜の「瑜」と言えばよいと教わりました。 子供のヤンピンは周瑜をもちろん知りませんでしたが、周瑜は孫策・孫権に仕えた武将で、 評価が分かれる人物でもありますので、マセた子に映ったことと思います。 ちなみに、「瑜」は美しい玉という意味です。


台湾で販売されている『赤壁』のDVD



 
 

随意談 第2号(2009年2月16日)   楊品瑜

 
~看電影(映画を見ました)~
 旧正月土産に親戚から台湾のヒット映画「海角七号」のDVDをいただきました。 映画は日本語、中国語、台湾語、少々の英語なので、ヤンピンの日常のようです。 久しぶりに映画を見て、「こんなに気分爽快になるんだ」、というのが正直な気持ちでした。 日本では上映が難しいようで、残念です。

 ご覧になった方の感想はさまざまでしょうが、ヤンピンにとっては面白かったし、 すっかり映画の中のさまざまな曲にはまり、 CDもつい買いました(こちらは日本の通販で)。 パッケージはDVDと同じように、映画に出てきた郵便小包のようになっていて、 こちらも面白いです (DVDパッケージは 茶的故事 台湾茶 其の三十二 屏東港口茶の追記 で紹介しています)。

 最初は戦争の話が出てくる映画かと思いましたが、家族そろって大笑いをしながら2回も見ました。 何回も行ったロケ地の墾丁公園はやはりきれい、いつまでも続く青い海、青い空境界線がなく、 椰子の木、珊瑚礁、でどこか田舎、懐かしいです。 望郷の思いです、今は。


『海角七号』のサントラCD



 
 

随意談 第1号(2009年2月10日)   楊品瑜

 
~歓迎来我家(ようこそ、我が家へ)~
 中国茶の仕事をするようになってから、かれこれ28年となりました。 17才の高校生のとき、台湾のお茶屋さんの通訳のアルバイトをしたのがきっかけです。 当時は日本語と中国語がしゃべれるというだけで使ってくれたのですが、 無知もいいところでした。 専門用語がまったく分からないのを、根気良く教えてもらいました。

 就職した会社で思わぬことから中国茶芸の先生をやることになり、 それが本格的になって、すっかり本業になってしまいました。 美味しい中国茶を飲んでいただきたいという思いで始めたのですが、 生徒さんから「楊先生の茶芸教室は楽しいですよ!」と 言ってもらえるので、迷いながらも続けてこられました。

 ここでは、中国茶の楊先生ではなく、 ヤンピン(楊品)ワールドをきまぐれ(随意)に展開しますので、 随意にお付き合いいただければ嬉しく思います。

 ヤンピンは、友人から呼ばれている楊品瑜の中国語発音「ヤンピンユ」を略した愛称です。

 写真は楊が入手した台湾のグリーティングカードです。 中華圏では旧正月(春節)中に年賀状を出します。 このカードは開くと「福」が現われます。



台湾のグリーティングカード